Archive for category オーディオ評論

Date: 9月 3rd, 2015
Cate: オーディオ評論, デザイン

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(2020年東京オリンピック・エンブレムのこと)

佐野研二郎氏デザインのエンブレムは使用中止になった。
八月は、否が応でも、この騒動が目に入ってきた。

あれこれ思い、考えた。
思い出したこともいくつもある。

そのひとつが、菅野先生の文章である。
著作集「音の素描」のオーディオ時評VIIIである。

さほど長くないので引用しておく。
     *
 夏になると人々はサングラスをかけはじめる。もっとも最近は、サングラスがオシャレの一つの道具で、別に夏ではなくても、それほど日射しが強くなくても、年中使っている人がいる。夜でもかけている人がいるが、あれは一体どういうつもりなのだろうか? このサングラスというものをかけてみると、視覚の感覚がずい分変わることに驚かされたり興味を感じたりするだろう。フィルターを通して光の波長をコントロールするのだから、裸視での色彩感とはずい分ちがったものになるのは当然だ。
 そして、不思議なことに、長くこれをかけていると、我々の色彩感はそれになれて、かけはじめた時に感じた色彩の不自然さを感じなくなってしまう。それも、たかだか二、三時間で充分。もし二、三日かけっぱなしにしていれば、そのフィルターを通した色彩こそ本物で裸視の色彩のほうが不自然だという、おかしなことにもなるのである。
 あるへっぽこ画家が、妙なことを思いついた。彼はありとあらゆるサングラスを買いこんで自由自在に色盲の世界を楽しんだ。そうして見た色を彼はキャンバスにぬりつけてみた。キャンバスに向うときにはサングラスをはずすのである。こうして彼は、そこに彼のセンスでは画けない色彩の世界を発見し、その馬鹿げた遊びに夢中になったのである。まともなサングラスでは面白くないから、いろいろな色ガラスを彼は使い始めた。彼のキャンバスには赤い空や黄色い雲や、そして緑色の人の顔が画かれた。
 知ったかぶりの彼の友人達は、それを天才的な色彩感覚だと無責任にほめそやした。事実彼の絵は売れ始めたし、多くの展覧会に入選し、賞ももらった。彼の天才? の道具であるサングラスには、その辺の露店で売っている数百円の色眼鏡もたくさんあって、幸か不幸かそれらの眼鏡の中には像を著しく歪ませるものも少なくなかった。線がひん曲がったり、顔がゆがんだりする奴だ。水平線がうねうね曲ったりした。彼はすっかり悪乗りしていい気分になってその歪んだ形をキャンバスに画いた。右眼が化物のようにでっかくて左眼が縦長のような顔も画いた。魚眼レンズにも当然興味を持った。こうして画かれた彼の絵は、かつてモンマルトルの貧困な一画家から身を起こし、世界的な大画伯として君臨した真の天才の作品にまで喩えられる始末。
 彼の周囲の無責任で手に負えない気取り屋たちにとっては、事実、その大天才の作品と彼の絵との差はわからなかった。彼らはその差を外国人と日本人との差、社会的評価の差としか考えなかった。
 かつて彼と共に苦労したもう一人の画家は、ひたすら写実に徹し、自分の眼で見た、自分の脳裏に焼きついた印象をまったく無視して、キャンバスのスペースに絵筆の技術と謙虚な写実の努力をもって画き続けていた。しかし、その作品は周囲から見向きもされないのである。彼は不幸にして生まれついての色盲であったから、その写実性と、キャンバスに画かれた色彩とは、なんとも様にならない不調和でしかなかった。彼の努力にもかかわらず、その作品は誰も認めなかった。実際その絵は決して優れたものではなかったが、少なくとも前者の作品より誠実であった。
 馬鹿馬鹿しい話しだが、オーディオのもっているいろいろな問題は、この二人の絵画きの話と照し合せてみる時、何かそこに考えさせられるものを含んではいないだろうか。忠実に音を伝達すべきオーディオ機器の理想と、レコード音楽や再生の趣味性の持つ諸問題のほんの一例かも知れないが、考えるに価することのように思えるのである。
     *
ここに出てくるサングラスの別の名詞(パソコンとアプリケーションとインターネット)に、
画家をデザイナー(アートディレクター)と置き換えて読めば、
今回の騒動をある部分を予感しているようにも思えてくる。

「音の素描」をaudio sharingで公開するために10年以上前に入力作業をやっていた。
やりながら感じていたのは、そのまま当時の事象にあてはまるという驚きだった。

今回、改めて、オーディオ時評VIIIを読み返した。

Date: 8月 28th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その8)

オーディオ評論家を先生と呼びはじめたのは、
ステレオサウンドが最初だった、という話は過去にもいまも何度も聞いている。

そうといえるとも思うし、ステレオサウンドが最初だろうか……、と、
すこし微妙なところもあるのも知っている。

とはいえステレオサウンドは、早い時期から先生と呼んでいたことは確かであるし、
ステレオサウンドがそう呼ぶことで、先生と呼ぶことが広まっていたようにも思う。

藝術新潮1980年5月号に「五味先生を偲んで」という、
原田勲氏の文章が載っている。
     *
 私の編集している雑誌『ステレオサウンド』は私が先生に師事することで、はじめて成立したものであった。私と先生の関わりは「五味さん」または「五味康祐」というような呼びかたをしたとたんに、嘘になってしまう。そんな距離感で、私は先生を見たことがないのだ。
     *
ここから始まった、といっていいだろう。

ここから始まったことが、30年、40年……と経つうちに変ってしまった。
形骸化とは、いまの先生という呼称の使われ方だ。

どんなオーディオ評論家に対しても、先生とつけて呼ぶ人に、
原田勲氏にとって五味先生の存在は、おそらくいないのだろう。

Date: 7月 30th, 2015
Cate: オーディオ評論,

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(賞について・その2)

オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。
彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、
オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、
文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
     *
長島先生がサプリームNo.144に書かれたものだ。
「彼」とは瀬川先生のことである。

瀬川先生が始められたオーディオ評論が成立していくことができたのは、
ステレオサウンドが創刊されたからといえる。
それまでの技術色の強い雑誌では、その成立は困難であったろう。

そのステレオサウンドは来秋、創刊50年迎える。
ステレオサウンドの50年は、オーディオ評論が成立しての50年ともいえる。

前回、人を対象とした賞があってもいいではないか、と書いた。
このとき、ほんとうに書きたかったのは、
人を対象とした賞というよりも、オーディオ評論を対象とした賞ということだった。

つい先日、芥川賞、直木賞が発表になった。
文学の世界には、いくつかの賞がある。
評論の世界にも、小林秀雄賞がある。

オーディオ評論の世界に、瀬川冬樹賞があってもいいではないか。
いや、あるべきではないか、と思っている。

これを書きたかったのだ。

Date: 6月 4th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その7)

私は先生とつけて呼ぶ人、さん付けで呼ぶ人を分けているし、
その理由も書いた。

誰が誰を先生と呼ぼうが、さん付けであろうが、呼び捨てであっても、
そのことに干渉することはしない。
その人なりのきちんとした考えがあって、そうしているのであれば、他人が口出しすることではない。

私はこのブログで、何人かの方を先生と呼んでいるが、
だからといって、周りの人に、その人たちを私と同じように先生とつけて呼ぶようなことは求めてもいない。

それでも、先生、先生と、いまは呼びすぎているような気もする。
この人も先生なのか? と思う。
先生とつけていたほうが、呼ぶ側からすれば楽なのだろう。

この人は先生と呼んで、別の人はさん付けで呼ぶようにしたら、
ささいなトラブルを招きかねないのだから、
一様に先生と呼んでいれば波風も立たない(のだろう)。

けれど呼ばれる側はどう思っているのだろうか。
みんなまとめて先生なのか、と思ってたりしないのだろうか。

先生という言葉に、呼ぶ側の気持がこもっていないのだから、
新聞広告の活字の大きさが気になったり、
接待に使われた金額を確認したりするのかもしれない。

これらはさもしい行為ではある。
もちろんさもしいことをする側の人間の資質の問題ではあっても、
そんなことをさせてしまう状況をつくり出しているのは、呼ぶ側の人間の資質の問題である。

結局、ミソモクソモイッショにしているから、
呼ばれる側も、自分がミソと思われているのか、クソと思われているのか……、
オーディオ評論家と呼ばれている人たちを、
それぞれの立場と評価に対して過敏にさせてしまった面もあるような気がする。

とはいえ、オーディオ評論家で呼ばれているのではあれば、
そんなことよりもオーディオ評論家としての役目と役割をきっちりと考えて、
そのことに敏感で忠実であるべきなのだが……。

Date: 5月 20th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その6)

新聞広告に載った自分の名前が、彼よりも若い評論家の名前よりも小さかったというだけで、
編集部に怒鳴り込む。
この人のことを正気の沙汰ではない、とか、バカな人だ、とか、
そんなふうにいうのは簡単である。

この人を擁護する気はないが、私は別の人のことを思い出している。
今度はオーディオ評論家と呼ばれている人のことだ。
その人は編集部に怒鳴り込んだりはしない。
そういう人ではない。

けれど彼は、オーディオメーカー、輸入元からの食事に呼ばれた際、
帰り際に、メーカー、輸入元がいくら払ったのかを領収書を見せてくれ、といって確認する。

ある金額よりも高ければ、満足そうにうむっ、と頷き、
そうでないときは、不満げな表情をする──、
そんな話を聞いている。誰なのかも知っているけど、名前は書かない。
その人のことを批判したいわけではないからだ。

音楽評論家は新聞広告での、自分の名前の大きさ、
オーディオ評論家は、いわば接待の金額の多寡を気にする。

なんと小さな人間なんだろう……、
そう思う人もいるだろうが、評論家という、いわば自由業で虚業ともいえる仕事をしていると、
自分の立場と評価に対して敏感であることは、仕事をしていく上で必要なことのはず。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その5)

菅野先生がステレオサウンドにほとんど書かれなくなってから、
ステレオサウンドに何かを書いている人の誰かを、先生と呼ぶことはない。
今後、先生と呼びたくなる人がステレオサウンドに書いてくれるのだろうか、とも思ったりする。

けれど実際には、ほとんどの筆者が、オーディオ業界では先生と呼ばれている。
オーディオショウやフェアに行けば、
メーカー、輸入元のスタッフが、オーディオ評論家と呼ばれている人たちを、先生と呼んでいるのがわかる。

ずっと以前から、オーディオ評論家と呼ばれている人たち、という書き方をしている。
オーディオ評論家と呼びたくないからだ。

業界の人たちだけではなく、
販売店の人たちも先生と呼んでいようである。
そして読者にも、先生と呼ぶ人がいる。

人が誰かを、さん付けで呼ぼうと先生と呼ぼうと自由である。
他人の私が口出しすることではない。
それはわかったうえで、あの人も先生と呼んで、この人も先生なの? と思ってしまうこともある。

誰かを先生と呼べば、別の人も先生と呼ばなければならないような気がしてのことだろう。
そうした方が角が立たないのもわかっている。

そういえば、と思い出した話がある。
オーディオ評論家ではなく音楽評論家のことだ。

ある大手新聞に、音楽雑誌の広告が載った。
特集記事の紹介があり筆者名があり、連載記事のタイトルと筆者名などが載っている。

そこで編集部に怒鳴り込んできた大御所の評論家がいた。
自分の名前が、若手評論家よりも小さかったのが、その理由だった。

なにも大御所評論家をないがしろにしたからそうなったのではなく、
若手評論家は特集記事、大御所評論家は連載記事であったら、そうなったまでである。
にも関わらず怒りだす人がいる。

Date: 5月 15th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その4)

私がステレオサウンドで働いていたとき、
細谷信二、傅信幸、小林貢、朝沼予史宏の四氏に対しては、さん付けで呼んでいた。
細谷さん、傅さん、小林さん、朝沼さんの場合は本名の沼田さん、と呼んでいた。

なぜなのか、といまごろ考えている。
この方たちとは約12ほど年が違う。
このときこの方たちは30代だった。
若手のオーディオ評論家と呼ばれていた。

若手だからという理由だけで、先生ではなく、さん付けで呼んでいたとは思わない。

私はデザイナーの川崎和男氏を、川崎先生と呼んでいる。
川崎先生は1949年生れだから、14歳違う。
川崎先生と、細谷さん、傅さん、小林さん、朝沼さんは同世代といえる。
傅さんは1951年、細谷さんは1949年生れだったと記憶している。

年齢的なことで先生と呼ばなかったわけではない。
では、なぜなのか。
2008年からブログを書きながら、つねに思っていたことだった。

デザイナーでありオーディオマニアである田中一光氏を先生と呼べなかった理由と、
デザイナーでありオーディオマニアである川崎和男氏を川崎先生と呼ぶ理由となんなのか。

田中一光氏と川崎先生における違い、
川崎先生と同世代のオーディオ評論家と川崎先生における違い、
このふたつの違いは、まったく別の性格の違いなのか、それとも同じ、もしくは近いといえる違いなのか。

いまははっきりと答が出ている。

人は人から学ぶ。
そうやって学んだことを自分のあとに続く世代・人たちにつたえられるか。
結局は、そういうことである。

私は先生と呼んでいる人たちから少なからぬことを、大切なことを学んできた。
いまも学んでいる、といえる。
そうやって学んできたもの・ことのすべてを、ということは無理にしても、
いくつかは私のあとに続いてくれる人たちに伝えていきたいし、伝えていくことはできる。

五味先生の文章から学んできたことを、
そしていまも読み返して学んでいることを、私は誰かにきっと伝えていく、
私から学んでいけるだけのもの・ことは提供していこうと心掛けている。

五味先生だけではない、瀬川先生、岩崎先生、
他にも私が先生と呼んでいる人たちから学んできたもの・ことを、
自分だけのものに留めておかずに、出し惜しみなどせずに伝えていく。

つまり、私が先生と特定の人たちをそう呼ぶのは、
そのことをやっていく(できる)という自負の表明なのだ。

私が田中一光氏、吉田秀和氏、手塚治虫氏を先生と呼ばない(呼べない)理由は、ここにある。
影響を受け、学んできた、といえる。
けれど、オーディオのことのように、そのことをうまく伝えていける自信のなさが、
先生と呼べないことにつながっている。

Date: 5月 15th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その3)

小学校低学年のころ、夢中になってテレビ放送をみていたウルトラマン、仮面ライダー。
そういった空想上のヒーロー、それも超人としてのヒーローではなく、
生身の人間としてのヒーローとして夢中になったのは、ブラック・ジャックだった。

手塚治虫による無免許医ブラック・ジャックには憧れていた。
少年チャンピオンに連載がはじまったブラック・ジャックは初回から読んでいた。
1973年だから10歳だった。

ブラック・ジャックがどういう男なのか、
そのころはまだ表面的には捉えていなかったのかもしれないが、
子供心にブラック・ジャックはかっこいい存在だった。

大人になったら、ブラック・ジャックのように生きたい、と思ってもいた。
医者になりたいと思っていたわけではない。
ただブラック・ジャックという生き方を大人になったらできたらいいなぁ、という憧れからだったのか。

ブラック・ジャック以前にも手塚治虫のマンガはよく読んでいた。
いまも昔ほどではないが、読み返している。

つまり、オーディオに興味を持ちはじめる以前の私にとって、
もっとも強い影響を与えていたのは手塚治虫といえた。

その手塚治虫を、手塚治虫氏と書くわけでもないし、先生と呼ぶわけでもない。
手塚治虫と呼び捨てにしている。なぜだろう、と自分でも不思議に思ったことがある。

先生と呼ぶ人、氏をつける人、呼び捨てにする人、
私の中でどういう基準、理由があって、そうしているのか。
このブログを書くようになって゛そのことを考えていた。

Date: 5月 14th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その2)

五味先生、岩崎先生、瀬川先生、菅野先生と呼んでいながらも、
音楽評論家となると私が先生と呼ぶのは、黒田恭一氏だけである。

音楽評論家はオーディオ評論家よりも多くの人がいる。
黒田先生と呼ぶのであれば、吉田秀和氏も吉田先生と呼ぶべきなのかも……、と何度も思った。
けれど、文章では吉田秀和氏と書くし、親しい人と話していて吉田秀和氏の話題になったとき、
どう呼んでいるかといえば、吉田秀和と敬称はつけない。

おそらく、というか間違いなく吉田秀和氏は音楽評論で仕事をしている人たちからは、
吉田先生と呼ばれることが多いはずである。

吉田秀和氏の功績の大きさ、書かれたものの多さと質の高さ。
吉田先生と呼ぶことに異を唱える人はごく少数であろう。
それでもなぜか素直に吉田先生と書けない、呼べない。

吉田秀和氏と面識がないのは理由にはならない。
私は五味先生と岩崎先生とも会ったことがない。けれど素直に先生と書いているし呼んでいる。

デザイナーの田中一光氏も同じである。
先生と呼びたい、書きたい気持はもっているけれど、
やはり先生とは書けずに、田中一光氏と書いてしまう。
ここが吉田秀和氏と違うところである。

だから田中一光氏を、田中先生と呼べる人が羨ましく思える。
田中一光氏はステレオサウンドのロゴをデザインされているし、
ステレオサウンドのデザインにも関係されている。
それにオーディオマニアである。

田中先生と呼びたい気持は強いけれど、
デザインについて専門的なことを学んでこなかった私が、先生と呼んでいいのか、と思ってしまうからだ。
だからいまも田中一光氏と書いている。

Date: 5月 13th, 2015
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その1)

[味噌も糞も一緒]
善悪・優劣などの区別をせず、何もかもごたまぜに同一視する。
辞書をひくと、こう書いてある。

タイトルにそのまま「味噌も糞も一緒」とはしたくなかった。
それでカタカナ表記にした。

こんなタイトルをつけて何がいいたいのか。
それはオーディオ評論家と呼ばれている人たちにつけられる敬称についてである。

私は、五味先生をはじめ、何人かの方たちに先生という敬称をつけて書いている。
先生とは辞書には次のように書かれている。

①学問・技芸などを教える人。また,自分が教えを受けている人。師。師匠。また,特に,学校の教員。「お花の—」「書道の—」
②学芸に長じた人。「駿台—(=室鳩巣)」
③師匠・教師・医師・弁護士・国会議員などを敬って呼ぶ語。代名詞的にも用いる。また,人名のあとに付けて敬称としても用いる。「—,いろいろお世話になりました」「中村—」
④親しみやからかいの気持ちを込めて,他人をさす語。「大将」「やっこさん」に似た意で用いる。「—ご執心のようだな」
⑤自分より先に生まれた人。年長者。

先生という文字からわかるように、原義は⑤の先に生れた人である。

瀬川先生は1935年生れで、私より先に生れた人である。
けれど瀬川先生は46歳で亡くなられた。
私は瀬川先生の年齢をもうこえてしまっている。
岩崎先生の年齢もこえているし、あと五年で五味先生の年齢に並ぶ。

それでも私は瀬川先生と呼ぶ。これからもそう呼ぶ。
死ぬまでそう呼んでいるであろう。惚けてしまってもそう呼んでいるかもしれない。

このブログを読まれている方の中に、
なぜオーディオ評論家に先生という敬称をつけるのか、と違和感をもつ人もいるのは知っている。
そうだろう、と思う。

瀬川先生、五味先生と呼び書いている私でも、なぜこの人まで先生と呼ぶのか違和感をおぼえることがある。
オーディオショウに行けば、多くのオーディオ評論家が、
メーカー、輸入元の人たちから「先生」と呼ばれているのをみることができる。

この人たちがつける先生という敬称は、辞書のどれにあたるのか。
⑤ではない、③でももちろんない。
①なのか、②なのか、それとも④なのか。

Date: 5月 1st, 2015
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その4)

2011年3月14日、twitterにこんなことを書いた。
     *
はっきり書けば、ステレオサウンドはすでに役目を終えた雑誌だと思っている。それでも、今後のオーディオのあり方についてなにかを提示していけるのであれば、復活できるとも思っている。これはステレオサウンドの筆者についても同じことが言える。
     *
なんと傲慢なことを書くヤツだと思われる方もいよう。
同意される方もいる。

これまでにも、このブログでステレオサウンドに批判的なことを書いてきている。
それを読まれて、ステレオサウンドの現状を嘆いてる、と受けとめられるかもしれない。

別に嘆いているつもりはない。
どちらかといえば挑発している。
それは私自身が、おもしろいと思えるステレオサウンドを読みたいからである。

「今号のステレオサウンドはおもしろかった」、
そう、このブログで書いてみたい──。

そういう気持はこれからも持ちつづけるだろうが、期待はあまりしていないというのが本音でもある。
少なくともおもしろいと思わせてくれるステレオサウンドが、
これから先、一号くらいは出てくるかもしれない。

けれど四年前に書いているように、役目を終えたと思っているわけだから、
ステレオサウンドに「新しいオーディオ評論」は、まったく期待していない。
期待できない、といい直すべきか。

Date: 1月 24th, 2015
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その9)

ずっと以前からの私にとっての課題であり、
このブログを始めてからは、よりはっきりとさせなければと考えている課題が、
私自身は、何によってどう影響されてきたのか、である。

オーディオに関することで、何かに対してある考えを持つ。
その考えは、これまでのどういうことに影響されて導き出されてきたのか。

そのことが、こうやって書いていると、以前にもましてはっきりさせたいと思うようになってくる。

それをはっきりさせる意味もあって、私はたびたび引用している。

世の中には、すべて自分自身の独自の考えだ、みたいな顏をしている人がいる。
彼は、誰の影響も受けなかったようにふるまう。
ほんとうにそうであれば、それはそれでいい。
けれど、ほんとうに誰の影響も受けていない、と言い切れるのか。

その精神に疑問を抱く。
私はいろんな人の影響を受けている。
それを明らかにしていくよう努めている。

誰の影響も受けずに、これは自分自身の考えだ、みたいな書き方をしようと思えば、たやすくできる。
でも、それだけは絶対にしたくない。
それは恥知らずではないか、と思うからだ。

誰とはいわない、どの文章がとはいわない。
オーディオ雑誌に書かれたものを読んでいると、
これはずっと以前に、あの人が書いていたこと、と気づく。

それをどうして、この人はさも自分自身の考えのように書いているのだろうか、とも思う。

もちろん、その人は以前に書かれていたことを知らずに書いている可能性はある。
けれど、その人はオーディオ雑誌に原稿料をもらって書いている、
いわばプロの書き手である。アマチュアではない。

アマチュアであれば、そのことにとやかくいわない。
だがプロの書き手であれば、少なくとも自分が書いているオーディオ雑誌のバックナンバーすべてに、
目を通して、誰がどのようなことを書いているのかについて把握しておくべきである。

人は知らず知らずのうちに誰かの影響を受けている。
そのことを自覚せずに書いていくことだけはしたくない。

Date: 1月 24th, 2015
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その8)

そんな違いはどうでもいいじゃないか、と思われるようと、
私がここにこだわるのは、
私にとっての最初のステレオサウンドが41号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」ということが関係している。

41号の特集は世界の一流品だった。
スピーカーシステム、アンプ、アナログプレーヤー、テープデッキなど紹介されている。
オーディオに関心をもち始めたばかりの中学生の私にとって、
世の中には、こういうオーディオ機器があるのか、と読んでいた。

いわば41号は、現ステレオサウンド編集長がいうところの、
《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》
という編集方針の一冊ともいえる。

「コンポーネントのステレオの ’77」は巻頭に、
黒田先生の「風見鶏の示す道を」があることがはっきりと示すように、
これは《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》
という編集方針の一冊ではなく、
はっきりと《「聴」の世界をひらく眼による水先案内》の編集方針の一冊である。

私はたまたまではあるが、同じようにみえて実のところ違う編集方針のステレオサウンドを手にしたことになる。
38年前、私が熱心に読みふけったのは「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。

Date: 1月 22nd, 2015
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その7)

編集方針が変っていくのが悪いとはいわない。
ステレオサウンドが創刊された1966年と2015年の現在とでは、大きく変化しているところがあるのだから、
オーディオ雑誌の編集方針も変えてゆくべきところは変えてしかるべきではある。

私がいいたいのは、変っているにもかかわらず、創刊以来変らぬ、とあるからだ。
そのことがたいしたことでなければ、あえて書かない。

だが編集方針は、少なくとも活字となって読者に示されたところにおいては、変ってきている。
その変化によって、オーディオ評論家の役目も変ってきている。

《「聴」の世界をひらく眼による水先案内》としてのオーディオ評論家と、
《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、
演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》ためのオーディオ評論家、
私には、このふたつは同じとはどうしても受けとられない、やはり違うと判断する。

現ステレオサウンド編集長の2013年の新年の挨拶をそのまま受けとめれば、
どちらもオーディオ評論家も同じということになる。

オーディオ評論家は読者の代表なのか、について考えるときに、
同じとするか違うとするかはささいなことではない、むしろ重要なことである。

Date: 1月 22nd, 2015
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その6)

ステレオサウンド 2号の表2の文章は原田勲氏が書かれたものだとしよう。
ほかの人による可能性は低い。

この文章の最後に、
《本誌が「聴」の世界をひらく
眼による水先案内となれば幸いです》
とある。

本誌とはいうまでもなくステレオサウンドのことである。
つまりステレオサウンドが眼による水先案内となることを、
ステレオサウンドを創刊した原田勲氏は、このとき考えていた(目指していた)ことになる。

ステレオサウンド 2号の表2にこう書いてあるのだから、
これがステレオサウンド創刊時の編集方針といっていい。

水先案内とは、目的地に導くことである。

2013年の、ステレオサウンド編集長の新年の挨拶にあった
《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》
という編集方針と、
《「聴」の世界をひらく眼による水先案内となれば幸い》という編集方針は、果して同じことなのだろうか。

何も大きくズレているわけではないが、同じとは私には思えない。

けれど現ステレオサウンド編集長は、創刊以来変らぬ編集方針として、
《素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい》
と書いている。

微妙に変ってきているとしか思えない。