Archive for category 選択

Date: 4月 6th, 2020
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その14)

自分にとってどれだけの価値があるのか。
それを見極めたくて、オーディオマニアの多くは、
購入前に試聴をじっくり行うのだろう。

それぞれのオーディオ機器のもつ価値を、ほんとうにわかるようになるのは、
自分のモノとしてからだろう。

導入記という記事は、それを読者が知るためのものだろう。
それはそれでいい。

それでも、手離すということについて書いているのは、
手離すことで、より深く価値を知ることになることだってあるからだ。

同時に、手離すことで、価値が、意味に変っていくことがある。

だから、私はステレオサウンドがつまらない、というわけだ。

Date: 4月 6th, 2020
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その13)

「てばなす」を私は「手離す」と書いてきている。
てばなすは、手放すであって、手離すは、私が勝手にそうしているだけである。

けれど、心情的に手放すではなく、どうしても手離すとしたいから、そうしている。
止むを得ぬ事情で、私のもとから離れていってしまったオーディオ機器、それにレコード、
それらは、私にとっては手放すではなく、手離すなのだ。

購入後には、この「てばなす」ことがある。
何ひとつてばなさずにいられる人もいる。
そうでない人もいる。

同じ「てばなす」にしても、手離すではない人もいよう。

新しいオーディオ機器を買う、
そのための購入資金の一部にするために、これまで使っていたモノを売る。
これもてばなすことだが、手放すの場合が多いのではないか。

手離すは、どこかに未練が残っている。
手放すには、未練はない。

手放すくらいのほうがいいのだろう。
それでも手離すとしたくなることが、私にはあった。
そういう私にとって、ステレオサウンドがつまらなくなったと感じるのは、
実はその点において、でもある。

五味先生の「オーディオと人生」に、こうある。
     *
 終戦後、復員してみると、我が家の附近は焼野ヵ原で、蔵書もレコードも、ご自慢のウェスターンも、すべて灰燼に帰していた。本がなくなっているというのは、文学を捨てろということではないのか、なんとなく、そんな気持になった。自分が大切にしたものを失ったとき、再びそれを見たくないと思うのが人間の自然な感情だろう。私は再びそれを取り戻そうとは思わなかった。それどころかもう二度と見たくない、という感じになっていた。音楽に対しても同じで、二十一年に復員してから、二十六年の暮まで私は音楽的なものに全く関心を向けなかった。
 小林秀雄氏が、当時来日したメニューヒンの演奏に感激して、朝日新聞に一文をしたためられたことがある。これを読んで、なんと阿呆なことを言われるのだろうと思った。メニューヒンが、それほどいいとは、私には考えられなかった。また、諏訪根自子のヴァイオリンに接して感激したという文化人の記事なども、新聞で見かけたが聴いてみたいとも思わなかった。
     *
五味先生は手離されていた。

Date: 10月 16th, 2019
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その12)

別項「オーディオマニアと取り扱い説明書」で、
最近のマッキントッシュの取り扱い説明書について書いているところだ。

取り扱い説明書を、購入前にチェックする人はどのくらいいるのか。
私も、これまでいくつものオーディオ機器を購入してきているが、
購入前に、取り扱い説明書を手にとって、
取り扱い説明書の出来がいいとか悪いとか、
気にしたことは一度もない。

取り扱い説明書が必要になる、
そして気になるのは、購入後である。

たいていのオーディオ機器は、取り扱い説明書なしでもかまわない。
それでも最近のマッキントッシュのアンプのように、
一つのツマミに複数の機能を持たせているとなると、
どうしても取り扱い説明書の出来は気になる。

それに購入後は予期せぬトラブルが生じる。
その時にだって、これまでならば、経験則でなんとかなったものの、
上記別項で書いているように、
アンプやCDプレーヤー自体を一度リセットしないと、
トラブルの解消とならない設計だと、取り扱い説明書がないとどうしようもない。

ステレオサウンドに時々載る導入記に、
取り扱い説明書についてふれた記述があるのか。

私が読んだのは207号掲載の、
和田博巳氏の「ファンダメンタルMA10導入記」、
原本薫子氏の「マッキントッシュMCD550導入記」の二本だけである。

そこには取り扱い説明書については、何もなかった。
取り扱い説明書が必要となる状況が生じていない──、
理由はそれだけなのだろうが、
導入記を購入後の視点から書かれたものと受け止めれば、
そこに取り扱い説明書についてなにも書かれていないのは、
オーディオマニアの導入記とレベル的には変らない、ともいえる。

Date: 9月 13th, 2019
Cate: 選択

オーディオ機器との出逢い(その8)

その3)で、モノがモノを呼び寄せる、と書いた。

別項で、KEFのModel 303の組合せについて書いている。
アナログプレーヤー、プリメインアンプ、スピーカーシステムが揃った。
すべてヤフオク!で、当時の価格からは考えられないほどの少ない予算で集められた。

集められた、としたが、集まってきた、という感じもしている。

KEFのModel 303の組合せは、何度も書いているように、
ステレオサウンド 56号に載っていた瀬川先生による組合せである。

303を偶然、ヤフオク!で見つけたのがきっかけだった。
その時は、すべてを揃えようという気はほとんどなかった。

誰も入札しないModel 303がなんだか哀れにも思えて、
この開始価格で購入できるのならば、いいや──、
そんな軽い気持からの入札だった。

その次がヤマハのカセットデッキK1dである。
audio wednesdayでカセットデッキ、カセットテープの音をひさしぶりに聴いて、
とりあえず一台カセットデッキが欲しい、
これも軽い気持から、ヤフオク!を眺めて見つけたのだった。

本音をいえば、ブラックではなくシルバーパネルのK1dが欲しかった。
シルバーのK1dが出品されるのを待つということも考えたが、
それがいつになるのか、程度はどうなのか、価格は? そんなことを考えても、
正確に予測できる人なんていないだろう。

いま、目の前に登場してきたK1dでいいじゃないか、
それに本気でカセットテープの音を聴くわけでもないし、
ブラックのK1dは安価で出品されていた。

その次がサンスイのプリメインアンプAU-D607、そしてテクニクスのプレーヤーSL01が来る。
すべてブラックである。

アンプ、プレーヤーが揃って、K1dがブラックでよかった、と思い始めた。
ヤフオク!は、運任せのところもある。

だからモノがモノを呼び寄せるんだな、と改めて実感しているし、
色が色を呼び寄せるんだな、とも感じている。

Date: 7月 2nd, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その11)

導入記は、すでにあるオーディオ機器を購入してのものだから、
購入後ではあるけれど、購入時的な導入記もある、ということだ。

何かを、それまでのシステムに導入する。
いったいどれぐらい経ったら、購入時から購入後といえるようになるかは、
はっきりといえることではないし、人によって大きく違ってこよう。

わずか数ヵ月で購入後といえる視点をもつ人もいれば、
半年、一年、もくしはそれ以上の期間を必要とする人いるであろう。

購入時と購入後の視点をはっきりとわけるものは、
小沢コージ氏の文章中にある無意識インプレッションだと思っている。

ステレオサウンド 207号掲載の二本の導入記のうち、
原本薫子氏のそれは、力が入っているのがわかる。
それを腐すつもりは毛頭ない。

力がそうとうに入っているだけに、原本薫子氏の文章はまさに導入記といえる。
いえる、と書いてしまうのがまずければ、私にはそう感じる、といいかえよう。

つまり小沢コージ氏の文章にある
《クルマのハンドリングに関する真の評価は、そのドライバーが無意識的に走っている時にこそ行われるべきで、自分で「走るぞ!」と思っている時のステアリングの手応えや操縦安定性の評価など、あてにならないというのだ》
このことだ。

何も購入時の導入記があてにならない、といおうとしているのではなく、
いわゆる試聴テストではなく、こういう内容の記事であるからこそ、
「走るぞ!」(「聴くぞ!」)という、いわゆる蜜月をすぎたといえるようになってからの、
ようするに無意識インプレッションが、購入後の視点だと考える。

Date: 7月 1st, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その10)

ステレオサウンド 207号に購入後の視点的な記事が二本載っている。
和田博巳氏の「ファンダメンタルMA10導入記」、
原本薫子氏の「マッキントッシュMCD550導入記」である。
どちらも四ページ構成の記事だ。

文字数を数えていないが、
amazonのレヴュー投稿よりは、ずっと文字数は多い。
それにどちらも四点の写真もある。

この記事について、購入後という視点で書く予定でいたところに、
友人から、あるサイトのURLがメッセージで届いた。

webCGに六年前に公開された一本の記事へのリンクだった。
第452回:これじゃメルセデスには追いつけないぜ! “無意識インプレッション”のススメ」、
小沢コージという方が書かれている。

その冒頭に書いてあることこそ、購入後の視点ではないだろうか。
     *
「自分が言うのもなんですが、箱根で新車の試乗会やっても、あまり意味ないと思うんです。みなさんそのつもりで走ってるし、運転がうまい人ほど足りない分を自然に補っちゃうので……」いやはや、とある試乗会で、とあるテストドライバーから衝撃的なコメントを……というか、昔から漠然と抱いていた疑問に対する答えをもらってしまったぜ。いわばそれは、“無意識インプレッション”のススメだ。どういうことかというと、クルマのハンドリングに関する真の評価は、そのドライバーが無意識的に走っている時にこそ行われるべきで、自分で「走るぞ!」と思っている時のステアリングの手応えや操縦安定性の評価など、あてにならないというのだ。
いや、それも大切かもしれないけれど、最も重要なのは、ボーッと走っている時に「いかにドライバーの脳に適切な刺激やインフォメーションを与えられるか」「轍にタイヤを取られたりしないか」といったことであり、プロのテストドライバーは、運転中に意識的にその領域に踏み込んで評価できるという。
まさに達人の境地というか、スターウォーズの“フォース”みたいな話じゃないの(笑)。でも、ダメンズ小沢自身、本当にそうだと思った。というのも実際問題、箱根で走ってると、クルマの動的性能がよく分からない場合が多いのだ。もちろん、“速い”とか“フィールがいい”とか“ブレーキが効く”と感じる部分はあるし、それをなるべく自然体で分かりやすくリポートしようとはしているつもりだが……。
     *
無意識インプレッションである。

207号の二本の導入記を読んでいて感じていたのは、
購入後の視点といえる記事ではなく、あくまでも導入記としての記事ということだ。

Date: 1月 3rd, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その9)

瀬川先生が、ステレオサウンド 47号のベストバイで三つ星でつけられているモノ、
スピーカーシステムでは、QUADのESL、JBLの4343、4301、4350A、スペンドールのBCII、
ヴァイタヴォックスのCN191、ロジャースのLS3/5A、KEFのModel 104aB、Model 105、Model 103、
セレッションのDitton 66、K+HのOL10、ヴィソニックのDavid 50である。

たしかに《すでに自分で愛用しているかもしくは、設置のためのスペースその他の条件が整いさえすればいますぐにでも購入して身近に置きたいパーツ、に限られる》。

プリメインアンプをみると、よりはっきりする。
三つ星をつけられているプリメインアンプは一機種もない。

コントロールアンプも、同じといえる。
三つ星はマークレビンソンのLNP2のみである。

パワーアンプは、いくつかに三つ星をつけられている。
パイオニアのExclusive M4、マークレビンソンのML2、QUADの405、ルボックスのA740、
SAEのMark 2600がそうである。

大半が購入されている。
スピーカーシステムで購入されていないのは、ヴァイタヴォックスのCN191、K+HのOL10、
JBLの4350Aくらいか。
4301とModel 103はどうだったのか、購入されたのか。
パワーアンプのSAEのMark 2600はその前のMark 2500を愛用されていた。

瀬川先生は(その8)で引用したところに続いて、こう書かれている。
     *
 みて頂ければわかるとおりAのつくパーツがすべて高価であるとは限らない。たとえばカートリッジのエラック(エレクトロアクースティック)STS455Eや、スピーカーのヴィソニック〝ダヴィッド50〟あるいはロジャースのLS3/5Aなどは、日常気楽にレコードを楽しむときに、私には欠かせない愛用パーツでしかもここ数年来、毎日のように聴いてなお少しも飽きさせない。
 だが反面、少しばかり本気でレコードをじっくり聴きたいときには、どうしても、EMTの♯927Dst、マーク・レビンソンのLNP2L、SAEの♯2500、それにJBLの♯4341、という常用ラインのスイッチを入れる。これらのパーツを入手したときには、それぞれに購入までの苦労はあったけれど、買って以来こんにちまで、それに支払った代償について後悔などしたこともないし、それよりも、価格のことなどいいかげん忘れかけて、ただもう良い音だなあと満足するばかりだ。
 どのような形であれ、入手した製品に対する満足感が数年間も持続するなら、それはもう文句のないベストバイといって差し支えあるまい。そして、このように本当の意味でのベストバイを上げるとなれば世の中にいくら数千点にのぼるパーツが溢れていようとも、ひとりの人間が責任を持ってあげられる製品の数はおのずと限定されてしまう。
     *
つまり瀬川先生が三つ星をつけられているのは、
瀬川先生にとっての《本当の意味でのベストバイ》であり、
《ひとりの人間が責任を持ってあげられる製品》でもある。

Date: 1月 3rd, 2018
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その8)

12月に書店に並ぶステレオサウンドの特集の一本は、ベストバイである。
古くから続いていてる定番の特集である。

ベストバイは、best buyである。
ベストバイの特集が始まったころは、
特集の巻頭でそれぞれのオーディオ評論家が、ベストバイについて書いていた。

ベストバイ、お買い得と訳すことはできる。
最近ではほとんどベストバイということそのものについて語られることはなくなったが、
ベストバイには、暗黙のうちにお買い得の意味が強くある。

ならばgood buy、better buyは、お買い得ではないのか。
そんな考えもないわけではない。

47号から、ステレオサウンドのベストバイには星がつくようになった。
三つ星、二つ星、一つ星である。
はっきりと書いてないが、三つ星がbest buyで、二つ星がbetter buy、一つ星がgood buy、
そう捉えることもできないわけではない。

むしろ、そう捉えた方が自然ではないか、というか、無理がないと思える。
best buyなのに、星の数に違いがあることがそもそもおかしい。
best buyならば、すなわち三つ星であるはずで、
二つ星はbetter buy、一つ星はgood buyである。

47号で、瀬川先生が書かれている。
     *
 この味に関してはここ一軒だけ、といえるほどのうまい店は、めったに他人に教えたくないし、まして〝うまいみせ案内〟などに載らないように祈る、というのが本ものの食いしん坊だそうだ。せっかく見つけた店を人に教えておおぜいが押しかけるようになればどうしても味が落ちるし、やがて店を改装したり拡張したり、さらに支店まで出すように大きくなるころには、昔日の味はどこかに失われてしまっている。うまい店をたまたまみつけて、しかもその味を大切に思ったなら、せいぜい潰れない程度の流行りかたをするよう、細心の注意で臨まなくてはならない……のだそうだ。
 それがたとえば、食べたいだけ食べても二千円でお釣りがくるほどのおでん屋であったにせよ、また逆に、二~三万円は覚悟しなくてはならないレストランであったにせよ、その店を出るたびに、心底、うまかった! と言えるようなものを食べさせてくれれば、支払った代価は忘れてあとにはうまいものを食べた満足感だけが残る……。
 ベストバイというのを例えてみれば、まあこのようになるのではないか。

 同じたとえでいえば、購入して鳴らしはじめて数ヵ月を経て、どうやら調子も出てきたし、入手したときの新鮮な感激もそろそろ薄れはじめてなお、毎日灯を入れるたびに、音を聴くたびに、ああ、良い音だ、良い買物をした、という満足感を与えてくれるほどのオーディオパーツこそ、真のベストバイというに値する。今回与えられたテーマのように、選出したパーツにA(☆☆☆)、B(☆☆)、C(☆)の三つのランクをつけよ、といわれたとき、右のようなパーツはまず文句なしにAをつけたくなる。そして私の選んだAランクはすべて、すでに自分で愛用しているかもしくは、設置のためのスペースその他の条件が整いさえすればいますぐにでも購入して身近に置きたいパーツ、に限られる。
     *
A(☆☆☆)、つまり三つ星こそがbest buyだということが伝わってくるし、
もっと大事なことは、購入してすぐに、ではなく、購入して数ヵ月後、
《入手したときの新鮮な感激もそろそろ薄れはじめてなお》と続いている。

つまり購入後、buy(買う)ではなく、bought(買った)である。

Date: 12月 20th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その6)

そういえばと思い出すと、
私が知っているオーディオマニアでマルチチャンネルをやっていた人も、
その時はB&Wの800シリーズだった。

2チャンネル再生だったころは、B&Wとは性格の違うスピーカーだった。
彼の鳴らすマルチチャンネルの音を聴いていない。
だからいえることはあまりないのだが、
それまでの鳴らしていたスピーカーと同じモノを、
チャンネル数だけそろえるのではなく、
スピーカーを全面的に換えてのマルチチャンネル再生であるのを考えると、
B&Wの800シリーズは、マルチチャンネルには最適といえる性格のスピーカーなのかもしれない。

けれど私はこれまでも、これからもマルチチャンネル再生をやろうとは考えていない。
それに、いまステレオサウンドに執筆している人たちで、
マルチチャンネル再生に取り組んでいる人は、誰がいるのか。
ほとんどが2チャンネル再生のはずだ。

「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」、
こう言ってくる人も、マルチチャンネル再生はやっていない。
2チャンネル再生のオーディオマニアの人ばかりである。

ここまで書いて、五味先生が4チャンネルについて書かれていたことをおもいだす。
     *
 いろいろなレコードを、自家製テープやら市販テープを、私は聴いた。ずいぶん聴いた。そして大変なことを発見した。疑似でも交響曲は予想以上に音に厚みを増して鳴った。逆に濁ったり、ぼけてきこえるオーケストラもあったが、ピアノは2チャンネルのときより一層グランド・ピアノの音色を響かせたように思う。バイロイトの録音テープなども2チャンネルの場合より明らかに聴衆のざわめきをリアルに聞かせる。でも、肝心のステージのジークフリートやミーメの声は張りを失う。
 試みに、ふたたびオートグラフだけに戻した。私は、いきをのんだ。その音声の清澄さ、輝き、音そのものが持つ気品、陰影の深さ。まるで比較にならない。なんというオートグラフの(2チャンネルの)素晴らしさだろう。
 私は茫然とし、あらためてピアノやオーケストラを2チャンネルで聴き直して、悟ったのである。4チャンネルの騒々しさや音の厚みとは、ふと音が歇んだときの静寂の深さが違うことを。言うなら、無音の清澄感にそれはまさっているし、音の鳴らない静けさに気品がある。
 ふつう、無音から鳴り出す音の大きさの比を、SN比であらわすそうだが、言えばSN比が違うのだ。そして高級な装置ほどこのSN比は大となる。再生装置をグレード・アップすればするほど、鳴る音より音の歇んだ沈黙が美しい。この意味でも明らかに2チャンネルは、4チャンネルより高級らしい。
     *
五味先生のころのマルチチャンネル(4チャンネル)は、アナログがプログラムソースだった。
しかも、いわゆる疑似4チャンネルであるから、
現在のデジタルをプログラムソースとするマルチチャンネルと同一視できないけれど、
マルチチャンネル再生における重要なことは、静寂さの深さであることは同じのはずだ。

Date: 9月 16th, 2017
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その5)

憧れのオーディオ機器なんてない、という人もいるのかもしれないが、
オーディオマニアなら、憧れのオーディオ機器はあるはずだ。

憧れて憧れて、やっとのおもいで自分のモノに出来たこともあれば、
手が届かなかったことだってある。こちらのほうが多い。

価格が高いだけなら、購入計画をたてて、そこを目指していけばいいけれど、
あっという間に市場から消えてしまうモノに関しては、えっ? とあきらめるしかない。

JBLの4343、マークレビンソンのLNP2、EMTの930stといったモノに憧れてきた。
他にもいくつもあるが、こういったモノは人気もあって、そこそこの数が売れている。

なのでじっくり待てば、程度のいい状態のモノと出合えることはある。
けれどあっという間に消えてしまったモノとなると、そうはいかない。

手に入れたい、という気持もあるけれど、
それ以上にもういちど、その音を聴きたい、と思う意味での憧れのオーディオ機器がある。
いまもいくつかある。

その中の半分くらいは、市場からあっという間に消えてしまっている。
ふたたび出合えることは、誰かのリスニングルームであってもないだろうと、
なかば諦めている。

諦めているからこそ、まったく予期しない機会に出合えたときの私の気持は、
ほんとうに嬉しい。

その嬉しさは、ふたたび出合えたこと以上に、
このスピーカーの良さをわかっている人が、やっぱりいてくれた、という嬉しさの方が、
ずっとずっと大きい。

心の中で「同志がいた」と叫びたくなるほどに、嬉しいものだ。
二日前(9月14日)が、まさにそういう日だった。

Date: 7月 20th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その5)

B&Wの800シリーズについて書いていて、ふと思ったことがある。
マルチチャンネル再生をやるとしたら、
意外にもB&Wの800シリーズは候補に挙がってくるかも……、ということだった。

モノーラル時代はスピーカーシステムの数は一本、
ステレオ時代になって二本になった。

モノーラル時代には大型のホーン型スピーカーシステムがいくつも存在していた。
JBLのハーツフィールド、エレクトロボイスのPatrician、
タンノイのオートグラフ、ヴァイタヴォックスのCN191、
これらの他にも、いくつものモデルがあった。

これらのスピーカーシステムで、ステレオ再生(2チャンネル再生)を行う。
そのことに否定的なことをいう人ももちろんいたけれど、
これらのスピーカーシステムによるステレオ再生は、独自の世界を築いていたこともあって、
いまだその世界に憧れつづける者もいる。

でも、このことはステレオ再生が二本のスピーカーシステムだったこともあるように、
最近では考えている。

もしステレオ再生が2チャンネルではなく、
センターチャンネルを加えた3チャンネル、
リアチャンネルを加えた4チャンネル、
センターとリアの両方の5チャンネル、
そういうシステムであったなら、
モノーラル時代のスピーカーシステムで……、というやり方はうまくいかなかったかもしれない。

モノーラル時代の、これらのスピーカーシステムは大型で、しかも高価だった。
そういうスピーカーを三本、四本、五本揃えるのは、それだけでたいへんなことだが、
問題はそこではなく、スピーカーのもつキャラクターの濃さについてである。

いかなるスピーカーであっても、キャラクター(個性)がある。
そのスピーカー固有の音色がある。

そのキャラクターが、スピーカーの数が二本よりも多くなっていくときに、
問題として顕在化していくのではないだろうか。

私は4チャンネル再生の経験がない。
聴いたことがないわけではないが、オーディオに関心をもつ前であったし、
単にきいた、というだけでしかない。

4チャンネル再生の問題点は頭ではわかっているし、
定着しなかった理由は、知識として知っている。

それでも、ふとおもうのは、
当時B&Wの800シリーズのようなスピーカーシステムが存在していたら、
フォーマットの制定も行われていたら、
違う展開を見せていた可能性について、だ。

B&Wの800シリーズを鳴らしていたオーディオ評論家として、
小林悟朗さんがそうだったことを思い出した。

小林悟朗さんは800シリーズでマルチチャンネル再生を行われていた。

Date: 5月 25th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(余談・Matrix 800シリーズ)

もうながいつきあいのKさん。
彼もオーディオマニアで、録音関係の仕事もしている。
何年前だったか、B&Wのスピーカーのことが話題になった。

この項で書いていることに近いことを話していた。
Kさんがいうには「Matrixシリーズはいい」ということだった。

仕事(レコーディングのモニター)にも使えるだけでなく、
家庭用スピーカーとしても魅力的である、と。
その後も、ことあるごとにKさんはMatrixシリーズだけは違う、と力説する。

確かにレコーディングスタジオに、いまもまだMatrixシリーズが使われているところはある。
予算がないから最新モデルに買い替えられていのではなく、
あえてMatrixシリーズを使い続けているようである。

いま書店に無線と実験 6月号が並んでいる。
実はひさしぶりに無線と実験を買った。

6月号には「ソニー・ミュージックスタジオ アナログカッティングルーム完成」の記事がある。
3月にオーディオ関係のサイトでニュースになっていたから多くの方が知っているように、
ソニー・ミュージックがアナログディスクのカッティングシステムを導入している。

3月の時点では、ノイマンのカッティングシステムということはわかっても、
それらはどうやって調達したのかまではわからなかった。

ソニー・ミュージックが旧CBSソニー時代のカッティングシステムを、
どこかにしまっていたとは思えない。

無線と実験の記事には、そのあたりのことも載っている。
記事は2ページ。
10点の写真があって、その一枚にマスタリングシステムが写っている。
ここもモニタースピーカーは、B&WのMatrix 801S2である。

Date: 5月 25th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その4)

スピーカーは、鳴らす人によって、時として別モノのように鳴る。
ずっとずっと昔からいわれ続けている。

このことを否定するオーディオ評論家はいない(はずだ)。
どのオーディオ評論家は、表現は違っても、同じ趣旨のことをいったり書いたりしている(はずだ)。

B&Wの800シリーズを高く評価しながらも、
決して自宅で鳴らそうとしないオーディオ評論家であっても、そのはずである。

B&Wの800シリーズを仕事(おもにステレオサウンドの試聴室)で聴いている。
ならばこそ、と私などは思う。
ほんとうにB&Wの800シリーズを優れたスピーカーだと高く評価して、
ステレオサウンドの誌面を通じて読者にもすすめているのであれば、
編集部が鳴らす試聴室の音よりも、
別モノのように800シリーズを自分のリスニングルームで鳴らせるはずである。

スピーカーシステムは同じでも部屋がまず違う。
アンプもCDプレーヤーなどのオーディオ機器が違う。
そしていちばんのファクターとしての鳴らし手の違いがある。

B&Wの800シリーズが優れたスピーカーであるならば、
ステレオサウンド試聴室での、いわば仕事モードでの音、
それから自分のリスニングルームでの、自分ひとりのための音、
そういう音も鳴らせるはずではないのか。

なのに「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」が、
現状であるのは、どうしてなのか。

(その2)を書いてから、理由をいくつか考えてみた。
最初に考えたのは、B&Wの800シリーズはウィントン・マルサリス的スピーカーなのか、だった。

私はウィントン・マルサリスの演奏についてあれこれいえるほど、
ウィントン・マルサリスのレコードを聴いているわけではない。
ただウィントン・マルサリスの名前を、
ジャズにあまり関心のなかった私でも耳にするようになったころ、
同じくらい耳にしていたのは、
「ウィントン・マルサリス、うまいけど、つまらないよね」的なことだった。

Date: 5月 25th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その3)

「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」、
このオーディオマニアの声は、輸入元にも届いていると思うし、
オーディオ雑誌の編集部にも、オーディオ評論家の耳にも届いているであろう。

B&Wの800シリーズの評価が高いのはここ一、二年のことではない。
結構前から評価は高かった。
ステレオサウンド試聴室のリファレンススピーカーとして800シリーズが使われるようになって、
どのくらい経つのだろうか。

誌面での評価が高く、表紙にも何度か登場している。
賞にも選ばれる。
リファレンススピーカーとしても使われる。

それだけ誌面に登場することの多くなっていくとともに、
「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」の数も多くなっていっている。
むしろ、最近ではあまり口にしなくなりつつあるような気すらする。

それでも、この項を書き始めるすこし前に、
「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」を聞いている。

あからさまに、このことを話題にしない人でも、
心のどこかに「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」がひっかかっているんだろう。
それが何かの拍子にフッと出てしまう。

初対面の人から「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」といわれた場合と、
よく話をする友人の口から「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」が出た場合、
こちらが口にする言葉は同じとはいえない。

友人の場合は、何もかも、とまではいかなくとも、
おおよそのことは察しての「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」である。

初対面の人の場合では、
どういう意図で「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」なのかを、
こちらとしては探ってしまうところがあるといえばある。

本当に疑問に感じての「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」なのか、
それとも何か裏情報のようなことを知っているんでしょう、それを聞かせてほしい、
という「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」のことだってあろう。

いっておくが、そんな裏情報のようなことは知らない。
なぜ、オーディオ評論家がB&Wの800シリーズを使わないのか──、
本音の理由を、私も訊いてみたいくらいである。

本音の理由を知らないからこそ、こうやって書いているわけだ。

Date: 4月 28th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その2)

B&Wの800シリーズの評価は、常に高い、といっていいし、
新型が出るたびに評価はあがっていく。
にも関わらず、オーディオ評論家で自家用として鳴らしている人はいない。

ここでいうところのオーディオ評論家とは、
私の場合、主にステレオサウンドに執筆している人ということになる。
他のオーディオ雑誌に執筆されている人に関しては触れないことにしている。

800シリーズは、ステレオサウンドでの評価が最も高いといえるし、
ステレオサウンドではリファレンススピーカーとしていること、
それに他のオーディオ雑誌に執筆している人のシステムに私が詳しくないこともある。

こういうことを指摘すると、
たいていは、こんな答が返ってくる。
「仕事用のスピーカーと趣味用のスピーカーは違うから」

これももっともらしい答で、これで納得する人もいるかもしれないが、
そんなお人よしな性格のオーディオマニアは少ないのではないか。

まずオーディオ評論家にとって、
自身のリスニングルームは、ひとりの音楽愛好家として音楽を聴く場であるとともに、
オーディオ評論家としての仕事場でもある。

そこにメーカーや輸入元からアンプやCDプレーヤーその他を持ち込まれて試聴もする。

もちろん、ここでも、こんなことはいえる。
B&Wの800シリーズの音を聴くと、仕事モードの耳になってしまうから、と。

ならば自家用として鳴らしているスピーカーでは、仕事モードの耳にならない、とでもいうのか。
それでは自宅に持ち込まれたオーディオ機器の試聴はできない、という道理になる。

でも実際にはそうではない。

それに仕事モードの耳とは、どういうことなのか。
細かな音の違いを聴き分けようとする耳のはずだ。

これはオーディオを仕事としていない人でも、そういうモードの耳で聴くことは当り前にある。

それとも仕事モードの耳は、もっと違うことなのか。
このメーカーの製品はほめておかなければならない、とか、
そういったことを考えながら聴く耳が、仕事モードの耳とでもいうのか。