Archive for category きく

Date: 7月 26th, 2013
Cate: きく

舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その5)

極端なことをいえば、
アナログディスクの溝を目でトレース、もしくは指でなぞっていくことで、
そのレコードに刻まれている音を感じとれたり、
CDの、あの細かなピットを、なんらかの手段で拡大して見ることで、
そのCDに刻まれている音を感じとれたりすることが、仮にできたとしよう。

それが本を目、指、そして時には舌でトレースして読むことと同じといえるだろうか。
オーディオ機器という機械(朗読者)を介することなく、
レコードの内容を知るという意味では、本をトレース(読む)ことと同じといえなくもないわけだが、
私にそんな特殊な能力が備わったとしても、
その特殊な能力を使って、レコードの溝、ピットをトレースして音楽を聴きたい、とは思わないし、
そうやることが、本を読むことと同じとはどうしても思えない。

ならば、そんな極端なことではなく、クラシックなら楽譜を見ればいいではないか、
音符を目でトレースしていくことで、頭の中に音楽を思い浮べる──、
これこそが本をトレースする意味での、音楽をきく、ということになる。
そんなことをいう人もいても不思議ではない。

だが、これも「本を読む」ことに人がそこまでなれる、という意味での行為とは、私には思えない。

だから、なぜ、思えないのかを問うていくしかない。
そして、改めて音楽を「きく」ことの難しさを考えている。

Date: 6月 18th, 2013
Cate: きく

舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その4)

本を朗読してもらう、
朗読者がトレースしたものを、きくことになる。

レコード(LPやCD)をオーディオで再生して、
レコードにおさめられている音楽をきく行為は、
どこか本を誰かに朗読してもらい、それをきく行為に似ている。

本には文字が並んでいる。
LPには文字ではなく溝が刻んである。
CDにはピットが並んでいる。

LPの溝はカートリッジの針先がトレースする。
CDのピットは、レーザーがトレースしていく。

そうやってトレースされたことによる電気信号を増幅し処理して、
スピーカーの振動板を動かし、空気の疎密波をつくる。

LPやCDという本を、
オーディオという朗読者が読み上げてくれる。
ここには聴き手(読み手)によるトレースは存在しないことになる。

Date: 6月 16th, 2013
Cate: きく

舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その3)

トレースすることで「読む」ことが始まる本もまた、
トレースすることによってつくられている、といえる。

いまは手書き原稿の方が比率としては少なくなっているだろうけど、
パソコン、ワープロの登場・普及以前は、みな手書き原稿だった。

原稿がそのまま写植にまわされることはまずない。
まず担当編集者が目を通す。必要とあれば朱をいれる。
これもまた編集者の目によるトレースである。

そして写植にまわされる。
ここで写植の職人によるトレースがおこなわれ活字が並べられていく。

写植があがってきたら、校正というトレースが行われる。

いくつかのトレースを経て本は世に出て、
読み手によってトレースされていく。

Date: 6月 14th, 2013
Cate: きく

舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その2)

私がもしそういう状態・状況におかれたら、どうするだろうか。
いまは正直想像できない。

想像はできないけれど、本を「読む」という行為がどういうことなのかについては考えられる。

本を「読む」ことは、書かれていることを自らトレースすることなのだ、とおもう。
本に書かれている内容を知るだけなら、誰かに、もしくはコンピューターに読み上げてもらえばいい。
けれど、それは自分でトレースしているわけではない。

目でトレースする。
目がだめになれば指でトレースする。
指もだめになれば舌でトレースする。

トレースすることから「読む」は始まるのではないのだろうか。

人は「本を読む」、
人は「レコードを聴く」、
ここでの「読む」と「聴く」の違いについて、
舌読を知ったのだから、あらためて考えてみたい。
考えなければならない、とおもった。

Date: 6月 14th, 2013
Cate: きく

舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その1)

昨日、舌読ということばがあることを知った。
ハンセン病により視力を失い、
末梢神経麻痺により指先の感覚も失った人が、点字を舌で読むこと。
「舌読(ぜつどく」」ということばも知らなかったけれど、
想像したこともなかった。

舌読を知って、思い出したことがある。
手塚治虫の「ブラック・ジャック」のエピソードのひとつに、
そろばんの日本一を目差す少年の話がある。
ブラック・ジャックの手術により、少年は指でそろばんのこまをはじけるようになる。
けれど持久力が備わっていない腕では、決勝戦で戦えなくなってしまう。

そこで少年は、ブラック・ジャックによる手術を受ける前にやっていたこと、
舌でそろばんのこまをはじく。

点字を舌でなぞっていく、
そろばんのこまを舌ではじいていく、
想像を絶する、とはこういうことにつかう表現なのかもしない。

本に書かれていることを知るのであれば、
誰かに本を読んでもらえばいい。
いまではパソコンによる文章の読み上げもできる。
最新の読み上げのレベルが、どのくらいなのかしらないけれど、
ずいぶん進歩していることであろうし、これからも進歩していくものである。

活字がテキスト化(電子化)されていっている時代。
これから先もどんどんテキスト化されていく。

本が読めなくなっても、本の内容を知ることはできる時代になっていっている。
多くの本がそうなっていっている。
それでも舌読で、本を「読む」人はいる、とおもう。