Archive for category ステレオサウンド

Date: 11月 6th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その87)

ステレオサウンド 56号の特集は組合せ。
タイトルは「スピーカーを中心とした最新コンポーネントによる組合せベスト17」。

この特集をみて、毎年暮に発売される「コンポーネントステレオの世界」はないんだな、
と思ったし、そうだった。
「コンポーネントステレオの世界 ’81」は出なかった。

一冊すべて組合せの別冊からすると、
56号の特集のボリュウムは少ない。
実際に56号の特集自体のボリュウムは、そう多くはない。

組合せをつくっているのは、
岡俊雄、井上卓也、山中敬三の三氏。

そんななかでも、「コンポーネントステレオの世界」とは違う側面を見せよう、としているのか、
岡先生と井上先生が担当されているスピーカーは、すべて国産で、
山中先生はすべて海外製品となっている。

それに井上先生の組合せでは、アクセサリー類も組合せの中に含まれるようになっている。
どんな組合せであっても、接続ケーブルは必要になるわけで、
でもこれまでのステレオサウンドの組合せのトータル価格には、
このケーブルの価格は膨れまることはなかった。

それが56号の井上先生の組合せだけは、
スタビライザーやシェルリード線、ヘッドシェル、接続ケーブルなどについても、
言及されるとともに、コンポーネントのひとつとして組合せリストに載るようになっている。

記事中でも、アクセサリーを含めた音の変化だけでなく、使いこなしについても触れられている。
明らかな変化である。

なぜ、この時期からなのか──、
そのことについて考えてみるのは、ステレオサウンドを捉える上でおもしろい。

Date: 11月 5th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その86)

ステレオサウンド 56号の表紙はトーレンスのReferenceである。
55号の表紙とはうってかわって、秋号らしい感じだった。

トーレンスのReferenceは56号ではじめて登場するプレーヤーだが、
55号のノアの広告には、登場していた。

モノクロの広告で、TD126MKIIICといっしょの広告で、
この時点では、Referenceについてのくわしいことはわからなかった。
価格は3,580,000円とあったから、
なにやらすごそうなプレーヤーが登場するんだ、というぐらいだった。

そのトーレンスのReferenceが56号の表紙である。
Referenceの詳細は、この号から新装となった新製品紹介のページではっきりする。

56号は55号からは変ってきていることが伝わってくる。
新製品紹介のページが、まさにそうだといえよう。

55号までの新製品紹介のページは、井上先生と山中先生のふたりが担当されていた。
もっと古い号では違うが、それまで長いことステレオサウンドの新製品紹介は、
このふたりの担当であり、海外製品は山中先生、国内製品は井上先生となっていた。
注目製品に関してはふたりの対談での紹介だった。

56号からのやり方が、いまにいたっている。
私も最初は、よりよい方向に変った、と喜んだ。
とくにトーレンスのReferenceを瀬川先生が担当されていたことも、大きい。
56号ではロジャースのPM510も登場していて、これも瀬川先生の担当。

このふたつの新製品の記事だけで、私は満足していた。
ステレオサウンド編集部はわかっている、そんなふうにも思ってしまったくらいに。

56号は1980年秋号。
もうこのやり方が30年以上続いていると、
井上先生、山中先生というふたりだけのやり方のメリットも大きかったことに気づく。

どちらのやり方がいいのかは、新製品品紹介のページだけで判断できることではない。
特集の企画とそこでのやり方、それに筆者の陣容とが関係しての判断となるわけで、
その視点からすれば、いまのステレオサウンドの新製品紹介のやり方は、
むしろ欠点が目立つようになってきている、といわざるをえない。

Date: 11月 4th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その86)

岩崎先生が亡くなられた時、
ステレオサウンド 43号に追悼文が載った。
井上先生、岡先生、菅野先生、瀬川先生、長島先生、山中先生が書かれていた。

55号には、なかった。
理由はなんとなくわかる。

55号の編集後記では、原田勲氏が、五味先生へのおもいをつづられている。
それからKen氏も、そうだ。

《ぼくのオーディオは「西方の音」で始まった》、
という書き出しでKen氏の編集後記は始まる。

編集後記はそう長くないから、すべて書き写してもたいした手間ではないが、
最後のところだけを引用しておく。
     *
 以来格闘十年間、オリジナル・コーナーヨークにたどりついたところで、ぼくとタンノイの歴史は一旦終る。若さに目ざめたのである。
 しかし本号の取材でオリジナル・オートグラフを聴き、手離したことを心底後悔した。西方の音で何度も読んでいた、あの音が聴こえてきたのだ。しかし戻ることはしないでおこう。タンノイが相応しい年齢になるまでは……。
     *
Ken氏は、私より十、上である。
タンノイが相応しい年齢ではないですか。

Date: 11月 4th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その85)

ステレオサウンド 55号にも「五味オーディオ巡礼」は載っていない。
載っていないことは、発売前からわかっていた。

この年の4月1日に、五味先生が亡くなっているからだ。
「ザ・スーパーマニア」が、五味先生だった。

扉には、こうあった。
     *
Guy R. Fountain Autographのまえの先生のソファに坐ってみた。
そこにはいまも、あのひとりの偉大なスーパーマニアの熱気がただよっていた
     *
そして55号巻末には、「オーディオ巡礼」の出版案内があった。
6月30日発刊予定、とあった。

55号は、私にとってステレオサウンドが大きく変っていく節目の号になっていく。

Date: 11月 4th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その84)

41号から読みはじめた私にとって、
アナログプレーヤーのテスト記事は48号に続いて二回目である。

48号ではターンテーブル及び軸受けの強度、
ターンテーブルの偏芯と上下ブレ、
無負荷状態での速度偏差とレコードトレーシング時の速度偏差/ダイナミック・ワウ、
以上の項目について測定していた。

55号での測定には速度偏差がなくなっている。
かわりにランブルの周波数分布が加わっている。

測定にはトーレンスが開発した専用治具を用いられている。
この専用治具は、瀬川先生がトーレンス社を訪問された際に入手されたモノである。
(瀬川先生のトーレンス訪問記事は56号に載っている)

この専用治具については、長島先生が説明されている。
     *
治具の構造は、ターンテーブルのセンターシャフトに固定するチャックを持つ高精度シャフトと、このシャフトに軸受けで支えられ、自由に軸方向に回転できる構造を持つ軽量フレームによりなっている。測定は、フレームの指定された場所にカートリッジの針先をのせ、被測定ターンテーブルのシャフトを通して治具に伝わってくる振動をピックアップして行う。
 この方法によれば,治具のシャフトとフレーム軸受けとの精度を高精度にすれば、レコード法よりはるかに測定系ノイズを減らすことができ、ローレベルまでのランブルが測定できるわけである。治具の説明書によると、測定用シャフトおよびフレーム軸受け部分(これはテフロン系と思われるプラスチックでできている)には絶対に手を触れないこと、布などで拭わないことと注意がされている。これは、治具のベアリングの振動が測定値に影響を与えないよう注意しているためだろう。
     *
55号には、トーレンスの専用治具の写真も載っている。
掲載されている測定結果も興味深い。
特に、アームレスのターンテーブルにおいて、
オーディオクラフトのAC4000Mcとフィデリティ・リサーチのFR66S、
ふたつのトーンアームを使っての測定結果が載っているのが、また興味深い。

トーンアームが違えば、ランブルの周波数分布もかなり違ってくる。
この測定結果も、当時よりもいま見ているほうが得られることが多い。

Date: 11月 4th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その83)

ダグラス・サックスのインタヴュー記事から引用したいことはいくつもある。
そのすべてを引用してしまうと、記事の大半を引用することになるから、
ひとつだけに留めておく。
     *
──将来のシステムとしてもつべきものとしてほかに何かありますか?
サックス ある分野においては、見方によっては退行ともいうべき改善を考慮すべきだと感じています。それは、スピーカーとアンプの組合せにおけるダイナミックスの許容力を拡大しなければならないということです。デジタルやダイレクト・トゥ・カディスク録音の時代にはいって、このことを一層痛感させられるのです。いわゆるオーディオファイル・レコードの製作者たちは、ダイナミックレインジの拡大に努めているのですが、今日使われている極度に能率のわるいスピーカーでそれだけのラウドネスを再現することはできません。レコードは再生機器の能力に制約されてしまい、フォルティシモで鳴る三度の音など、いかによく録音されていても、リアリスティックに再生できないのですね。
── では、これからのシステムは、より大出力のンアプトより能率のよいスピーカーでなければならないというわけですか?
サックス 左様。しかし、いま私の知っている多くのスピーカーは二千ワットのアンプをもってしても救いがたい。なぜなら能率がわるいと同時に、それだけの大入力に耐えられないのがほとんどですから。
── ダイナミックスの窓がとっても狭いということですね。
サックス 今日のしすてむの限界になっている要素です。わたしのつくったレコードをそのようなシステムできくと、静かなパッセージの再生は一応充分なんですが、ダイナミックスの釣り合いということになるとまったく混迷してしまう。カートリッジの再現性はいい、プリアンプにもともかく問題はない、パワーアンプとスピーカーの終端、ここに慢性狭窄性があるんです。
 私は、オーディオのまじめな追及者あるいはプロフェッショナルが自宅でつかっている自家製の大型システムを数多くきいています。その音は注目に値いします。それはけして大音量で再生しているのだからよくきこえるのではない。むしろ普通の再生レベルなのです。しかし、ピークのときにも充分の余裕をもった能力を発揮して、音がつまるなんてことにならない。こういうシステムがどこの家庭にもおかれるようになったとき、ディスクにどれだけの音が刻まれているかということが、はじめて認識されるのです。
     *
ステレオサウンド 55号の特集2がアナログプレーヤーのテストであったから、
この記事が掲載されたわけでもないだろう。
たまたまAudio誌に掲載された時期からいって、55号になっただけであっても、
同じ55号に載っているのは、結果としていいことになっている。

そしてアナログプレーヤーのテストにおける測定も、そうだといえる。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その82・追補)

ステレオサウンド 55号に載っているダグラス・サックスの記事の原文は、
Interview:Douglas Sax on the Limits of Disc Recordingというタイトルで、
アメリカのオーディオ雑誌Audioの1980年3月号に掲載されている。

このころのAudio誌の誌面をそのままスキャンして公開しているサイトがある。
記事のタイトルで検索すれば、すぐに見つかる。
ダグラス・サックスの記事も公開されていて、英文で読むことができる。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その82)

ステレオサウンド 55号の音楽・レコード欄に、非常に興味深い記事が載っている。
当時以上に、いま読み返した方が興味深いともいえる記事である。

「ディスク・レコーディングの可能性とその限界」というタイトルだ。

このタイトルからわかるように、
ダイレクトカッティングで知られるシェフィールドの二人の創設者のひとり、
ダグラス・サックスのインタヴューで構成されている。

インタヴューだけではなく、岡先生によるダグラス・サックスについての囲み記事もある。
それによるダグラス・サックスともうひとりの創設者のリンカーン・マヨーガ(マヨルガ)は、
ともに1937年生れ。
(1937年は、ジョージ・ガーシュウィンとモーリス・ラヴェルが亡くなった年でもある。)

彼らは1956年に、ウェスターン・エレクトリックの旧いディスク録音機の持主をたずね、
そこでマヨーガ演奏のピアノを録音してもらっている。
その78回転のディスク(モノーラル録音のラッカー盤)の音が、
一般のLPの音よりもあらゆる点で優っていると感じ、ふたりはSPに注目する。

周波数特性、S/N比、収録時間においても、LPよりも劣るSPなのに、
聴けば聴くほど音楽的に素晴らしいものであることを痛感。
その音の秘密はテープレコーダーにたよらず、ディスクに直接カッティング(録音)されているからで、
LP登場以後の進歩したカッティングシステムで、
ディスクレコーディングをしたら、どんなに素晴らしい音のレコードがつくれるだろうと、
と夢見るようになる。

ダグラス・サックスの兄、シャーウッド・サックスはオーディオ・エンジニアであった。
弟ダグラスの話、ばかげたことと、一笑に附す。
けれどダグラス・サックスとリンカーン・マヨーガは1965年に実験を行っている。
結果はシャーウッドのいうことを実感させられるほどに難しいものだった。

技術的に解決しなければならない問題が山ほどあることを知らされ、
マヨーガはピアニストとして演奏活動をつづけ、サックスはレコードをつくる方に夢中になる。

ふたりは1968年にマスターリング・ラボという会社をつくる。
中古のカッティングレーサーを買い、シャーウッド・サックスが稼働できるように整備している。

この会社の成功が、シェフィールドのにつながっていく。
興味のある方は55号のお読みいただきたい。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その81)

55号の特集2のプレーヤーテストは、
最初に扉のページがあって、次の見開きに、瀬川先生と山中先生の「テストを終えて」がある。
それから個々の機種の試聴記が続く。

「テストを終えて」は、いわは後書きではあっても、
記事の構成上、前書きといえる位置にくる。

つまり「テストを終えて」を読んでから、
ここのプレーヤーの試聴記を読むわけだ。

この「テストを終えて」を読んで、
瀬川先生のうまさと配慮を、ほんとうの意味で知ったといえる。
     *
 良くできた製品とそうでない製品の聴かせる音質は、果物や魚の鮮度とうまさに似ているだろうか。例えばケンウッドL07Dは、限りなく新鮮という印象でズバ抜けているが、果物でいえばもうひと息熟成度が足りない。また魚でいえばもうひとつ脂の乗りが足りない、とでもいいたい音がした。
 その点、鮮度の良さではL07Dに及ばないが、よく熟した十分のうま味で堪能させてくれたのがエクスクルーシヴP3だ。だが、鮮度が生命の魚や果物と違って、適度に寝かせたほうが味わいの良くなる肉のように、そう、全くの上質の肉の味のするのがEMTだ。トーレンスをベストに調整したときの味もこれに一脈通じるが、肉の質は一〜二ランク落ちる。それにしてもトーレンスも十分においしい。リン・ソンデックは、熟成よりも鮮度で売る味、というところか。
 マイクロの二機種は、ドリップコーヒーの豆と器具を与えられた感じで、本当に注意深くいれたコーヒーは、まるで夢のような味わいの深さと香りの良さがあるものだが、そういう味を出すには、使い手のほうにそれにトライしてみようという積極的な意志が要求される。プレーヤーシステム自体のチューニングも大切だが、各社のトーンアームを試してみて、オーディオクラフトのMCタイプのアームでなくては、マイクロの糸ドライブの味わいは生かされにくいと思う。SAECやFRやスタックスやデンオンその他、アーム単体としては優れていても、マイクロとは必ずしも合わないと、私は思う。そして今回は、マイクロの新開発のアームコード(MLC128)に交換すると一層良いことがわかった。
     *
これだけのことと思われるかもしれないが、
これだけのことで、このあとのページに登場するプレーヤーの、
音質的・音色的位置づけが提示されている。
そのうえで、個々の試聴記を読むわけだ。

そしてすべての試聴記を読んだうえで、私はもう一度「テストを終えて」を読んだ。
誌面から音は出ない。

オーディオ雑誌について、ずっと以前からいわれ続けていることだ。
それでも、瀬川先生の文章を読んで、音は出てこなくとも、想像はできると確信できた。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その80)

ステレオサウンド 55号の表紙は、JBLのウーファーLE14Aである。
夏号らしい、ともいえるけれど、51号の表紙と同じようでもあって、
書店で目にした時、ちょっとだけいやな予感がしたの憶えている。

55号の特集も51号と同じでベストバイである。
表紙の感じが同じであれば、特集のありかたも同じだった。
ベストバイは、51号の方針でいくのか、とがっかりした。

43号のベストバイは熱っぽく読んだ。
けれど51号、55号のベストバイは、熱っぽく読めなくなっていた。

50号での巻頭座談会での瀬川先生の発言を、
ステレオサウンド編集部はどう受けとめているのか、と思ってしまうほど、
ベストバイ(特集)がつまらなくなっている。

特集に読み応えがないと、その号のステレオサウンドの印象は、
他の記事がどうであろうと、薄くなるし、あまりいいものではなくなる。

52号、53号、54号の特集との落差を大きく感じてしまう。
落差は、編集部の仕事の楽さとも関係しているのか、とも思ってしまうほどだ。

55号のベストバイについては、このくらいでいいだろう。
55号の特集2は、おもしろかった。
「ハイクォリティ・プレーヤーシステムの実力診断」で、
瀬川先生と山中先生が、13機種のアナログプレーヤーのテストをされている。

総テストとは違う。
ここに登場するのは、いわゆる高級プレーヤーに属するモノばかりである。
13機種中、もっとも安価なのがトーレンスのTD126MKIIICで、250,000円である。
個人的に気になっていたプレーヤーのほとんどが、ここに登場していた。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その79)

ステレオサウンド 54号の特集の最終ページ(269ページ)の裏は、
スペックスのモノクロの広告ページ。
隣の271ページはカラーの記事が始まる。

記事のタイトルは、
スピーカーシステムの未来を予見させる振動系質量ゼロのプラズマレーザー方式
〝プラズマトロニクス/ヒル・タイプI〟の秘密を探る、
菅野先生が書かれている。

これまでのスピーカーとはかなり異る外観のスピーカーシステムが写っている。
コーン型のウーファーとスコーカーの上にアンプが載っているような恰好だ。
内部の写真もある。
そこにはヘリウムのガスボンベが収められている。

もうこれだけで従来のスピーカーとは大きく違うモノだということがわかる。
記事は3ページ。カラー写真で、開発・実験過程、工場の様子などが紹介されている。

プラズマトロニクス(PLASMA TRONICS)のHill Type-Iは、
700Hz以上の帯域をプラズマドライバーが受け持つ。
つまり700Hz以上の帯域は振動板が存在しない。

記事中でも、プラズマドライバーの動作原理は特許申請中で明らかにされていない、とある。
このプラズマドライバーの開発者のアラン・ヒルは、
アメリカ空軍のエレクトリックレーザー開発部門に籍をおいていた、とある。
空軍での仕事の傍らに、
自宅でレーザープラズマの応用技術のひとつであるスピーカーの研究・開発を行ってきた。

詳しいことは54号を読んでいただきたいし、
インターネットで検索して調べてほしい。

Hill Type-Iは製品としては未熟なところはある。
ヘリウムのガスボンベは300時間ごとにガスを充填させる必要があるし、
プラズマドライバーは内蔵の専用アンプが駆動する。

五つの電極があり、それぞれに専用アンプがある。
つまり五台のアンプが内蔵されている。
その出力は一台あたり1kWであり、合計5kWとなる。
しかも内蔵アンプはA級動作である。

となると、このスピーカーの消費電力はどのくらいになるのだろうか。
54号の記事には、そのことは触れられていない。
HI-FI STERO GUIDEのスペック欄にも、消費電力の項目はなかった。

Hill Type-Iの価格は5,100,000円だった。
ステレオペアだと1000万円を超える。
1982年頃に製造中止(もしくは輸入元の取り扱いが終ってしまった)時点での価格は、
5,830,000円になっていた。

Hill Type-Iはそれきりになってしまった。
けれど、インターネットで、”plasma speaker”で検索すると、
アラン・ヒルと同じように、振動板をもたないスピーカーの実験を行っている人がいる。
YouTubeでも公開されている。

Hill Type-Iから40年近く経っている。
次世代のHill Type-Iが登場するのだろうか。

54号を開くたびに、そんなことをおもってしまう。

Date: 10月 26th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その78)

ステレオサウンド 54号について書きたいことはまだまだあるけれど、
これだけは憶えておいてほしい、ということがひとつある。

瀬川先生の連載「ひろがり溶け合う響きを求めて」である。
     *
 部屋の響きを美しくしながら、なおかつ音の細かな差をよく出すということは、何度も書いたことの繰り返しになるが、残響時間周波数特性をできるだけ素直に、なるべく平坦にすること。つまり、全体に残響時間は長くても、そ長い時間が低域から高域まで一様であることが重要だ。そして減衰特性ができるかぎり低域から高域まで揃っていて、素直であるということ。それに加えて、部屋の遮音がよく、部屋の中にできるかぎり静寂に保つ、ということも大事な要素である。ところでこの部屋を使い始めて1年、さまざまのオーディオ機器がここに持ち込まれ、聴き、テストをし、仕事に使いあるいは楽しみにも使ってみた。その結果、この部屋には、音のよいオーディオ機器はそのよさを一層助長し、美しいよい音に聴かせるし、どこかに音の欠点のある製品、ことにスピーカーなどの場合には、その弱点ないしは欠点をことさらに拡大して聴かせるというおもしろい性質があることに気がついた。
 これはおそらく、従来までのライブな部屋に対するイメージとは全く正反対の結果ではないかと思う。実際この部屋には数多くのオーディオの専門の方々がお見えくださっているが、まず、基本的にこれだけ残響の長い部屋というのを、日本の試聴室あるいはリスニングルームではなかなか体験しにくいために、最初は部屋の響きの長さに驚かれ、部屋の響きにクセがないことに感心して下さる。反面、たとえば、試作品のスピーカーなどで、会社その他の試聴室では気づかなかった弱点が拡大されて聴こえることに、最初はかなりの戸惑いを感じられるようである。特にこの部屋で顕著なことは、中音域以上にわずかでも音の強調される傾向のあるスピーカー、あるいは累積スペクトラム特性をとった場合に部分的に音の残るような特性をもったスピーカーは、その残る部分がよく耳についてしまうということである。
 その理由を私なりに考えてみると、部屋の残響時間が長く、しかも前掲のこの部屋の測定図のように、8kHzでも1秒前後の非常に長い残響時間を確保していることにあると思う(8kHzで1秒という残響時間は大ホールでさえもなかなか確保しにくい値で、一般家庭または試聴室、リスニングルームの場合には0・2秒台前後に収まるのが常である)。高域に至るまで残響時間がたいへん長いということによって、スピーカーから出たトータル・エネルギーを──あたかもスピーカーを残響室におさめてトータル・パワー・エナジーを測定した時のように──耳が累積スペクトラム、つまり積分値としてとらえるという性質が生じるのではないかと思う。普通のデッドな部屋では吸収されてしまい、比較的耳につかなくなる中域から高域の音の残り、あるいは、パワー・エネルギーとしてのゆるやかな盛り上りも、この部屋ではことさら耳についてしまう。従って非常にデッドな部屋でだけバランス、あるいは特性を検討されたスピーカーは、この部屋に持ち込まれた場合、概してそれまで気のつかなかった中高域の音のクセが非常に耳についてしまうという傾向があるようだ。いうまでもなく、こういう部屋の特性というのは、こんにちの日本の現状においては、かなり例外的だろう。しかしはっきりいえることは、これまで世界的によいと評価されてきたオーディオ機器(国産、輸入品を問わず)は、この部屋に持ち込むと、デッドな部屋で鳴らしたよりは一層美しく、瑞々しい、魅力的な音で鳴るという事実だ。
 つまりこの部屋は、オーディオ機器のよさも悪さも拡大して聴かせる、というおもしろい性質を持っていることが次第にわかってきた。
     *
ライヴな部屋でありながら、
メーカーの試聴室では気づかなかった弱点が拡大されて聴こえる、ということ、
その理由として、耳が累積スペクトラム、つまり積分値としてとらえるということ、
このふたつの意味はとても重要である。

無響室に入ったことはあるが、そこで比較試聴をした経験はない。
瀬川先生の、このリスニングルームにも行ったことはない。

無響室と残響室とでは、人間の耳は、音の聴き方を自動的に変えるのだろうか。
それは主に高域の残響時間と深く関係してのことなのだろうか。

積分的な聴き方と微分的な聴き方。
「ひろがり溶け合う響きを求めて」を読んできて、思ったことはいくつもある。
そして、54号で最終回だったのだが、上に引用したところが示唆するところについて、
議論がなされていったり、実験が行われることを、私は期待していた。

でも、ここでとまってしまっている。

Date: 10月 19th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その77)

ステレオサウンド 54号の巻頭座談会は、いま読み返しても面白いところがいくつかある。
考えさせられるところもある。

こういう座談会が読みたいのであって、
毎年暮のステレオサウンド・グランプリのような座談会を読みたいわけではない。

この座談会の最後だけを引用しておく。
先に引用した黒田先生の発言に続くものでもある。
     *
瀬川 黒田さんの言葉にのっていえば、良いスピーカーは耳を尾骶骨より前にして聴きたくなると同時に、尾骶骨より後ろにして聴いても聴き手を楽しませてくれる。それが良いスピーカーの一つの条件ではないかと思います。現実の製品には非常に少ないですけれど……。
 そのことで思い出すのは、日本のスピーカーエンジニアで、本当に能力のある人が二人も死んでしまっているのです。三菱電機の藤木一さんとブリランテをつくった坂本節登さんで、昭和20年代の終わりには素晴らしいスピーカーをつくっていました。しかし藤木さんは交通事故、坂本さんは原爆症で亡くなってしまった。あの二人が生きていて下さったら、日本のスピーカーはもっと変っていたのではないかとという気がします。
菅野 そういう偉大な人の能力が受け継がれていないということが、非常に残念ですね。
瀬川 日本では、スピーカーをつくっているエンジニアが過去の伝統を受け継いでいないですね。今の若いエンジニアに「ブリランテのスピーカーは」などといっても、キョトンとする人が多い。古い文献を読んでいないのでしょうね。製品を開発する現場の人は、文献で知っているだけでなく、現物を草の根分けても探してきて、実際に音を聴いてほしい。その上で、より以上のものをつくってほしいと思うのです。
 故事を本当に生きた形で自分の血となり肉として、そこから自分が発展していくから伝統が生まれてくるので、今は伝統がとぎれてしまっていると思います。
黒田 たとえば、シルヴィア・シャシュが、コベントガーデンで「トスカ」を歌うとすると、おそらく客席にはカラスの「トスカ」も聴いている人がいるわけで、シャシュもそれを知っていると思うのです。聴く方はカラスと比べるぞという顔をしているだろうし、シャシュもカラスに負けるかと歌うでしょう。その結果、シャシュは大きく成長すると思うのです。
 そういったことさえなく、次から次へ新製品では、伝統も生まれてこないでしょう。
     *
伝統がどうやって生れてくるのか、
なぜ伝統が途切れてしまうのか。

創刊50年、そのことが伝統ではないということだ。

Date: 10月 19th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その76)

ステレオサウンド 54号の黒田先生の単独での試聴。
その試聴風景の写真が、各機種の試聴記の隅に載っている。

それまでの試聴と違い、黒田先生は試聴室に備えてある椅子ではなく、
座面の高い椅子を使われている。

このころのステレオサウンド試聴室の椅子の前にはテーブルがある。
このテーブルの上にアンプやプレーヤーが置かれていることが多い。
黒田先生の前にあるのは、このテーブルではなく机である。

菅野先生、瀬川先生がテーブルと座面の低い椅子に対し、
黒田先生は机とそれ用の椅子で試聴に臨まれている。

試聴風景の写真は扱いが小さいため細部まで確認できないが、
おそらく机の上にはスコアが広げられていたであろう。

このことと関係して、特集の巻頭座談会の最後に、こう語られている。
     *
 ところで、スコアを机にひろげてレコードを聴くことが多いというぼくの習性にも関係すると思うのですが、自分の耳が自分の尾骶骨より後ろにいくと、音楽をムード的に聴いてしまうように想うのです。そこで今回のテストでは無理をお願いして、机に向かって椅子に坐り、聴き耳をたてたわけです。聴く方は耳を尾骶骨より前に出して、細大もらさず聴きとろうと一所懸命なのですから、スピーカーをつくる方もその期待にこたえるだけの真剣さがほしいと思うのです。
     *
つまり黒田先生は、試聴機材を含めて自宅での聴き方を、
できるだけそのままステレオサウンド試聴室に持ってきての試聴であったわけだ。

だからこそ読み手も、それだけの真剣さで試聴記を読んでこそだ、と思う。
もちろんどう読もうと個人の自由ではあるけれども……だ。

Date: 10月 18th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その75)

ステレオサウンド 54号の特集は「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」。
ステレオサウンドは、44号と45号の二号にわたるスピーカーの総テストを行い、
46号ではモニタースピーカーに絞っての総テストを行っている。

三号続けての総テストに較べると45機種という数は多いとはいえないけれど、
その間に登場したスピーカーの大半が登場している。

44号、45号では、岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹の三氏、
46号では岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏。
54号では黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏である。
52号、53号のアンプ総テストでも、三人の試聴だった。

54号の試聴で注目したのは、黒田先生だった。
44号、45号での総テストでは、岡先生と一緒に試聴されている。
それが今回は単独での試聴である。

私が読みはじめたのは41号からで、
その後バックナンバーを読んでみても、黒田先生が単独で試聴されているのは54号が初めてのはずだ。

試聴とは、鳴っていた音を聴くことである。
音が鳴るためには、鳴らし手が必要となる。
つまり誰が鳴らした音、もしくは自分で鳴らした音を試聴室で聴いてのテストということになる。

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 3ではトゥイーター試聴に、
黒田先生は井上先生、瀬川先生とともに参加されている。
ここでの試聴での音の鳴らし手は瀬川先生である。

黒田先生は瀬川先生が鳴らされた音を聴いての、トゥイーターの評価であったし、
44号、45号では岡先生が鳴らされたスピーカーの音の評価であった。

それが54号では違っている。
もちろんスピーカーの交換・設置などは編集部が行う。
黒田先生が、瀬川先生のように細かいセッティングまでやられているわけではない。
その意味では、鳴らし手はステレオサウンド編集部といえる部分もあるにはあるが、
それでも試聴機材として、
アナログプレーヤーは導入を決められているパイオニアのExclusive P3、
パワーアンプは自宅で使われていたスレッショルドの4000 Custom、
コントロールアンプは試聴室リファレンスのマークレビンソンLNP2である。

試聴機材の選定からいっても、メインの鳴らし手は黒田先生自身といえる。