Archive for category ステレオサウンド

Date: 2月 19th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その13)

ステレオサウンドに対して批判的、否定的なことばかり書くやつだと思われているようで、
数度、いまのステレオサウンドはおもしろい、といったことをいわれたことがある。

そういってくる人が、ステレオサウンドを読みはじめて二年くらいの、
そして10代の若者であれば、そう思ってしまうのは当然だと思うし、
私だって、いま10代で、ステレオサウンドを読みはじめて二年くらいであれば、そう思うだろう。

けれど、私に、いまのステレオサウンドはおもしろい、おもしろくなってきている、
といってきた人は、いずれも私よりも年輩の、
私よりも古くからステレオサウンドを読んできている人であった。

えっ、と思う。
ほんとうに、この人は、いまのステレオサウンドをおもしろいと思っているのか。
だから理由をきく。
返ってくることをきいていてると、
いまのステレオサウンドがおもしろい、とはいったいどういうことなのか、と考えてしまう。

少なくとも私は、そういう人たちが返してくる「ステレオサウンドがおもしろい」理由に納得できなかった。
納得できないから、もういいや、と思うときもあるし、さらにつっこんでききかえすこともある。
そういうときにも「時代が違うから……」が出てくる。

私に対して、「時代が違うから……」という人は、
いまのステレオサウンドの理解者である、と私にいいたいのだろうか。

私に対して、おまえはいまのステレオサウンドを理解していない──、
そういいたいのだろうか。

こういう時、私が思っているのは、理解と同情は違う、ということである。

Date: 2月 18th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その12)

ステレオサウンドのベストバイ特集の一回目の35号と二回目の43号までの二年間には、
六冊のステレオサウンドと二冊の別冊の他に、
HI-FI STEREO GUIDEが夏と冬に刊行されていた。

いまのステレオサウンドはどうだろう。
毎年冬号でベストバイは第二特集として定番となっている。
けれど前年の冬号からの一年間に、どれだけの内容を世に送っているだろうか。

まず別冊は出ていない。
そういうと、出しているだろう、という反論があるのはわかっている。
確かに別冊は出ているが、それはステレオサウンド編集部とは別の編集部による別冊であり、
1970年代に出ていた別冊と違う別冊である。

だから同じには考えられない。
そしてHI-FI STEREO GUIDEも出ていない。

特集記事を見ていくと、どうだろうか。
徹底試聴、総テストと呼べる特集が、いまのステレオサウンドで組まれているのかといえば、
残念ながら、そうではない。

43号のベストバイ特集と、現在のベストバイ特集とでは、
背景が大きく違っている。

こう書くと、時代が違う、という反論をいってくる人がいる。
時代は確かに違う。

だからといって、時代が違う、は何のいいわけにもならない。
編集者が「時代が違うから……」と、もしいっているようでは、
口にしていなくとも、心の中でそう思っているのであれば、
その本には、もう期待できないといっていいだろう。

では読者が「時代が違う」というのはいいのか。
私は、これも問題だと捉えている。

結局、そういってしまったことが伝われば、編集部を甘やかすことに、
編集部にいいわけを与えることにつながっていくと考えるからだ。

時代は変っていく。
ただ変っていくだけなのか。
どう変っていっているのか。
そのことを見極めずに「時代が違うから……」といってしまって、どうするというのか。

Date: 2月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その11)

ベストバイという企画は、人気のある特集である。
だからこそ43号以降、毎年一回、ステレオサウンドはベストバイを特集にもってきている。
実際にベストバイの号の売行きはいい、ときいているし、
最近では年末の号(ベストバイが第二特集となっている)では、特別定価である。

つまりベストバイの号だけ買う読者がいる、ということである。
その一方で、ベストバイの号だけは買わない、という読者がいる、ということもきいている。

買わないという人たちに共通する意見として、
ベストバイはカタログ誌(号)である、というのがある。
口の悪い人になると、ベストバイだけではない、最近のステレオサウンドすべてがカタログ誌だ、と。

以前も書いたことだが、ほんとうにいまのステレオサウンドはカタログ誌だろうか、
もっといえばカタログ誌たりえているだろうか。

昔からステレオサウンド、その別冊を読んできた者にとっては、
年二回刊行されていたHI-FI STEREO GUIDE(のちのStereo Sound YEAR BOOK)こそが、
カタログ誌と呼べる内容の本だった。

ベストバイの号をカタログというのは、侮蔑の意味が込められている。
けれどカタログは必要でもあり、
カタログ誌も必要なものである。

カタログはメーカーや輸入商社、もしくはオーディオ店から貰うものかもしれないが、
これらはカタログは、当然のことながら、
そのメーカーの、スピーカーならスピーカーだけ、アンプならアンプだけのカタログであることが多い。

けれど、これがカタログ誌となると、すべてのブランドの、すべての機種を一冊で網羅している。
HI-FI STEREO GUIDEは、その意味でカタログ誌であり、そこには侮蔑の意味はまったくない。

HI-FI STEREO GUIDEは地味な存在である。
けれど大切にしなければならない存在でもあった。

Date: 2月 13th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その10)

一回目のベストバイの35号、二回目のベストバイの43号、
この二冊のステレオサウンドのあいだに、六冊のステレオサウンドと二冊の別冊が刊行されている。
性格には「世界のオーディオ」シリーズも刊行されているが、
編集意図が異る別冊なので除外する。

36号の特集は「スピーカーシステムのすべて(上)」、続く37号は「スピーカーシステムのすべて(下)」で、
この二冊で80機種のスピーカーシステムを試聴している。
38号は「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」、
39号は「世界のカートリッジ最新123機種の総試聴」、
40号は「世界のプレーヤーシステム最新50機種の総試聴」、
41号は「コンポーネントステレオ世界の一流品」、
42号は「プリメインアンプは何を選ぶか 最新35機種の総テスト」となっている。

別冊は1976年夏に「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」が出ている。
ここでは72機種のセパレートアンプの試聴が行われている。

もう一冊の別冊は1976年暮の「コンポーネントステレオの世界 77」で、
45の組合せが登場する。

この時代のステレオサウンドは、総試聴、総テストという言葉があらわしているように、
徹底した試聴と、そして測定を行っていた。

スピーカーシステムの総テストを二号にわたっておこなう。
このスタイルは44号、45号でも引き継がれている。
この二冊は「フロアー型中心の最新スピーカーシステム総テスト」であり、
さらに46号では「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質をさぐる」で、
つまり三号続けてのスピーカーシステムの特集となっていた。

25号と43号のあいだで、
ステレオサウンドはアナログプレーヤー、カートリッジ、プリメインアンプ、
コントロールアンプとパワーアンプ、そしてスピーカーシステムと、
全ジャンルの総テストを行っている。
(カセットデッキ、オープンリールデッキは隔月刊のテープサウンドが行っていた。)

これだけのことが行われてきたうえでの、43号のベストバイ特集である。

Date: 2月 11th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その9)

ステレオサウンド 43号の特集は、
35号に続いて二回目のベストバイである。

35号と43号とのあいだにはちょうど二年ある。
ベストバイは、その後47号、51号、55号……と続き、
毎年夏号掲載は冬号掲載に変り、現在に至っている。

私にとっては43号のベストバイが、最初のベストバイだった。
だから、というわけではないが、43号のベストバイがもっとも読み応えのあるベストバイ特集である。

35号はステレオサウンドで働くようになって読んだ。
43号以降、ベストバイ特集は一度も43号を超えてはいない。
だから35号のベストバイ特集が気になっていた。

35号は私が41号を手にした時には、すでにバックナンバーは売切れだったのだから、
期待は高まっていた。
35号のベストバイは43号のベストバイよりも、もっと読み応えがあるのかもしれない、と。

結果は43号のベストバイが、もっともいい。
そしてもうひとつはっきりといえるのは、
このころのベストバイといつのころからか変質してしまった現在のベストバイは、
同じ「ベストバイ」特集と謳っていても、同じとはいえない。

このことはベストバイの号だけ比較しての話ではない。
ベストバイの号とベストバイの号のあいだに発行されるステレオサウンドの特集と関係しているし、
ベストバイ特集が持っていた意味が大きく変化したというよりも、失われてしまった、ともいえる。

Date: 2月 10th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その8)

ステレオサウンド 42号、43号の表紙を見て私が想像したようなことは、
ステレオサウンド編集部はまったく意図していなかったことなのかもしれない。

意図しての表紙だったともいえるし、そうでないともいえる。
どちらなのかはわからないし、どちらでもいいと思っている。

当時中学生だった私が、42号、43号の表紙を見て、組合せを想像したことが大事なことであって、
こういう想像を喚起させる何かが、いまのステレオサウンドの表紙からはすっぱりと消えてしまっている。
そのことを残念だと思う。

いま書店に並んでいる197号。
表紙はB&Wのスピーカーシステムだが、
このモデルになることは、そこそこステレオサウンドを読んでいて、
新製品情報をこまめにチェックしている人ならば、容易に予想できていたはずだ。

だから12月に書店で197号を見かけて、やっぱりね、としか思えなかった。
それでもこちらが気づかない良さを表紙が感じさせてくれるのであれば、まだしもといえるけれど、
それすら感じられない表紙を見ていると、どうしてもなぜなんだろう? と考えてしまう。

現編集長の染谷一氏の年齢を知らない。
写真をみるかぎり、私よりも一世代若い方のようだ。
だとしたら42号、43号をその当時読んでいたわけではない。

でも、それだけが理由だろうか。
そういうことは理由にはならないようにも思う。

ステレオサウンドで働くということは、過去のステレオサウンドを自由に読めるということでもあるからだ。

Date: 2月 8th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その7)

ステレオサウンド 42号、43号の表紙のことを書きながら、
もしあの時(1976年12月)、
「コンポーネントステレオの世界 ’77」ではなく「ステレオのすべて」を選んでいたら……、と考えていた。

ステレオサウンド 41号と「ステレオのすべて」を買っていたら、
ステレオサウンド 43号の表紙を見たときに、QUADの405の存在を果して感じただろうか。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」をくり返し読んでいたからこそ、
私の頭の中にはAGIの511と405のペアがあったからだ。

511と405を結びつけるものが私の中にあったから、
43号の表紙を見て、想像した。
43号での想像があったから、42号の表紙を見ての想像がある。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」、42号、43号は結びついている。
しっかりと結びついている。

その意味で「コンポーネントステレオの世界 ’77」を選んで幸運だった、といまも思っている。

Date: 2月 7th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その6)

ステレオサウンド 43号を一通り読み終ってから42号の表紙を見ると、
43号の表紙を見た時と同じことを想像した。

ここにはアナログプレーヤーとプリメインアンプが写っている。
スピーカーシステムが写っていない。
ここでのスピーカーシステムは何を想定していたんだろうか……、と。

ヤマハのCA2000とラックスのPD121。
カートリッジはエンパイアの4000D/IIIにトーンアームはSME。

このシステムが鳴らすスピーカーシステムを、43号の特集ベストバイを読み終って考えていた。
43号の特集にはいくつものスピーカーシステムが紹介されている。
その中から何を選ぶか。

CA2000と同じヤマハのスピーカーシステムNS1000Mでは当り前すぎて面白みに欠ける。
ならば、他にどんなスピーカーが、ここに似合うか。

KEFの104aBは良さそうに思えた。
価格的にはバランスがとれている。
個人的にはカートリッジを、もう少し艶っぽい音色を聴かせてくれるモノに変更したいが、
4000D/IIIの乾いたタッチが、この組合せでもピアノを案外うまく鳴らしてくれそうな気がする。

価格的なバランスは崩れてしまうが、
アルテックのModel 19もよさそうな気がした。
新しいフェイズプラグの採用で、
従来と同じ振動系のコンプレッションドライバーの高域特性を改善したModel 19は、
高能率なだけに、CA2000をA級動作(出力は30W+30W)で鳴らす。
出力に不足はないし、A級動作の音の良さが、人の声の再生にうまく働いてくれそうで、
決して大げさにならないシステムで、べたつくことのない音色で気持ちの良い音が聴けるのではないか。

こんなことを想像していた。
他にもこれはどうだろうか、と頭の中で、そこで鳴ってくる音を想像していた。
43号のベストバイの特集に載っていたスピーカーシステムに限っていえば、
このふたつが、42号の表紙の背後に浮んできた。

そんな楽しみ方ができた。

Date: 2月 7th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その5)

ステレオサウンド 43号の表紙を飾るのは、
セレッションの小型スピーカーUL6とAGIのコントロールアンプ511。
UL6の上に511、これを真正面からとらえた写真が使われている。

この表紙をみるたびに思うことがある。
コントロールアンプとスピーカーシステムということは、
ここには写っていないけれどパワーアンプの存在を意識する、ということだ。

そのパワーアンプとはQUADの405のことである。
AGIの511にはペアとなるパワーアンプがなかった。
開発中という噂はあったけれど、ついに実現することはなかった。

QUADの405に関しても、33というコントロールアンプがあったけれど、
開発年代の違いから、405のペアとなるコントロールアンプととらえている人は少なかった。

誰もが405とペアとなるコントロールアンプ44の登場を期待していた。
44が登場するのはまだ先であった。

そんなこともあって511と405は組み合わされること多かった。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」でも511と405の組合せは何度か登場している。

スピーカーシステムが決まり、アンプの候補として登場し、
最終的な組合せとしても、瀬川先生のKEFの104aBの組合せ、
井上先生のキャバスのブリガンタンとロジャースのLS3/5Aの組合せの両方に選ばれている。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」を何度も何度も読み返していた私には、
43号の表紙には、そこには写っていなくとも、QUADの405を感じる。
43号を手にしたときも、いまも、である。

AGIの511、QUADの405、セレッションのUL6の組合せ、
小粋なシステムだと思う。

42号の表紙も同じことを想像させる。

Date: 2月 6th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その4)

ステレオサウンド巻末にあるバックナンバー紹介のページ。
41号のこのページには33号から40号までと、岡先生の「レコードと音楽とオーディオと」が、
42号には33号から41号までが紹介されていた。

けれど41号、42号とも35号は載っていない。
35号は売り切れとある。

そうなると35号が気になる。
バックナンバー紹介のページを見ると38号が興味深く感じられた。
その38号よりも35号は面白いのか。
いったい特集は、どういう企画だったのか。
想像しても、何の手がかりもなかった。

35号の特集がわかったのは43号が出てからだった。
43号の特集はベストバイである。

43号がベストバイであることは42号のアンケートはがきが、ベストバイの投票用紙であったし、
はがきのところに、43号の特集はベストバイだと書いてあったからだ。

アンケートはがきにはベストバイと考える機種を、各ジャンルごとに一機種ずつ記入していく。
ステレオサウンドを一年くらい読んでいればすぐに記入できただろうが、
まだ41号と42号、それに別冊の三冊しか読んでいない。

市場に出廻っている製品も知っているモノのほうが少ない。
それでもベストバイ(Best Buy)の意味を調べて、
中学生が考えるベストバイ機種と記入していった。

4月10日が締め切りだった。
だったらもう少し早く発売してほしい、と思いながら、
あれこれ悩みながらの記入だった。
参考にしたのは41号ではなく、もっぱら「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。

ベストバイ。
これだけでは43号のどういう内容なのか、
それ以上のことはわからなかったし、想像もそんなにはできなかった。

何度も書店に通い、ようやく発売になったステレオサウンド 43号。
これがベストバイなのか、と思ったことをいまでも憶えている。
あのころのベストバイは面白かった。
夢中になって読んでいた。

Date: 2月 5th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その3)

ステレオサウンド 41号には、次の号がいつ出るのかという予告はなかった。
巻末にバックナンバーの紹介ページがあって、年に四冊出ていることはわかったから、
春には42号が出るのはわかっても、正確な発売日がわかったわけではなかった。

1977年春、42号が書店に並んでいた。
表紙はヤマハのCA2000とラックスのPD121にSMEの3009S2の組合せ。
手前にはハーマンミラーの椅子。
迷わず購入した。

42号の特集はプリメインアンプだった。
岡先生、菅野先生、瀬川先生が試聴を担当され、実測データが載っていた。
一機種あたり五ページが割かれていた。

写真とスペック、機能一覧表で一ページ、
三氏の試聴記で一ページ、
実測データと、井上先生と上杉先生によるテクニカルリポートが三ページあった。

プリメインアンプだけで、ずっしりとボリュウムのある特集だった。
試聴記もテクニカルリポートも、実測データも何度も読み、何度も見た。

一台のアンプをどう捉えるのか。
そのことを学べた一冊だった。

まだ中学生だった私には、当時のステレオサウンドは読み応えがほんとうにあった。
次の号が待ち遠しいという気持とともに、三ヵ月というスパンはちょうどいいようにも感じていた。

42号の奥付には、43号の予告があった。
そこには6月上旬発売予定、とあった。

ここでステレオサウンドの発売日がなんとなくわかった。
3月、6月、9月、12月なのだ、と。

上旬とあるから、43号は6月10日までには出るものだと思った。
6月になると、毎日のように書店に行った。
10日になっていないのだから、まだ出ていなくともしょうがないのはわかっていても、
上旬だから5日ごろに出てもおかしくはない。

今日もない……、そう思う日が続き、
10日になった。まだ書店には並んでいない。
そうなると、さらに一日一日が待ち遠しい。
当時は20日すぎが発売日だった。上旬ではなく中旬でもなく、下旬だった。

Date: 2月 4th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その2)

「ステレオのすべて」を選ばなかった理由は、自分でもはっきりとしていない。
最後まで迷っていた。

そうやって選んだステレオサウンド 41号と別冊の二冊を、
冬休みの二週間、朝から夜までずっと読んでいた。
記事を読み、広告も読み、また最初から読みなおす。

このときの私には、オーディオに関する知識はほとんどなかった。
「五味オーディオ教室」を読んで得たものだけだった。

具体的な製品名やメーカー名に関しても、
「五味オーディオ教室」に登場してくるモノは知っていても、
それ以外の多くのモノについては何もしらないに等しかったし、
オーディオ評論家に関しても、何も知らなかった、といえた。

だからステレオサウンドか「ステレオのすべて」かで迷ったときに、
誌面に登場するオーディオ評論家の名前は何の参考にもならなかった。

本を書店に手に取り、そこから感じるものを選んだ。
こう書いていくと、「五味オーディオ教室」で出発したのだから、
ステレオサウンドを選ぶのは当然と思われる人もいるだろうが、
このころのステレオサウンドには五味先生は登場されていなかった。

手にした二冊のステレオサウンドで私が、より熱心に読んでいたのは、
「コンポーネントステレオの世界 ’77」のほうだった。

Date: 2月 4th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その1)

私が最初に手にしたステレオサウンドは、何度か書いているように、
41号とと同時期に発売になっていた別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」の二冊である。
1976年の12月だった。

その数ヵ月前に、私は「五味オーディオ教室」と出逢っていた。

中学二年の冬休みを、オーディオの本をじっくり読みながら過ごしたいと思っていた。
当時は地方の個人経営の書店にもオーディオの雑誌は並んでいた。

ステレオサウンドはそのころ1600円だった。
別冊も1600円だった。二冊あわせて3200円。

働いている人にとってはたいしたことのない金額であっても、
中学生が小遣いで買うには、けっこう大きな金額だった。

書店にはステレオサウンド以外のオーディオ雑誌も並んでいた。
音楽之友社の「ステレオのすべて」もあった。

ステレオサウンドがB5版、「ステレオのすべては」はA4版だった。
価格も同じか少し高かったかもしれない。

「ステレオのすべて」も買いたかった。
ステレオサウンド 41号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」は、
書店で見つけてすぐに買ったわけではなかった。
三冊すべて買えるほどの余裕はなかった。
どれかをあきらめなければならなかった。

どれにするかを決めるのに、三日ほど書店に通っては悩んでいた。
そして選んだのがステレオサウンドであり、
「ステレオのすべて」はあきらめた。

こうやってステレオサウンドを読むようになっていった。

Date: 10月 8th, 2015
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド創刊号

今朝、本が届いた。
オーディオ関係の雑誌が段ボール箱で届いた。
どんな本が入っているのかは知らなかった。

箱を開けて積み重ねてある本を一冊一冊取り出して、パラパラめくっていた。
一冊目、二冊目、三冊目……、中ほどに来たときに、えっ、と思った。

ステレオサウンドの創刊号が、そこにあった。
しかもおどろくほどきれいな状態の創刊号である。
49年前のステレオサウンドであり、私にとって20数年ぶりに手にする創刊号である。

久しぶりに創刊号を読んでいた。
巻頭には五味先生の「オーディオと人生」が載っている。
「オーディオと人生」はオーディオ巡礼でも読める。何度も読んでいる。
それでもまた読み返していた。
     *
体験のある人なら分ってもらえると思うが、当時はベートーヴェンに私はきき耽った。おもに交響曲と、ピアノやヴァイオリン協奏曲、それにパデレフスキーやシュナーベルの弾くピアノ・ソナタ、カペエのクヮルテットなどだが、弦楽四重奏曲ばかりはトーキー用スピーカーでは醍醐味が味わえない。ピアノ・ソナタも同様である。クレデンザで、竹針を切って鳴らすほうがしんみり、曲趣を味わえる。そこで今度はサウンドボックス用のラッパをこしらえようと、ラッパの開口部までの拡がり(断面積)を数式で割出そうと受験勉強ほったらかしで頭を痛めた。——そういう当時の《青春時代》といったものが、ベートーヴェンのレコードを聴くと四十過ぎの現在でも、彷彿と眼前に泛んでくる。《音楽は過去を甦えらせる》というのは本当だ。過去ばかりか、感動を甦えらせるものだ。
     *
《音楽は過去を甦らせる》とある。
同じことを「芥川賞の時計」でも書かれている。
     *
音楽は、誰にもおぼえがあるとおもうが、むかしそれを聴いた頃の心境や友人や出来事を甦えらせる。何年ぶりかに聴く曲は、しらべとともに《過去》をはこんでくる。
     *
つねに音楽が《過去》をはこんでくるわけではないし、甦らせるわけではないが、
たしかに《過去》をはこんでくることがあるし、甦らせることもある。

音楽は《過去》に光をあてている、ともいえるかもしれない。
その光は一条の光であり、一瞬の光でもある。

音楽によって、どちらの光は違ってくるのかもしれない。
どちらの光かによってはこばれてくる《過去》、甦ってくる《過去》は違ってこよう。

読み返しながら、こんなことを考えていた。

第56回audio sharing例会のお知らせ(ステレオサウンド 200号まで一年)

今月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

明日(9月2日)、ステレオサウンド 196号が書店に並ぶ。
ステレオサウンドのウェブサイトに196号の告知が公開されている。

特集1は《ハイエンド・デジタル》。
これよりも私が、おやっ、と思ったのは、特集2の方である。
タイトルは《DIG 聴いて解く「注目機の魅力」》。

「聴いて解く」とある。
ここに興味を持った。

いま別項で、ステレオサウンド編集部は間違っている、ということについて書いているところだ。
川崎先生がブログで書かれている「応答・回答・解答」、
それから川崎先生が以前からいわれている「機能・性能・効能」、
これらに受動的試聴、能動的試聴を加えれば、ステレオサウンド編集部について語れる。

私がステレオサウンドがつまらなくなったと感じている理由のひとつには、
記事の大半が応答記事になってしまったことにある。
そのことについて、これから書くつもりのところに、
今回の《DIG 聴いて解く「注目機の魅力」》というタイトルである。

編集部がどういう意図で、このタイトルにしたのか、
つまりタイトルに「解く」をいれたのか、
まだ記事を読んでいないし、読んでも伝わってくるのかどうかもなんともいえない。

だが、タイトルに「解く」とある。
この「解く」を編集部は理解しているのか、とも思う。
応答記事ばかりをつくってきて、いきなり「解く」である。

川崎先生は8月26日のブログ『デザインは解である』で、
話題=topicsに対する応答=reply
課題=questionに対する回答=answer
問題=problemに対する解答=solution
と書かれている。

196号の特集2のタイトルは、聴いて解くのあとに「注目機の魅力」と続いている。

注目機とは、いわば話題であり、そこにステレオサウンド編集部は「解」を当てている。
しかもDIGが頭についている。

仮に充分に理解しているとしよう。
特集2は、傅信幸氏、三浦孝仁氏、小野寺弘滋氏が書かれている。
この三人に、編集部の「聴いて解く」の意図は伝わっているのか、
書き手は「聴いて解く」をどう解釈しているのか。

これまでのような書き方であっては、「聴いて解く」には到底ならない。
「聴いて解く」とつけられた記事を書くのであれば、
かなりの覚悟が書き手には必要だし、いうまでもなく能力も求められる。

ほんとうに「聴いて解く」なのか、
読み手は「読んで解く」ことができるわけだ。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。