Date: 4月 2nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
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SNSが顕にする「複雑な幼稚性」(その2)

学生だとそうそう外食はできなかったが、
働くようになると外食の機会は圧倒的に増える。

積極的に外食をするようになった1980年代。
東京の飲食店で行列が出来ていたのは、荻窪のラーメン店ぐらいしか思い浮ばない。

オフィス街のランチタイムでは行列ができるところもあったけれど、
行列といってもそんなに大勢が待っていたわけではない。

けっこう待つな、と感じるくらいの行列は、
やはり荻窪のラーメン店ぐらいだった。

ところがいまはどうだろう。
いたるところに行列ができている。
しかも、その行列が長い。

この30年のあいだに驚く変化である。

誰だって美味しいものを食べたい。
それはいまも昔も変らないはずだ。
なのに、いま東京ではいたるところに行列ができている。

ステレオサウンドにいたときは、隣のサウンドボーイ編集部のOさんに、
都内の美味しい店を教えてもらった。

ステレオサウンドの原稿用紙の裏に、モンブランの万年筆で地図を描いてくれた。
けっこうな枚数になっていた。

描きながらOさんは、簡単に人に教えるんじゃないぞ、とクギを刺す。
美味しいと評判になり、どっと人が押し寄せるようになると、
ほとんどが堕落してしまうからだ、と。

同じことは瀬川先生も書かれている。
     *
 ここ数ヵ月、我家を訪ねる客のあいだで、私の家のごく小さなレストランの、ウインナー・シュニッツェルが評判になっている。散歩の途中で何気なく発見したのだが、そう、ちょうどLP一枚ぶんぐらいの皿を思い浮かべて頂く。この皿いっぱいに、ときにはハミ出るほどに、大型の、仔牛の薄切りカツレツが載って出てくるのをみると、連れて行った人の誰もが、ウワァ! と感嘆の声をあげる。あらかじめ、大きいよ、と説明して行ってなお、である。それで価格は七百円。最初にこれが目の前に出てきたとき、何か間違いじゃないかと思った。行くたびに、これで損をしないのだろうか? と心配になるくらいだ。こういうものを出し続けて、そのたびに客をびっくりさせ、しかもびっくりさせるだけではない、食べてみて十分に美味しいことで満足させる。これはもう、明らかに店の側の勝ちだ。電車賃を払ってでも、こいつを食べに来たいよ、と友人たちも言う。これがベストバイの本ものの見本といえるだろう。おおぜいの人たちが押しかけるようになるとこのての店はたいていダメになるから、悪いけれど場所も店の名も教えられない。編集部に電話があっても、編集の諸君、教えちゃダメだぞ!
(ステレオサウンド 51号「’79ベストバイ・コンポーネントを選ぶにあたって」より)
     *
伊藤先生も同じことを書かれていた。
だから美味しい店、それも大事したい店は、そう簡単には人には教えないものだった。
少なくとも私はステレオサウンドを読んで、そういうものだと思ったし、
ステレオサウンドで働いているうちに、より強くそう思うようになった。

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