Archive for category 世代

Date: 7月 8th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その5)

ロングランであるために(JBL 4311というスピーカー・番外)」で書いていることだが、
リンクをクリックしない人のほうが多いので、もう一度書いておこう。

中古も扱っているオーディオ店をのぞいていたら、
30代後半くらいにみえる店員と客との会話が耳に入ってきた。
客は店員の友人のようだった。
パソコンの画面をみながら、おおよそこんな会話をしていた。

「これ、かっこいい」
「いいでしょう」
「いい、いい、いくらくらいするの?」
「古いモノだから、けっこうボロボロでよければ四万から五万くらいからな」
「それでもいい、欲しい、かっこいいよ、これ」

ここまで聞いていて、いったいどのオーディオ機器のことなのかあれこれ考えていた。
ヒントはあった。
店員の「逆さまなんだけどね」だった。

あっ、あれかと思った。JBLの4311のことを話しているんだと気づいた。

「新しいモデル(4312)になって逆さまじゃなくなっているけどね」
「こっち(4311)がいい、かっこいい」

この人は、新品の4312と中古の4311、
どちらを選ぶかといえば、はっきりと4311である。

現在入手できる4311のコンディションと、
新品の4312とで、音を比較試聴すれば、4312のほうが現代的ないい音を出してくれよう。

4312Gは、いまかなり売れているそうである。
それでも、この人が気に入ったのは、音ではなく見た目での4311である。

この人の場合、中古の4311を探すことだけが選択肢となる。

Date: 7月 8th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その4)

若い世代の人が、オーディオに興味を持ち始めたとしよう。
それで相談を受けたら、どう答えるだろうか。

若い人でも予算がたっぷりある人もいる。そうでない人もいる。
そうでない人からの相談だとしよう。

いい音が聴きたければ、ヘッドフォン・オーディオがいいよ、とすすめるだろうか。
そうは答えたくないのだが、これも答の一つであろう。

ヘッドフォンもかなり高価になっているとはいえ、
十万円出せれば、かなり高品質のヘッドフォンを購入できる。

ペアで十万円のスピーカーシステムには、いったいどれだけの機種があって、
どれだけの実力なのか。

そしてモノとして、十万円のスピーカーと十万円のヘッドフォンは、
どちらが魅力的であろうか。

それでもスピーカーで聴きたい、という人もいる。
何をすすめるのだろうか。

中古でもいい、といわれたら、どう答えるか。

私はコーネッタを十万円以下で、今回入手できたが、こんなことは稀なことだ。
そうそう誰にでも、同じ機会がやってくるわけではない。

たまたまコーネッタが、ヤフオク!に出品されている。
写真での判断になるが、かなりくたびれている感じがするだけでなく、
ステレオサウンドが出していたSSL1ではなく、
ステレオサウンドの記事をみての自作エンクロージュアのようにも見える。

いくらで落札されるのかはわからないが、
今回のコーネッタだったら、私は入札しなかった。

と、ここまで書いてきて、一つ思い出したことがある。
以前書いたことだ。

Date: 7月 4th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その3)

1977当時、G.R.F.は420,000円(一本)だった。
HPD385Aが搭載されたコーナー型のバックロードホーンである。

当時、タンノイはG.R.F.の製造は、オートグラフとともにやめていた。
エンクロージュアは、タンノイの承認のもと輸入元のティアック製だった。

この点もコーネッタに近い。
この時代、コーネッタが完成品のスピーカーシステムとして登場していたら、
300,000円前後になっていただろう。

ユニットの口径は小さいし、
ホーン型エンクロージュアとはいえ、フロントショートホーンとバックロードホーンとでは、
製作の手間が違う。

それでもコーネッタが、意外にも高くなると予想するのは、エンクロージュアの材質の関係だ。
コーネッタでは、バスレフポートや補棧にはラワンが使われているが、
エンクロージュアの大半には桜合板が使用されている。

この時代の300,000円前後の海外のスピーカーシステムといえば、
アルテックのModel 15(289,000円、一本の価格)、612C(296,000円)、
A7-8(326,000円)、アコースティックリサーチのLST(290,000円)、
JBLのL45-81B(289,000円)、L45-001B(299,000円)、L45-84B(324,000円)、
K+HのOY Monitor(300,000円、アンプ内蔵)、クリプシュのC-WO-15 Cornwall(320,000円)、
ラウザーのCorner Reproducer TP1 TypeD(295,000円)といったところである。

これらのスピーカーシステムの、現在の中古市場での価格をすべて把握しているわけではないが、
このなかで、一本四万円程度で買えるものがあるだろうか。

とにかく、中古オーディオ機器の購入は、運任せのところが多分に強い。
欲しい、と思った時に、あらわれてくれるとはかぎらない。

オーディオマニアのなかには、
ほぼ毎日のように中古を扱うオーディオ店を覗く人もいる、ときいている。
出合いを運任せにはしたくない──、そういう人は、そうであろう。

Date: 7月 3rd, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その2)

当時HPD295Aを搭載していたタンノイのスピーカーシステムEatonの値段は、80,000円だった。
Eatonは、Arden、CheviotとともにLegacyシリーズとして復刻されている。
現在の価格は400,000円だ。

いまタンノイはユニットの単売を行っていない。
Eaton搭載の10インチ口径の同軸型ユニットが、どのくらいするのかはわからない。

なので単純にEatonの値段だけで考えると、
1977年の五倍になっている。

HPD295Aが五倍で300,000円。
SSL1が五倍で440,000円。
合計で740,000円となる。

しかもくり返すが、SSL1は組み立てが必要なエンクロージュア・キットである。
これが完成品として発売されるとなると、組み立てにかかる費用、
梱包材もしっかりと大きなものとなるし、ここにかかるコストもけっして低くはない。

輸送の費用も、保管して置くための倉庫の費用なども、
キットの場合以上にかかる。

それにSSL1のフロントショートホーンの加工をながめていると、
いまこれだけの木工を依頼するとなると、当時よりもずっと高い費用がかかるではないだろうか。

そうなってくると、コーネッタ(完成品)の価格は、
80万円、90万円ほどになっても不思議ではない。
しかも、これはペアの価格ではなく一本の価格でしかない。

あくまでも単純に考えての予想価格でしかない。
現実にはもう少し安くなるのかもしれないし、高くなるのかもしれない。
どちらにしても、安い価格のスピーカーシステムではないことだけは、はっきりといえる。

7月1日のaudio wednesdayでのコーネッタの音をきいた人たちは、
ペアで八万円ちょっとスピーカーシステムだとは思わなかった。

Date: 7月 3rd, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その1)

いまコーネッタのことを続けて書いているところである。
四十年ほど前のスピーカーシステムを、八万円ちょっとで入手できた。
ペアで、この値段である。

いま一本四万円ほとのスピーカーシステムにどんなモノがあるのか、
すぐには思い出せない──、というよりもほぼ知らない。

コーネッタは中古である。
中古は当り外れがある。大外れもある。
もし、そんな大外れにであってしまったら、金をドブに捨てるようなもの。
運任せのところがある。

なので、誰にでも中古を買うことをすすめるようなことはしない。
それでも、実際にオーディオ機器を購入する場合、
中古の購入をまったく考えない人は、どのくらいいるのだろうか。

予算に限りがある。
そのなかで、少しでもいい音を出してくれる可能性の高いモノが欲しい。

昔は、中古を探そうとしても、地元のオーディオ店、
オーディオ雑誌の売ります買いますコーナー、
オーディオ雑誌掲載の販売店の広告ぐらいしかなかった。

いまはインターネットがあり、
海外からも購入することができるようになっている。
今回のコーネッタも、インターネットがなければであえなかったかもしれない。

コーネッタは、いまいくらなのだろうか。
中古相場ではなく、コーネッタというスピーカーが新製品として登場したとしよう、
いったいいくらになるのだろうか。

ユニットのHPD295Aは、60,000円(一本、1977年)、
エンクロージュアのSSL1は、88,000円(一本)である。
トータルで148,000円だが、エンクロージュアはキットである。

購入者が自ら組み立てる必要がある。
ここで考えたいのは、完成品としてのコーネッタは、いまいくらになるのかである。

Date: 5月 17th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(常識の消失)

スーパーの精肉売場に行くと、
「豚肉はしっかりと火を通してください」という注意書きがある。
一つの店ではなく、何箇所かでみかけた。

豚肉はしっかり火を通す、というのは、昔からよくいわれていた。
いわば常識である。

けれど、その常識中の常識といえるこのことであっても、
常識すぎる、と思って、誰もいわなくなると、いつのまにか知らない人たちが出てきてしまうのか。

スーパーの注意書きは、つい最近になってみかけるようになった。
豚肉に関する常識を知らない人が増えてきたからなのだろうか。

周りに、豚肉はしっかりと火を通してから、ということをいってくれる人がいなければ、
知る機会もほとんどないのだろう。

つい常識だから、と思ってしまうことが、オーディオにあるはずだ。
でも、こちらにとっては当り前すぎる常識という認識があるから、
相手が、その常識を知っているものと、つい思ってしまいがちになる──、かもしれない。

そうやっていくつものオーディオの常識が、すでに忘れられつつあるのかもしれない。

そんな常識なんて、オーディオには要らない、という人もいるかもしれない。
でも、SNSを眺めていると、必要な常識と不必要な常識とがあることに気づかされる。

どちらにしろ、オーディオの常識は消失しつつあるようだ。

Date: 5月 10th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(若い世代とバックナンバー・その5)

昨晩(その4)を書いたあとにふと思ったことがある。
本には書籍と雑誌とがある。
録音された音楽には、LPやCDやミュージックテープがあるが、
これらはいわゆる書籍にあたる存在だ。

音楽において雑誌にあたる存在はなんだろうか。
ラジオでの音楽番組かもしれない。

古い雑誌を読むということは、
音楽では古い放送をエアチェックしたものを聴くということになるのか。

Date: 5月 10th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(カセットテープのこと)

数ヵ月前、オーディオマニアではない人数人と話していて、
カセットテープのことが話題になった。

彼らは、いま40代。私よりも十くらい若い。
そんな彼らにとって中学・高校時代によく使っていたカセットテープは、
AXIAだ、とみな口を揃えていう。

そしてコマーシャルに出ていた斉藤由貴がかわいかった、とも、これまた口を揃えていっていた。

AXIAが登場したのは1985年。
それ以前は富士フイルム(のちにフジカセット)だった。
1980年前半には、YMOを広告に使っていたが、
カセットテープ・ブランドとしての知名度は高くなかった。

富士フイルムは以前から磁気テープを手がけていたけれど、
その歴史の割には、TDK、ソニー、マクセルと比較すると、はっきりと地味な存在だった。

私にとって、カセットテープといえば、TDKだった。
そしてADのコマーシャルに登場していたマイルス・デイヴィスが強烈な印象だった。

カセットテープといえばAXIAだ、いう数人は、
富士フイルムだということも知らなかったし、YMOを使っていたことも知らなかった。

私はYMOを使っていたことは知っていたけれど、
斉藤由貴の出ているコマーシャルは見たことがなく知らなかった。

十年でここまで違うのか、
これがジェネレーションギャップなのか、と思うほどに、
富士フイルムの、いわゆるブランディングは成功した、ということなのか。

Date: 5月 9th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(若い世代とバックナンバー・その4)

若い人が、古い本を読む。
その人が生まれる以前の古い本を読む。

それが書籍ならば、多くの人がそうであろう。
自分が生まれる前に書かれた小説や詩などを読んだりする。

けれど、それが雑誌となると、ちょっと違ってくる。
若い人が、古い雑誌を読む。
その人が生まれる以前の古い雑誌、
さらにその人の親が生まれる以前の古い雑誌を読む。

以前は国会図書館にでも行かなければ、そんな古い雑誌を読むことは難しかった。
けれど、いまではインターネットがあり、
古書店の検索も便利になっているし、オークションもある。

古い雑誌を手に入れる手段は増えているだけでなく、便利になってきている。

(その1)で、
そんな古い雑誌を若い人が読むのは、悪いこととはいえないけれど、
良いことだ、ともいえないことがある──、と書いた。

今回も同じことを感じた。
なぜ、そこまで古い雑誌を手に入れて読むのだろうか。

その気持はわからないでもないが、
ならば、その人と同時代の雑誌も積極的に読んでいるのか、と問いたくなる。

たまたま手に入れた古い古い雑誌を読んで、あれこれ思う。
別に悪いことではない。

そこには、その人なりの発見があったはずだろうから、
その人が興奮するのも無理はないが、
それは時としてエキゾティシズムに近いものに、そんなふうに感じているだけではないのか──、
そんな気がしないでもない。

Date: 4月 24th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その10)

フツーにおいしい、とか、フツーにいい音、とかに使われる「フツー」、
ここに予防線のようなものを感じてしまうのは私だけなのか。

自分で食べておいしいと感じたものを、誰かに教える。
そこで、相手もおいしいといってくれればそれでいいのだが、
相手が「たいしておいしくない」とか、どこか否定的ことを言ってきたら……。

そこで、こいつ味オンチだな、と思う人もいれば、
自分の舌がおかしいのかな、と思う人もいる。

フツーにおいしい、をよく使う人は、後者ではないのか。
そんなふうに思うことがある。

「たいしたことないよ」といわれたときに、
「だからフツーにおいしい、って言ったじゃない」と言い返せる。

ここでの「フツー」は、はっきりと予防線である。

その7)で、
《オーディオ側から「どう、このいい音は」と言われているような音が好きではない、
だからそういう音にしないようにしている──》、
そんなコメントが(その6)にあったと書いているが、
このコメントにも、私は「フツー」と同じ予防線のにおいを感じてしまう。

コメントの人には、そんな意図はないのかもしれない。
たぶんないであろう。

本人も、「ない」というであろう。
でも、それは本人も意識していない予防線の可能性もある。

相手の反応に傷つきたくない──、
そういうことなのか。

Date: 3月 25th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(老害、独断と分断・その3)

にも関らず、私のこのツイートに反論めいたことを返信してきた人は、
そういう私の意図とはまったく違うように読んでしまっている。

そして、老害が、そこにはある、といわんばかりでもあった。

老害が、オーディオの世界にない、とはいわないが、
ほんとうに若い世代の人たちがいうところの老害とは、
いったいどういうことなのだろうか、という疑問も同時にわく。

私のツイートに反論めいたことをしてきた人の考える老害とは、
その人が勝手につくり出していることの可能性だって考えられる。

つまりその人の独断がつくり出している、ともいえるのではないか。
そして独断は老害をつくり出すだけでなく、上の世代との分断をもつくり出してしまうのではないのか。

さらにいえば、そんな人たちが年寄りになったときにこそ、
老害になってしまうのではないのか。

老害だ、老害だ、と批判している人のどれだけが、
ずっと上の世代と会話をしているのか。

Date: 3月 25th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(老害、独断と分断・その2)

《年寄りの話をきちんと聞けない、年寄りと会話できない人はオーディオに向いてない、と断言できる。》
そうツイートしただけで、
どこにも年寄りの話をありがたがれ、とか、
若者の意見に耳を貸すな、とは書いていないし、そういう意図はまったくない。

私の、このツイートに反論めいた返信をしてきた人は、
おそらく年寄りの方ときちんと会話したことがないのだと思う。

話したことはある、といわれるかもしれないが、
それは、ただ単に聞き流していただけではないのか。

早く終らないかなぁ……、そんなことも思って聞き流していただけで、
きちんと会話しよう、きちんと話を聞こうということをしたことがないのだろう。

ウォーミングアップというのは、どんなことにでもある。
話す、ということに関してもそうである。

特に高齢になってくるほど、話すということにおけるウォーミングアップは必要となってくる。
すべての高齢の方がそうなのだ、というつもりはないが、
私が接してきた人は、話し始めはゆっくりと、すこしたどたどしいと感じられたりするが、
しばらく話し続けているとウォーミングアップが終ったかのように、
話が淀みなく続いていく。

高齢の方のウォーミングアップにつきあえない人は、
最初の数分、もしくは十分(それ以上の場合もある)くらいで、
聴き手であることを放棄してしまうのではないのか。

ウォーミングアップとも関係してくることなのだが、
聴き手のペースで話をしてくれるわけでもない。

それから、同じ話が何度も出てくる、ということもある。
同じ人から何度も話をきいていくと、
それは以前きいた、ということがけっこさうある。

それでも続けてきいていけば、
前回とは違う話の展開になってきたりするのだから、
また同じ話か……、と思うことはそれほどない。

同世代の、似たような人たちとばかり会話している人は、
つきあってられないや、と思ってしまうだろう。
そういう意味あいをふくめて、
《年寄りの話をきちんと聞けない、年寄りと会話できない人はオーディオに向いてない、と断言できる。》
とツイートしたのである。

Date: 2月 21st, 2020
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(余談・その3)

いま書店に並んでいるおとなの週末の最新号の特集は、とんかつ。

そこに西荻窪のけい太という店が、高く評価されている。

西荻窪は以前住んでいたし、いまは途中の駅である。
途中下車して行ってみた。

駅からはとても近いビルの地下一階にある。
そこは昭和のころは、別のとんかつ店だった。
二三度行ったことがある。

令和に、新しいとんかつ店になっている(開店は2019年11月とのこと)。
夕方早い時間に、一人だったこともあり、並ぶこともなく入れた。

でも次々と客が入ってくる。
電話もかかってきていた。予約の電話のようだった。
おとなの週末であれほど高い評価なのだから、だろう。
私もおとなの週末を見て来ているのだから。

まず、なにもつけずにそのまま食べてほしい、とあった。
それから塩、わさび醤油、ソースをお好みで、とあった。

そのとおりに食べた。
感じたのは、刺し身的ということだった。

とんかつはソース! という私でも、
けい太のとんかつはわさび醤油がいい、と感じていた。

残念なこと、というか、不思議なこと、というべきか、
ソースをつけたのがいちばん少なかった。

ソースも、スパイシーなウスターソースであったならば、と思いもしたが、
ないものはしかたない。

食べていて、昭和のころのおいしいとんかつとは違ってきたことを感じていた。
どちらも私は好きなのだが、
ちょっとおもうところもある。

それは刺し身的に感じられたこととも関連してくるのだが、
このとんかつならば、白いご飯よりも、他にもっと合うものがあるのではないか。
けい太のご飯もおいしかった。

ケチをつけるようなことではないのだが、
昭和のおいしいとんかつ、
つまり白いご飯とよく合うとんかつに親しんできた者は、
そんなことをつい思ってしまう。

もっとも、このことも、
昭和のそういうとんかつに慣れ親しんだことでつくられた感覚にすぎないのかもしれない。

Date: 12月 28th, 2019
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(余談・その2)

facebookには、過去を振り返ってみよう、というおせっかいな機能がある。
二年前の12月28日に、埼玉のパン屋で、カツカレーパンを見つけたことを思い出した。

カレーパンはある。
カツサンドもある。
カツカレーもある。

けれどカツカレーパンはなかった。
カレーパンも、カツサンドもカツカレーも好きな私は、
カツカレーパンがないのが、ずっと不思議でもあった。

その答がようやくわかったのが、ちょうど二年前だ。
食べてみたら、カツカレーパンがなかったのが、わかる。

カツカレーパンはカレーパンの中心にカツが入っている。
とんかつという揚げ物の周りにカレーがあって、そのまわりに揚げたパンがある。
揚げ物がダブっている。

そんなこと考えてみれば当り前のことじゃないか、といいたくなってしまうが、
食べてみて初めて気づいた。

おそらく、パン屋でもカツカレーパンを試作したところはけっこうあるのだろう。
食べてみて、揚げ物ダブルはくどい。

揚げ物が大好きな私でも、くどいと感じてしまうほどだ。
食べてみると、わかりきっていたことじゃないか、と気づくわけだが、
食べてみないことには気づかないことも、世の中にはけっこうある。

オーディオも同じだ。

Date: 12月 16th, 2019
Cate: ヘッドフォン, 世代

世代とオーディオ(スピーカーとヘッドフォン・その6)

昨晩のaudio sharingの忘年会には、
50代二人、60代二人、70代一人が集まって、あれこれ話していた。

話していて、そういえば、と思ったことをきいてみた。
昔、高校に合格したときに、親にステレオを買ってもらった、というのは、
われわれの世代では珍しいことではなかった。

中学入学の時には万年筆を買ってもらった。
高価な万年筆ではなかったけれど、それでも一つ大人へのステップをあがったように感じた。

それまでの筆記具、鉛筆、シャープペンシル、ボールペンなどとは明らかに違う。
手入れも必要となる、その筆記具は小学生が使うモノではない、とその時感じていた。

いまはそのへんどのなのだろう。
中学生になったら、万年筆なのだろうか。
そうでないような気もする。

高校に合格したら、オーディオ?
これこそ、どうなのだろうか。

昨晩、集まった人たちも、みな知らなかった。

高校に合格したら、スマートフォンなのか。
でも、いまでは中学生でも使ってそうだから、
スマートフォンを貰って喜ぶのだろうか。

それこそヘッドフォンとヘッドフォンアンプ、D/Aコンバーターなのか。

高校に合格した祝いに、という発想そのものが、
いまではなくなっているのか、古いのか。