ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その1)
[味噌も糞も一緒]
善悪・優劣などの区別をせず、何もかもごたまぜに同一視する。
辞書をひくと、こう書いてある。
タイトルにそのまま「味噌も糞も一緒」とはしたくなかった。
それでカタカナ表記にした。
こんなタイトルをつけて何がいいたいのか。
それはオーディオ評論家と呼ばれている人たちにつけられる敬称についてである。
私は、五味先生をはじめ、何人かの方たちに先生という敬称をつけて書いている。
先生とは辞書には次のように書かれている。
①学問・技芸などを教える人。また,自分が教えを受けている人。師。師匠。また,特に,学校の教員。「お花の—」「書道の—」
②学芸に長じた人。「駿台—(=室鳩巣)」
③師匠・教師・医師・弁護士・国会議員などを敬って呼ぶ語。代名詞的にも用いる。また,人名のあとに付けて敬称としても用いる。「—,いろいろお世話になりました」「中村—」
④親しみやからかいの気持ちを込めて,他人をさす語。「大将」「やっこさん」に似た意で用いる。「—ご執心のようだな」
⑤自分より先に生まれた人。年長者。
先生という文字からわかるように、原義は⑤の先に生れた人である。
瀬川先生は1935年生れで、私より先に生れた人である。
けれど瀬川先生は46歳で亡くなられた。
私は瀬川先生の年齢をもうこえてしまっている。
岩崎先生の年齢もこえているし、あと五年で五味先生の年齢に並ぶ。
それでも私は瀬川先生と呼ぶ。これからもそう呼ぶ。
死ぬまでそう呼んでいるであろう。惚けてしまってもそう呼んでいるかもしれない。
このブログを読まれている方の中に、
なぜオーディオ評論家に先生という敬称をつけるのか、と違和感をもつ人もいるのは知っている。
そうだろう、と思う。
瀬川先生、五味先生と呼び書いている私でも、なぜこの人まで先生と呼ぶのか違和感をおぼえることがある。
オーディオショウに行けば、多くのオーディオ評論家が、
メーカー、輸入元の人たちから「先生」と呼ばれているのをみることができる。
この人たちがつける先生という敬称は、辞書のどれにあたるのか。
⑤ではない、③でももちろんない。
①なのか、②なのか、それとも④なのか。