Archive for category 複雑な幼稚性

Date: 6月 24th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その20)

話は少し横路にそれるが、今回のavcat氏のツイートにも関係することがある。
これもfacebookへのコメントで知った。

「フリーライター、書く人」というブログがある。
5月23日の記事が、オーディオとインターネットに関係する内容である。
タイトルには、
「他社製品と性能比較してSNSに結果を流すのは営業妨害です。株価が下がったら責任取れますか?」と公開やり取りで炎上事件
とある。

冒頭に、こうある。
     *
 個人ブロガーがオーディオ用インシュレーター製品Aと製品Bの性能を比較するとツイートしたところ、製品Aをブロガーに貸し出した株式会社金井製作所が「他社製品と性能比較してSNSに結果を流すのは営業妨害です」とツイート。「個人のレビューに対して営業妨害呼ばわりはどうなんだ?」と炎上しました。
     *
詳しい内容は、リンク先にアクセスして読んでいただきたい。
読み終って、まず思ったのは、いろんなことが起っているんだなぁ……、である。

このブログを公開されている篠原修司氏は、
《企業から貸し出されたモニター機で他社製品と性能を比較する行為は、通常では考えられないことです》
と書かれている。

そうなのか、と思った。
そうだろうけど、オーディオの場合、他社製品との比較も必要となる。

この件はインシュレーターである。
インシュレーターであれば、個人ブロガーがそれまでインシュレーターの類を使っていないのであれば、
特に問題は起こらなかったであろう。

比較するもの(音)は、インシュレーターを使用していない音なのだから。

けれど、インシュレーターに興味をもちモニター試聴を行う人であれば、
なんらかの同種のアクセサリーは使っていることが多いのではないか。

そういう人が、メーカーから貸し出しを受けたインシュレーターについてだけ書くのは、
難しいことではないか。

《企業から貸し出されたモニター機で他社製品と性能を比較する行為》については、
これ以上はここでは触れない。

私が書きたいのはそこではなく、
個人ブロガーが、avcat氏と同じで、匿名である、という点だ。

自分のお金で買ったモノについて書くのであれば、匿名でもかまわない。
けれどメーカーからモニターとして貸し出しを受けておいて、
匿名である、ということに疑問を感じる。

しかも他社製品との比較を、製品名を明らかにした上で書くのであれば、
匿名のままということに、個人ブロガー自身は何も感じないのか。

個人ブロガーは、メーカーに対してあれこれ主張している。
ここでも一連のツイートに「複雑な幼稚性」につながるものを感じていた。

Date: 6月 24th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その19)

avcat氏は、「音楽の見える部屋」と「マイオーディオライフ」に、
否定的なツイートをされている。

その否定的なツイートは、ムックに対して向けられているのか、
ムックに登場している人たちの多くに向けられているのか。

それにしてもavcat氏は、この二冊のムックのタイトルをはっきりと書かなかったのか。
ぼかして書いたところで、オーディオマニアならば、
すぐにどの本のことがすぐにわかる書き方をしている。

ぼかす意味がないだろう、と思うのに、
それでもぼかしているのは、なぜなのか。

否定的なことを書いているためなのか。
そうだとしたら、幼いな、と思う。

否定的ななこと、批判的なことを書いてはダメだ、なんていわない。
それでも相手(人、モノ、本など)が特定される書き方をするのであれば、
書き手はきちんと実名で書くべきだ、というのが私のルールである。

匿名で否定的・批判的なことを書くのであれば、
絶対に相手が特定されないように配慮すべきである。

avcat氏は、そう考えている人ではないようだ。
「音楽の見える部屋」と「マイオーディオライフ」に関しても、
ぼかしているものの、すぐにわかる書き方だし、
柳沢功力氏に関しても、そうだ。

はっきりと柳沢功力氏の名前を出しているのではなく、
やっぱりぼかした書き方だ。
それでも、誰にでもわかるぼかしかたでしかない。

なのにavcat氏本人は、匿名のままである。

Date: 6月 24th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
1 msg

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その18)

avcat氏が、どんな人なのか、
avcatというサイトを公開している人、ということ以外は知らない。

avcatは公開されて十年以上経っている、と思う。
海外のオーディオメーカーの新製品情報に関しては、
当時もっとも早く紹介していたサイトだった。

それからしばらくして、オーディオショウの写真を公開するようになった。
オーディオショウの写真に関しては、公開の早さと写真の数は、力が入っているといえた。

ただそのころの写真に関しては、アングルがほとんど変らない写真が並んでいて、
数が多い割には……、とも感じていたが、
その行動力から、かなり若い人なんだろうな、と勝手に思っていた。

写真の工夫のなさからいって、学生かも……。
大学生、もしかするともっと若くて高校生ぐらい。
オーディオに芽生えて数年ぐらいの人がやっているのが、avcatだ、とも思っていた。

若い人なんだな、ということは、今回の件に関する一連のツイートを読んでも感じることだ。
そのツイートの中に、二冊のオーディオのムックのことが取り上げられている。

はっきりとムックのタイトルを書かれているわけではないが、
どのムックを指しているのかは、明らかだ。

音楽之友社から出ている田中伊佐資氏の「音楽の見える部屋」、
音楽出版社から出ている山本耕司氏の「マイオーディオライフ2018」である。

Date: 6月 23rd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その17)

Components of the year、Stereo Sound Grand Prix、
ステレオサウンドが30年以上、State of the Artから数えると40年ほど、
毎年やっているのが、いわゆる賞である。

選考委員はオーディオ評論家に、ステレオサウンドの編集長である。
小野寺弘滋氏はステレオサウンド前編集長で、そうだった。
2011年からオーディオ評論の仕事をされている。

2011年12月発売のステレオサウンドでは、だから染谷一編集長が、
そのポジションにいる。
ということは、あと数年もすれは染谷一氏もステレオサウンドの編集長を辞めて、
オーディオ評論家として、選考委員として加わるのか。

私は、そうだ、と思っている。
ステレオサウンドの、いわゆるビジネスモデルといえる。

仮に十年編集長を務めたあとにオーディオ評論家だとしたら、
2021年に染谷一氏もオーディオ評論家であり、
誰かが新しい編集長になり、その誰かも2031年ごろにはオーディオ評論家。

2031年は13年後、小野寺弘滋氏も現役であろう。
そうだとすると小野寺弘滋氏、染谷一氏、その次の編集長だった人と、
賞の選考委員のうち三人が、ステレオサウンドの編集長だった人、ということになる。
それプラス、その時のステレオサウンド編集長も加わるわけだ。

ステレオサウンドの編集長ではないが、山本浩司氏はサウンドボーイの編集者であり、
HiViの編集長でもあった。
つまりステレオサウンドの人だった。

そうなったとしたら、
少なくとも染谷一編集長が数年後にオーディオ評論家とデビューしたら、
はっきりとステレオサウンドのビジネスモデルといえるようになる。

ビジネスモデルと書けば、多少印象もいいが、
つまりは商売のやり方だ。

株式会社ステレオサウンドがなければ季刊誌ステレオサウンドもなくなるわけだから、
しっかりと商売しなければならないのはわかっている。
それでも、私が考えているとおりになったとしたら……、
そうなったときのことを考えてみてほしい。

Date: 6月 22nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その16)

今回のavcat氏へのステレオサウンド編集長の染谷一氏の謝罪を、
他の出版社は、どう思うのか。

なんだかんだいっても、いまのところ日本のオーディオ雑誌では、
ステレオサウンドがもっともよく知られているし、それなりの信頼は保っている、といえよう。
私のように、まったく評価しなくなった者もそこそこの数いるにしても、だ。

そのステレオサウンドが、その編集長が、多くの人の目の届かないところで、
今回の謝罪を行っていた、ということは、
オーディオジャーナリズムの信頼を崩すことである。

オーディオジャーナリズムは、確立されていない──、
以前書いている。いまもそう思っている。

確立される前に瀬川先生が亡くなられた、からだ。

それでもオーディオ雑誌への信頼がまったくない、とまでは私だっていいたくない。
それでも、今回の染谷一編集長の行為(謝罪)は、
本人はたいしたことない、と思っているのかもしれないが、
他のオーディオ雑誌の編集者は、なんてことをやってくれたんだ、と怒りを滲ませているかもしれない。

また別のオーディオ雑誌の編集者は、
なんだ、結局、われわれと同じ穴の狢なんだな、ステレオサウンドも、と思っているかもしれない。

信頼は地に墮ちた──、
そういう表現がある。
今回の件は、本人たちはどう想っているのか知らないが、
地に墮ちた、というより、自ら地に堕としている。

一度でもこんなことをやってしまい、そのことが表沙汰になれば、
今回だけなのだろうか、とも思われる。

ステレオサウンドがやっていたんのだから、他も……、とも思われることだってある。

Date: 6月 20th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その15)

今回は柳沢功力氏だっただけだ。
今回と同じことが起らない、といえる人はいないだろう。

むしろ今回の件を、avcat氏がツイートしてくれたおかげで、
少なからぬ人が知り、そのうちの一人の方のおかげで、私も知ることが出来た。

私がこうやって、ほぼ毎日、この件について書いていっていることで、
今回の件を知った、という人もいるわけだ。

その人たちが、また仲間内に拡げていく。
電話やメールやSNSで拡散していく。

avcat氏のツイートがなかったなら、
今回の、ステレオサウンドの染谷編集長の謝罪を知る人は、
avcat氏と染谷編集長だけ、であった。

avcat氏にとって、染谷編集長は、とても「物分かりのいい人」であろう。
ステレオサウンド 207号の柳沢功力氏のYGアコースティクスの試聴記に不愉快になり、
そのことについての自身の意見をツイートした。

それを読んだ染谷編集長が、
6月9日と10日開催のアナログオーディオフェアの会場で、
avcat氏をみかけて自発的に謝罪。
その際に《これからこのようなことがないように対策します》といっている。

avcat氏にとって、染谷編集長は、ほんとうにわかってくれている人なんだろう。
謝罪された、というツイートのあとの投稿を読めば、そのことは伝わってくる。

avcat氏には染谷編集長を陥れる意図はまったくなかった、と思う。
むしろ逆だったのだろう。

けれど、今回の謝罪の件と、
染谷編集長が《これからこのようなことがないように対策します》といったことが、
拡散されていくことで、ステレオサウンドというオーディオ雑誌が浮ける痛手を、
avcat氏はまったく考えなかったのか。

《これからこのようなことがないように対策します》、
これは、ステレオサウンドに書いていて生計をたてている人たちに対して、
間接的な恫喝といえるものである。

それに、《これからこのようなことがないように対策します》を、
メーカーや輸入元の人たちは、どう受けとるか。

avcat氏と同じように連続ツイートしていけば、
染谷編集長が自発的に謝罪に来てくれて、
《これからこのようなことがないように対策します》と約束してくれるのか──、
そう捉えることだってできるわけだ。

メーカーや輸入元のスタッフがツイートしても無視されるのであれば、
自社製品のユーザー(できれば染谷編集長と面識のある人)にツイートしてもらえばいい──、
そんなふうに考えるメーカー、輸入元がない、と言い切れるか。

Date: 6月 19th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(実感していること)

このテーマに関してはまだまだ書いていく予定だが、
今日は友人のAさんと飲んでいたので、この時間でもまだアルコールが残っている。

こういうとき、このテーマで書いていくと、
指が暴走してしまうだろうから、少し横路にそれたところで書こう。

現在のステレオサウンド編集長の染谷一氏がいくつなのかも、私は知らない。
それでも世代が違うんだな、と感じているのは、
染谷一氏は、瀬川先生の書かれたものを読んでいないんだな、ということ。

まったく読んでいない、という意味で書いているのではない。
五年前に瀬川冬樹著作集「良い音は 良いスピーカーとは?」がステレオサウンドから出ている。
少なくとも、この著作集には目を通しているはず。

でも、それを「読んでいる」とは私は思わない。
私と同じレベルで読んでいる人とは到底思えない。
そういう人ゆえに、今回の謝罪なはずだ。

瀬川先生が生きておられたら、今回の件に激怒されていたはずだ。

Date: 6月 18th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その14)

今回の件で、私がいちばんの問題と考えるのは、
ステレオサウンドの染谷編集長が《これからこのようなことがないように対策します》と、
謝罪したことだ。

「対策」という言葉を、染谷編集長はほんとうに使ったのか。
ほんとうに「対策」といったのであれば、
染谷編集長はステレオサウンドというオーディオ雑誌を、
とりかえしのつかない状況に追い込もうとしているのか。

avcat氏のツイートには、確かに「対策」とあるし、
染谷編集長がavcat氏のツイートに対して、なんらかのアクションをしているわけでもない。
ということは、確かに「対策」なのだろう。

染谷編集長は、どう対策するのか。
今回と同じことが、もう一度あったとしよう。

柳沢功力氏が、ナイーヴな読み手にとってはネガティヴな意見と捉えそうなことを、
原稿に書かれていた。

その時、染谷編集長は、柳沢功力氏に、この部分を書き直してください、と突き返すのか。
柳沢功力氏が「そうだね」といって書き直してくれるとは限らない。

私はむしろ、反対ではないか、と思う。
そうなったら、染谷編集長の判断で無断で書き直すのか。

「対策」とはそういうことを指すのか。
それとも抜本的な対策として、柳沢功力氏に依頼しない、という手もある。

染谷編集長は、そんなつもりで「対策」といったわけではない──、
そういうかもしれない。
けれど「対策」とは、そういうことである。

そしてこれは柳沢功力氏だけの問題ではなく、
他の筆者にとっても、非常に大きな問題だということに気づいているのか。

Date: 6月 18th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その13)

SNSの普及とともに強く感じるようになってきたのは、
試聴記の読み方・捉え方が、昔と違ってきていることだ。

昔も、実のところ、いまと同じだったのかもしれないが、
少なくとも昔はインターネットなどなくて、SNSもなかった。
だから見えてこなかっただけなのかもしれない。

とにかく、読み手側の試聴記の受けとめ方、そして反応は変ってきた、と感じる。

自分で鳴らしているオーディオ機器、
憧れているオーディオ機器、
それらの試聴記で、少しばかりネガティヴな意見と受けとめられるようなことが書いてあっても、
昔は、そんなこと、誰も気にしなかったようだ。

読み手側がナイーヴになってきたのか、
そういう人が増えてきたのか、
少しでもネガティヴな意見と受けとめられそうなこと(必ずしもネガティヴとはいえないこと)に、
ことさら敏感に反応してしまう人がいる。

そういう人が、いまはSNSで声をあげる。
中には、自分こそが正しい、といわんばかりの人もいる。

でもオーディオはそんなに薄っぺらいものではないし、
オーディオ評論もそうで、薄っぺらいものではない。

薄っぺらい、中身のない、名ばかりのオーディオ評論ばかりになっていても、だ。

そのことを忘れてしまっている、
まったく気づいていない読み手が増えてきただけではない、
編集側もそうなってきているようだ。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その12)

この項を書くにあたってステレオサウンド 207号を買ったのは、
柳沢功力氏の試聴記をきちんと読むためよりも、
小野寺弘滋氏の試聴記と読み比べるためであった。

読み比べて、柳沢氏と小野寺氏は「同じ音」を聴いていることを確認できた。
同じ試聴室で、一緒に試聴しているのだから、同じ音を聴いていて当然だろう、
何をバカなことを……、と思われる人もいようが、
一緒に音を聴いたとしても、「同じ音」を聴いているとは思えない人がいる。

どちらかの聴き方のレベルがそうとうに低い場合に、そうなることがある。
少なくとも207号での試聴では、そんなことはなく、
柳沢功力氏と小野寺弘滋氏はほぼ「同じ音」を聴いている。
そのうえでの、それぞれの解釈が、それぞれの試聴記である。

ほぼ「同じ音」を聴いても解釈が違うからこそ、
複数の試聴記が載るおもしろさがある。

聴き方も解釈も同じであったら、試聴記はひとつでいい。

それに活字では、音をどこまで読者に伝えられるのか。
昔から難問である。
完全に伝えられるわけがない。

ならば十分に伝えられるのか。
それもまたあやしい。
ここにも試聴記がひとつでなく、複数の意味がある。

私が熱心に読んでいた時代のステレオサウンドは、
ほぼ同じ世代の人たちが中心だった。

菅野先生、山中先生、長島先生は1932年生れだし、
井上先生は1931年、瀬川先生は1935年、岩崎先生は1928年である。

いまはかなりの歳の差がある。
柳沢功力氏と小野寺弘滋氏は、親子に近いぐらいの歳の差のはずだ。

これを私はおもしろい要素として捉えるが、
ネガティヴな要素として捉える人もいるようだ。
これも読み手側の解釈である。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その11)

特集の企画を考える。
207号だと、二号前の特集ベストバイで高い評価を得ているスピーカーシステムの試聴である。
この時点で、207号で試聴するスピーカーは自動的に決定する。

それらのスピーカーを、どう試聴するのかを考える。
グループ分けするのかしないのか。
誰に聴いてもらうのか。
そんなことを決めていく。

今回は三つのグループに分けられていて、
もっとも高価なスピーカーのグループを、柳沢功力氏と小野寺弘滋氏が試聴することになっている。

ということは、もうこの時点で、どういう試聴記が二人から上ってくるのか、
キャリアがあって、編集長というポストに就いている者ならば、予想できていて当然だ。

新製品を含む試聴であれば予想できないところもあるが、
207号のスピーカーシステムはベストバイの上位機種ばかりである。
すでに最低でも一回、多いモノは数回の試聴が、ステレオサウンドの試聴室で行われている。

そういう状況での試聴記である。

筆者からあがってきた原稿は、まず担当編集者が目を通す。
それから編集長も目を通す。
校正も含めると、数回は柳沢功力氏のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記を読む。

編集長だけでなく、その下で働く編集者全員が数回は読む。
そうやって誌面に載る。

染谷編集長を始め、誰も柳沢功力氏の試聴記を問題あり、とは思わなかったはずだ。
だから207号に試聴記として載っている。

にも関らず《ステサンとして本位でなかった》というのは、おかしい。
さらに《これからこのようなことがないように対策します》、
この「対策」が、どうにもひっかかる。

いったいどういう「対策」をこれからのステレオサウンド編集部はやるというのか、
そして、これらの発言が、柳沢功力氏に対して失礼なことだとは、
染谷編集長は思っていないのか。

Date: 6月 17th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その10)

avcat氏のツイートをもう一度読み返していちばん驚くのは、
avcat氏がステレオサウンドの染谷編集長に謝罪を求めたのではなく、
アナログオーディオフェアの会場で、
染谷編集長の方からavcat氏に声をかけてきての謝罪だった、ということだ。

そのavcat氏のツイートには、
《ステサンとして本位でなかった旨の思いを聴けて》とある。

avcat氏がどういう人なのかまったく知らないが、
ウソのツイートをするようには思えない。

だとすると、avcat氏の207号の柳沢功力氏のYGアコースティクスの試聴記に対するツイートを、
染谷編集長が読んでいて、編集長自らの判断でavcat氏に謝罪した、ということになる。
そのうえでの《これからこのようなことがないように対策します》なのか。

染谷一氏が、いつからステレオサウンド編集部で働くようになったのかは、
バックナンバーの奥付を一冊一冊見ていけばわかることだけど、面倒なのでやらない。
編集長になる前に十年程度のキャリアを積んでいた、としよう。
編集長になったのが2011年。

ステレオサウンドの編集に携わるようになって20年ほどのキャリアはある、とみていいだろう。
当然、それ以前はステレオサウンドの読者であったわけだ。

ほぼ間違いなく染谷一氏は私よりも下の世代だから、
染谷氏がステレオサウンドを読みはじめたころには、柳沢功力氏はレギュラー筆者であった。

ステレオサウンドでのキャリア・プラス・読者であった時代、
それだけの年月、柳沢功力氏の文章を読んできて、
20年程度、ステレオサウンドで仕事をしてきているわけだ。

ならば柳沢功力氏が、どういうオーディオ評論家なのかは、熟知していて当然である。
にも関らず、《ステサンとして本位でなかった旨の思い》をavcat氏に伝え、
《これからこのようなことがないように対策します》と言ったのか。

Date: 6月 16th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その9)

2011年6月発売のステレオサウンド 179号の誌面に「オーディスト」という言葉が使われた。
別項『「オーディスト」という言葉に対して』で書いたように、
ステレオサウンドの読者をaudist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)と呼ぶことに、
私は強い異和感を覚えた。

現在のステレオサウンド編集長の染谷一氏は178号から、である。
179号は二冊目の、染谷編集長のステレオサウンドである。

染谷編集長は、この件に関しては沈黙である。
私は染谷編集長に謝罪を要求もしないし、
謝罪するもしないのも、染谷編集長が決めることであり、
ずっとこの件に関してだんまりを決め込んでいるのも、染谷編集長の選択なのだろう。
なかなか図太い神経の持主のようだ。

その染谷編集長が、今回の件では、すばやく謝罪しているのに、正直驚いている。

もし私がステレオサウンドの編集長であったなら、
山口孝氏の原稿に出てきたオーディストの意味を調べもせずに使ったとはいえ、
audist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)と、
ステレオサウンドの読者をそう呼んだことは悔やんだろうし、なんらかの謝罪文を載せる。

一方で、今回のYGアコースティクスの件で謝罪したりは絶対にしない。
しかもavcat氏のツイートにあるように《これからこのようなことがないように対策します》と、
染谷編集長が言ったのならば、大きな問題だと思う。

ほんとうに染谷編集長は《これからこのようなことがないように対策します》と言ったのだろうか。
おそらく、この件に関しても染谷編集長はだんまりだろうから、
染谷編集長が《これからこのようなことがないように対策します》と言ったという前提で書いていく。

Date: 6月 15th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その8)

試聴記とは、聴いた音の解釈であるべきだし、
単なる印象記であっては、読む側からするとまったくつまらない。

オーディオ評論家(職能家、商売屋どちらであっても)であるのなら、
レベルの高低はあろうが、どう解釈したかが読む側に伝わってこなければ、
素人の印象記と同じでしかない。

だからこそ試聴記は、一人の場合もあるが、二人もしくはそれ以上の場合もあるわけだ。
今回のステレオサウンドの特集では、
49モデルのスピーカーシステムを三つのグループに、価格で分けている。

ペア価格が420,000円から1,300,000円のスピーカーシステムのグループを、
さらに80万円以下と80万円超とに分け、前者を山本浩司氏、後者を和田博巳氏が担当。

ペア価格が1,440,000円から2,800,000円のグループを、傅信幸氏と三浦孝仁氏が、
それ以上の2,970,000円から5,980,000円のグループを、柳沢功力氏と小野寺弘滋氏が担当。

山本氏と和田氏は、だから単独試聴である。
山本氏と和田氏の、試聴器材(アンプやCDプレーヤーなど)は同じだ。
だからもしかすると、山本氏と和田氏は、もともと一緒の試聴を行う予定だったのが、
スケジュールの都合で、別々に行うことになったのかもしれない。

傅氏、三浦氏担当が17モデル、柳沢氏、小野寺氏担当が12モデル、
計19モデルは、二人分の試聴記が載っている。

207号掲載の試聴記が、それぞれの解釈といえるかどうについては、ここでは触れない。
ここでのテーマからは逸れてしまうからで、
私はそれもいいかもと思うけれど、ここでもっとも書きたいことが後回しになってしまうのは避けたい。

ステレオサウンドだけに限らない、
オーディオ雑誌では、試聴記は一人のこともあるが、二人以上のことのほうが多い。

Date: 6月 14th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その7)

avcat氏の一連のツイートを読んだ上で、
ステレオサウンド 207号掲載のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記を読んだ。

柳沢功力氏と小野寺弘滋氏。
試聴方法のページでわかるのは、ふたり合同試聴であったこと、
柳沢功力氏が前方の椅子、小野寺弘滋氏が後方に椅子に座っての試聴である。

前後位置の違いはあっても、ほぼ同じ音を、
柳沢氏も小野寺氏も聴いていた、といえる試聴環境だ。

そのうえでふたりの試聴記を読み比べてほしい。
このためだけに207号を買ってきた。

avcat氏のツイートを読めば、柳沢氏の評価(試聴記)に、
そうとう不満があるように、私は感じた。

けれど、柳沢氏、小野寺氏は、同じ音についての、
その人なりの表現での試聴記だと感じたし、
このふたりの試聴記が、
まったく別の音(別のスピーカー)について語っているとは思えないし、
特に問題のある試聴記でもない。

Hailey 1.2の試聴記が問題というのなら、
JBLの4367WXの、傅信幸氏の試聴記のほうが、問題になるのではないか、と思う。

Hailey 1.2の試聴記で、
ステレオサウンドの染谷編集長が《これからこのようなことがないように対策します》と、
YGユーザーにほんとうに謝罪したのであれば、JBLユーザーも謝罪を要求してもいいだろうし、
染谷編集長はそれに応じるべきだと思うが、
そもそもHailey 1.2の試聴記が問題だと思わない私は、
謝罪をする必要はなかった、と考えるし、謝罪すべきではなかった、といっておく。