Date: 12月 20th, 2011
Cate: 朦朧体
Tags:

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その53)

まだオーディオブームが続いていた1970年代後半とはいえ、
東京ほどにはあれこれいろんなオーディオ機器を聴ける(聴けた)というわけではない。
意外なモノが聴けた反面、意外なことではあるがGASのアンプを聴く機会は、田舎に住んでいたときはなかった。
だから、GASのアンプの音については瀬川先生の書かれたものが、私のなかでの評価そのものになっていた。

当時、瀬川先生はGASのアンプを、男性的な音と評価されていた。
もちろんいい意味での表現であるのだが、
それに続けて「私自身はもう少し女性的なやさしさや艶っぽさがなくては嬉しくなれない」とつけ加えられていた。
GASのアンプは線の細さを強調することはないことが、まず伝わってくる。
そして力に満ちた表現力をもっていることも。

まだ10代だった私は、アンプの音をまず音色でとらえていた。
もちろんその前提としてクォリティの高さはあるのだが、
あるクォリティをこえたアンプに対して、それについて書かれたものを読んで頭の中にイメージしていたのは、
くり返すが、そのアンプの音色についてだった、といえる。

音色的要素に気をとらえがちであったわけだ。
だからHIGH-TECNIC SERIES 3の井上卓也・黒田恭一・瀬川冬樹、三氏によるトゥイーターの鼎談を読んだとき、
つまり2405とT1について語られているのを読んだとき、
マークレビンソンとGASという対比は浮んでいなかった(GASのアンプを聴いていなかったことも関係しているが)。

けれど、いまは違う。
2405とT1について、井上先生は2405はトランジスターアンプの音、T1は管球アンプの音に喩えられていることは、
この項の(その48)に書いている。
井上先生がT1を管球アンプにたとえられたのは、音像が立体的に定位するからである。

じつは、出来た管球アンプがもつ、この良さはトランジスターアンプに移行したときに失われてしまった、
と私は思っている。
マークレビンソンのLNP2は新しいソリッドステートアンプ(トランジスターアンプ)の代表的な存在である。
それまでの管球アンプでは出し得なかった領域をLNP2がはじめて提示してくれた、といっても言い過ぎではない、と思う。
トランジスターアンプの可能性を、新しい音とともに表現したLNP2ではあるが、
その可能性は、トランジスターの可能性の、いわば半分だけだったようにも、いまは思う。
トランジスターの、もう半分の可能性を、やはり新しい音とともに表現した最初のアンプは、
実のところ、GASのThaedraとAmpzillaのはずだ。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]