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Date: 8月 14th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その48)

試してもいないのに断言するが、タンノイ・ヨークミンスターとユニゾンリサーチのP70はうまくいく。
では、プレーヤーはどうするのか、アナログ、CDともに、何を選ぶのか……。
でも、その前にひとつ思うことがある。

これを秋が深まってきた頃に書いていれば思ったりしなかったことだが、
こうも暑い日が続いていると、P70の放出する熱だけでなく、
その音にしても、さすがにこの暑さのなか聴くのは、
時としてしんどく感じるだろう(たとえそこまで感じなくても少し敬遠したくなるだろう)。

となると夏の季節だけヨークミンスターを鳴らすアンプが欲しくなる。
真空管アンプではなくて、トランジスターアンプ。
セパレートアンプではなくて、これもプリメインアンプにしたい。
さらっとした微粒子の肌あいをもった音であってほしい。

こんな条件を充たしてくれるものとして浮んできたのは、コード(CHORD)の、
以前の聴く機会のあったCPM2600だ。
だがすでに製造中止になっていて、現在コードのプリメインアンプはCPM2800、1機種のみ。
価格は、税込みで100万と8千円。P70との価格差はけっこうなものがある。
CPM2600よりもけっこう高くなっている。
ただCPM2600にはなかったD/Aコンバーターが搭載されている
デジタル入力は同軸、TOSリンクのほかに、USBとBluetoothをもつ。
いまどきのプリメインアンプの形態になっているわけだが、
内蔵D/Aコンバーターがどういうものなのか、輸入元タイムロードのサイトをみても詳細はわからない。
同社の単体D/AコンバーターのDAC64、その後継機種のQBD76に準じるものであれば、
暑い日がつづく、この季節用の音として、より希望に添うものになってくれる可能性は十分にあり、
そうなるとCDプレーヤー選びは、P70との併用を考えて、ということになってくる。

Date: 8月 14th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その47)

真空管アンプは、使用されている真空管を自分で選別していくことで、より自分のモノとしていくことができる。
メーカーは補修パーツとしてある一定数以上同じ真空管を保管しておく必要があるため、
音質的に真空管全盛時代につくられたモノがよかったとしても、
それを正規の部品としての採用は難しいところがある。

それはしかたのないことだし、それに真空管はハンダ付けによって固定されているわけではないから、
その交換は手軽にできる。使い手側の楽しみでもある、といえよう。
もっとも手軽にできるのは抜いたり挿したりの行為までで、ほんとうに満足できる真空管を探し出すまでには、
けっこうな時間とお金を必要とすることになる。
特に出力管はプッシュプルだと特性の揃っているものにしたい。
それは精神衛生上だけでなく、音の上からでもそうしたい。
音のにじみみたいなものが、よく揃った真空管同士のペアではあきらかに減っていく。

五味先生はマッキントッシュのMC275の真空管の交換について、書かれている。
     *
もちろん、真空管にも泣き所はある。寿命の短いことなどその筆頭だろうと思う。さらに悪いことに、一度、真空管を挿し替えればかならず音は変わるものだ。出力管の場合、とくにこの憾みは深い。どんなに、真空管を替えることで私は泣いてきたか。いま聴いているMC二七五にしても、茄子と私たちが呼んでいるあの真空管——KT88を新品と挿し替えるたびに音は変わっている。したがって、より満足な音を取戻すため——あるいは新しい魅力を引出すために——スペアの茄子を十六本、つぎつぎ挿し替えたことがあった。ヒアリング・テストの場合と同じで、ペアで挿し替えては数枚のレコードをかけなおし、試聴するわけになる。大変な手間である。愚妻など、しまいには呆れ果てて笑っているが、音の美はこういう手間と夥しい時間を私たちから奪うのだ。ついでに無駄も要求する。
挿し替えてようやく気に入った四本を決定したとき、残る十二本の茄子は新品とはいえ、スペアとは名のみのもので二度と使う気にはならない。したがって納屋にほうり込んだままとなる。KT88、今一本、いくらするだろう。
思えば、馬鹿にならない無駄遣いで、恐らくトランジスターならこういうことはない。挿し替えても別に音は変わらないじゃありませんか、などと愚妻はホザいていたが、変わらないのを誰よりも願っているのは当の私だ。
だが違う。
倍音のふくらみが違う。どうかすれば低音がまるで違う。少々神経過敏とは自分でも思いながら、そういう茄子をつぎつぎ挿し替えて耳を澄まし、オーディオの醍醐味とは、ついにこうした倍音の微妙な差意を聴き分ける瞬間にあるのではなかろうかと想い到った。数年前のことである。
     *
この時代KT88は現役の真空管だったし、いまよりも良質のものが入手できていて、これである。
いまもしP70の出力管をKT88に置き換えて、五味先生と同じことをやろうとしたら、
いったいどれだけのKT88を用意することになるだろうのだろうか。
そしていくらするだろうか。

でも、そういうふうに丹念に真空管を選別していくことで、ヨークミンスターの音は磨かれていくはずだ。

Date: 8月 9th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その46)

パワーアンプの出力が管球アンプ全盛時代からすると飛躍的に増え、
しかもウーファーの振幅量(ストローク)も増している。
このふたつの技術背景があるから、サブウーファーのコンパクトになってきている。
私が使っているサーロジックのモノもそういうもののひとつである。
管球アンプの出力では、ストロークのとれないユニットでは、
30cm口径のウーファーから、ここまで出るのかと驚く低域の再生能力は実現できない。

いまの時代だから可能になったサブウーファーだとは認識していても、
エンクロージュアの容積をたっぷりとったスピーカーシステムの軽やかな低音の表出には惹かれる。
無理がない、というのか、透明感が高い、といったらいいのか、不自然さが少ない、とでもいおうか、
なかなかうまい表現が出てこないが、
大口径のウーファーを容積の小さめのエンクロージュアにいれたものより、
大きめ、というよりも、たっぷりとした容積のエンクロージュアにいれたときの音は、
技術の進歩だけではまだまだ到達できない低音の質の違いが存在する、と感じている。

そういうスピーカーシステムを、現代の駆動力の高いパワーアンプで鳴らすのも、また面白いけれど、
ここではそんなに大げさにしたくない。
ここで選んだスピーカーが他社の、もっと違う性格のスピーカーシステムだったら、そんな組合せもやってみたいが、
タンノイのヨークミンスターをあえて選んだうえで、黄金の組合せにしたいわけだから、まとまりを重視したい。

どちらの鳴り方を選ぶかは人によって、聴きたい音楽によっても違ってくるけれど、
私はアンプがヨークミンスターに寄り添うような、そんな印章で鳴らしたいから、
それにヨークミンスターの、上に書いたような低音表現を自発的に鳴らしてみたいから、
ユニゾンリサーチのP70以外のアンプの候補が頭に浮んでこない。

Date: 8月 5th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その45)

ユニゾンリサーチのP70の出力管をKT88に換えたい、というと、
五味先生の影響だろう、と思われ方もいらっしゃるかもしれない。

五味先生はタンノイ・オートグラフをマッキントッシュのMC275で鳴らされていた。
いうまでもなくMC275の出力管はKT88である。
ただ晩年は、カンノ製作所の300Bのシングルアンプにされることも多い、と、
新潮社から出た「人間の死にざま」の中で書かれている。

MC275のことがまったく頭にない、といえば、それはウソになるけれども、
私がステレオサウンドの試聴室やそれ以外の機会で聴くことができたタンノイのスピーカーシステムと、
管球式のパワーアンプの組合せを振り返ってみると、偶然、というか、できすぎ、いおうか、
KT88のパワーアンプが圧倒的に多かった。
マイケルソン&オースチンのTVA1がそうだし、ジャディスのJA80などが、MC275とともに浮ぶ。

もちろん、このことは私が聴き得た範囲内のことであり、
私がタンノイに求めている音のイメージからそう判断していることにしかすぎないのだが、
あえて言わせていただければ、タンノイにはビーム管が合う、と。

だからビーム管(6550A)を採用したP70を、EL34(5極管)のP40ではなく、組み合わせたいと思ったわけだ。
そしてさらに、良質のKT88が入手できれば……という条件つきになってしまうが、
6550AからKT88に差し換えてみたいなぁ、と思ってしまうのは、
私が興味をもつ以前、
タンノイのIIILZとラックスのSQ38FDとオルトフォンのSPUは黄金の組合せ、といわれていた。

黄金の組合せの音は聴けずにここまできてしまったけれど、
そう表現したくなる組合せを、
当然のことながらタンノイのスピーカーシステムを使ってつくってみたい、と思っていた。

だからP70の登場を知ったとき、これは意外にもヨークミンスターとで黄金の組合せになってくれるかもしれない、
そういう、なんら根拠のない可能性を勝手に感じているだけの話でもある。

Date: 8月 4th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その44)

スピーカーは基本原理が100年以上前から変っていないため、
それほど進歩していないようにいわれることもあるけれど、
進歩しているところは確実に進歩している。
進歩しているなかで顕著なのは、スピーカーシステムとしてのサイズの小型化をあげたい。

具体例をあげれば、エラックのCL310は、
私がオーディオをやりはじめたころ(1970代後半)の常識からは考えられない音を再生してくれる。
CE310のようなスピーカーは、100年前には、まったく想像できなかった大きさであり、
まったく想像できなかった性能の高さをもっている、といえよう。

大邸宅に住んでいるわけではないから、スピーカーのシステムの大きさは大きすぎるものは困る。
同じ性能、同じ音であるならば、サイズが小さくなってくれた方がいい。
けれど現実には、同じ音とまではいかない。
やはり余裕のある大きさをもつエンクロージュアのスピーカーシステム(もちろん優れたモノにかぎる)は、
低音の出方に、個人的に魅力を感じる。
無理せずに出てくる感じに、ほっとするようなところがある。

こういうスピーカーシステムの場合、駆動力の高い、モンスター級のパワーアンプをもってくる必要性はない。
それに今回組合せに選んだスピーカーはタンノイのヨークミンスターだから、
アンプに大げさなものは、とくにもってきたくない。
セパレートアンプでなくて、プリメインアンプでまとめたい。

ここで選んだのは、ユニゾンリサーチの管球式のP70である。
じつはこのアンプが登場したときから、ヨークミンスターを鳴らしてみたいと思いつづけていた。

出力管は6550のプッシュプルで、出力は70W+70W。
ヨークミンスターを鳴らすには、十分の出力といえる。
もっとも部屋がデッドで広くて、音量をかなり高く求める人には足りないかもしれないが、
ヨークミンスターがバランスよくおさまる部屋において、
このスピーカーシステムにふさわしい音量で聴くには、70Wの出力で足りない、ということはないと思う。

このP70の出力管を、KT88のいいものが入手できれば交換してみたい、などと考えている。

Date: 7月 30th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その44・続余談)

実のところ、バックロードホーンのスピーカーシステムの鳴らしにくさは、
エンクロージュアにその理由があるということよりも、そのユニット構成に理由があるという視点からみていきたい。

たとえばタンノイのバックロードホーンを採用したシステム、
GRFやRHRのユニットはいうまでもなく同軸ユニットで、中高域はホーン型が受け持つ。
タンノイだけにかぎらず、バックロードホーンのスピーカーシステムの多くは、
中高域にホーン型をもってくるものが大半だといえよう。
そうすると、そこにはホーンの受持ち帯域の不連続が生じることになる。

つまりウーファーはたいていの場合、30cm、38cm口径のコーン型ユニット。
設計によって変化するものの、バックロードホーンが受持つ帯域は数百Hz以下の低音域。
タンノイが発表している値では、ウェストミンスターで200Hz以下となっている。
この値に関してはバックロードホーンの構造、大きさによって多少は変動するとはいえ、
それほど大きくは変化しない。

たとえば、もしウェストミンスターにフロントショートホーンがついていなかったら、どうなるか。
200Hz以下はバックロードホーンで、1kHz以上は中高域のホーンによって、
ホーンロードがかかっている帯域となり、中間の200Hzから1kHzの帯域に関してどうかといえば、
フロントショートホーンがなければホーンロードはかからない。

ホーンロードがかからない帯域が存在していることが問題なのではなく、
ホーンロードがかからない帯域が、ホーンロードがかかっている低域と高域のあいだにある、ということが、
バックロードホーンのスピーカーシステムの鳴らしにくさにつながっているのではないだろうか。

タンノイを例にとったけれど、同じことは他社のバックロードホーンのスピーカーシステムにいえることだ。
ホーンロードがかかっていない中間の帯域を、どう鳴らすかが、
実はバックロードホーンと中高域にホーン型を採用したスピーカーシステムの鳴らすうえでのコツではないだろうか。

そう考えると、JBLのD130をバックロードホーンにいれてしまったら、
いっそのこといさぎよく中高域にユニットを追加することなくD130だけで鳴らすのが、
気持ちいい音が得られるようにも思えてくる。
もしくはコーン型もしくはドーム型といったダイレクトラジエーター型のトゥイーターをもってきて、
ひっそり隠し味的に使うという手も考えられる。
もちろんフロントショートホーンを足すことができれば、鳴らし方も広がってくるであろうが……。

Date: 7月 30th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その44・余談)

タンノイのスピーカーシステムでフロントショートホーンがつくものは、わずかだ。
バックロードホーンを採用しているものは、いくつもある。

バックロードホーンの設計は難しい、と以前からいわれてきている。
設計だけではなく、うまく鳴らすことも難しい、ともいわれて続けている。

オーディオにも流行はあって、
バックロードホーンのスピーカーシステムがいくつかのメーカーから発売されたこともあった。
その多くは、ごく短い期間だけの発売でしかなかった。
バックロードホーンのスピーカーシステムをつくり続けているメーカーは、
じつはタンノイだけ、といってもいいだろう。

オートグラフはフロントショートホーンとバックロードホーンの複合型、
これ以降GRFもバックロードホーン、1954年に設立されたアメリカ・タンノイのラインナップにも、
オートグラフとGRFは存在し、やはりバックロードホーン型となっている。
アメリカ・タンノイのオートグラフとGRFはイギリス本家のそれらとは外観も異り、
アメリカ・タンノイのオートグラフには2つの仕上げがあり、フロントショートホーンは省かれている。

1986年、創立60周年記念モデルとして登場したRHRもバックロードホーン。
いまも1982年に登場したウェストミンスターが現役モデルとして存在しており、
つねにタンノイのスピーカーシステムのラインナップにはバックロードホーンがあった、といえる。
これだけ長くバックロードホーンのエンクロージュアをつくり続けているメーカーはタンノイは、
同軸型ユニットをつくり続けていることとともに、そこにタンノイ独自のポリシーともいえるし、
ある種の頑固さともいえるものを感じとれる気もする。

それにして、なぜバックロードホーンはうまく鳴らすのが難しいのだろうか。
エンクロージュアの構造に起因する問題点は確かに存在するものの、理由はそれだけはないようも感じている。

Date: 7月 28th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その45)

いまではティール・スモール・パラメーターによるエンクロージュアの最適化が、
パソコンの普及と高性能化のおかげで誰でもが手軽にできるようになった。

実際にシミュレーションしていくとわかることだが、
エンクロージュアの内容積をただ増やしていくだけでは低域のレスポンスに関しては、
必ずしも良好な特性とはならない。
使用するウーファーのティール・スモール・パラメーターによるけれども、
一般的にいって適正内容積のエンクロージュアではフラットな低域のレスポンスも、
最適値から外れて内容積を大きくしていくと低域のレスポンスはだら下りの傾向になる。
その下りはじめる周波数も、適正内容積のエンクロージュアにくらべて高くなりがちである。

だからエンクロージュアの内容積をむやみに大きくしても、それは自己満足であって意味がないどころか、
デメリットのほうが大きい、という意見がある。
たしかに低域のレスポンスを見る限りはそういえなくもないが、
その特性は無響室での特性のシミュレーションの結果でしかない、ともいえる。

そして実際のリスニングルームに置き音を出したときの聴感上、
自然な低音を聴かせてくれるのはどっちか、ということとシミュレーション結果は常に一致するものではない。

ヨークミンスターに採用されている同軸ユニットのティール・スモール・パラメーターがどうなのかはわからない。
だが25cmや38cm口径の同軸型ユニットと、
ヨークミンスターに搭載されている30cm口径のユニットだけが異る性格をもつものとは思えない。
にもかかわらずヨークミンスターだけユニットの口径に対して内容積が大きくとっている。
技術資料がないので憶測の粋をでないけれど、
ヨークミンスターはあえて内容積を大きくとることを選択したように思えてならない。

Date: 7月 27th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その44)

フロントショートホーンのついていないタンノイのスピーカーシステムは、
おまえにとってタンノイではないか、と問われれば、
そうじゃない、とはっきり否定できない微妙なところはやっぱりどこかに残っている。

それだけオートグラフというスピーカーシステムの存在は、私の中では大きすぎていて、
オートグラフ・イコール・タンノイ、となってしまう。
これは、この先どうにかなるものではない、と思っている。
そのくらいしっかりと刻印されていることは、もう消しようがない。

そんなことがあるから、タンノイのスピーカーシステムに関しては、
キングダム(オリジナルのKingdom)に魅力を感じるかもしれない。
とはいいつつも、いのタンノイのラインナップの中で、気に入っているスピーカーシステムがある。
ヨークミンスター(Yorkminster/SE)がそうだ。

フロントショートホーンはついていない。
けれど、まずサランネットをつけているとオートグラフを思わせる外観が、
たとえばカンタベリーとは異り、好感がもてる。
それにエンクロージュアの容積が、ユニットの口径に対して、
現在のタンノイのスピーカーシステムの中ではもっとも余裕のある設計となっている点が、またいい。

ヨークミンスターは30cm口径の同軸型ユニットに対して、200リットルのエンクロージュアとなっている。
上級機種のカンタベリーは38cm口径とひとまわりユニットは大きくなっていても、内容積は235リットルどまり。
25cm口径のユニットを搭載した3機種、スターリング、ターンベリー、キングストンは、
それぞれ85リットル、100リットル、105リットルとなっている。

ヨークミンスターの200リットルが、いかに余裕をとったものかがわかる。
これはタンノイ同士の比較だけでなく、
他社製の30cm口径のウーファーを搭載したスピーカーシステムと比較しても、
ヨークミンスターの200リットルは、いまでは異例の内容積といっていい。

Date: 7月 27th, 2011
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その43)

パラゴンの組合せに関することをまとめて書いてしまったのは、
早くタンノイの組合せについて書きたかった、ということがある。

タンノイ、といえば、私にとっては、オートグラフである。
これは何度も書いているように、五味先生の書かれたものに影響されてのことであり、
つまり私にとっては、五味先生のオートグラフの音こそが、「タンノイの音」ということになるわけだ。

もちろん五味先生のオートグラフを聴いたことがあるわけではない。
ひたすら書かれたものを読んで,私の中であるかたちになってきたものが、タンノイの音ということになる。

だから、これまで多くのタンノイのスピーカーシステムを聴いてきても、
それは、私にとっては、私の中で、あるかたちになっているタンノイの音ではなかった。
タンノイのスピーカーシステムの新製品が出るたびに期待し、やはり違う、ということになる。
オートグラフ以外のタンノイの音が悪い、ということではもちろんない。
ただ、あくまでも私の中にある五味先生のオートグラフの音とは違うし、
そこに通じる何かを感じとることができなかった、というだけ話である。

そういうこともあって、タンノイのスピーカーに関しては、
むしろロックウッドのスピーカーシステムに対しての関心が強くあり、
この項の番外として、ロックウッドの組合せについて書いているぐらいである。

とはいうもの、これまで聴いてきたタンノイの音に、
ハッとさせられたモノがいくつかある。
五味先生がオートグラフに求められていたのは、
こういうことなのかもしれない、と確かな何かを感じさせてくれたのは、
ウェストミンスターであり、ステレオサウンドの記事によってつくられたコーネッタである。

どちらもフロントショートホーンをもつ。
オートグラフにもついている。
オートグラフにあってGRFにないもの、
そして実際に音を聴いてもオートグラフとGRFは別物と私の耳には聴こえてしまう、
その理由はフロントショートホーンだということになる。

Date: 7月 27th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その39・補足)

ジェンセン、ルンダール、マリンエアまで候補としてあげておきながら、
ひとつ忘れていたトランス・メーカーを思い出した。
ドイツのHAUFEだ。

ドイツのオーディオ機器に詳しい方ならご存じの方もおられるだろうし、
メーカー名は知らなくても、この会社が作っているトランスの写真を見れば、
どこかで見たことがある、と思われるはず。

EMTの管球式イコライザーアンプに搭載されているトランス、
ノイマンの業務用機器に搭載されていたトランスを作っていた会社が、HAUFEだ。
この会社の感心、というよりも凄いところは、
オーダーを出せば、すでに製造中止になっているトランスでも作ってくれるところにある。
まったく同じモノかどうかは断言できないけれど、少なくとも期待を裏切るようなモノは作ってこないだろう。
だからといって、昔のトランスの復刻だけをやっているわけではない。

このHAUFE社のトランスも、候補のひとつしてあげておく。

Date: 7月 24th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その42)

パラゴンでグラシェラ・スサーナを聴く──、
そんなことを思うようになったのは、1977年の秋ごろからだった。
ステレオサウンドからそのころ出版された「HIGH-TECHNIC SERIES-1」に載っていた
瀬川先生の文章を読んだ時からだった。
     *
EMTのプレーヤー、マーク・レビンソンとSAEのアンプ、それにパラゴンという組合せで音楽を楽しんでいる知人がある。この人はクラシックを聴かない。歌謡曲とポップスが大半を占める。
はじめのころ、クラシックをかけてみるとこの装置はとてもひどいバランスで鳴った。むろんポップスでもかなりくせの強い音がした。しかし彼はここ二年あまりのあいだ、あの重いパラゴンを数ミリ刻みで前後に動かし、仰角を調整し、トゥイーターのレベルコントロールをまるでこわれものを扱うようなデリケートさで調整し、スピーカーコードを変え、アンプやプレーヤーをこまかく調整しこみ……ともかくありとあらゆる最新のコントロールを加えて、いまや、最新のDGG(ドイツ・グラモフォン)のクラシックさえも、絶妙の響きで鳴らしてわたくしを驚かせた。この調整のあいだじゅう、彼の使ったテストレコードは、ポップスと歌謡曲だけだ。小椋佳が、グラシェラ・スサーナが、山口百恵が松尾和子が、越路吹雪が、いかに情感をこめて唱うか、バックの伴奏との音の溶け合いや遠近差や立体感が、いかに自然に響くかを、あきれるほどの根気で聴き分け、調整し、それらのレコードから人の心を打つような音楽を抽き出すと共に、その状態のままで突然クラシックのレコードをかけても少しもおかしくないどころか、思わず聴き惚れるほどの美しいバランスで鳴るのだ。
     *
14歳の私は、単純にも「グラシェラ・スサーナ」の名前が出てきたこと、
そして「いかに情感をこめて唱うか」、これだけでいつかはパラゴンで……と思いはじめていた。
そのことをずっといままで思いつづけてきたわけではない。
忘れていたころもあった。ときどき思い出すこともあった。
その間に、パラゴンというスピーカーシステムに関心を失ってしまったこともある。
揺れ動きながら、いまはここに書いてきたことを思っている、ということだ。

揺れは、いまもある。揺れのない感性というものはあるのだろうか。
そう思うし、そういう揺れのある感性の充足も、オーディオのひとつの目的だと思う。

自分の求めてる音、表現したい音は、こうだ、とひとつに決めつけることは、正直どうかな、と思う。
揺れながら、いつかはそれを収束させていけばいいことであり、
こうやってあれこれ組合せを思い描いていくのも、
私にとっては揺れを楽しみながら収束させていく過程なのかしもしれない。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その41)

だから、LNP2の出力にいれるトランスをどういう基準で選ぶかというと、
グラシェラ・スサーナの歌を鳴らしたときに、
どちらがより夜の匂いを感じさせてくれるかということも重要になってくる。

これでアンプも決った。残るはCDプレーヤーだが、ここも同じように夜の匂いを感じさせてくれるモノを、
重視しての選択になるかといえば違う。
ここは純粋にディスクに収められているものを細大漏らさず引き出してくれるものが欲しい。
それにSACDができれば再生できるモノがいい。
となると数は絞られてきて、さらに使いたくないモノがあるから、ますます候補は少なくなる。

それでもひとつだけ、ぜひ聴いてみたいと思っている本命が、
CHプレシジョンのSACDプレーヤー、D1である。
360万円と高価なプレーヤーであるし、見た目もすこし言いたくなるところは感じているけれど、
信頼できる耳の持主ふたりが(ひとりは、すでに購入ずみ)、このD1の音を絶賛していた。
その話しぶりからして、そうとうに凄い実力を持つモノだということは確信している。
聴いてもいないモノについて、こんなことは言うのもおかしいことだが、
いま最もいい音を出してくれるプレーヤーの、数少ないモノのひとつと呼べるだろう。

これで組合せがひとつできた。
CHプレシジョンのD1、マークレビンソンのLNP2、オラクルのSi3000、JBLのD44000 Paragonは、
音の入口からみると、新・旧・新・旧というふうに並んでしまった。

この組合せからどんな音がしてくるのかは実際に鳴らしてみないことにははっきりしたことはいえないにしても、
もしこの組合せを手に入れることができれば、真剣に向き合い調整していけば、
求める音が得られるという手ごたえに近い予感はある。

ひとりきりの夜、時間をもてあましたときにグラシェラ・スサーナの歌を聴けば、
きっと……、と思わせてくれるものがあると信じられれば、それでいいじゃないか、とも思う。

Date: 7月 17th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その40)

グラシェラ・スサーナの歌は、よく聴く。
タンゴ、フォルクローレもいいけれど、グラシェラ・スサーナによる日本語の歌に惹かれるものが、
はじめてグラシェラ・スサーナの歌を聴いた、中学2年のときから、ある。

グラシェラ・スサーナの歌には、夜の匂いがある。
グラシェラ・スサーナによって歌われるのは、夜の物語が多い。
彼女の声質も関係してのこともあって、夜の質感を描き出している。
「別れの朝」も、歌われているのは朝の情景だが、夜のとばりがまだそこにある「夜の歌」だ。
グラシェラ・スサーナのしめりけをおびた声で表現されるとき、そのことを意識せざるをえない。

グラシェラ・スサーナの歌を収めたLPなりCDに、夜の匂いが刻まれているわけではないのに、
最初にグラシェラ・スサーナの歌を聴いた時にも、いま聴いても、
夜の匂い、としか表現しようのないものを嗅ぎとってしまう。

この夜の匂いをまったく感じさせないもの、かろうじてそれらしきものを感じさせるもの、
色濃く感じさせるものが、大まかにいってスピーカーシステムにある。
少数なのは、まったく感じさせないものと、色濃く感じさせるものである。

夜の匂いなんてものは、実のところ、どこにも存在していないのかもしれない。
グラシェラ・スサーナの声が十全に再現されたからといって、夜の匂いがそこにあるとは限らない。
それでも、はじめてグラシェラ・スサーナの歌を貧弱な装置で聴いた時も、
そしていまも感じられるときがあるということは、
やはりどこかに存在しているということになるのだろうか。
オーディオの再生系のどこかで生み出されたもの、とはどうしても思えない。

スピーカーシステムの中には、とにかくごく少数ながら、
グラシェラ・スサーナの歌に夜の匂いを喚起させる何かをもつモノがあって、
それらを私は、インプレッショニズムの性格をもつスピーカーと受けとめている。

Date: 7月 16th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その39)

プリメインアンプのオラクルSi3000にコントロールアンプを組み合わせようとして、
さらにその間にトランスを挿入しよう、とまで考えている。
わざわざこんなことをしなくて、素直にSi3000をパワーアンプとしてではなく、
本来のプリメインアンプとして使えばこんなことをする必要はまったくなくなるわけだ。

それでも、ここで鳴らしたいスピーカーシステムがパラゴンだから、
こんな、どこかアマノジャク的な組合せ・使い方をしようとしている。
すべてのスピーカーシステムに対して、こういう組合せ・使い方を試みようとは思わない。
それは、やはりパラゴンが相手だから、であって、
それは私がパラゴンをインプレッショニズムのスピーカーシステムとして捉えているからであり、
ここでは目的のための手法として、積み重ねていくことを貫きたい気持がある。

具体的に使用するトランスの候補は、
ジェンセン(アメリカ)、ルンダール(スウェーデン)、マリンエア(イギリス)あたりだが、
マリンエアは会社がなくなってしまい入手はかなり困難である。

ジェンセンがうまくあうのか、それともルンダールのほうがひったりいくのか、
このへんは実際に確かめてみるしかないし、トランスは、伊藤先生の言葉を借りれば「生き物」だから、
使い方・取りつけ方法によって、音の変化は想像以上に大きい。
トランスの扱い方に関しては、私なりにノウハウがあるから、
しっかりしたトランスであれば、期待外れという結果に陥るようなことにはならない自信はある。

トランスにはトランス固有の音があるの事実で、安易な扱い方をしてしまうと、
そのトランス固有の音が、ネガティヴな方向に強く出てしまうことが多い。
電源も必要としない、結線すれば動作するトランスだけに、どこまでも気を使って取り扱ってほしい。