Archive for category 楽しみ方

Date: 11月 22nd, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その10)

自作のレベルはさまざまだ。
キットを購入して組み立てるのも自作であるし、
自分で設計し、部品を集めて加工して組み上げるのも自作である。

部品を買ってきて(集めて)、組み上げることを自作とすれば、
カートリッジをヘッドシェルに取りつけるのも、自作の第一歩だと考えている。

スピーカーのキットを組み立てるのと、
カートリッジをヘッドシェルに取りつけて、リード線をつなぐのは、
基本的に同じことと私は捉えているし、自作の基本でもある。

こんなことを書くのは、
インターネットのオークションやSNSなどで、
オーディオマニアのカートリッジの写真を目にする機会が増えたからである。

単売されていたヘッドシェルには取りつけネジが付属していた。
長さは一種類ではなく、三種類ぐらいは最低でもあった。

オーディオクラフトはBS5という真鍮製のネジとナットを製品として出していた。
そのころヘッドシェルの付属ネジは大半がアルミだった。
アルミと真鍮で音が同じならば、わざわざBS5を買う必要はないわけだが、
音は変る。だからBS5を買うわけだ。

BS5は長さの違う七種類のネジが入っていた。
花村圭晟氏が社長だったころのオーディオクラフトらしいアクセサリーである。

ヘッドシェルによってはネジが貫通するタイプがある。
この手のヘッドシェルだと、使い手の性格の一面が出る、と昔から思っている。

ネジの長さに無頓着な人が、意外に多い。
ネジ貫通型のヘッドシェルの場合、ナットを当然使うから、長すぎても取りつけられる。
けれどナットからネジがはみ出す部分が長すぎる。

なぜもっと短いネジを使わない(選ばない)のかと、その度思う。
ナットからネジがほんの少しだけ出ていればいいのに……、と思う。

見た目が悪いだけではない、
ナットからはみ出したネジは共振体でもある。

私がカートリッジの取りつけが自作の基本というのは、ここにある。
適切な長さのネジを選ぶことができないのならば、自作には向かない。

Date: 11月 6th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その9)

話が少し前後してしまうが、

瀬川先生の「オーディオの系譜」に「私の最初のLPプレイヤー」が収められている。
     *
 このプレイヤーと前後して、2A3PPのアンプを作った。2A3は新しい真空管ではなかったが、回路をアレンジして、その頃はまだ進歩的であったNFを適度にかけ、加えて、これも新しい回路のトーンコントロールをつけた。スピーカーは三菱ダイヤトーンのP100Fという一〇インチ(二五センチ)径のフルレンジ型。これが密閉型のエンクロージャーに入っていた。アンプの回路に多少の工夫をしたつもりだったので、これを雑誌『ラジオ技術』の読者の投稿欄(「マイセット」というタイトルがついていた)に投稿してみた。すると折り返し編集部の金井稔という署名で、アンプを見にゆきたい、と葉書が来た。秋のある日、金井氏と、皆川さんという白髪のカメラマンとが、私のあばら家を訪れて、アンプを見、写真に撮ったあとで、これは「マイセット」欄ではなく、ひとつ格が上の「読者の研究」欄に載せるから、原稿を書き直してくれ、といわれた。まだ一六歳で世間知らずだった私はすっかり有頂天になって、かなり調子の高い原稿を送った。けれどその原稿は、全面的に金井氏の手で書き直されて、ともかく私のアンプは写真とともに活字になった。これが、オーディオでものを書くきっかけを作ってくれたわけで、以後、私は『ラジオ技術』の執筆者として待遇され、それが縁になってのちにこの雑誌の編集者として入社することになるが、その話はここでやめにする。
     *
1951年のある日の出来事である。
その日のことをラジオ技術の金井稔氏が、書かれている。
ラジオ技術1982年1月号掲載の追悼文で。
     *
 1人の詰襟学生服の高校生が、ラ技の受付に立っていた。「こんな実体図を画いてみたのですが……。」
 当時、この種の読者は少なくなかったのだが、見ると2A3PPのシャシ裏実体図がきちんとスミ入れされてて画かれている。丸ペン、カラス口の引き方もよい。何よりも自分で作ったパワー・アンプの実体厨だから表現手法が気がきいている。これが大村君とのわがラ技編集部での初対面であった。
     *
金井稔氏の興味を惹いた実体配線図がなかったならば、
瀬川先生(大村少年)がラジオ技術編集部で働くことはなかったかもしれない。

Date: 9月 28th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(初歩のラジオが果してきたこと・その2)

この項を書くにあたって、
Wikipediaで、初歩のラジオのことを調べてみると、
1948年7月創刊で1992年5月休刊となっている。

休刊になっていたことは、なんとなく知っていた。
でも1992年なのが、意外に感じた。

私が読んでいたのは、そんなに長くはない。
1976年ぐらいから1977年いっぱいか、1978年になって読んでいたかどうかぐらいだ。
約二年間ほどか。

Wikipediaにも書いてあるが、電波新聞社からラジオの製作という、
いわばライバル誌が出ていた。

私が中学生の頃は、田舎の小さな書店であっても、
初歩のラジオもラジオの製作も、いつでも買えた。
置いていない書店はなかった、といえる。

なぜ初歩のラジオを選んだのかは、もう憶えていない。
ラジオの製作があったのは知っていた。
どちらを買おうかと迷ったはずだ。

誰かの薦めがあったわけではない。
書店で両誌を比較して初歩のラジオを選んでいる。

決めては紙基板の電子工作の記事だったのか。
ラジオの製作を買うことは、一度もなかった。

初歩のラジオについて書いていくのに、
ライバル誌のラジオの製作のことをまったく読んでおらず知らないのだから、
片手落ちのようなことしか書けないかもしれないが、
それでもあえて書こうと決めたのは、
以前書いたことと関係してくるからだ。

三年前、「松下秀雄氏のこと(その2)」を書いた。
そこで「土」という表現を使った。

初歩のラジオも「土」であった、と思ったから、書くことにした。

Date: 9月 28th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その8)

もうこの項は、思いつくまま書くことにした。
なのであちこちに話が逸れたり飛んだりすると思う。

1979年秋に、ステレオサウンド別冊「sound space 音のある住空間をめぐる25の提案」が出た。
この本の巻末には、日本全国の有名家具店が紹介されているページがある。

そこにIKEA(イケア)が載っている。
このころはIKEAがあった。

IKEAは1974年に日本に進出し、1986年に撤退している。
これは単なる偶然なのだろうが、
IKEAの第一次進出とオーディオのキットの時代は、重なっているようにも感じる。

IKEAの家具は完成品ではない。
購入者が自分で組み立てるのが原則である。
つまり家具のキットである。

部材だけでなく、組み立てに必要なネジや接着剤も入っているわけだから、
まさしくキットといえる。

IKEAは日本へ再進出している。
2006年に船橋に再進出一号店ができている。
続いて横浜市港北にもでき、その後もいくつもの店舗がオープンしている。
閉鎖した店舗もあるが、いまのところ順調のようだ。

撤退したころといまとでは何が変化してきているのだろうか。
IKEAの家具はいまもキットである。
いまのところIKEAがふたたび撤退することはなさそうである。
定着している、といえそうである。

IKEAの再進出とともに、オーディオにキットの動きはあるのだろうか。
個人サイトで自作アンプのプリント基板を頒布しているところはいくつかあって、
人気のアンプやD/Aコンバーターの基板はすぐに売りきれる、と聞いている。
プリント基板だけでなく、主要部品もつけている、いわば半キットもあるし、
人気があるようだ。

購入者すべてがすぐに組み立てるわけではないと思う。
いつか時間がとれたときに組み立てようと思って購入した人も少なくないだろう。

それでもいいと思う。
組み立てよう、組み立てたい、と思う気持があるということだから。

IKEAの再進出と同じように、オーディオのキットも定着していっているのだろうか。

Date: 9月 27th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その7)

雑誌は、時として読み捨てられる。
月刊誌だと年12冊。
一年分であれば保管場所はそれほどでもない。

でも雑誌好きの人は、いくつもの雑誌を講読するし、
何年、十何年、さらには何十年と講読し続けることもある。
そうなると保管場所の確保は、バックナンバーを捨てることにつながっていく。

どの雑誌を捨てるか、どの時期のものを捨てるのか。
こんなことやりたくないけれど、やらざるをえない事情だってある。

私も夢中になって読んできた雑誌の大半は処分せざるをえなかった。
そうすることで、そこに載っていた記事も忘れ去られていく運命にある、ともいえる。

本棚におさまっていても、二度と開かれることがなければ、
記事は忘れ去られていく。

けれどインターネットの記事は、その点で違う。
かなり残っていく。
Googleという優秀な検索エンジンがあるおかげで、
キーワードによっては、忘れ去られても不思議でない記事、
忘れ去られた方が好都合の記事まで浮上させてくる。

このことを怖いと思わない編集者、書き手がいるからこそ、
なぜ私は、絶縁トランスを「手作り」しようと思ったのか〟が残ったままなのだし、
この記事を恥ずかしいと思わないのだろう。

初歩のラジオについて、改めて書こうと思ったのも、
〝なぜ私は、絶縁トランスを「手作り」しようと思ったのか〟を見つけたからでもある。
このインターネットの記事と、初歩のラジオという雑誌の対比がきっかけとなっている。

Date: 9月 27th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(初歩のラジオが果してきたこと・その1)

BCLが、その昔流行っていた。
BCL(Broadcasting Listening / Listeners)と聞いて、
私もやっていた、という人と、BCLってなんですか、という人、
いまでは後者のほうが多いのだろうか。

ベリカードが私も欲しくてラジオを買った。
小遣いを貯めて、東芝のラジオを買った。
初歩のラジオを読み出したのも、BCLブームがあったからである。

初歩のラジオは無線と実験と同じ誠文堂新光社が出していた。
さきほどWikipediaで調べたら、
1992年に休刊されているのを知ったぐらいだから、
ずいぶんと手にしていなかった。

初歩のラジオから、無線と実験、ラジオ技術に移っていったのは、
オーディオにのめり込んでいったからだ。

でも初歩のラジオと誌名にも関わらず、
記事のすべてが初歩のレベルではなかった。

電子工作といえるレベルから、シンセサイザーの自作記事まで、
驚くほど広かった。

私が買っていたころは、紙基板が付いていた。
配線が印刷された二枚の厚紙をエポキシ接着剤でくっつけて、
部品のリード線を通す穴にハトメをつけて、基板ができる。
これに買ってきた部品を取りつけての電子工作であり、
私がハンダゴテをにぎった最初のモノでもある。

ちなみに暗いところにもっていくとLEDが光る電子工作だった。

Date: 9月 27th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その6)

先日「トランス 自作」というキーワードで検索していた。
上位の検索結果に〝なぜ私は、絶縁トランスを「手作り」しようと思ったのか〟というのが、
表示された。

私が求めている内容かも、と思い、リンク先をクリックした。
某出版社のサイトだった(あえてぼかす)。
この時点で、どの程度の記事なのかはおおよそ想像がついたけれど、
一応最後まで読んだ。

想像を少しも超えていない内容だった。
この記事を書いている木村雅人氏がどういう人なのか、まったく知らない。
記事のタイトルも、木村雅人氏自身がつけたのだろうか。
そんな気はする。

〝絶縁トランスを「手づくり」〟とある。
なぜ、わざわざ自作ではなく手づくりとしたのか。
さらには鉤括弧までついている。強調したいわけである。

だから、私は絶縁トランスそのものを自作する記事だと期待したわけだ。
実際は市販のトランスを買ってきて、適当なケースに収めただけだった。

もちろん、そこから得られるものがきちんとあれば、
思わせぶりなタイトルもわからないわけではない。

そこにはノウハウのかけらも読みとれなかった。
漏洩磁束について、わずかに触れられているが、
ならば100V:100Vの絶縁トランスではなく、200V:200Vの絶縁トランスを買ってきて、
あえて100Vを使うべきである。
この使い方の方が漏洩磁束は減るし、トランスのうなりも抑えられる。
ただし銅損が大きくなるため、容量はさらに見込む必要はある。

それでも電源関係のトランスの使いこなしのひとつとして、
以前から知られていることでもある。
でも、このレベルのことも、記事にはない。

さらに使用されている絶縁トランスはEI型コアである。
EI型であれば、漏洩磁束もX軸、Y軸、Z軸でそれぞれ違う。
もっとも磁束の強いのはどの方向なのかの記述もないし、
そんなことを考えずにシャーシーに収めているだけである。

他にも指摘できるところはあるが、このへんにしておく。
言いたかったのは、
お粗末なモノをつくるのが、手づくりではないはずだ、ということ。

Date: 9月 27th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その5)

ラックスキットのマニュアルを数点、インターネットで公開されている人がいる。
当然のことだが、ラックスキットのマニュアルには実体配線図が載っている。

どんな文章よりも、一枚の実体配線図が語るものは多いし、大きい。
マニュアルはモノクロだから、実体配線図もモノクロ。
いわば線画である。

実体配線図は、初歩のラジオについていた。
中学生のころ読んでいた。
初歩のラジオの実体配線図もモノクロの線画だった。

だから色鉛筆で、配線一本一本に色を塗っていた。
最初はいわば塗り絵でしかなかった。
けれどやっていくうちに、色分けするようになってきた。
電源ライン、信号ライン、アース関係と色分けしながら、色鉛筆で塗っていく。

小遣いが足りないから、つまり作りたくともそのための予算がないから、
こうやって塗って楽しんでいた。
塗っていくことで勉強になる。無駄ではなかった。

ラックスキットの中でも真空管のパワーアンプは、
プリント基板が使われていないから実体配線図が重要である。

実体配線図を描くのは、けっこう手間がかかる。
私も描いたことがある。
伊藤先生のアンプの内部写真をみながら、実体配線図を描いた。

つくるには、お金がかかる。
いいモノをつくろうとすれば、それだけの予算を必要とする。
すぐには取りかかれないことも、時としてある。
それでもやれることはある。

真空管アンプならば、実体配線図を描くということがある。

Date: 9月 26th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その4)

BOSEbuild Speaker CubeとパイオニアのPIM16KTを対比させながら、
書いていこう、と最初は考えていた。

けれど(その2)からいきなり話が逸れてしまっている。
逸れてしまって思ったことがある。

製品についていくるマニュアルのことだ。

完成品のオーディオ機器にもマニュアルはついてくる。
海外製品ではついてこないモノはあるようだが、
国内製品でついてこないということは、まずない。

当然ラックスキットにもマニュアルはついている。
そのマニュアルは完成品とのマニュアルとは違うものだ。

例えばラックスのCL32とラックスキットのA3032は同じ内容・外観のアンプだが、
CL32は完成品で、A3032はキット。

A3032を完成させれば、CL32のマニュアルが必要になるが、
その前にA3032のマニュアル、完成させるためのマニュアルが必要である。

いったいどういうマニュアルだったのだろうか、といまごろ思っている。
いいかげんなマニュアルではなかったはずだ。

いいかげんなマニュアルでは、アフターサービスがさらに大変になるから、
親切丁寧なマニュアルだったように思う。

ラックスキットにはさまざまなキットがあった。
コントロールアンプ、パワーアンプ、プリメインアンプ、
それも真空管もあればソリッドステートもあった。

これらの製作マニュアルは、これから何かをつくろうとしている人にとって、
良い教科書になるのではないだろうか。

ラックスはラックスキットのマニュアルを公開してくれないのだろうか。

Date: 9月 26th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その3)

事実は小説よりも奇なり、とはよくいわれることである。
ラックスキットのアフターサービスはたいへんだろうな、という私の想像を、
現実ははるかに上廻っていたことを、さきほど知った。

facebookに(その2)へのコメントがあった。
そこにはリンク先があった。

AV Watchの記事へのリンクで、記事のタイトルは
52年前のアンプも復活!“末永く使う”視点で探るオーディオの魅力。ラックスマン修理現場に潜入」。

約二年前の記事だ。
先ほど読み終えたが、実におもしろかった。

修理という現場の大変さ、と、
そこにいる人たちのプロフェッショナルぶりが伝わってくる。

ラックスキットの話も、当然出てくる。
このところだけ引用しておこう。
     *
-修理に運び込まれる機器の中で、特に強敵というか、修理が難しかった製品はありますか?

土井:特にこの製品というのは無いですね。あえて言えば、アンプを自作するキットも販売していたので、キットの修理は強敵でしたね。お客様が作ったものを修理するわけですから、そもそもキチンと完成しているのかわからない状態から直さねばなりません。

 ケースを開けたらまず蜘蛛の巣のようなグチャグチャな配線があって(笑)、普通は抵抗パーツの足を短く切ってハンダ付けしますが、切らずに長い足のまま取り付けられていて、しかもハンダ付けではなくボンド付けというのもありました。ケース開けたら基板が全部ボンドで黄色いんですよ。思わず「これ、音出ていましたか!?」って聞いたら、「初めは出ていましたよ」と(笑)。ボンドでも最初は接点が繋がっていますが、だんだん電気が通らなくなるんです。もうこうなると、全部ハンダ付けからやり直し、キットの作り直しですよね。お客様から「もうこのキットはあげます。新しいのを買います」と言われたこともあります。
     *
ハンダ付けではなく、ボンド付け。
しかもリード線を切らず、にである。

このレベルがあるとは想像できなかった。
どんな人であっても、うまい下手はあっても、ハンダ付けだけはなされているものだと思っていた。

キットは、自分で部品を集めるわけでもないし、
回路を設計するわけでもない。図面を引くわけでもない。
だから、プラモデルみたいなモノだと小馬鹿にする人もいるけれど、
キットはそういう見方をするものではない。

とはいえ、ボンド付けでは、まさしくプラモデルみたい、としかいいようがない。
ラックスのサービスマンは、こういうレベルで組み立てられたモノでも、
一から修理をしようとする。修理不能でことわってもいいだろうに……、と思うけれど。

AV Watchの、この記事(インタヴュー)は、
他にも引用したいところがいくつかある。
リンク先の記事をぜひ読んでほしいので、このへんにしておく。

昔マークレビンソンのアンプとモジュール構成が話題になっていた時期、
マッキントッシュのアンプ内部を、エポキシ樹脂で充填してしまったユーザーがいた、
という話をエレクトリの人から聞いている。

これも修理したそうである。

Date: 9月 26th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その2)

以前はさまざまなキットがあった。
スピーカーからアンプ、アナログプレーヤーなど、という意味でのさまざまなキットと、
ハンダ付けができれば完成する簡単なモノから、
マランツのModel 7、Model 9といった、
ベテランでも完成させるのが難しいレベルのモノまで、という意味でのさまざまなキットである。

このころは税制がいまとは違っていて、
完成品にかけられる税があって、キットという未完成品には税が免除されていた。
そういうこともあって、キット専門のメーカーもあったくらいだ。

日本ではKE(京浜電子工業)、ケンクラフト(トリオ)、ラックスキット(ラックス)、
クリスキット(ユナイト)、SSL(ステレオサウンド)などが、
キット専門ブランドとしてあった。
これら以外に、アイデン、コーラル、ダイヤトーン、フォステクス、マイクロ、オンキョー、
パイオニア、タマサウンド、タムラ、テクニクス、ビクターなどもキットを販売していた。

海外ではヒースキットがキット専門ブランドで、ソニーサービスが輸入していた。
ダイナコ/ハフラーは有名だし、
ブラウン、グッドマン、KEF、ピアレスもスピーカーキットを出していた。

中でもラックスキットが、キットには関しては圧倒的に積極的だった。
製品数も多かったし、アンプだけでなく、アナログプレーヤーもあったし、
真空管のエレクトリッククロスオーバーネットワークもあった。
キットでしか出ていないモデルがあった。

当時は、ラックスキット、よくやってくれている、ぐらいに思っていたが、
アフターサービス面では、完成品よりも場合によっては手間も時間もかかることが発生する。

ラックスキットを購入したことがないので、
どの程度までアフターサービスでカバーしてくれるのか実体験としてはないが、
ラックスキットのアフターサービスが悪かったというウワサは聞いていないし、
むしろいいということを聞いたことがある。

キットをつくる人のレベルもさまざまだ。
プロを超える人もいれば、
ハンダ付けの技術も未熟な人が、いきなりレベルの高いキットに挑戦したりもするわけで、
そういう例であってもアフターサービスするのは、
完成品を組み立てるよりも大変なことは、容易に想像できる。

Date: 9月 25th, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その1)

今年6月にBOSEからBOSEbuild Speaker Cubeが出た。

ニュース系サイトのいくつかで記事になっていた。
ほとんど記事にもあったように日本では発売されていない。
でも検索すれば、いくつかのところで取り扱っている。

BOSEbuild Speaker Cubeのことは、すぐにでも書こうと思ったけれど、
どんなふうに書こうか考えているうちに、
そういえば、と思い出したキットがあった。

パイオニアが1974年か1975年ごろに出したPIM16KTである。
古くからのオーディオマニアならば、型番から、どんな製品(キット)なのか想像がつく。

PIM16KTは、16cm口径のダブルコーン・フルレンジユニットPIM16のキット版である。
スピーカーシステムを自作するためのキットではなく、
スピーカーユニットを自作するキットである。

価格は1975年の時点で1,720円、PIM16Aは2,600円。
1979年には2,100円、PIM16Aは2,600円で変らず。

このくらいの価格であれば中学生だった私にも買える。
買おうかな、と考えた。
けれどキットが2,100円で、
500円(二本だから1,000円だが)足すと完成品のPIM16Aが買える。

PIM16KTはPIM16Aをバラバラにしたものだった。
振動板、ダンパー、ボイスコイル(ボビン)、センターキャップ、フレーム、磁気回路、
ガスケット、ネームプレート、マグネットカバーなどからなる。

作業はほとんどが接着なのだが、正確に組み立てる自信がなかった。
PIM16Aよりもかなり安かったら手を出していたかもしれないが、
価格差がほとんどない、ということ、PIM16Aをそれほど欲しいとも思っていなかったので、
結局買わなかった。
いま思えば、買っておけばよかった、と後悔する気持がちょっぴりある。

Date: 1月 15th, 2016
Cate: 楽しみ方, 老い

オーディオの楽しみ方(天真爛漫でありたいのか……・その1)

約一年前に「オーディオの楽しみ方(天真爛漫でありたい……)」を書いた。

一年間、毎日何かを書いてきて、天真爛漫でありたいのか……、と思うようになっている。
そして思い出している黒田先生の文章がある。

ステレオサウンド 59号掲載の「プレスティッジのマイルス・デイヴィスのプレスティッジ」だ。
最後に、こう書かれている。
     *
 マイルス・デイヴィスの音楽は、自意識とうたおうとする意思の狭間にあった。あった──と、思わず過去形で書いてしまって、自分でもどきりとしているところであるが、これからのマイルス・デイヴィスにそんなに多くを期待できないのではないかと、そのことを認めたくないのであるが、やはりどうやら、思っているようである。少し前から、マイルス・デイヴィスのうちの、自意識とうたおうとする意思のバランスがくずれて、彼は自意識の沼に足をとられておぼれ死にかかっている。
 そのことに気づいたのは、今回、あらためて、プレスティッジの十二枚をききかえしたからである。一九五一年から一九五六年までの五年間にうみだされた十二枚のレコードは、さしずめ、マイルス・デイヴィスの「ヴェルテル」であった。マイルス・デイヴィスの「ドルジェ伯の舞踏会」といわずに、マイルス・デイヴィスの「ヴェルテル」といったのは、まだかすかにマイルス・デイヴィスの「ファウスト」を期待する気持があるためであろう。
 しかし、いま、マイルス・デイヴィスに「ファウスト」が可能かどうかは、さして問題ではない。問題は、プレスティッジの十二枚をマイルス・デイヴィスの「ヴェルテル」と認識できた、そのことである。あそこではプライドが前進力たりえた。五十才をすぎた男にも、プライドを燃料として前進力をうみだしうるのであろうか。中年の男にとって、自尊心、あるいは自意識は、怯えうむだけではないのか。失敗したくない。つまらないことをして、しくじって、みんなに笑われたくない。そのためには、一歩手前でとりつくろえばいいとわかっていても、プライドがそれを許さない。いまのマイルス・デイヴィスは、自尊心と自意識の自家中毒に悩んでいるのかもしれない。
 現在のマイルス・デイヴィスをウタヲワスレタカナリヤというのは、いかにもきれいごとの、気どったいい方である。もう少しストレートな表現が許されるなら、このようにいいなおすべきである、つまり、現在のマイルス・デイヴィスは直立しない男根である一方に、男根を直立させつづけ、しかもおのれの男根が直立していることを意識さえしていないかのようなガレスピーが、のっしのっしと気ままに歩きまわるので、マイルス・デイヴィスという不直立男根が、すべてのことが萎えがちなこの黄昏の時代のシンボルのごとくに思われ、不直立男根は不直立男根なりに意味をもってしまう不幸をも、マイルス・デイヴィスは背負っているようである。
 ひさしぶりにプレスティッジのマイルス・デイヴィスをきいていて、ああ、マイルス! これがマイルス・デイヴィス! と思ったが、考えてみると、このところずっと、ディジィ・ガレスピーのレコードをきくことの方が多かった。ガレスピーは、考えこんだりしない。深刻にならない。永遠のラッパ小僧である。あのラッパ小僧の磊落さ、生命力、高笑いは、マイルス・デイヴィスには皆無である。であるから、マイルス・デイヴィスはいまつらいのであろうが、ききては、それゆえにまた、マイルス・デイヴィスの新作をききたいのである。二十年前の演奏をきいて、その音楽家のいまに、あらためて関心をそそられるというのは、これはなかなかのことで、プレスティッジのマイルス・デイヴィスのプレスティッジ(威光──、原義は魔力・魅力)が尋常でないからであると判断すべきであろう。
     *
ディジィ・ガレスピーのごとく、オーディオを楽しむことこそが、
天真爛漫でいることなのだろうか。

黒田先生はかなりストレートな表現をされている。
《男根を直立させつづけ、しかもおのれの男根が直立していることを意識さえしていないかのようなガレスピー》
そう書かれている。

一方のマイルスを、《直立しない男根》であり、
《すべてのことが萎えがちなこの黄昏の時代のシンボルのごとくに思われ》る、と。

59号は1981年に出ている。
いまから35年前である。

いまは21世紀である。
20世紀末ではない。
その意味での黄昏の時代ではないけれど、別の意味での黄昏の時代なのかもしれない。

Date: 5月 23rd, 2015
Cate: 楽しみ方

想像は止らない……(その1)

オーディオの楽しみの、少なからぬ部分は想像だと思っている。

オーディオに興味を持ち始めたばかりのころ、
ステレオサウンドの記事を読んでは、
そこに登場しているオーディオ機器の音を想像していた。

どのスピーカーが自分に合うのだろうか、アンプは……、カートリッジは……、と想像する。
オーディオはコンポーネントだから、組み合せなければ音は出ない。
だから組合せもあれこれ想像する。

組合せを想像しては、どんな部屋が似合うだろうか、とまた想像する。
どういう置き方をしたらいいのか、具体的なことも想像してみる。

とにかくオーディオに関する想像は始めたら終りがない、ともいえる。

想像はそれだけではなく、こんなことも10年以上前から想っている。
洋楽にはカバーアルバムというのがある。
ならばオーディオ機器にも、カバーモデルというのがあってもいいじゃないか、とおもう。

カバーモデルとは、あまりいい語感ではないから、オマージュモデルとでもいおうか。
そういうモデルが登場してきてもいいのではないか。

たとえばJBLのパラゴン。
パラゴンのオマージュモデルを、他のメーカーが出すということを想像していた。

いまはもう創業者のフランコ・セルブリンが離れ、
しかもフランコ・セルブリンが亡くなってしまっているからもう望めないが、
フランコ・セルブリンがいたころのソナスファベールがパラゴンのオマージュモデルをつくったら……。
パラゴンのオマージュモデルということで、まっさきに浮んだのはこれだった。

Date: 2月 5th, 2015
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(持っているものをとにかく楽しむ)

ここ数年、CD登場初期の国産CDが再評価されてきている。
おもにCBSソニーの初期のCDがそうであるようだ。
中古店でもけっこうな値段がついているのを見たことがある。

その後、さまざまなリマスター盤が登場するようになる。
CBSソニーはジャズではマイルス・デイヴィス、クラシックではグレン・グールドという、
熱心なファンを抱えている演奏家がいる。

私もそうだが、グールドのリマスター盤が出たとなると、
またか……、と思いつつも、手を伸ばす。
マイルスのファンの知人も同じことをいっていた(やっている)。

決定盤となるようなことをせずに、小出しにしながら、
何度も同じファンに売りつける商売をやり続けている。

ほかのレコード会社も、ここまでひどくはないが、同じようなことはやっている。
だからどうしても手元に同じタイトルのディスクが複数ある。

同じであれば一枚にしぼれるが、音は違う。
同時期の輸入盤とは国内盤でも音は違う。
ここで、喧噪せるマニアの群れあり、となる。

初期CDがいい、
いや、何回目のリマスターCDこそいい、とか。
とにかく白黒つけたがる人が多いように感じる。

私も20代のころは、そんなことにやっていた。
ケイト・ブッシュのイギリス盤のCDはプレス工場が、私が購入したモノでは三ヵ所あった。
同じ音がするとはいえなかった。
だから、どれがいちばんいいのか、聴き較べていた。

これはこれで楽しい行為でもある。

でも40が目前となったころから、どれがいちばんいいのかを判断するのもいいけれど、
同じ音がするモノはこの世にはふたつとない、
だからそれぞれの音を楽しもう、というほうにスライドしていった。

アナログディスク再生には柔軟性がある、と書いた。
けれど、これだけ豊富なリマスター盤が入手できるのだし、
二、三枚のリマスター盤を持っている人は多いはず。

ならばその時々の自分の感覚に応じて、
どのリマスター盤を選ぶのか(鳴らすのか)を決めるのもいように思う。