Archive for category ジャーナリズム

Date: 3月 22nd, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その4)

ステレオサウンド 47号の特集の巻頭、
「オーディオ・コンポーネントにおけるベストバイの意味あいをさぐる」で、
瀬川先生が書かれていることを、ここでも書き写しておこう。
     *
 だが、何もここで文章論を展開しようというのではないから話を本すじに戻すが、今しがたも書いたように、言葉の不用意な扱いは、単に表現上の問題にとどまらない。それがひいては物を作る態度にも、いつのまにか反映している。
     *
物とはオーディオ機器だけではない。
オーディオ雑誌も含まれている。

チョーク(コイル)をわざわざチョークトランス、
平滑コンデンサーを整流コンデンサーなどと、
技術的におかしい、言葉の不用意な扱いをしているのが、
いまのステレオサウンドである(他の雑誌も同じようなもの)。

瀬川先生が亡くなって三十年以上が経っている。
いまのステレオサウンド編集部にとって、瀬川先生は古い人なのだろうか。

そんな古い人の書かれたことを持ち出されても……、という声がきこえてきそうだ。

Date: 3月 3rd, 2017
Cate: ジャーナリズム

光の射す方へ

別項「オーディオ評論をどう読むか(その2)」で、
太陽の光と月の光の違いについて、
そしてオーディオ評論(家)にも、太陽の光と月の光とがあることについて書いた。

その後も、「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって)」でも、
そのこと、その違いについて書いた。

光の射す方へ、人はめざす。
オーディオマニアも、またそうであろう。

けれど、太陽の光の射す方へめざすのか、
月の光の射す方へめざすのか。

太陽の光を思って、月の光の射す方向へとめざしてはいないだろうか。

昨夏書いたことを、ここでまた書いているのは、
「またか」と思われるだろうが、「3月のライオン」にハマっているからだ。

十一巻の巻末に「ファイター」という短篇が収録されている。
「3月のライオン」の主人公、桐山零の小学生時代が描かれている。

「ぼくの隣はいつも空席だ」という独白で始まる。
16ページの短篇の最後には、現在の主人公の独白がある。
     *
僕が変わった訳では無い
──そして周りが変わってくれた訳でも無い
ただ気が遠くなりそうな日々を必死で
指して指して
ただ指し続けているうちに
ある日ふと
同じ光の射す方へ向かう人達と
一緒に旅をしている事に気付いた

──そして 今日も
目の前に座る人がいて
またひとつ新しい物語が始まる
光の射す方へ
僕らの旅は続くのだ
     *
《同じ光の射す方へ向かう人達と一緒に旅をしている事に気付いた》
光の射す方へ向いながらも、その「光」が違うことに気づいている。

どちらの光の指す方へ向うのか。
それはその人しだいである。

それでもどちらが太陽の光の射す方なのかは、しっかりと見極めておかねばならない。

Date: 2月 25th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その3)

その2)で反知性と書いた。
書きながら、KK適塾での川崎先生が話されたことを思い出していた。

反・半・範(はん)について語られた。
ならば反知性、半知性、範知性となる。

本来、オーディオ雑誌の編集長は範知性であるべき。
なのに半知性であったりすれば、
その雑誌は範知性であることは絶対にない。

せいぜいが半知性、うっかりすれば反知性へと転ぶ。

反・半・範の他にも、「はん」の漢字はいくつもある。
販、汎、判、煩、犯などがある。
他にもまだまだある。

それらの漢字を知性の前につけていく。
販知性、汎知性……。

販知性。なるほど雑誌は知性で商売をすることといえよう。
「はん」の漢字を知性につけていくことで、気づくことがあった。

Date: 2月 24th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その2)

オーディオ雑誌における技術用語の乱れ、
それも基本的な技術用語の乱れは、オーディオが反知性主義へと向いつつあるのか──、
そんなことを感じてしまう。

そんな大袈裟な、と思われるかもしれないが、
技術用語の乱れは、ここ数年のことではない。
十年以上前から続いていることであり、
乱れが少なくなるのではなく、より多くなりつつある。

昨年暮のキュレーションサイトの問題では、
キュレーションサイトには編集長のいないから的なこともいわれていた。

ほんとうにそうだろうか。
オーディオ雑誌には、どの雑誌にも編集長はいる。
編集長のいないオーディオ雑誌はないにも関わらず、技術用語は乱れていく。

別項で「オーディオは科学だ」と声高に主張し、
ケーブルで音は変らない、と言い張る人たちのことを書いている。
以前は「オーディオの科学」というサイトについても書いた。

だからといって「オーディオは科学ではない」とはまったく考えていない。
オーディオは科学であり、科学がベースになっている。

オーディオには感性が重要だ、と多くの人がいう。
たしかにそうだが、オーディオと科学の関係を否定することは、誰にもできない。
感性を重視するあまり、反知性主義へと傾いていいわけがない。

それがどういう結果を招くことになるのか、
技術用語にいいかげんな編集者たちは想像すらしていないのだろう。

昨秋からKK適塾が開かれている。
川崎先生がコンシリエンスデザイン(Consilience Design)について、語られる。

以前もこのことは書いた。
コンシリエンスデザインについては、川崎先生のブログを読んでいただきたい。

コンシリエンスデザインについて説明される図こそ、
オーディオそのものである。

Date: 2月 19th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その1)

別項で触れた技術用語の乱れ。
他にも例がある。

パワーアンプの動作を表す用語に、A級、B級がある。
AB級もある。

AB級とは小出力時はA級動作を、
それ以上の出力ではB級動作に移行する。

どの程度の出力までA級動作をさせるかは、メーカーによっても、製品によっても違う。
だいたいは数Wから10W程度までA級で、これ以上の出力ではB級である。

けれど最近のオーディオ雑誌では、こんな表記があった。
小出力ではA級動作、それ以上ではAB級に移行する、と。

こんな間違いを平気で活字にしている例を見たことがある。
それも一度ではない。
これもおそらくメーカーからの資料にそう書いてあるからなのだろう。

いまではオーディオ雑誌の編集者でも、
A級、B級、AB級の違いがわかっていないようだ。

他にも技術用語の乱れの例は挙げられるが、
オーディオ雑誌の編集者が気づくべきことだから、このへんにしておく。

オーディオ雑誌も、いまや程度の低いキュレーションサイトと同じになっている。

Date: 1月 15th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その22)

オーディオの想像力の欠如によって、オーディオの音色の表現が失われつつある。

Date: 1月 12th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その21)

オーディオの想像力の欠如がしていては、あるべき世界(音)を聴くことはできない。

Date: 1月 2nd, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その20)

オーディオの想像力の欠如がしているところに、オーディオの規範はない。

Date: 1月 2nd, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その19)

オーディオの想像力の欠如が、セッティング、チューニングの境界をさらに曖昧にしている。

Date: 12月 31st, 2016
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その18)

オーディオの想像力の欠如から生れる浅陋、
浅陋のままつくられる商業誌は、誌面を彩っても賎陋でしかない。

Date: 12月 30th, 2016
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その17)

オーディオの想像力の欠如のままで、有機的な体系化をつくり出せるだろうか。
ゆえに浅陋なのか。

Date: 12月 28th, 2016
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その16)

オーディオの想像力の欠如の怖さは、楽な聴き方に安住してしまっていることを、
本人に気づかせないことにある。

Date: 12月 27th, 2016
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その15)

オーディオの想像力の欠如は、正しい音の存在の否定へと傾く。
そして正しい聴き方から遠ざかっていく。

Date: 12月 26th, 2016
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その14)

オーディオの想像力の欠如が生むのは、音だけでなく音楽をも所有できるという錯覚だ。

Date: 12月 26th, 2016
Cate: ジャーナリズム, 楽しみ方

ある試みと思い出したこと(余談)

昨日のブログで取り上げたオタイオーディオの取り組み。
この取り組みが、オタイオーディオのブログで公開されたのが12月21日。
私は四日遅れで、facebookを通じて知った。

だから昨日(12月225日)に書いた。

今日(12月26日)、
ステレオサウンドのウェブサイトでも、オタイオーディオの,この取り組みが取り上げられている。
Stereo Sound ONLINE 編集部・佐藤めぐみ氏が記事を書かれている。
ホームパーティーにピュアオーディオを。名古屋のオタイオーディオが、日本ホームパーティー協会とコラボ
というタイトルがついている。

一日遅れで、ステレオサウンドのウェブサイトが記事にしている。
きっと、偶然なのだろう。

私のブログを読んで、オタイオーディオの取り組みを知ったわけでもないだろう。