MQAのこと、透明ではなく澄明ということ
メリディアンのULTRA DAC、218でMQAの音を聴いていて、
透明な音というよりも、澄明な音と表現したい──、
これまでに何度か書いてきている。
瀬川先生は透明よりも澄明という表現を使われることが多かった。
とはいえ、透明ではなく澄明なのか、その理由について書かれているのは見たことがないし、
瀬川先生に直接訊ねることも、もうできない。
想像していくしかないわけで、
澄明な音とは、細部のグラデーションの表現に秀でた音のような気がしている。
ディテールがクッキリハッキリと見えるように聴こえる音は透明なのではないか。
一見するとクッキリハッキリとはしていないように感じるが、
階調表現が自然で豊かであることに気づかされる音こそが、澄明な音だと思う。
瀬川先生が、そのへんのところをどう考えておられたのかはわからない。
MQAの音を聴いていると、そう感じるし、
そうであると確信してしまう。