Archive for category オーディオ評論

Date: 1月 8th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その18)

原田勲氏から直接きいたはなしでは、
チューナーの特集号は芳しくなかった、ということと、
不思議なことにトーンアーム、カートリッジが表紙だと、
これもあまり売れない、ということだった。

例えばアンプを買い替えようと考えているオーディオマニアがいたとする。
そこにステレオサウンドの特集がアンプの総テストであったりすると、
そのオーディオマニアは、なんとタイミングがいい、と喜んで、
そのステレオサウンドを買うことだろう。

アンプの買い替えを考えているオーディオマニアに、
チューナーの特集号を渡しても、関心をもってもらえないこともあるだろう。

でも、ステレオサウンドのようなオーディオ雑誌の読み方は、そういうものではないはず。
そう思っていたからこそ、私は中学二年のころから、なんとか小遣いをやりくりしては毎号買っていた。

ステレオサウンドを読みはじめたばかりの中学生にとって、
43号のベストバイは、確かに面白い特集だった。
世の中には、こんなにも多くのスピーカー、アンプ、カートリッジ、プレーヤーがあるのか、
そのことを知ることができただけでも、43号のベストバイの価値はあった。

それに43号のベストバイのやり方は、これまででいちばん良かった。
結局、その後のベストバイは編集経験者からみれば、手抜きでしかない。

43号のあとは、44号、45号、46号と三号続けてのスピーカーの特集である。
ある意味、おなかいっぱいの特集である。
読み応えがあった。

スピーカーの買い替えなどまったく検討していなかった中学生であっても、
無関係な特集とは、まったく思わなかった。

アンプの買い替えを検討しているオーディオマニアで、
チューナーの特集号、スピーカーの特集号だったら買わない、というのは、
その人はステレオサウンドをお買い物ガイドとしかみていないわけだ。

そういう人にはベストバイの号はぴったりだし、
ベストバイの号が売れるのも理解できなくはない。

それでも、ステレオサウンドは、そういうオーディオ雑誌ではないはずだ、
と当時は思っていたが、現実は売行きが変動するわけで、
だからこそ、原田勲氏が、ステレオサウンドを弁当にたとえて、
幕の内弁当でなければ、というのは、株式会社ステレオサウンドの経営者としては、
当然の帰結なのだろう。

Date: 12月 20th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(ベストバイとステレオサウンドのこと)

ベストバイの号しか買わない読者がいる、と書いているところだ。
私がいたころは確かにいた。

いまもそういう読者がいる(と確信している)。
ただ、昔と現在とでは、ベストバイの号しか買わないの意味あいに違いがあるのでは……、
そんなことも思っている。

ベストバイ以外の号で、スピーカーやアンプの総テストをやったりする。
常に総テストなわけではなく、それ以外にも特集の企画を考えて編集する。

読者のなかには、手っ取り早く結果だけを知りたい、とうい人がいる。
ここでの結果とは、結局のところが、どれがイチバンいいのか、ということだ。

ここでのイチバンいい、ということは、世評が一番いいのはどれか、という意味を多分に含んでいる。
総テストの試聴記を丹念に読むのは面倒。
ベストバイの点数の一番多いのが、イチバンいいスピーカーだったり、アンプなのだろう。

そういう考え、受け止め方をする読者が、昔はベストバイの号だけを買っていた。
いまもベストバイの号だけしか買わないという読者の多くは、こういう人たちかもしれない。

けれど、私のように昔のステレオサウンドは熱心に読んできた──、
そういう人たちが、いまはベストバイの号しか買わない読者になってきているような気もしてくる。

ステレオサウンドがつまらなくなった──、
そうおもっている人たちの多くは、何もいわない。
私のようにブログで書くような人は少ない。
編集部に直接何かをいう人も少ない。

そういう多くの人たちは、黙っている。
そしてステレオサウンドをいつのまにか買わなくなっている。

それでもまったく買わない、
オーディオ雑誌をまったく買わない、というのは、ちょっと寂しい。
何か読みたい、とか、今年一年どんな製品が出たのか、
それらを俯瞰的に把握だけしておきたい──、
そういう人にとっては、
以前ステレオサウンドが出していたHI-FI STEREO GUIDEがぴったりなのだが、
こんなに手間のかかる本は、いまのステレオサウンドは出してくれそうにない。

HI-FI STEREO GUIDE的な号としてのベストバイの号だけは買っておこう──、
そういう人がいてもふしぎではない。

つまり一年四冊の(現在の)ステレオサウンドは要らない、
ベストバイの号(グランプリもやっている)だけで事足りる──、
そういう考え、受け止め方をしている読者が、現在のベストバイの号だけを買っている──、
私の憶測である。
けれどそんなに的外れではないはずだ。

Date: 12月 16th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その17)

いまは冬号がそうだが、以前は夏号がベストバイの特集号だった。
冬号でも夏号でも、どちらでもいいのだが、
その当時でもベストバイの特集号は売れていた。

買わないという読者がいたにも関らず売れていた。
つまりベストバイの特集号だけ買う人が大勢いるということである。

ステレオサウンドにいたとき、編集部の先輩が話してくれたことがある。
ベストバイを始めた理由について、である。

ベストバイの最初は35号(1975年夏)である。
ベストバイの原形といえるいえる特集は、
さらに一年前の31号の「オーディオ機器の魅力をさぐる」といえる。

ベストバイもそうだが、31号の特集も試聴取材はない。
つまりスピーカーやアンプの総テストは編集部の体力的負担がけっこう大きい。
総テストばかりをやっていると、編集者の体力がもたない、
編集者を肉体的に休ませようということで生れたのが、ベストバイという企画ということだった。

こればかりが理由のすべてではないだろうが、なるほどなぁ、と納得したものだった。
別の時にきいた話では、チューナー特集の号は売れなかったそうだ。
24号(1972年秋)、32号(1974年秋)の二冊である。

この二冊を読めば、試聴・取材がどれだけ大変だったかは、
ステレオサウンドの編集経験者であれば容易に想像できよう。

大変だったからといって、その苦労が売行きとして報われるとは限らない。
その反対で、編集者の苦労は少なくとも、ベストバイの特集号は売れるわけだ。

ベストバイが定番の特集企画となったことに納得しながらも、同時に疑問もあった。
41号からステレオサウンドを買いはじめた私は、一号も欠かすことなく買った。
特集がなんであれ、ステレオサウンドは毎号買おうと決めていたし、
中学、高校時代は小遣いをなんとかやりくりしながら、買っていた。

そんな私には、特集記事によって買ったり買わなかったりする読者の存在が理解できなかった。
それでも、これが現実であり、年に四冊しか出ないステレオサウンドでも、号によって売行きが変動する。

Date: 12月 15th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その16)

ステレオサウンドにいたころ、オーディオ業界関係者、
それから訳知り顔のオーディオマニアからよくいわれていたことがある。
「ステレオサウンドは、あれだけ広告が入っているから、一冊も売れなくても黒字なんでしょ」と。

いまでも数年に一度くらい、同じことを聞くことがある。
こんなことをいってくる人は、楽な商売していますね──、
そんなことをいいたいようだった。

巻末の広告索引のページをみれば、どれだけの広告が載っているのかわかる。
十年前、二十年前のステレオサウンドと比較してみると、
広告量のどんなふうに変化していったのかもすぐにわかる。

確かに減っている。
それでも他のオーディオ雑誌の広告索引と見較べると、
ステレオサウンドはダントツに多いのはひと目でわかる。

本が売れなくても、広告だけで黒字。
広告料がどのくらいなのかは調べればすぐにわかるから計算してみれば、
一号あたりの広告収入のおおよその目安はつく。

でも、そんなことを計算したところで、実際のところ、
本が一冊も売れなかったら、広告は入らなくなる。

ある程度の部数売れているから広告も入るのである。
こんな当り前のことをいまさらながら書いているのは、
雑誌にとって、ある一定以上の読者数は絶対的に必要である。

いま書店には冬号が並んでいる。
冬号とは、つまりステレオサウンドグランプリとベストバイの特集号であり、
賞の特集号である。

この冬号だけ特別定価でいつもより高い。
冬号は売れる。

売れるけれど、冬号だけは買わない、という読者が昔はいた。
いまはどうなのだろうか。

Date: 12月 15th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(ルールブレイカーか・その3)

カルメンも、ルールブレイカーだといまさらながら気づく。
ルールブレイカーであるカルメンは、自らのルールを持っている。

Date: 12月 13th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その15)

ステレオサウンドは1966年創刊だから52年である。
創刊号を手にとった人は、若い人ならば60代半ばぐらいからいるだろうし、
70代、もっと上の人もいる。

創刊号を小学生の時から読んでいたという人がいるのどうかはわからないが、
私の知る範囲でも、創刊号ではないけれど、
小学五、六年のときにステレオサウンドの読者になった、とうい人は数人いる。

創刊号からずっと読んでいる人もいれば、途中でやめた人もいる。
私のように途中から、という人がもっとも多いだろうし、
その途中からずっと読みつづけている人、途中でやめた人がいる。

もっとも長い人は50年以上ステレオサウンドを読んでいる。
そこまでではないにしろ、20年、30年くらい読んでいる人はけっこういる。

私もずっと読みつづけていれば40年以上の読者となっている。

雑誌というものは、そのようにずっと読みつづけている読者もいれば、
いま書店に並んでいる209号が、最初のステレオサウンドという読者もいる。

創刊数年程度の雑誌なら、こういう問題はまだ先のことだが、
創刊されて数十年経つ雑誌では、難しい問題である。

最初の読者のレベルに合わせてしまえば、数十年読んできている人は満足しない。
後者を満足させるような記事ばかりでは、初めての読者はおいてけぼりになってしまう。
それだけでなく、それだけの内容の記事をつくることの難しさも生じる。

それでも読みつづける初めての読者ももちろんいるけれど、そう多くはない。
初心者は初心者向けの雑誌を読んでいればいい、というのは、いまでは通用しないし、
昔でも、正しい意見とは思わない。

私は初心者向けの雑誌とステレオサウンドを同時に手にして読んできた。
初めての読者に媚びを売るような記事は必要ない、と思っている。

けれど、いまはステレオサウンドとどのオーディオ雑誌を併読すればいいのか。
そういう問題もある。

雑誌が抱える問題に対し、ステレオサウンドは既に答を出しているように感じる。
それが替えの利く読者の量産である。

Date: 12月 12th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その14)

2010年暮に、それまでの編集長だった小野寺弘滋氏がステレオサウンドを退社して、
オーディオ評論家となった。
ステレオサウンド専属ともいえるオーディオ評論家と、いまのところいっていいだろう。

現在の編集長の染谷一氏も、何年後か十年後くらいに同じ道を辿る、と私は確信している。
そして染谷一氏の次の編集長もまた同じだろう。

そうやってステレオサウンド編集長経験者をオーディオ評論家としていく。
編集長経験者なのだから、編集部内では有能ということになる。

①なのか②なのかは、それぞれで判断してほしい。
それでも私は①だとは思っていない。

すでにステレオサウンド編集部も、替えの利く人たちだけでかためた方が、
組織として維持存在できる。
①替えの利かない〝有能〟な編集者よりも、
替えの利く編集者の方が使いやすい。

その替えの利く編集者の中で比較的有能な人が編集長となって、
いずれオーディオ評論家となる。
そのための道筋として恒例のステレオサウンドグランプリがある。

ステレオサウンド 49号から始まった賞(この時はSTATE OF THE ART賞だった)。
その後、名称を二度変更していまに到る。

替えの利く人材と賞をうまく組み合わせたものだ、と感心する。
経営者として、これは正しいとはいわないけれど、
決して間違っていない選択と実行なのだろう。

ステレオサウンドという会社も、創刊当時よりもずっと人も多く、大きくなっている。
私がいたころよりも人は多くなっているはずだ。

替えの利かない〝有能〟な人が現れるのは、
期待してどうにかなることではない。
株式会社ステレオサウンドを存在させていくためには、そんなことを期待するのではなく、
必要なやり方をとっていくしかないのだろう。

けれど、そうして替えの利くオーディオ評論家と編集者ばかりになってしまった。
そればかりではない、と私は見ている。
替えの利くの作り手側だけでなく、受け手側もそうなってしまったのではないか。

替えの利く読者。
これを量産していくことが、組織の維持存続にはもっとも有効なのではないか。

Date: 12月 12th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その13)

組織を長く維持存続していくには、②替えの利く〝有能〟が、
一番重要であるということは理解できる。

①替えの利かない〝有能〟は、いつかその組織を離れていく。
独立するかもしれないし、この世からいなくなるのかもしれない。
②よりも①のほうが離職率は高いであろう。

そして、ここでいう組織とは会社だけではなく、その業界も含まれている。
つまり株式会社ステレオサウンドとともに、オーディオ業界も含めての組織である。

菅野先生が10月13日に亡くなられた。
少なくともオーディオのジャーナリズム業界に①の人はいなくなった。
残っている人はすべて②か④替えの利く〝無能〟、
つまりどちらも替えの利く人たちばかりだ。

いまのオーディオ評論家を名乗っている人たちのなかに、
①といえる人がいるとは到底思えない。

こんなことを書くと、いや、○○さんはそうではない、と、
個人名を挙げて反論する人がいるかもしれない。
一人か二人は、○○さんである。

ここで具体的に個人名は出さないけれど、
その人であっても、私には②か④であり、替えの利く人である。

それが悪いとはまではいわない。
ステレオサウンド(というより原田勲氏)が求めたことであり、
それに応えた結果であるのだから、いま、オーディオ業界でメシを喰えているのだから。

つまりオーディオ評論家(商売屋)である。
そしてステレオサウンドは、
さらに替えの利くオーディオ評論家を量産しようとしている、と私には見える。

Date: 12月 11th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その12)

三ヵ月ほど前に「左ききのエレン」というマンガについて書いた。
毎週土曜に公開される。
このあいだの土曜日に56話が公開になった。

そこにこんなページがある。
あるデザイン事務所で、先輩が後輩に説教する。
サラリーマンには4種類いる、と。
 ①替えの利かない〝有能〟
 ②替えの利く〝有能〟
 ③替えの利かない〝無能〟
 ④替えの利く〝無能〟

この中で、会社に一番必要な人材はどれか、と後輩に質問する。
答は②の替えの利く〝有能〟である。

「左ききのエレン」はマンガだから、
①〜④には、それぞれイラストが付いている(すべてスターウォーズのキャラクター)。
①はダースベイダー、②と④はストームトルーパー(②は武器を所有している)、
③はC3POである。

つまり②は④の上位互換で、④を②のレベルまで育ててくれる、ともある。
②は量産できるというわけだ。

私が熱心に読んでいたころのステレオサウンドは、
①替えの利かない〝有能〟な書き手たちがいた。

五味先生がまずそうだった。
岩崎先生、瀬川先生、菅野先生、井上先生、
他にも私が先生とつけて呼ぶ人たちがいた。

①替えの利かない〝有能〟な人たちだったから、その喪失感も大きい。
岩崎先生が亡くなり、五味先生、瀬川先生──と続いた。

この時、ステレオサウンドの原田勲氏は何を考えたのか。
替えの利かない〝有能〟な人たちに依存していたら、先はない、ということではないのか。

Date: 12月 11th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その11)

ステレオサウンド 209号が出た。

私が編集長だったら、209号の特集は菅野先生のことにする。
けれど、現実は違うわけで、209号の特集は恒例のグランプリとベストバイである。

毎年暮の恒例の、これらの企画。
今回だけは3月発売の210号にまわしてもいいだろうに……、と思うし、
読者の多くは納得する、とも思う。

そういう決断はできないのか。
できないことはわかっていた。
考えもしなかったのだろう。
だから、特に驚きもなかった。

けれど、編集後記は少しばかり驚いた。
編集者全員、そうだ、と思っていたからだ。

瀬川先生の時、61号の編集後記はそうだった。
編集者全員が、瀬川先生へのおもいを綴っていた。

209号の編集後記は違っていた。
書いている人もいた。けれど全員ではなかった。

これも思い入れなさゆえなのか。

菅野先生は2010年ぐらいから書かれていない。
そのあとに入社してきた編集者は、菅野先生と仕事をする機会はなかったのはわかっている。
それでもステレオサウンド編集部にいるということは、
そこにいたるまでに菅野先生の文章をまったく読んでいない、ということがあるのか。

私には考えられないことだが、あるのかもしれない。
そういう人たちにとって、思い入れはなくても仕方ない。

思い入れ──。
いまのステレオサウンドに期待するのは、もう無理なのか、
すること自体無駄なことになるのか。

Date: 12月 10th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その10)

音元出版は、PHILE WEBを、いわゆるウェブマガジンとして創刊したのではないだろうか。
だからこそ音元WEBでもなく、オーディオアクセサリーWEBでもないわけだ。

Stereo Sound ONLINEは、株式会社ステレオサウンドのウェブサイトとして公開されたのではないのか。
公開後、試行錯誤しながら、現在の形になっている。

スタートがそもそも違っている、と私は捉えている。

Stereo Sound ONLINEを見ていると、
そして季刊誌ステレオサウンドを見ていると、
ステレオサウンド編集部は、株式会社ステレオサウンドから独立すべきではないか、と思う。

そして株式会社ステレオサウンドは会社名を変更してほしい。
そのうえで季刊誌ステレオサウンドの発売元になればいい、と思う。

Stereo Sound ONLINEのグラビアアイドルの記事を見ていると、
この記事(記事といえるのか)を担当した人は、
ステレオサウンドという名称に、まったく思い入れがないのだろう。
そう感じてしまう。

このブログで、ステレオサウンドに批判的なことを書いている。
それでも、ある時期までは、熱心な読者だった。
それゆえにステレオサウンドという名称にも思い入れはある。

私だけではないはずだ。
ある世代までは、ステレオサウンドを熱心に読んでいた時期がある。
そういう人たちは、少なからず、ステレオサウンドという名称に思い入れがある。
私は、そう信じている。

そんな思い入れをもっているオーディオマニアにとって、
今回のような記事は、その思い入れを無視されたかのように感じているのではないのか。

それにしても季刊誌ステレオサウンド編集部の人たちは、
今回のグラビアアイドルの記事が、Stereo Sound ONLINEに載ることをなんとも思わないのか。

思わないとしたら、彼らもまたステレオサウンドという名称になんら思い入れがないことになる。
それとも、何かを感じているのか。

Date: 12月 9th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その9)

ステレオサウンドのウェブサイトは、Stereo Sound ONLINE
音元出版のウェブサイトは、PHILE WEB

インターネットに早くから積極的だったのは音元出版だった。
ステレオサウンドは出遅れた。

どちらにアクセスするかというと、PHILE WEBの方だ。
といっても十日に一回ぐらいの割合で、
Stereo Sound ONLINEの方は一ヵ月に一回もしくは二回程度である。

Stereo Sound ONLINEは、どうしてこんな記事を……、と思うことが増えてきた。
積極的に記事を公開するようになるとともに、そうなってきている。

今日facebookで、ある人が、Stereo Sound ONLINEにこんな記事が……、という投稿をされていた。
確かに、こんな記事が……、というものだった。
グラビアアイドルの写真集の発売記念イベントの記事だった。

Stereo Sound ONLINEではなく、他の名称だったら、それでもいい。
でも古くからのステレオサウンドの読者からすれば、
Stereo Sound ONLINEは、もうステレオサウンドではない。

Stereo Sound ONLINEのStereo Soundは季刊誌のステレオサウンドではなく、
株式会社のステレオサウンドなのはわかっている。

それでもPHILE WEBは音元出版WEBとか音元出版ONLINEという名称ではない。
オーディオアクセサリーWEBでもない。
PHILE WEBの名称が優れているとかそういうことではなく、
この判断は賢明だといえる。

Stereo Sound ONLINEは、株式会社ステレオサウンドのウェブサイトなんだから、と、
いわれてしまえば、確かにそうですね、というしかない。
けれど、ステレオサウンドという固有名詞は、やはり季刊誌ステレオサウンドなのだ。

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その8)

そんな話をきいたのは、昭和のころだ。
いまは平成。しかももう平成も終る。

取次の支払いも昭和のころからすれば改善されていることだろう。
それでも株式会社ステレオサウンドは、物販に積極的だ。
これからもそのはずだ。

そして記事の広告化も積極的だ。
最近の例をあげれば、「老舗ブランドの現在」という連載だ。

この記事の扉には、「創業30年以上」を老舗オーディオブランドの目安と定め、とある。
30年で老舗なのか、と思うわけだが、
東京商工リサーチによれば、創業から30年以上、とあるのは確かだ。

それはわかったうえで、それでも30年で老舗? とおもう。
30年を老舗の目安すれば、いまでは数多くのブランドが老舗にあてはまる。

1988年創業のブランドでも、いまでは老舗となるわけだが、
私の感覚では、単に数字だけで老舗かどうかは判断できないところがある。

「老舗ブランドの現在」は、ほぼ広告とみている。
ここに登場するブランドは、国内・海外問わず、
メーカー、輸入元にステレオサウンド側から積極的に働き掛けてのもののはずだ。

これも憶断にすぎないのだが、
特集記事と、この「老舗ブランドの現在」とでは、記事の成り立ちにずいぶんな違いがあるはずだ。

何も私だけが気づいていることではないはずだ。
編集経験のある方ならば、とっくに気づいていることであろう。

出版社も金を稼がなければやっていけない。
それはよくわかっているつもりだ。
けれど、あからさますぎないか、と感じるわけだ。

やるのならば、もっとうまくやってほしい、と思うし、
そうまでして……、とも感じることから、
原田勲氏自身が、「原田勲氏が亡くなった日が、ステレオサウンドのXデーだ」ということを、
もっとも強く、誰よりも強く、そう捉えていると私はおもっている。

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その7)

「原田勲氏が亡くなった日が、ステレオサウンドのXデーだ」のあとに、
補足的なことを話すと、いわれてみれば、と納得してくれる。

それでも、私がこのことを話したのはそう多くはないし、
オーディオマニアの多くは、そういうふうには思っていないことだろう。

それでも、私以外に、私以上にそのことに気づいていたのは、
ほかならぬ原田勲氏のはずだ。
もちろん、これは私の憶断である。

原田勲氏は、季刊誌ステレオサウンドと株式会社ステレオサウンドをつくっている。
編集長でもあったし、社長でもあった。
そういう人だから、誰よりもはやく、そして強く感じていたのではないのか。

ここ数年のステレオサウンドは、出版以外にもそうとうに力をいれている。
それは出版という業種は、本が売れてもお金が入ってくるのに時間がかかるからである。

私がいたころも、原田勲氏から直接、
出版業の、そういうやりくりの大変さを少しばかり聞いたことがある。

本は取次を通して書店に納められる。
本の売上げは、だから取次をとおして出版社に支払われる。

本が売れた、すぐに取次が支払ってくれるのであればいいが、
実際には数ヵ月待たなければならない、ということを聞いている。

だからベストセラー倒産ということが実際に起きる。
ベストセラーを出せば出版社は潤うはずなのに、
売れるならば、すぐさま増刷しなければならない。
けれど、その本の売上げが取次から支払われるのは、ずいぶん先のこと。
資金繰りにいき詰まっての倒産がある。

ゆえに出版社は、いわゆる日銭を稼ぎたい。
株式会社ステレオサウンドは、いまではいろんなモノを売っている。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論をどう読むか(その5)

(その4)へのコメントが、facebookであった。
そこには、こんなことが書かれてあった。

コメントを書いてくれた人が読んだオーディオ関連の本には、
オーディオ評論家は専門知識に明るくない方がいい──、
そんなことが書いてあったそうだ。

誰が書いたのだろうか。
オーディオ評論家は……、と書いてあるくらいだから、
オーディオ評論家ではないだろう。

どんな人が、どういう立場の人が、このことを言ったかによっても、
受け止め方は違ってくるところがある。

ただ専門知識といっても、生半可な専門知識ではない。
中途半端な知識であれば、確かにないほうがいいと私も思っている。

井上先生がよくいわれていたこと、
頭で聴くな、耳で聴け、
このことはその程度の知識をもっているがゆえに起ることでもある。

もちろん基礎知識は必要である。
けれど専門知識となると、それを身につけるにはどれだけの時間と情熱を要するのか。
それにその過程においては中途半端であるのも確かである。

ならば、そういった専門知識はない方がいい。
頭で聴くことはなくなるからである。

けれど、オーディオ評論家は専門知識に明るくない方がいい──、
と書いていた人がメーカーの人だったりすると、受け止め方は違ってくる。

メーカー側にとって都合のいい広報マンとしてのオーディオ評論家ならば、
専門知識に明るくない方がいいのは確かなことだ。