舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その2)
私がもしそういう状態・状況におかれたら、どうするだろうか。
いまは正直想像できない。
想像はできないけれど、本を「読む」という行為がどういうことなのかについては考えられる。
本を「読む」ことは、書かれていることを自らトレースすることなのだ、とおもう。
本に書かれている内容を知るだけなら、誰かに、もしくはコンピューターに読み上げてもらえばいい。
けれど、それは自分でトレースしているわけではない。
目でトレースする。
目がだめになれば指でトレースする。
指もだめになれば舌でトレースする。
トレースすることから「読む」は始まるのではないのだろうか。
人は「本を読む」、
人は「レコードを聴く」、
ここでの「読む」と「聴く」の違いについて、
舌読を知ったのだから、あらためて考えてみたい。
考えなければならない、とおもった。