Archive for category デザイン

Date: 2月 26th, 2023
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(続ヤマハのヘッドフォン)

五年ほど前に、ヤマハのヘッドフォンのデザインに違和感を覚える、と書いている。
そのころのヤマハのヘッドフォンは、ハウジングのところに、
大きくヤマハのマークが入っていた。

遠くから見ても、はっきりと、すぐにヤマハのヘッドフォンとわかるくらいに、
大きくロゴがあった。

五年前に書いているのだが、
そのころのヤマハのヘッドフォンと同じように、
ロゴやマークが大きく入っているヘッドフォンは他社製でもけっこう多くあった。

それらの製品は、それでもいいと思っている。
ヤマハのヘッドフォンは、そうであってほしくない──、
これは完全に個人的なおもいいれでしかないのもわかっている。

1970年代からのヤマハのヘッドフォンを見てきている世代にとって、
マリオ・ベリーニによるデザインのHP1、
ポルシェデザインのYHL003は、印象に残っている。

なにも外部にデザインを依頼しろ、といいたいのではない。

こちらが勝手に思い描いているヤマハの印象にそうデザインのヘッドフォンを出してほしい、
ただそれだけなのだが、
そういう製品がメーカーから発売になることは、そう多くはない。

今回、ヤマハからワイヤレスヘッドフォンが発売になった。
YH-L700AとYH-E700Bである。

どちらのヘッドフォンも、五年前のヤマハとはまったく違っている。

Date: 11月 5th, 2022
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(オーディオによるデザイン)

「オーディオのデザイン、オーディオとデザイン」をテーマに書いているけれど、
書きながら、「オーディオによるデザイン」について考えていかなければならない。
ここにきて、そうおもうようになってきた。

Date: 5月 22nd, 2022
Cate: デザイン

日米ヒーローの造形(その5)

「シン・ウルトラマン」を映画館で観て、ほんとうにそうだ、と感じたのは、
その4)でも書いているように、
ウルトラマン(着ぐるみ)でないウルトラマン(CGI)の立ち姿は、
仏像そのものであるということ。

着ぐるみに人が入っていて演じていては、絶対に実現できなかった姿である。

仮に、アメリカの映画会社がウルトラマンをCGで作り出したとしても、
こういうふうには描かないはずだ。

「シン・ウルトラマン」は、日本でこその造形だ、と思うだけでなく、
最近のハイエンド・オーディオと呼ばれる製品のデザインを見ていると、
正反対の世界であるだけでなく、醜悪の方向に向っているようにも感じてしまう。

このことは、日本のオーディオだけでなく、欧米のオーディオ機器を見ても、
そう感じる。

Date: 3月 17th, 2022
Cate: デザイン

日米ヒーローの造形(その4)

月曜日に、映画「ザ・バットマン(THE BATMAN)」を観てきた。
今日、5月から公開の「シン・ウルトラマン」の新しい映像が公開になった。
ウルトラマンの後ろ姿である。

いろんな意味で対照的だな、と思い、
その3)からあいだが空いてしまったけれど、また書き始めている。

「シン・ウルトラマン」に登場するウルトラマンは、
ウルトラマン(着ぐるみ)ではなくウルトラマン(CGI)である。

そのことがあって、というか、そのための、というべきなのだろうが、
ウルトラマンのデザイナーである成田亨氏の元のデザインそのもの、といえる。

ウルトラマン(着ぐるみ)にあった着脱に必要なファスナーを隠すための背びれがない。
カラータイマーもない。

それだけでない体型そのものが、人間のようでいて、人間と違っている。
後ろ姿を見ると、よけいにそのことを感じる。

なにか似ている──、と思いつつ、
シン・ウルトラマンの後ろ姿が公開になったことを友人のAさんに伝えると、
「仏像のような雰囲気ですね」という返事があった。

たしかに、そうだ。
仏像のようなシルエットである。

仏像のようなシルエットのウルトラマンが、怪獣と戦うのか。

Date: 12月 30th, 2021
Cate: デザイン

簡潔だから完結するのか(その6)

私が熱心に読んでいたころのステレオサウンドには、
若いころ、オーディオのいろんなことに挑戦してきた人が、
ある年齢に達してからは、高能率のスピーカー(ラッパ)と直熱三極管のシングルアンプの組合せ。

これが一つのオーディオの「あがり」のように、
音楽を楽しまれているオーディオマニアの方が登場していた。

私がまっさきに思い出すのは、(その4)で触れている長谷川氏である。
ステレオサウンド 54号の「スーパーマニア」に登場されている。

長谷川氏のリスニングルームの写真を、十年ほど前に、
別のオーディオ雑誌でみたことがある。
JBLのパラゴンを鳴らされていたころの写真だ。

長谷川氏は「スーパーマニア」の本文を読んでもらえばわかるように、
まさしくスーパーマニアと呼べる人である。

ハイエンドオーディオ機器を一式揃えて鳴らしているから、といって、
その人をスーパーマニアと呼べるとは限らない。

その長谷川氏が、「あがり」として、
シーメンスのオイロダイン、伊藤先生製作のアンプ、EMTの927Dstである。

このスタイルが、すべての人にとっての「あがり」となるわけではない。
長谷川氏にとっての「あがり」であり、
長谷川氏にとっての「あがり」とは、耳に近い音の実現ではなく、
心に近い音を鳴らすことだった──、
今年になって、そうおもうようになった。

Date: 8月 5th, 2021
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その11)

amazonがKindle Unlimitedのサービスを開始したとき、
ラインナップにそれほど魅力を感じずに、利用しようとは思わなかった。

それからずいぶん経って、今年になって、友人からステレオサウンドが、
Kindle Unlimitedで読めることを聞いた。
ステレオサウンド以外にオーディオアクセサリーも読めるし、
レコード芸術もある。

契約しようか、と思っていたところに、最初の二ヵ月間99円で利用できるキャンペーンが始まった。
なので先月から利用している。

ステレオサウンドも、四冊分読んだ。
217号のベストバイのところを読んでいて、
ここで書いている(取り上げている)ヤマハのコントロールアンプのC5000のところで、
目が留まった。

黛健司氏が書かれている。
《このデザインのオリジナルは1973年に登場したCA1000プリメインアンプで、和の洗練の極みと言いたいテイストに衝撃を受けた》
とある。

私はC5000のデザインは、コントロールアンプとしてのデザインではなく、
プリメインアンプのデザインだと書いていたのは、的外れなことではなかった。

いわれてみるとCA1000に似ているといえばそうなのだが、
C5000を見て、CA1000を思い浮べたことはこれまでなかった。

私がオーディオに関心をもったころには、すでにCA1000はCA1000IIIになっていた。
CA1000にメーターはなかった。
CA1000IIもメーターなしだったが、III型になり、メーターがつくようになった。
CA2000と共通のデザインでもある。

なのでCA1000といえば、私にはCA1000IIIの印象である。
今回、CA1000の写真を見較べた。

私には、CA1000IIIからメーターを外したデザインというふうに映った。

Date: 4月 15th, 2021
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その32)

オーディオ機器のデザインについて考え語るときに、
忘れてはならないのは調和ということのはずだ。

オーディオ機器は、何度も書いているように、単体で成り立つわけではない。
アンプが一台あったところで、それだけで音が鳴らせるわけではない。
スピーカーにしてもそうだ。
スピーカーだけでは、そこから音は鳴ってこない。

つまるところオーディオはオーディオ・システムにほかならない。
だからこそ、オーディオ機器のデザインで特に重要となるのは、調和だと思うようになった。

ならばプレーヤーからアンプ、スピーカーシステムまで、
ワン・ブランドで揃えるのが、調和もとれて素晴らしいのか、となると、
オーディオ・システムの調和とは、それぞれに個性あるモノを集めての調和を求めたい。

この項で、ずんぐりむっくりのアンプのことを取り上げている。
アキュフェーズのE800にしても、
少し前のラックスのアンプ、それからテクニクスのSU-R1000もずんぐりむっくりだ。

皮肉めいたことをいえば、ずんぐりむっくりのオーディオ機器がこれからも登場し、
誰も苦言を呈することなく、それがあたりまえのようになってしまったら、
それはそれで調和がとれるようになるのかもしれない。

調和を求めたいからこそ、
オーディオ・システムのデザインの中心ということを考えるわけだ。

Date: 10月 24th, 2020
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その31)

アキュフェーズのE800のずんぐりむっくりは、すんなり受け入れられているようである。
私がみた範囲で、E800のずんぐりむっくりしたプロポーションに、
否定的なことを書いているオーディオ評論家はいなかった。

そうだろうな、と思いつつも、
その一年後に、今度はテクニクスから、ずんぐりむっくりのプリメインアンプが登場した。
価格的にも、ずんぐりむっくり的にもE800のライバル機種といえる。

数年前までのラックスの、ずんぐりむっくりに対しても、
オーディオ評論家は、何も言わなかった。
擁護する発言をする人はいたけれど。

音さえよければ──、という考えが、そこにはあるのだろうか。
ガレージメーカーの製品であれば、
それもデビュー作であったりすれば、しかたないかも……、とまだおもう気持はあるが、
ずっとオーディオメーカーである会社が、
恥ずかしげもなく、ずんぐりむっくりのまま市場に出してくる。

誰も何もいわなければ、ずんぐりむっくりのまま市場に送り出す方がラクだ。
それでいて、デザインにも配慮した、みたいなことをいう。

デザインに関しては、音のためにすべて犠牲にしました──、
そんなことをいったりはしない。

そして、今回のテクニクスのプリメインアンプのずんぐりむっくりに、
何もいわないオーディオ評論家ばかりなのだろう。

Date: 4月 22nd, 2020
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(シルバーのヤマハ C2・その4)

CT7000のポジションに関しては保留するとして、
ヤマハのカセットデッキはどうだろうか。

マリオ・ペリーニによるデザインのTC800は除外する。
その後のヤマハのカセットデッキで本格的なモデルといえば、K1である。

1979年当時、95,000円と10万円を切る価格であっても、
ヤマハのカセットデッキのトップモデルであった。
そして、ここでK1を取り上げるのは、もう一つ理由があって、
シルバーパネルのK1だけでなく、ブラックパネルのK1Bも用意されたからだ。

このことはCA2000、CA1000IIIといっしょに使ってほしいカセットデッキであるだけでなく、
C2との組合せも考えてのカセットデッキなのではないのか。

K1が登場したころには、C2はC2aになっていた。
シルバーパネルのC2は、C2aではない。

いつごろ作られたのか、はっきりしないのだが、
CT7000、K1との組合せを考慮してのシルバーパネルだった可能性もなくはない。

アンプとチューナーの組合せといえば、
ついアンプを先に、というか中心に考えがちだが、
プログラムソースの機器として、コントロールアンプよりも上流に位置しているだけに、
チューナー、カセットデッキの仕上げに、アンプをあわせる、という考えもできる。

そんなふうにしてできあがってきたのがシルバーパネルのC2なのかもしれないし、
ここに書いているようなこととはまったく無関係に出てきたのかもしれない。

Date: 4月 22nd, 2020
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(シルバーのヤマハ C2・その3)

C2、B2時代のヤマハは、くり返すが、
プリメインアンプのパネルはシルバー、セパレートアンプのパネルはブラックと分けられていた。

普及機のプリメインアンプCA-V1とペアとなるチューナーCT-V1は例外的にブラックだったのは、
若者向けを狙ってのことだった。

この時代のチューナーにT2がある。
型番からわかるようにC2とペアになるチューナーである。
パネルサイズも同じだし、ブラックである。

もちろん単体のチューナーと優秀であっただけに、
他社のアンプと組み合わせたり、
ヤマハのアンプとであっても、プリメインアンプとの組合せもあっただろう。

それでもデザインからいえば、T2とC2とペアになるモデルであることに変りはない。
そうやってチューナーのパネルの色をみれば、
CT1000は、プリアンプのCA2000、CA1000IIIとの組合せを前提としたモデルであることは、
価格的にもそういえる。

ではCT7000は、どうなるのか。
当時のヤマハの最高級チューナーであった。

シルバーのフロントパネルの本体を、木製のキャビネットに収める構造である。
見た目的にはCA2000、CA1000IIIに共通するといえるけれど、
造りはずっと手間もお金も賭けられているものだ。

CA2000よりも、CT7000は高価だった。
CT7000はヤマハのチューナーの位置づけからいえば、
コントロールアンプのCIとのペアを想定していたのかもしれない。

けれどできあがった製品は、CIとはまるで違う雰囲気に仕上がっている。

Date: 3月 27th, 2020
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(シルバーのヤマハ C2・その2)

シルバーのヤマハのC2は、どうやら海外輸出用モデルのようだ。
パワーアンプのB2もシルバーモデルがあることが、Googleで検索してくれた人が教えてくれた。

海外向けはシルバー(もしくはブラック)で、
国内向けはブラック(もしくはシルバー)という例は過去にも現在でもある。

けれど吉祥寺のハードオフのサイトで公開されている写真をみると、
国内向けのモデルだということがわかる。

リアパネルは通常のC2同様ブラックで、
おそらく底板もブラックであろう。

ということは、外装だけを海外向けのシルバーに換装したのだろうか。
個人でもやれるだろうが、そういうモデルなのだろうか。

ヤマハが、特別に海外向けモデルの外装を使ったシルバーモデルのような気がしてならない。
もしかするとシルバーモデルも併売するつもりだったのかもしれない。

一台作ってみて、オーディオ評論家のところをまわって、
感想、意見を聞いて、いけるという判断をしたのならば、シルバーモデルが出ていたのかもしれない。

けれど、あまり芳しくなかったのか。
日本向けにはシルバーモデルは販売されなかった。

Date: 3月 26th, 2020
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(シルバーのヤマハ C2・その1)

吉祥寺のハードオフに、いまヤマハのC2がある。
ヤマハのC2は、C2a、C2xと続いたロングセラーモデルであるし、
ベストセラーモデルともいっていいくらい、
昔から中古を扱うオーディオ店でみかける。

C2はあきらかにマークレビンソンのJC2に刺戟を受けている。
それでもJC2がトーンコントロールやフィルターを省略したのに対し、
C2はトーンコントロールを備えているところが、
ヤマハというメーカーの良心のようなものが顕れている、とも思う。

中学生のころ、
マークレビンソンのアンプは遠い憧れのモデルだっただけに、
「いつかはマークレビンソン」の前の段階として、いつかはヤマハのC2というおもいがあった。

ヤマハの、このころのプリメインアンプはシルバーパネルで、
セパレートアンプはブラックパネルだった。

ところが、吉祥寺のハードオフにあるC2はシルバーモデルである。
facebookを見ていて、初めて、こういうモデルが存在していたことを知った。

C2のシルバーモデルが存在していたなんてことは、いままでまったく聞いたことがない。

なにかの記念でつくられたモデルなのだろうか。
この時期のヤマハのセパレートアンプにシルバーモデルがあったということは、
ヤマハのデザインについて書いていく上で無視できない存在となってくる。

Date: 12月 29th, 2019
Cate: デザイン

粉飾した心とデザイン

粉飾した心のみが粉飾に動かされる──、
とは小林秀雄が「様々な意匠」のなかで語っていたことと記憶している。

《粉飾した心のみが粉飾に動かされる》は、
オーディオのデザインだけに限っても、そのままあてはまる。

粉飾した心には、デザインはまったく響かないのかもしれない。
粉飾した心を動かすものをも、いまではデザインとひと括りにしているのではいのか。

Date: 12月 28th, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その30)

とあるオーディオ店で、アキュフェーズのE800が使われていた。
E800もプリメインアンプとしては相当に高価なモデルなのだが、
E800が鳴らしていたスピーカーシステムは、さらに高価な、
相対的にはE800が普及クラスのプリメインアンプとなるほどのモデルだった。

このスピーカーシステムは、数箇所で、数回聴いている。
最初に聴いたのは数年前だった。
感心したことはなかった。

なのにE800での音は、好ましい鳴り方をしていた。
E800だけが、そのシステムのなかではいちばん安くて、
他は相当に高価なモデルばかりである。

これらのモデルを揃えることのできる経済的余裕のある人でも、
今回私が聴いた組合せはやらないだろう。

それでもE800は、よかった。
インターナショナルオーディオショウでも、わずかな時間ではあったが聴いている。
その時は、なかなか良さそうだな、という感触だけだったが、
今回聴いて、驚きも感じていた。

もっときちんとした状態で聴ければ、もっと好印象を抱くであろう。
だからこそ、E800のずんぐりむっくりしたプロポーションがよけいに気になってくる。

音さえ良ければ……、そう思える人はいいが、
私は、これだけの音を出せるアンプなのに……、と思ってしまう。

E800のプリメインアンプとして大きすぎるサイズにあれこれ書いているのではない。
あくまでの、あのずんぐりむっくりしたプロポーションについてだ。
もちろんそこにはサイズとの関係も含めて、ではあるが。

Date: 12月 25th, 2019
Cate: デザイン

SG520とC240(その3)

アキュフェーズのC240のデザインは、
JBLのSG520のデザインの、瀬川先生による翻訳なのかもしれない。

コントロールアンプのデザインの象徴の一つとして、
真空管アンプのマランツのModel 7があり、
トランジスターアンプのJBLのSG520がある。

Model 7は、あらゆる模倣デザインが生れてきた。
マランツのトランジスターアンプがまずそうだし、
ラックスのアンプも、その代表的例である。

けれどSG520は、というと、すぐに浮んでくるモデルはない。
SG520がそうであるように、あのデザインを模倣するということは、
内部構造も同じようになり、メインテナンスが困難になるということも、
模倣デザインが続いてこなかった理由として考えられる。

それにModel 7は基本的に左右シンメトリーの配置であるのに対し、
SG520はまったくそうではないことも、模倣デザインが生れてこなかった理由だろう。

そこにあえて挑戦されたのではないのか。
SG520が誕生したころから部品の進歩は続いている。
リレーを多用すれば、SG520と同じデザインであっても、
内部配線はずいぶんすっきりしてくるはずだ。

C240は1979年ごろに登場している。
SG520とは十年以上の開きがある。

SG520ではできなかったことも可能になる。
その意味での、瀬川先生の挑戦でもあった、と考えられる。

挑戦するには、SG520をまず理解しなければならない。
その理解に必要なのが、翻訳という作業だと考える。

SG520の、瀬川先生による翻訳と挑戦。
その結果が、C240である。