Archive for category High Resolution

Date: 1月 2nd, 2020
Cate: High Resolution

UACDという妄想

CDの登場が1982年、
SACDの登場が1999年。
この間、十七年。

昨年(2019年)は、SACD登場から二十年。
何か新たな発表があるかもしれない、と期待していた。
結果、何もなかった。

それでもまだちょっとだけ期待はしている。
来週にはCESが始まる。

そこで、もしかするとSACD(Super Audio Compact Disk)を上を行く、
UACD(Ultra Audio Compact Disk)が登場(発表)されるのでは……、と妄想している。

UACDという名称ではないだろうが、
そろそろ何か登場してきても不思議ではない、と感じている。

Date: 12月 30th, 2019
Cate: High Resolution

MQAで聴くピーター・ガブリエル

ピーター・ガブリエルのSACDが登場したのは、十数年前か。
買ったなかで、“PASSION”には驚かされた。

ピーター・ガブリエルのSACDのすべてを聴いているわけではないが、
SACDのよさがもっともいきているのは“PASSION”ではないだろうか。
そのくらいに“PASSION”のSACDは良かった。

残念なのは、とっくに廃盤になっていることだ。
いまはMQAで聴ける。

MQAでの“PASSION”とSACDでの“PASSION”の比較試聴はやっていない。
私のシステムでは、同じ条件での再生ができないからである。

MQAの“PASSION”も、やはりいい。
MQAでの“PASSION”を聴いていて、ふと思ったことがある。
SACDでの“PASSION”を聴いていた時には、一度も思わなかったことだ。

“PASSION”のアナログディスクは、こんなふうに鳴ってくれるのだろうか──、
ということをMQAでの“PASSION”を聴いていて、ふと思った。

“PASSION”には、当時アナログディスクもあったはずだ。
いままたアナログディスクで発売されている。

どちらも聴いていないが、MQAでの“PASSION”は、
アナログディスクの音の延長線上にあるような気がする。

Date: 12月 28th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、透明ではなく澄明ということ

メリディアンのULTRA DAC、218でMQAの音を聴いていて、
透明な音というよりも、澄明な音と表現したい──、
これまでに何度か書いてきている。

瀬川先生は透明よりも澄明という表現を使われることが多かった。
とはいえ、透明ではなく澄明なのか、その理由について書かれているのは見たことがないし、
瀬川先生に直接訊ねることも、もうできない。

想像していくしかないわけで、
澄明な音とは、細部のグラデーションの表現に秀でた音のような気がしている。

ディテールがクッキリハッキリと見えるように聴こえる音は透明なのではないか。
一見するとクッキリハッキリとはしていないように感じるが、
階調表現が自然で豊かであることに気づかされる音こそが、澄明な音だと思う。

瀬川先生が、そのへんのところをどう考えておられたのかはわからない。

MQAの音を聴いていると、そう感じるし、
そうであると確信してしまう。

Date: 12月 27th, 2019
Cate: High Resolution

MQAで聴きたい“the GULDA MOZART tapes”

ユニバーサルミュージックがMQA-CDの発売にあたって、
体験サンプラー盤も同時に発売した。

2018年秋、audio wednesdayでメリディアンのULTRA DACを初めて聴いた日、
通常のCDとMQA-CDの比較試聴のために、これらサンプラー盤も聴いた。

クラシックのサンプラー盤には、カラヤン指揮の「ツァラトゥストラはかく語りき」があった。
もう30年ほど聴いていない「ツァラトゥストラはかく語りき」なのだが、
試しに、と鳴らしてみた。

通常CDでは、かなりテープヒスに耳につく。
録音年代を考慮すると、このくらいのテープヒスはあたりまえのレベルといえる。

MQA-CDにしてみる。
まず驚いたのはテープヒスの鳴り方だ。

プログラムソースが同じでも、優れたアンプとそうでないアンプとでは、
ノイズの聴こえ方、散らばり方がそうとうに違う。

耳障りに聴こえてしまうアンプと、
音楽が鳴りはじめるとノイズはバックグラウンドになってしまい、
さほど耳につかないアンプとがある。

MQA-CDは、まさにそうだった。
優秀なアンプの鳴り方に共通するところがある。

MQA-CDにノイズリダクション作用が備わっているわけではない。
それでも、なんらかのノイズリダクションを持っているのでは? と疑いたくなるほど、
見事にノイズが音楽の背景となるレベルまで下ってしまった。

ずいぶん以前に別項で書いているグルダの“the GULDA MOZART tapes”。
これがMQAで出てくれたならば、とだから思ってしまう。

マスターテープがカセットテープの“the GULDA MOZART tapes”は、
テープヒスがかなりひどい。
それでも、“the GULDA MOZART tapes”で聴けるモーツァルトは、
まさしくグルダのモーツァルトであり、最上のモーツァルトの、数少ない一つである。

MQAで聴けるようになったら、どれほど素晴らしいことか。

Date: 12月 26th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その8)

MQAは時間軸の精度の高さを謳っている。
けれど、時間軸の精度の高さということでは、
これまでは精度が高くなればなるほど、みずみずしい音は失われつつあった──、
個人的にはそう感じている。

ベルトドライヴ、アイドラードライヴからダイレクトドライヴ型プレーヤーが主流になり、
さらに回転精度を高めるためにサーボ回路が搭載され、
より高精度にするためにクォーツロックも採用されたわけだが、
それらすべてのプレーヤーがそうだった、とまではいわないものの、
大きな傾向として、やはりずみずしい音は失われていった。

CDが登場し、回転精度は水晶の精度となるわけだから、
アナログプレーヤーにつきもののワウ・フラッターは測定限界値以下となった。
そしてみずみずしい音は、さらに失われていった。

回転精度が高くなるということは、
時間軸の精度が高くなる、ということである。

つまり時間軸の精度をあげていくだけでは、みずみずしい音は得られないのかもしれない。
なのにMQAの音を聴いていると、
アナログディスク再生の理想形といいたくなるほどである。

ここでのアナログディスク再生におけるプレーヤーとは、
EMTの930st、927Dst、トーレンスのアナログ全盛時代のベルトドライヴ型、
他にもいくつか挙げられるが、いずれもダイレクトドライヴ型ではない。

これらのプレーヤーのワフ・フラッターは、
ダイレクトドライヴ型の普及クラスのモノよりも、カタログスペック上は悪かったりする。
それでも、音を聴けば、そんなスペック的なことは逆転する。

安定感のある音を聴かせてくれるのは、
総じてカタログスペックで低い値のプレーヤーであった。

つまり、カタログスペック上の回転精度、
静特性としての回転精度の高さは、音楽再生においてはほとんど意味をもたない。

Date: 12月 26th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その7)

私が好きな音は、みずみずしい音である。
とはいえ、この「みずみずしい」音の正体がよくわかっているわけでもない。

なぜ、みずみずしい音とそうでない音とがあるのか。
それからヨーロッパのオーディオ機器にみずみらずしい音を感じることが多いのはなぜなのか。

アナログディスクからCDへと移行して、みずみずしい音が、
それまでみずみずしい音を出してくれるスピーカーだと思っていたのに、
あきらかにみずみずしさが減じた音がしてきた。

これはなぜなのか。
デジタルになったからみずみずしい音ではなくなってきたのか。
そうともいえるだろうし、それだけではないはずだとも思ってきた。

MQAの音を聴いて、みずみずしいと私は感じている。
ということはデジタルだから、とはいえないわけである。

そういえば、と思い出すのは、
アナログディスクにおいても、ダイレクトドライヴ型プレーヤーが主流になって、
みずみずしい音は失われつつあったのではないだろうか。

すべてのダイレクトドライヴ型ではみずみずしい音が出ない──、
とまではいわないものの、総じてダイレクトドライヴ型からはみずみずしい音が感じとりにくい。

私がダイレクトドライヴ型以外のアナログプレーヤーを使ってきたのも、
無意識のうちにそのへんのことを感じとっていたからなのか。

Date: 12月 25th, 2019
Cate: High Resolution

MQAで聴けるディヌ・リパッティ

2018年9月、ウルトラセブン最終回50周年を記念して、
劇中で使われたリパッティ、カラヤン/フィルハーモニーによるシューマンのピアノ協奏曲が、
11.2MHzマスターによるSACDが限定で発売になった。

話題になっていたし、
リパッティとウルトラセブンのイラストが描かれたジャケットは、
レコード店では目立つから、記憶されている方も多いだろう。

このSACDには、ダウンロードキーがついているヴァージョンもあった。
DSDの11.2MHz、5.6MHz、PCMの192kHz、96kHzが選べた。

ウルトラセブンの最終回は二週に渡っての放送だった。
モロボシ・ダンがアンヌに、自らがウルトラセブンであると告白するシーンで、
リパッティの演奏が使われていた。

ウルトラセブンをみていたのは、51年前だからまだ小学校にもあがっていなかった。
それでもウルトラセブンの最終回は、強烈だった。

もちろんシューマンのピアノ協奏曲だったことは、当時はなんにもわかっていなかった。
ましてリパッティの演奏だ、ということもわかっていなかった。

こういう特撮ものを子供だましとか、見もせずにバカにする人を知っている。
ほんとうにそうだろうか、と思う。
制作側が、そんな気持でいたら、
ウルトラセブンの最終回で、シューマンのピアノ協奏曲を使うだろうか。
しかもリパッティの演奏を使うだろうか。

e-onkyoで、11.2MHzのDSDは配信されている。PCMでも配信されている。
でも、いつのまにか、MQAでの配信も始まっていた。

いつからなのかはわからないが、192kHz/24ビットでのMQAでの配信である。
リパッティのピアノがMQAで聴ける。

MQAのよさが、リパッティの演奏をひときわひきたててくれる、はずだ。

Date: 12月 25th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その5)

MQA-CDは2020年1月にも、ユニバーサルミュージックから発売が予定されている。
e-onkyoでも、MQAでの配信はしっかりとやってくれている。

MQA-CDで発売されいてるタイトルは、大半がe-onkyoでも購入できる。
なのでMQA-CDをあせって買う必要はない、とつい考えがちになるが、
e-onkyoでの配信は、サンプリング周波数がMQA-CDとは違う場合がある。

たとえばバーンスタイン/ベルリンフィルハーモニーによるマーラーの交響曲第九番。
MQA-CDは352.8kHz/24ビット、e-onkyoでは192kHz/24ビットである。
価格は……、というと、MQA-CDは税抜きで3,000円だから3,300円。
e-onkyoでは3,748円となっている。

もうひとつ例をあげると、バド・パウエルの“the scene changes”。
こちらはMQA-CDは176.4kHz、e-onkyoでは192kHz/24ビットである。

ただし、というか、なぜだか、といったほうがいいのだが、
e-onkyoには96kHz/24ビットも用意されている。
しかも96kHz版は3,871円、196kHz版が3,046円、MQA-CDは3,300円(税込み)である。

さらに“the scene changes”から“Cleopatra’s Dream”は、
体験サンプラー盤にも収録されている。

ユニバーサルミュージックがCDとMQA-CDの音を比較試聴・体験できるように、
クラシック、ジャズ、洋楽、邦楽の二枚組のサンプラーを発売している。
二枚組で1,000円(税抜き)という低価格だ。

このサンプラー盤は、352.8kHz/24ビットである。
つまり“Cleopatra’s Dream”に関しては、このサンプラー盤がいちばんサンプリング周波数が高い。
となると、サンプラー盤といって無視することはできない。

Date: 12月 13th, 2019
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいウラッハのクラリネット

e-onkyoのサイトをほぼ毎日チェックするようになってしまった。
チェックしては、この人のMQAQは出ていないのかなぁ、と検索もしている。

今日、そんなふうにして思い出したのが、レオポルト・ウラッハだ。
クラリネット奏者である。
ウエストミンスター・レーベルから、ウラッハのレコードは出ていたが、
私がウラッハを知った1980年代、LPは国内盤のみだった。

クラリネットという楽器から、こういう音色を響かせるのか、はウラッハを聴いて、
その柔らかく、ほのかに哀愁の漂う(といったら少し陳腐かなと思いつつも)音色は、
それまでクラリネットという楽器にいだいていた音色の認識をくつがえしてくれた。

それだけに輸入盤がないのか、と思った。
ウエストミンスター・レーベルのマスターテープは本国で行方不明なため、
日本盤しかない、とのこと。

それゆえウラッハのオリジナル盤は、そのころでもひじょうに高価だった。
マスターテープが見つかった、というニュースがあったのは、1990年代になってからだった。

いまウエストミンスター・レーベルはユニバーサルミュージックが発売している。
ということは、ウラッハのMQA-CD、もしくはMQAでの配信の可能性は低くはない……、
勝手にそう期待している。

ウラッハのクラリネットは、主情的すぎるかな、と思うところもあるし、
前時代的という人もいよう。

それでもウラッハのクラリネットの音色は、そんなことどうでもよくなる。
だからこそ、MQAで聴きたい。
これはDSDよりも、MQAに向いているはず、と確信している。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: High Resolution

MQAで聴ける江利チエミ

数日前に、イギリス人男性と日本人女性夫妻のお宅に伺った。
音楽好きの夫妻である。

CD棚には、さまざまなジャンルの音楽のCDがある。
そこにあって、やや異色と感じた棚があった。
その棚には、江利チエミのCDが、おそらくほぼすべて揃っているようだった。

そこには、江利チエミ・ファン垂涎の一枚といわれているCDもあった。
二人とも、江利チエミにぞっこんだ、という。

江利チエミの歌は、テレビから流れてくるのを子供のころ聴いていた。
美空ひばり、雪村いづみとともに三人娘といわれていて、
映画もテレビで放送されたのをみている。

いわばなじみのある歌い手である。
いまではまったく聴かなくなったわけではない。
年に数回聴いている。

といっても、自分でCDをもっているわけではない。
audio wednesdayで聴くことがあるからだ。

それでも、江利チエミのCDを買おう、とまでは思わなかったのに、
ずらっと並んでいる江利チエミのCDをみて、
じっくり聴いてみよう、とやっと思うようになった。

できればMQAで聴きたい、と思うし、
MQAでならば、より積極的に聴きたい、と思うのが、いまの私だ。

e-onkyoで「江利チエミ」と検束すると、ある。
MQAでもあるし、5.6MHzのDSDも用意されている。
江利チエミのファンでない私にとっては、十分な枚数のタイトルが並んでいる。

Date: 12月 5th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その4)

昨晩のaudio wednesdayは、野上眞宏さんによるDJ一夜だった
MQAで始まり、MQAで終った。

始まりの曲は、カラヤンによるボエーム。
終りの曲は、ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲だった。

ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーは、いわば愛聴盤である。
愛聴盤といっても、ほかの愛聴盤とは、どうしても思い入れが違うところがある。
だから、愛聴盤と誰かにいうのに、すなおにそういえないところを感じてしまう。

これまでジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーを、
喫茶茶会記で鳴らそうとおもったことはなかった。
理由は、うまく鳴ってくれそうにないからである。

アルテックのスピーカー(音色)で、
ジャクリーヌ・デュ=プレのチマロがうまく鳴ってくれるとは思っていない、
そういうところが私にはある。

そうであれば、うまく鳴るようにしろ、といわれそうだが、
ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーは、そんなふうには鳴らしたくないだけである。

昨晩の野上さんの選曲だった。
MQA-CDをリッピングしての再生だった。
D/Aコンバーターはメリディアンの218である。
前回からさらにちょっと手を加えている218である。

うまく鳴りそうになければ聴かないという選択肢もあった。
けれど、うまく鳴ってくれそうな予感はあったし、そのとおりだった。

二楽章で終えずに、三楽章も聴いて、四楽章、最後まで聴いた。
その3)で、中野英男氏の「音楽・オーディオ・人びと」から引用した。
《デュ・プレのチェロの音が荒寥たる乾き切った音だった》とあった。

昨晩の音は、そんな音とはまるで違っていた。
だからこそ最後まで聴いた。

Date: 11月 27th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、文教堂市ヶ谷店のこと

書店が取り扱っているのは本だけではなく、
文具やCD、DVDなども扱っているところもある。

市ヶ谷駅近くの文教堂の書店も、入口の近くにCD、DVDコーナーがある。
といっても小さなコーナーである。

そこにMQA-CDがまとめて置いてある。
CD、DVDは壁に据えつけの棚なのだが、
MQA-CDは支柱があって回転するタイプの什器で、別においてある。

ユニバーサルミュージックのMQA-CDの、邦楽以外のタイトルではあるが、
見つけた時は嬉しかった。

なぜかMQA-CD、ハイレゾとか、そういうポップ広告があるわけでもない。
ただMQA-CDだけがまとめられている。

なぜあるのか、それはわからない。
店長がオーディオマニアなのか。

とにかく文教堂市ヶ谷店では、MQA-CDが売っている。

Date: 11月 16th, 2019
Cate: High Resolution, James Bongiorno

MQAのこと、James Bongiornoのこと(その1)

ジェームズ・ボンジョルノは2013年に亡くなっているから、
MQAの音は聴いていない。

昨年秋からMQAの音をいろんな機会で聴くたびに、
いい方式が登場してくれた、と思う。

それだけに、ここでMQAやメリディアンのことについて書くことが多くなっている。

書いていて、ふと思った。
ボンジョルノはMQAをどう評価するのだろうか、と。

Date: 11月 15th, 2019
Cate: High Resolution

MQAで聴けるピーター・ガブリエル

この一年、e-onkyoのサイトを訪れては、
ピーター・ガブリエルを月一回くらい検索していた。

SACDが登場した時、ピーター・ガブリエルはアルバムのすべてをSACDで出した。
e-onkyoでDSD音源で配信されないのか、と期待して、であった。
けれど、ない。

出ない、とは思っていなかった。
いつかは出るんだろうけど、まだなのか、と思っていた。

9月に“Flotsam and Jetsam”が発表になった。
CDも発売になるのか、とあれこれ探しても、非可逆圧縮音源のみの配信しか見当たらなかった。

この件があったから、よけいに期待は遠のいていった。
今日、SNSを眺めていたら、TIDALで、ピーター・ガブリエルのMQAでの配信が始まった、とある。
ということは、e-onkyoでも始まっているはず。

今日の期待は、もう確信である。
始まっていた。
しかもflacだけでなく、MQAでも配信されている。

Flotsam and Jetsam”もある。
48kHz、24ビットではあるけれど、MQAである。

それに“Passion”もある。
こちらは96kHz、24ビットで、もちろんMQAもある。

“Passion”、いったいどんなふうに鳴ってくれるのだろう。

Date: 11月 7th, 2019
Cate: High Resolution
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MQAのこと、否定する人のこと(その1)

MQAを否定する人たちが少なからずいることは、わかっている。
私のように、積極的にMQAの音の良さをみとめる人もいれば、
あまり関心のない人、そしてどうしてもMQAの存在が許せない人たちがいる。

MQAについて、あれこれ理屈をこねまわして否定する人がいるのは、
理解できないことではない。

私が理解に苦しむのは、MQAの存在を絶対に許したくない人たちである。
MQAを認めないのは、個人の自由というか勝手だ。

MQAはいま広く確実に、その実力が認められつつある。
そのことがどうも許せないようだ。

MQAを否定するであれば、無視すればいいだけ、ではないのか。
口汚く罵ったり、存在そのものをなくそうとするのは、どうしてだろう。

私はMQAを認めているが、だからといって、
DSDを否定したりはしない。
ましてDSDが世の中からなくなればいいなんて、まったく思っていない。

多くの人が、そうなのだ、と思う。
なのに、ごく一部の人たちが、そうではない。

そうではない人たちは声が大きい。
目につく。
最近も、そういう人がいた。
へんてこな理屈をこねていた。

この人たちは、MQAの存在を世の中からなくしてしまうことが、正義だとでもおもっているのか。