Archive for category 日本のオーディオ

Date: 7月 19th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その2)

「わがタンノイ・オートグラフ」に、タンノイとのであいを書かれている。
     *
 タンノイ・スピーカーを我が家におさめたのは昭和二十九年(当時はいま使っているオートグラフではない)だから今年で二十四年目になる。この間私はタンノイを骨の髄までしゃぶった。このことはオーディオ愛好家としての私が人さまに、はばかりなく言えることだ。
 はじめてタンノイを聴いたのは昭和二十七年秋、S氏のお宅でだった。フランチェスカッティの、ベートーヴェンの『ロマンス』を聴いた。おもえば、ト長調(作品四〇)の冒頭で独奏ヴァイオリンが主題を呈示する、その音を聴いた時から、私のタンノイへの傾倒ははじまっている。ヴァイオリンの繊細な、澄みとおった高音域の美しさは無類だった。あれほど華麗におもえた当時評判の『グッドマン』が、途端に、色あせ、まるで鈍重に聴こえたのを忘れない。
 しかし、実はかならずしもすべてがうまく聴こえたわけではない。どうかすれば耳を突き刺す金管の甲高い響きや、弦合奏でガラス窓をブリキで引っかくに似た乱れた軋みを出すのをきくと、これが海外のHiFi雑誌に絶賛されたスピーカーかと狼狽したのは、むろん当のS氏だったろう。
 この時のタンノイはいわゆるバスレフ型のコーナーキャビネットにおさめてあった。バスレフ型というのは、周知のように、箱の上辺にスピーカーを取付け、下辺にダクトを設けているが、「音のわるいのはキャビネットのせいに違いない」とS氏は言って早速、家具屋に新しく《タンノイ指定》のキャビネットを注文された。今なら笑い話だがわたくしが知っているだけでも、タンノイのためにS氏の発注されたキャビネットはグランドピアノの重さのある巨大なの(これは高城重躬氏の設計になった)まで、ゆうに七個をかぞえる。キャビネットばかりは下駄箱にもならず、残骸が次々納屋を占領して夫人を嘆かせていた。笑い話といえば、当時S氏のアンプを製作していた技術者は、「タンノイは磁石が強力だから低音が出ない」といい、それならとワーフデールのウーファーをS氏はタンノイに組合わせて鳴らされたものである。グランドピアノの重さのキャビネットがこれである。
 涙ぐましいこういう努力で、少しずつ音質はよくなり、しかし疑念は晴れない。ワーフデールでこれ位よくなるなら、さらにタンノイをもう一個取付け、低音だけを鳴らせば一層、音の美しさはまさるだろうと、二個目のタンノイをS氏は芳賀檀氏の渡欧の折に依頼された。当時神田のレコード社でタンノイ(15インチ)は十七万円した。英本国でなら邦貨三万数千円で入手できる。芳賀さんはロンドンで購入したのはよいが、どんなにS氏がレコードを、その音質を、つまりスピーカーを大切にする人かを熟知していたので、リュックサックに重いタンノイを背負い込み、フランス、ドイツ、スイスと旅して回った。なんのことはない、国がかわる度に通関手続で英国製品の余分な税金をふんだくられねばならない。「これはぼくの友人のスピーカーだ。日本へ持って帰るのだ」何度説明しても、この真摯なドイツ文学者にリュックサックでスピーカーを持ち回らせる、そんな音キチが東洋の君主国にいようとは、彼らには信じられなかったのである。ハイ・ファイという言葉すら当時は一般に知られていない。「日本に持ち帰るなら、なぜロンドンから直送せんか」「大切なスピーカーだからだ。これは、有名なタンノイだ。少しでも早く友人に届けたいからだ」なんと説明しても、「税金を支払わないのなら貴下を入国させるわけにはいかん。そのリュックサックは没収する」
 これまた、語るも涙であろう。涙のこぼれるこういう笑い話を、大なり小なり、体験しないオーディオ・マニアは当時いなかった。この道は泥沼だが、音質が向上するにつれて泥沼はさらなる深みを用意し、濫費を要求する。みんな、その濫費に泣きながら、いい音が聴きたくて悪戦苦闘するのである。
 タンノイにおける、S氏のこの悪戦苦闘ぶりをつぶさに傍で見たことが、その後のわたくしの苦闘につねに勇気を与えてくれた。この意味でもS氏は、かけがえのないわたくしには大先達であった。
     *
瀬川先生が聴かれたのは、
グランドピアノの重さほどのキャビネットに、
ワーフデールの15インチ・ウーファーをパラレルにおさめられていた時の音だ。

五味先生がS氏宅のタンノイをはじめて聴かれたときは、
芥川賞受賞前のことだ。

菅野先生も、瀬川先生も、S氏のタンノイを聴かれたころは、五味先生を知らなかった。
五味先生が「西方の音」を藝術新潮に連載されるようになるのは、ほぼ十年後である。

Date: 7月 18th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その1)

カラヤンと4343と日本人(その10)」で触れたタイトルとはまったく違うところでのタイトルだ。

菅野先生が、
ステレオサウンド 55号「タンノイ・オートグラフ研究」の冒頭で書かれている。
     *
 タンノイと私のふれ合いは、不思議なことに、あの熱烈なタンノイ信奉者の故・五味康祐氏、そして、古くからのオーディオ仲間である瀬川冬樹氏のそれと一致する。本誌別冊の「タンノイ」号巻頭に、両氏のタンノイ論が掲載されているのをお読みになった読者もおいでになると思うが、両氏がはじめてタンノイの音に接して感激したのが、昭和27〜29年頃のS氏邸に於てであることが述べられている。私もその頃、同氏邸においてタンノイ・サウンドを初めて体験したのであった。両氏共に何故かS氏と書かれているが、新潮社の齋藤十一氏のことであると思う。もし違うS氏なら、私の思い違いということになるのだが……。当時、私が大変親しくしていて、後に、私の義弟となった菅原国隆という男が新潮社の編集者(現在も同社に勤務している)であったため、編集長であった齋藤十一氏邸に私を連れて行ってくれたのであった。明けても暮れても、音、また音の生活をしていた私であったが、その時、齋藤邸で聴かせていただいたタンノイの音の感動はいまだに忘れ得ないものである。正直いって、どんな音が鳴っていたかは覚えていないのであるが、受けた感動は忘れられるものではない。もう、27〜28年も前のことになる。以来、私の頭の中にはタンノイという名前は、まるで、雲の上の存在のような畏敬のイメージとして定着してしまった。五味氏によれば、当時タンノイのユニットは日本で17万円したそうだが、そんな金額は私にとって非現実的なもののはずだ。しかし、実をいうと、当時はタンノイがいくらするかなどということすら考えてもみなかったのである。それは初めて見たポルシェの365の値段を知ろうとしなかった経験と似ている。つまり、値段を聞くまでもなく、自分とは無縁の存在だということを嗅ぎわけていたから、そんな質問や調査をすることすら恐ろしかったのだと思う。なにしろ、神田の「レコード社」に注文して取り寄せた、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」(ペトレ・ムンテアーヌの歌で伴奏がフランツ・ホレチェック)を受け取りに行くのに5百円不足して四苦八苦したような頃だったから、推して知るべしである。おまけに、このレコードを受取りにいったレコード社で、ばったり、齋藤十一氏に会ったのはいいが、後日、先に書いた私の義弟を通して「美しき水車小屋の娘」を買うなんて彼は若いね……というような意味のことを齋藤氏がいっていたと聞き、えらく馬鹿にされたような気になった程度の青二才だったのだ。幸か不幸か、タンノイは、こうして私の頭の中に定着し、自分とは無縁の、しかし凄いスピーカーだということになってしまった。正直なところ、このコンプレックスめいた心理状態は、その後、私が、一度もタンノイを自分のリスニングルームに持ち込まず、しかし、終始、畏敬の念を持ち続けてきたという私とタンノイの関係を作ったように思うのである。若い頃の体験とは、まことに恐ろしいのである。
     *
タイトルのS氏は、新潮社の齋藤十一氏のことである。
瀬川先生は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」タンノイ号の「私とタンノイ」の冒頭で、
やはりS氏のタンノイのことを書かれている。
     *
 はじめてタンノイの音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだか、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     *
五味先生が、タンノイをはじめて聴かれたのは、昭和27年秋のころだ。

Date: 6月 29th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その4)

自分のシステムの音を録音する──、
かなり以前からやっている人はいた。

新潮文庫の「音楽巡礼」の解説は、南口重治氏である。
そこに、こんなことが出てくる。
     *
 五味先生も多忙、私も仕事に忙殺されている時には録音テープが送られてくる。ヴェルディの「椿姫」、スタインバーク指揮ピッツバーグ響によるラフマニノフの第二シンフォニーであったりするのだが、それには必ず肉声の解説がつく。「ただ今のカートリッジはシュワーのV15でございます。今度はEMTのカートリッジに取り替えて録音します。……そちらの鳴り具合はいかがですか」といった調子だ。
     *
録音テープは、カセットテープではなくオープンリールテープだろう。
どんなマイクロフォンを使われていたのだろうか。

いまから四十年以上の前の話だ。
こういうところは、オーディオマニアは変っていないのかもしれない。

「音楽巡礼」を読んだ1981年、
18歳だった私は、五味先生もこんなことをやられるんだ、と思っていた。
けれど、いまになると、この録音テープは、かなり貴重である、と思っている。

この録音テープ、一本も残っていないのだろうか。

五味先生のシステムは、練馬区で保管され、試聴会が行われている。
私も一度行ったことはある。
その音を聴いているが、その音をもってして、五味先生の音とはまったく思っていない。

五味先生が鳴らされていたシステムが、いまも鳴っている。
その音を聴いただけ、という感想でしかない。

けれど、五味先生が南口氏に送られていた録音テープがまだ残っているのであれば、
五味先生が鳴らされていたシステムで、ぜひとも聴いてみたい。

Date: 6月 29th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その3)

その1)へのfacebookでのコメントで、
自分のシステムの音を一度録音して、そのシステムで再生すると、
音の癖が二倍に強調される、というのがあった。

おもしろい、と思った。
やったことはなかった。

いわれてみて、たしかにそうかも、と思った。

もちろん録音した時点で失われている音があって、
それを再生する時点でも同じである。

とにかく何かが失われた音を聴いて、なにがわかるのか、判断できるのか。
けれど失われたものによって浮び上ってくるものもあるはずだ。

あるからこそ、自分のシステムの音の癖が二倍になって聴けるわけなのだろう。

さきほど公開した「夜の質感(バーンスタインのマーラー第五・続コメントを読んで)」で、
五味先生の文章を二本引用している。

テレビのスピーカー、テレビのアンプ程度であっても、わかる音の違いがある。
むしろピアノのブランドによる音の違いが、曖昧にしか出てこないオーディオの音も、
現実にはある。

ブランド不明のピアノの音というのは、意外に多かったりするどころか、
そのことに無頓着な人もいるから驚くこともある。

おもしろいことに、そういう人は、自分の音を日本一、といってたりする。
冗談でいっているのだろうと思ってきいていると、
本人はいたって本気でそういっているのだ。

そんな人のシステムの音を録音して、
そのシステムで再生することで、その人の音の癖は二倍になるのかもしれない。

けれど、その人は、そんなふうには受けとらない可能性のほうが高いように思う。
癖ではなく、よいところが二倍になったと受け止めるかもしれない。

ならば、その人のシステムの音を、別の人のシステムで、
何人かのシステムの音を録音したものと比較しながら聴かせたらどんな反応をするだろうか。

Date: 6月 7th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その2)

いま書店に並んでいるオーディオ雑誌、
ステレオ、オーディオアクセサリー、ステレオサウンド、
いずれも特集は、試聴室で試聴をしないでもすむ企画になっている。

そうだろうな、と思うし、だからといって、次号以降も同じ、というわけにはいかない。
試聴室で試聴を行うけれど、
数人のオーディオ評論家がいっしょに試聴する、ということはしばらく影をひそめるだろう。

オーディオ評論家は一人。
あとは編集者が必要最低限の人数での試聴。
気をつけるところは、試聴中は、
試聴室にはオーディオ評論家だけ、ということもありそうである。

試聴機器を入れ替える時だけ、編集者が試聴室に入る。
これまでの試聴からすれば、なんと大袈裟な……、という印象を持つ人もいるだろうが、
そのくらい気をつけるのが、これからの当り前になっていってもおかしいことではない。

夏が終り秋になれば、メーカー、輸入元は、
オーディオ賞関係の試聴が増えてくる。

いまでは各オーディオ雑誌が、それぞれに賞をもうけていて、
それが年末号の特集になっている。

そのための試聴は、たいていはオーディオ評論家のリスニングルームに、
メーカー、輸入元の担当者が機器を持ち込んでの試聴である。

これも今年は変っていくのかもしれない。
担当者数人とオーディオ評論家だけならば、小人数での試聴とはいえ、
担当者は毎日のように、同じことをくり返していく。
外回りの、しかもある部分、肉体労働でもある。

雑誌社の試聴室ならば、搬入もしやすかったりするが、
オーディオ評論家のリスニングルームは個人宅である。
場合によっては、けっこう大変なことだってある。

感染リスクは、決して低くはない、といえる。
しかもオーディオ評論家、特にステレオサウンドに書いている人たちは、高齢者が多い。

Date: 6月 5th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その1)

AV⋄Head-fi Show(香港オーディオショウ)は、いまのところ、
予定通り8月7〜9日開催するようである。

でも、本当に開催されるのか、と思っている人もいる。
コロナ禍の現状では、晩秋よりも真夏の開催のほうが、少しは安全なのかもしれない。

AV⋄Head-fi Showが開催されたとしても、
11月開催のインターナショナルオーディオショウが、
予定通りに行われる可能性が高くなる、というわけではない。

1月開催のCESはどうなるのだろうか。
楽観視している業界の人は少ないのではないだろうか。

先のことをはっきりとわかっている人は、誰もいない。
今年は無理でも来年はできるかもしれないし、
だからといって再来年も安心できるとはかぎらないだろう。

コロナ禍が、ほんとうに終息したとしても、
新たな感染症が発生するかもしれない。

今回のコロナ禍を機に、リモート試聴ということを真剣に考えていく必要が出てきているような気がする。
リモート試聴なんかで、こまかな音の違いがわかるわけない、
そんなアホなこと考えるだけムダ、
こんなことを言い捨てたら、そこまで、である。

リモート試聴には、まったく可能性がないのだろうか。
YouTubeには、かなり以前からスピーカーの音をマイクロフォンで拾った音を公開している動画が、
けっこうな数ある。

インターナショナルオーディオショウをはじめ、
オーディオショウのブースの様子も公開している人がいる。

全部がそうだとはいわないが、意外にも、大掴みには、
その場の音の雰囲気を伝えてくれているように感じる。

友人のAさんはオーディオショウには行かないけれど、
YouTubeで、そういった動画をけっこう見ている。

オーディオショウに行った私と、各ブースの話になったときに、
けっこう音の印象は一致している。
大きな違いがあったことは、いまのところない。

Date: 5月 21st, 2020
Cate: ジャーナリズム, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(コロナ禍ではっきりすること・その2)

新型コロナの影響で、自動車の売行きが悪い、ときいている。

友人から教えてもらったのだが、日本自動車販売協会連合会のサイトで、
ブランド別新車販売台数確報が公開されているのを知った。

2020年4月の販売台数をみていくと、確かに前年比はよくない。
乗用車だけをみても、ホンダが60.1%、三菱が35.2%、日産が42.9%、トヨタが66.8%で、
海外ブランドをみても、売行きはよくないことがわかる。

それでもフェラーリは126.8%、ランボルギーニは133.8%、ポルシェは164.1%と、
コロナ禍の影響はみられないといえる売行きである。

海外ブランドだからなのか、と思うと、メルセデス・ベンツは62.8%、
マクラーレンは37.5%、マセラッティは43.1%、ジャガーは37.8%、アストン・マーチンは56.0%だ。

自動車の専門家ではないから、これらの数字について専門的なことは何もいえないが、
フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェの売行きの伸びはすごいと思うし、
このことをどう捉えたらいいのだろうか。

高級外車は景気に左右されないわけではないだろう。
売行きが鈍っている海外ブランドもあるのだから。

ハイエンドオーディオと呼ばれるモノのなかには、
フェラーリやランボルギーニ、ポルシェ並の価格が珍しくなかったりする。

それらのオーディオ機器の売行きも、これらのクルマ同様に売行きは前年比で伸びているのか。
自動車業界と違い、オーディオ業界では、
ブランド別販売台数が、こんなふうに発表されているわけではない。

ウワサをきくことはあるけれど、実態はわからない。
かなり高額のオーディオ機器が、オーディオマニアのリスニングルームにある。
Aさんのところにあり、Bさんのところにもある……。

こんなにも高価なオーディオ機器が、けっこう売れているのか。
そう思いがちになるのだが、
意外にもAさんが使っていて手放したモノがBさんのところに行き、
Bさんもしばらく使って、次はCさんのところに……、という例があるともきいている。

Aさんのところにあった、Bさんのところにもあった、Cさんのところにもあった、
と書くのがより正しいわけで、実際に売れたのはごくわずかな台数であっても、
一年二年というスパンでみると、いろんな人のリスニングルームにあるというふうになる。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その10)

瀬川先生は、若い書き手を育てよう、
もっといえば鍛えようとされていた──、
私はそう思っている。

くり返すが、後継者を育てようという意識はなかった、とも思っている。

そのうえで、鍛えた若い書き手から、
なにかを吸収しようとさえおもわれていたのではないか、そんなことすらおもっている。

ほんとうのところは、もうわからない。
瀬川先生と親しかった人にきいたところで、わかることでもない。

私の勝手な思い込みにすぎないのかもしれないが、
それでも、はっきりといえることは、
瀬川冬樹の後継者になりたい、とすること、
そんなことをおもった時点で、もう絶対に後継者たり得ることはない、ということだ。

瀬川先生がいて、瀬川先生に鍛えられた若い書き手がいて、
互いに触発されることがあってこその、オーディオ評論なのだ、と考える。

けれど瀬川先生は、もういない。
鍛えられた若い書き手も、いない。

Date: 5月 15th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その9)

オーディオ評論という仕事は、ほんらいプロフェッショナルであるだけでなく、
ひじょうにパーソナルなものなのかもしれない。

パーソナルなものであることを切り離してのオーディオ評論は存在しないのかもしれない。
パーソナルなんてものはいらない、
プロフェッショナルであれば、それで十分という読者もいることだろう。

けれど、いまのオーディオ評論家で、どれだけプロフェッショナルといえる人がいるのか。

別項「皆川達夫氏のこと」で、
サプリーム No.144掲載の「瀬川冬樹氏のための〝ラクリメ〟」を掲載した。

そこに《そうした表情のわたくしに、あなたは半分いたずらっぽく半分は照れながら、「これはあまり大きい声では言えませんが、オーディオの専門家だからといって誰にでも出来るというものではないんですよ」と、心に秘めた自信のほどを冗談めかしに垣間見せてくださったのも、今ではなつかしく、そして悲しい思い出になりました》
とある。

そうだろう、とおもう。
オーディオの使いこなしでプロフェッショナルといえる人は、ほんとうに少ない。
ケーブルを替えたり、いろんなアクセサリーを使うのが、オーディオの使いこなしではない。

いまオーディオ評論家を自称している人たちすべてに会ったことがあるわけではない。
けれど会ったことのある人の使いこなしの実力(というか程度)は知っている、
会ったことのない人でも書いていることを読んでいると、なんとなくは掴めるところがある。

使いこなしでプロフェッショナルといえる人は、もういない。
使いこなしでプロフェッショナルでない人が、
はたしてきちんとオーディオ機器を、その実力を聴くことができるのか。

このことについて書いていると、長くなって逸れてしまうので、このへんにしておくが、
プロフェッショナルでもない、パーソナルなものではない仕事として、
オーディオ評論をやっている人ばかりのようにしか思えない。

瀬川先生は後継者を育てようとは考えていなかった──、
私はそう思っている。

若手の書き手を育てようとはされていただろう。
だからといって、育てようとしていた人たちを後継者だと考えていたのかは、違うことだろう。

それに後継者を育てようと考えた時点で、
その人はそこで終ってしまうのではないのか。

日本のオーディオ、これから(コロナ禍ではっきりすること・その1)

サプリーム No.144(瀬川冬樹追悼号)の巻末に、
弔詞が載っている。

ジャーナリズム代表としては原田勲氏、
友人代表として柳沢功力氏、
メーカー代表として中野雄氏、
三氏の弔詞が載っている。

柳沢功力氏の弔詞の最後に、こうある。
     *
君にしても志半ば その無念さを想う時 言葉がありません しかし音楽とオーディオに托した君の志は津々浦々に根付き 萠芽は幹となり花を付けて実を結びつつあります
残された私達は必ずこれを大樹に育み 大地に大きな根をはらせます 疲れた者はその木陰に休み 渇いた者はその果実で潤い 繁茂する枝に小鳥達が宿る日も遠からずおとずれるでしょう
     *
瀬川先生の志は大樹になったといえるだろうか。
そういう人も、オーディオ業界には大勢いるような気がする。

見た目は大樹かもしれない。
でも、何度か書いているように、一見すると大樹のような、その木は、
実のところ「陽だまりの樹」なのではないか。

「陽だまりの樹」は、陽だまりという、恵まれた環境でぬくぬくと大きく茂っていくうちに、
幹は白蟻によって蝕まれ、堂々とした見た目とは対照的に、中は、すでにぼろぼろの木のことである。

真に大樹であるならば、コロナ禍の影響ははね返せるだろう。
「陽だまりの樹」だったならば……。

Date: 4月 27th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その8)

瀬川先生が、若い世代の書き手を育てよう、とされていたのは事実である。
けれど、このことが、イコール後継者を育てる、ということではない、と私は考える。

それに、そもそも、ということになるが、瀬川先生は誰かの後継者ではない。
ここでまたくり返し長島先生が書かれたことを引用する。
     *
オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
(サプリームNo.144より)
     *
オーディオ評論そのものが、瀬川先生が始めた、
瀬川冬樹から始まった、といっていいのだから、
瀬川先生は誰の後継者でもない。

もちろん影響を受けた人は何人かいるはず。
五味先生もその一人だし、
菅野先生からきいた話では、佐藤信夫氏のレトリックの本の影響を受けていた、とのこと。

私が知らないだけで、他にもそういう人はいたはずだ。
それでも、そういう人たちは、たとえ五味先生であっても、
瀬川先生は五味先生の後継者ではない。

つまり瀬川先生に、オーディオ評論における師はいなかった。
ここでおもうのは、優れた師をもたなかった者は、
優れた師にはたしてなれるだろうか、である。

ラジオ技術の金井稔氏が、
《彼は自分の感性に当惑していたのであろう》と書かれていた。

そうなのだろう、とおもう。
自分の感性に当惑していた人が、後継者を育てられるだろうか。

Date: 4月 27th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その7)

後継者ということに関しては、
個人規模のメーカーに対してだけでなく、オーディオ界ほぼ全般についていえることだ。

たとえばステレオサウンド 66号の菅野先生の「ベストオーディオファイル訪問」。
永良公二氏が登場されている。

そこに後継者について語られているところがある。
     *
永良 ぼくは、いまオーディオジャーナリズムを槍玉にあげましたが、実は、それをも含めて、社会全体の、より上の世代から、より若い世代に対する、ひとつの責任としての、広い意味での教育のありかたに欠陥があるのかもしれません。
菅野 そういう責任はたしかにあると思う。瀬川君ともおなじ主題で話しあったことがあります。
永良 瀬川さんに、あんたは後継者を育ててないじゃないか、と批判したことがあります。つくっていなきゃ、あんたがやってきたことを、だれが評価するんだ、と。えらそうに文章を書いて、自分だけのものにしているのでは、マスターベーションにすぎないのではないのか、後継者を育て、そのなかに自分の考えが浸透していくのを見届けてこそ、一人のオーディオで道を立ててる人間としての、あるべき姿ではないのか、と。
菅野 耳が痛いね。でも後継者としてふさわしい人がなかなか現われない。
     *
66号を読まれた方ならば記憶されているだろうが、
永良氏は、瀬川先生が鳴らされていたJBLのエンクロージュアとウーファー(LE15A)を、
譲ってもらった人である。

瀬川先生は、後継者を育てようとされていたのか、そうでなかったのか。
永良氏は、後継者を育ててないじゃないか、と批判されている。

けれど、66号の数年後、さらにその数年後、別々の人から、
瀬川先生が若い書き手を育てよう(見つけよう、かもしれない)とされていた、ときいている。

若い人たち数人に、何か書かせるようにされていた、ということだった。
けれど、そこから先の話は、どらちの人からもなかった。

永良氏と後継者の問題について、どれだけ話されていたのかは、はっきりとしないし、
瀬川先生が何もされていなかったわけでもない。

Date: 4月 25th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その6)

「日本のオーディオ、これから」ということが、ここでのテーマであり、
2015年に復活したNIRO Nakamichiには、その意味でも関心をもっていた。

NIRO Nakamichiの製品は、オーディオ雑誌にほとんど登場してない。
ステレオサウンド 198号には、スピーカーシステムのHE1000が取り上げられているくらいか。

オーディオ販売店においても同様だ。
東京のオーディオ販売店で、HE1000が展示されているところに遭遇していない。

型番に1000がついている。
HE1000は、ナカミチ時代にラインナップにはなかったスピーカーシステムである。
最初のスピーカーステムに、1000がつけられているということは、
それだけの自信作という表明であるはずだ。

少なくとも私はそう受けとっている。
NIRO Nakamichiのウェブサイトをみても、ずっと更新されていないようだ。
新製品もない。

HE1000は、それだけの自信作なのだから、
これ以上のモノは、もう開発できない──、ということなのかもしれない。

そんなふうに思いながらも、
日本のオーディオ、これから、というテーマで考えると、
どうしても後継者という問題が浮んでくる。

Date: 4月 8th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ケンウッド TS990・その3)

アマチュア無線の世界に踏み入ろうとする手前で興味を失ってしまった私は、
アマチュア無線機のその後について、まったく知らない。

アマチュア無線機の世界において、ケンウッドがどういうポジションにいるのかすら知らない。

(その1)にコメントがfacebookであった。
F1のマクラーレンのチームは、ケンウッドの無線システムをずっと使っている、とのこと。
その記事へのリンクもあった。

ケンウッドの無線の技術は本物といっていいのだろう。
TS990は、暗にそう語っているようにも見える。

TS990は、オーディオ機器でいえば、
ヤマハのコントロールアンプ CI、もしくはテクニクスのコントロールアンプ SU-A2、
相当するように、まず感じた。

無線機だから、チューナーを思い浮べるよりも、
この二つのコントロールアンプのことが浮んだ。

オーディオのケンウッド・ブランドを代表するといえるチューナーのL02Tでもなく、
チューナーの最高峰といわれていたセクエラのModel 1、
マランツの Model 10Bでもなく、
ヤマハのCIとテクニクスのSU-A2であり、どちらかといえばSU-A2的である。

ST990の機能のすべてを理解しているわけではない。
アマチュア無線機にまったくうとい私には、
なぜ、これだけのファンクションが必要なのかもわかっていない。

それでも、それらが飾りではないことは察しがつく。
TS990は堂々としている。

ケンウッド・ブランドは健在だと主張している。
L01A、L01T、L02A、L02Tにわくわくしていたころを思い出すだけでなく、
TS990をつくれる会社なのだから、という期待もわいてくる。

Date: 4月 8th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ケンウッド TS990・その2)

トリオというブランドは、オーディオに興味をもつ前から知っていた。
オーディオの前、アマチュア無線を趣味としようとしていた時期が、
ほんのいわずかだがあった。中学二年のころだった。

アマチュア無線の試験も受けるつもりで、問題集を買って勉強していた。
勉強しながら、
合格したら、どの無線機にしようか、と、
アマチュア無線関係の雑誌のページをめくりながら、あれこれ考えるのは楽しかった。

トリオの無線機は、そうやっていいなぁ、と思っていた候補機種のブランドの一つだった。

結局、アマチュア無線の試験を受ける前に、
五味オーディオ教室とであってしまった私は、オーディオに急速にのめり込んでいった。
アマチュア無線への興味は、そこですっぱりとなくなってしまった。

あのままだったら、どうなっていたのか。
オーディオを知らなければ、アマチュア無線の試験を受けて合格して、
トリオの無線機を買っていただろう。

あのころは、見知らぬ人と対話できることに未知の世界の魅力を感じてもいたが、
私の性格からして、長続きはしなかったようにも、いまは思う。

それでもアマチュア無線機は、カッコいいモノだ。
ケンウッドのTS990のウェブページを見つけて、驚いた。
こんなふうに進化していたのか、と。

TS990は、760,000円(税抜き)だ。
安くはない、というか、かなり高価だ。
それでもパネルフェイスを見て、もう少し高価かな、とも思ったくらいだから、
TS990の内容を知るにつれて、これだけのモノにしては、むしろ安いのではないか──、
そうも思えてきた。

TS990は、私のなかにあるケンウッド・ブランドのイメージそのものといえるモノだ。