「新しいオーディオ評論」(その14)
2010年暮に、それまでの編集長だった小野寺弘滋氏がステレオサウンドを退社して、
オーディオ評論家となった。
ステレオサウンド専属ともいえるオーディオ評論家と、いまのところいっていいだろう。
現在の編集長の染谷一氏も、何年後か十年後くらいに同じ道を辿る、と私は確信している。
そして染谷一氏の次の編集長もまた同じだろう。
そうやってステレオサウンド編集長経験者をオーディオ評論家としていく。
編集長経験者なのだから、編集部内では有能ということになる。
①なのか②なのかは、それぞれで判断してほしい。
それでも私は①だとは思っていない。
すでにステレオサウンド編集部も、替えの利く人たちだけでかためた方が、
組織として維持存在できる。
①替えの利かない〝有能〟な編集者よりも、
替えの利く編集者の方が使いやすい。
その替えの利く編集者の中で比較的有能な人が編集長となって、
いずれオーディオ評論家となる。
そのための道筋として恒例のステレオサウンドグランプリがある。
ステレオサウンド 49号から始まった賞(この時はSTATE OF THE ART賞だった)。
その後、名称を二度変更していまに到る。
替えの利く人材と賞をうまく組み合わせたものだ、と感心する。
経営者として、これは正しいとはいわないけれど、
決して間違っていない選択と実行なのだろう。
ステレオサウンドという会社も、創刊当時よりもずっと人も多く、大きくなっている。
私がいたころよりも人は多くなっているはずだ。
替えの利かない〝有能〟な人が現れるのは、
期待してどうにかなることではない。
株式会社ステレオサウンドを存在させていくためには、そんなことを期待するのではなく、
必要なやり方をとっていくしかないのだろう。
けれど、そうして替えの利くオーディオ評論家と編集者ばかりになってしまった。
そればかりではない、と私は見ている。
替えの利くの作り手側だけでなく、受け手側もそうなってしまったのではないか。
替えの利く読者。
これを量産していくことが、組織の維持存続にはもっとも有効なのではないか。