ステレオサウンド創刊号
今朝、本が届いた。
オーディオ関係の雑誌が段ボール箱で届いた。
どんな本が入っているのかは知らなかった。
箱を開けて積み重ねてある本を一冊一冊取り出して、パラパラめくっていた。
一冊目、二冊目、三冊目……、中ほどに来たときに、えっ、と思った。
ステレオサウンドの創刊号が、そこにあった。
しかもおどろくほどきれいな状態の創刊号である。
49年前のステレオサウンドであり、私にとって20数年ぶりに手にする創刊号である。
久しぶりに創刊号を読んでいた。
巻頭には五味先生の「オーディオと人生」が載っている。
「オーディオと人生」はオーディオ巡礼でも読める。何度も読んでいる。
それでもまた読み返していた。
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体験のある人なら分ってもらえると思うが、当時はベートーヴェンに私はきき耽った。おもに交響曲と、ピアノやヴァイオリン協奏曲、それにパデレフスキーやシュナーベルの弾くピアノ・ソナタ、カペエのクヮルテットなどだが、弦楽四重奏曲ばかりはトーキー用スピーカーでは醍醐味が味わえない。ピアノ・ソナタも同様である。クレデンザで、竹針を切って鳴らすほうがしんみり、曲趣を味わえる。そこで今度はサウンドボックス用のラッパをこしらえようと、ラッパの開口部までの拡がり(断面積)を数式で割出そうと受験勉強ほったらかしで頭を痛めた。——そういう当時の《青春時代》といったものが、ベートーヴェンのレコードを聴くと四十過ぎの現在でも、彷彿と眼前に泛んでくる。《音楽は過去を甦えらせる》というのは本当だ。過去ばかりか、感動を甦えらせるものだ。
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《音楽は過去を甦らせる》とある。
同じことを「芥川賞の時計」でも書かれている。
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音楽は、誰にもおぼえがあるとおもうが、むかしそれを聴いた頃の心境や友人や出来事を甦えらせる。何年ぶりかに聴く曲は、しらべとともに《過去》をはこんでくる。
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つねに音楽が《過去》をはこんでくるわけではないし、甦らせるわけではないが、
たしかに《過去》をはこんでくることがあるし、甦らせることもある。
音楽は《過去》に光をあてている、ともいえるかもしれない。
その光は一条の光であり、一瞬の光でもある。
音楽によって、どちらの光は違ってくるのかもしれない。
どちらの光かによってはこばれてくる《過去》、甦ってくる《過去》は違ってこよう。
読み返しながら、こんなことを考えていた。