Archive for category 世代

Date: 4月 25th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その8)

オンキョーはGS1を鳴らすためのパワーアンプとして、GrandIntegra M510を開発した、といっていい。
ただGrandIntegra M510とペアとなるコントロールアンプは出なかった。

オンキョーの型番のつけ方からすると、GrandIntegra P310がそうなる。
GrandIntegra P310を出さなかったからといって、
オンキョーという会社がGS1というスピーカーの扱いを冷遇していたとはいえない。

広告に関しても、あれだけの予算を割いている。
開発費に関してもそうだといえる。

ステレオサウンド創刊20周年別冊「魅力のオーディオブランド101」で、
オンキョーの取締役社長である五代武氏が語られている。
     *
柳沢 GS1をつくられましたけど、あれはオンキョーが燃えたのか、五代さんが燃えたのか。
五代 あれは、私が、断固継続させたのです。GS1研究には経費がかかりましたし、社内ではいろいろ言っていたようです。私は断固、GS1の研究開発予算は削るな、ということを言いました。私はGS1で、全体のレベルをもう一段あげようと考えていたんです。あれは、私のわがまま。創業者だからできたんでしょう。
     *
「魅力のオーディオブランド101」では、菅野先生と柳沢氏がオンキョーの試聴室に出向かれている。
オンキョーの試聴室は二つ。

ひとつはGS1のための部屋であり、つまりは由井啓之氏の研究室である。
もうひとつはオンキョーの商品開発部の試聴室で、
こちらでは開発中のプロトタイプのScepter 5001を聴かれている。

このふたつの試聴機器のリストも載っていて、興味深い。
GS1の方は、アナログプレーヤーがマイクロのSZ1TVS+SZ1M、トーンアームが SMEの3012R Pro、
カートリッジはIkeda 9、コントロールアンプはアキュフェーズのC280、
パワーアンプはGrandIntegra M510、CDプレーヤーもオンキョーのIntegra C700。

Scepter 5001の方はすべてオンキョーの製品で揃えられている。
Integra C700、Integra P308、integra M508である。

試聴ディスクはGS1の方は試聴機器からもわかるようにアナログディスク中心であり、
Septer 5001はCDのみである。

同じ会社内のことであっても、ずいぶんと違う。
そういう違いを、当時のオンキョーは、許していたということになる。
《社内ではいろいろ言っていたようです》も、なんとなく伝わってくる。

オンキョーは、少なくとも外からみるかぎり、GS1の開発に力を抜くことなくやっていた、と感じた。
ステレオサウンドでの評価も高かったし、
ステレオサウンドの扱いも多かった。それは他のメーカーが羨ましく思うほど誌面に登場していた。

けれどGS1は、さほど売れなかった。
売れなかった理由は、日本での評価が低かったわけでもないし、
オンキョーのサポートが積極的でなかったわけでもない。

結局のところ、売れなかった理由はGS1そのものにあったし、
その聴かせ方にもあった、といえる。

だから、この項を書いているのだ。

Date: 3月 30th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その6)

秋葉原に行ってきた。
4月6日のaudio sharing例会”muscle audio Boot Camp”で使用するネットワークの部品購入のためだ。

海神無線に行ってきた。
目的の部品を探していて、ふと目に入ってきた文字があった。
「学割始めました」だった。

学生証を提示すれば、特価品を除いて5%から10%の値引きを行ってくれるそうだ。

海神無線は、私にとって秋葉原でいちばん利用している店である。
オーディオマニアで自作をしている人ならば、海神無線の名前は知っている人が多いだろうし、
利用したことのある人はけっこういるように思う。

その海神無線が学割を始めてくれた。
いいことだと素直に思う。

海神無線に来ている客で、学生らしき人を見かけたことはない。
学生のオーディオマニアでも、自作をやっている人はいるのだから、
海神無線で見かけてもおかしくはないのに、これまで一度もない。

たまたま私が行くときに居合せないだけかもしれないが、
例えば他の部品を扱っている店、秋月電子にいけば、
学生服姿の人が、部品表を見ながら部品をひとつひとつ集めているところに出会すことがけっこうある。

海神無線の学割は地味な話題だろうが、多くの人に知ってもらいたいことである。

Date: 2月 17th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(続・ガウスの輸入元のこと)

先日、twitterでガウスの輸入元に関する指摘があった。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’76」の今井商事の広告に、
ガウスが紹介されている、ということだった。

214ページ、215ページの今井商事の広告を早速見ると、
当時今井商事が扱っていた10ブランド、16機種のスピーカーシステムの集合写真があり、
後列中央にガウスのスピーカーシステムがいる。

新製品ということで、型番は”Monitor System”とあるだけで、価格はない。
他のスピーカーシステムは外形寸法、重量が記載されているが、ガウスのシステムにはない。

フロントショートホーンのエンクロージュアに、15インチ口径のウーファーが二発、
その上にかなり横幅のあるラジアルホーンが乗っている。

広告の右下に〈価格は、10月1日現在のものです。〉とある。
1975年10月1日の時点で、ガウスの輸入元は今井商事だったことがわかる。

となるとステレオサウンド 41号での告知、
1976年10月から、輸入元はウェストレックス、販売業務は今井商事で正式に販売されている、ということは、
何を表しているのだろうか。

おそらく今井商事が1975年の時点で正式な輸入元になったのだろう。
その後、1976年に、ウェストレックスが自社製のスピーカーシステムにガウスのユニットを採用することを発表。
前身がウェスターン・エレクトリックであるウェストレックスと今井商事では会社の規模が相当に違う。
結果、輸入元はウェストレックス、販売業務は今井商事で落ち着いたのだろうか。

Date: 2月 5th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスの輸入元のこと)

ステレオサウンド 38号にガウスのユニットが新製品紹介のページに載っていることは、すでに書いている。
この時点では輸入元について何の記述もなかった。

その後シャープに決まるまで輸入元はないように思っていたが、
今日41号を読み返していて、1976年10月から正式に販売されていることがわかった。

輸入元はウェストレックスである。
販売業務は今井商事がやっていた。

そのことが41号の501ページに記事になっている。
とはいえ、その後の今井商事の広告でガウスを見たことはない。

Date: 12月 14th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(飢餓感)

私は13の時からオーディオに興味をもった。
もっと早くから、という人もいるだろうし、少し遅くからという人もいるけれど、
多くのオーディオマニアは10代のころにオーディオに関心・興味を持ち始めた、と思う。

私が10代だったころ、オーディオ雑誌はいまよりも多く出版されていた。
けれどインターネットはなかった。
しかも住んでいたのは、東京ではなく熊本の田舎町である。

そういう環境だったから、東京に出てくるまでは、
オーディオに関しては飢餓感といえるものがあった。

飢餓感があったからこそ、何度もくり返し読んできた。
モノクロの小さな写真もくいいるように見てきた。

いまはインターネットのおかげで、オーディオに関する情報の量は、
私が10代だったころとは比較にならないほど増えている。
写真ひとつにしても、カラーが標準といえる。

粒子の粗いモノクロ写真が大半だったから、
いまのような状況は、写真ひとつにしても情報量が増えている、といえる。

その意味では、いまの10代は飢餓感を感じることはあまりないのかもしれない。
むしろ満腹感があるのではないのか。
そんなことを考えもする。

Date: 12月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(アニメソングとオーディオ・その1)

アニソンオーディオというムックが、音元出版から出ている。
不定期で、いまのところ二冊のみのようだが、売行きはどうなのだろうか。

いまのヘッドフォン・イヤフォンブームをささえているのは、
アニソンオーディオの人たちだという人もいる。

アニソンとは、アニメソングのことである。

ずっとずっと以前、ジャズがクラシックより低級の音楽としてみられていたころ、
ジャズオーディオという言葉が生れた。
アニソン(アニメソング)も、クラシック、ジャズしか聴かないような人からすれば、
当時のジャズと同じような位置づけの音楽ということになるのかもしれない。

とすれば、いつの日か、アニソンオーディオも、
現在のジャズオーディオと同じような位置づけになる可能性もあるだろう。

今日ラジオを聴いていたら、アニソンジャズという言葉をきいた。
はじめて聞く言葉だった。
アニメソングジャズの略だとすぐにはわかったし、
アニメソングをジャズにアレンジしてのものだということは想像がついたけれど、
実際にはどんな感じに仕上っているのかは、想像できなかった。

今日たまたま耳にしたのは、ラスマス・フェイバーのアルバムだった。
アニソンジャズも初めてなら、ラスマス・フェイバーも初めて知る人だった。

「ラスマス・フェイバー・プレゼンツ・プラチナ・ジャズ ~アニメ・スタンダード」はすでに五枚出ている。
日本だけの発売かと思っていたら、そうではない。

古いアニメから新しいアニメまで、かなり広くカバーしている。
短い時間ではあるもの、試聴もできる。
子供のころ、よく口ずさんでいたアニメの主題歌が、確かにジャズになっていた。
もとのアニメソングを知らない人が聴いたら、どう感じるのだろうか。
そのへんも知りたいと思わせるような出来で、
「どろろ」の主題歌をぜひ録音してほしい、とも思っていた。

1963年生れの私にとって、アニメソングの歌い手は、
佐々木功(現在ではささきいさお)と子門真人のふたりが代表的な存在だった。

ささきいさおはオーディオマニアとしても知られている。
ステレオサウンドの弟誌であるサウンドボーイの創刊号に登場されている。

そこでこんなことを語られている。
     *
ヤマトに限らず、アニメーションの主題歌ってのは、画面に負けないエネルギーを全部ぶつけるようなパワーがないとだめなんです。〝たいやきくん〟の子門真人にしてもロック調でしょう。歌謡曲の人がやると、メロディーに流れてダメになっちゃうんです。
     *
たしかにそうだった。アニメソングには、歌謡曲にはないパワーがあった。
そんなアニメソングも、いつしか変っていった。
《画面に負けないエネルギーを全部ぶつけるようなパワー》はいつしか影をひそめていった。
テレビのない生活をしているから、アニメをずっと見てきているわけではない。
見ていない時期の方が圧倒的に長い。

それでも最近のいくつかのアニメを見ていると、主題歌がずいぶんと変ってしまったことを感じる。
歌謡曲がいつしかJ-POPと呼ばれるようになった(分れていった)のと同じようなものなのか。

Date: 11月 22nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ブームについて)

私は1976年に「五味オーディオ教室」と出あった。
そこからオーディオの世界が始まり開けていった。

このころはCDはまだ登場していなかった。
デジタル録音のLPが話題になっていた時期であり、
そろそろデジタルオーディオディスクの声が聞こえはじめてきたころでもある。

自分のオーディオで音楽を聴くということは、
ほぼ100%、LP(アナログディスク)を買って聴く、ということだった。
FM放送も聴いていたけれど、やはりLPだった。

1982年にCDが登場した。
ステレオサウンドで働いていたけれど、すぐにCDプレーヤーを購入したわけではなかった。
そのころはトーレンスの101 Limitedを使っていたから、
これに匹敵すると思えるCDプレーヤーはすぐには登場していなかったし、
フィリップスのLHH2000の音を聴いて驚き、欲しいと思ったことはあったが、
あの価格はすぐに手が出せるわけではなかった。

最初に購入したCDプレーヤーは、マランツ(フィリップス)の普及クラスのものだった。
それまで14ビットのD/Aコンバーター(TDA1540)を搭載していたマランツが、
やっと16ビット対応のTDA1541を搭載したCDプレーヤーを購入した。

だから、そのころの私にとってCDは、メインのプログラムソースではまだなかった。
CDプレーヤーは、その後数台国産モデルを使い、スチューダーのA727になった。

ここでやっとアナログディスクとCDを聴く比率が逆転しつつあった。

そういう時代にオーディオをやりはじめて、やってきた私にとっては、
いまの状況をアナログブームといわれても、ピンと来ない。

アナログディスクの生産量をみていくと、1999年にピークがある。
それまでCDの不急におされ生産量が減少していたアナログディスクだったが、
1999年はいきなり増えているし、2000年もその余波が残っている、といえる。
その後はまた減少している。

つまり1999年、2000年はアナログディスクのブームといえる。
だが、私と同世代、そして上の世代の人にとっては、
こういうデータを見せられても頭でブームであったことは理解できるが、
実感としてのアナログディスク・ブームであったとは感じていないのではないだろうか。

アナログディスク全盛のころからやっていた人はそう感じる。
けれどもっと若い世代の人たち、
つまりオーディオに関心を持ち始めた時、CDで音楽を聴くのが当り前という時代から始めた人にとっては、
1999年、2000年は、はっきりとしたアナログディスク・ブームであったはずだ。

昔はもっとアナログディスクが生産されていたことを、若い世代の人たちは知識として知ってはいても、
実感は伴っていなかった。
実感を伴ったブームは、だから1999年、2000年ということになる。

では、いまいわれているアナログディスク・ブームは、
さらに若い世代の人たちにとってのブームなのだろうか……、
ここで私は疑問を感じている。

Date: 11月 22nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その16)

バート・ロカンシーが、その開発に深く関係しているユニットとしてパイオニア・TADの製品がある。
ウーファーのTL1601、ドライバーのTD4001がそうである。

TD4001の写真を見たときに、何かに似ている、と感じた。
ガウスのHF4000に似ていることに気づいた。

HF4000の写真とTD4001の写真を比較してみると、
似ているというよりも外観に関してはそっくりといってもいい。

TADもガウスもロカンシーがやっていたわけだから当然といえば当然であり、
だからこそ型番もガウスが4000であり、そのあとに登場したTADが4001であるのも頷ける。

TD4001の型番を誰が付けたのかわからない。
でも、私はロカンシーが付けたか、もしくは4001という要望を出したのかもしれない、と思っている。

HF4000と基本的に同じながらも、HF4000の口径モデルとして改良されているわけだから、
1ステップ進んでいるという意味での「4001」のような気がしてならない。

このことはHF4000の開発まではロカンシーはガウスにいたことの証明でもある。
おそらくトゥイーターの1502はロカンシーの設計ではない、と思っている。

ステレオサウンド 38号に掲載されたガウスの写真は、
ステレオサウンドによる撮影ではなく、
メーカーもしくは輸入元に決りかけていたところから提供された写真である。

この写真には1502は写っていない。
HI-FI STEREO GUIDEのバックナンバーをみると、
ガウスは、1977年12月に発売されている’77-’78年度版に新製品として載っている。
フルレンジユニットが三機種、ウーファーが十四機種、あとはHF4000とホーンが二機種だけである。

1502がHI-FI STEREO GUIDEが載ったのは、半年後の’78年度版からである。

ロカンシーはこの時期、すでにガウスを離れパイオニア・アメリカに移っている。
エド・メイも1972年にJBLに復帰している。1976年に再びJBLから離れ、
スーパースコープ時代のマランツで、900シリーズのスピーカーシステムをてがけている。

ガウス初期の主要メンバーは、ガウスの輸入が始まったころにはいなくなっていた。

Date: 11月 21st, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その15)

ステレオサウンド創刊20周年記念別冊として出版された「魅力のオーディオブランド101」の中で、
菅野先生が、ガウスはもともとはデュプリケーターのメーカーだった、と話されている。
プロの分野ではデュプリケーターで有名だったそうだ。

このガウスに、JBLにいたエドモンド・メイ(Edmond May)1969年から1972年まで在籍している。
エド・メイは、JBLで4310、4320といったスタジオモニターの他に、Decaedシリーズ、L65などを手がけていた。
彼がガウスでスピーカーの開発に携わっている。

そしてもうひとりJBLからガウスへ移籍してきたのが、よく知られるバート・ロカンシー(Bart Locanthi)である。
ロカンシーはJBLを1970年に離れている。
その後アルテックに移りガウスに来て、1975年からパイオニア・アメリカである。

ロカンシーがガウスにいたのが正確にいつからいつまでなのかは,わからない。
エド・メイとバート・ロカンシーのふたりがガウスに在籍していたのは、1970年から1972年なのか。
ロカンシーはエド・メイがいなくなったあとも、パイオニア・アメリカに移るまではガウスにいたようだ。

ステレオサウンドにガウスが紹介されたのは、38号(1976年3月発売)である。
新製品紹介のページで、山中先生と井上先生がガウスについて語られている。

ただ、記事中にもあるように、試聴に間に合わなかったため、あくまでも紹介に留まっている。
この記事で、山中先生は、ガウスは大パワーに強いコーン型ユニットを数機種発表していて、
アメリカで評判になっていた、と語られている。

38号に掲載された写真には、コーン型ユニットとともにコンプレッションドライバーのHF4000も写っている。

記事では、試聴は次の機会にゆずる、とある。
ということは、この時点で輸入元がほぼ決っていた、と思われる。
まだ本決まりでなかったため、
輸入元については何も語られずに、紹介のみになってしまったのではないだろうか。

結局、「次の機会」はないままだった。
シャープがガウスの輸入元に決り、ガウス・オプトニカの製品を出すまで、
ステレオサウンドにガウスは登場しなかった。

Date: 11月 16th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その14)

私が聴くことができたガウスの音は、3588同軸型ユニットを搭載したModel 7258と、
デンオンのSC2000だけである。

無線の実験の記事で、ガウスの登場を知り、つよい憧れを抱いてきたのに、
たったこれだけしか聴くことができなかった。
おそらく、これから先も聴く機会は訪れないような気がする。

なんとも不完全燃焼な感じがしている。
もっと聴きたかった、と思っていたけれど、ほとんど縁がなかった。

今回ガウスのことを書いていて思い出したことがある。
ステレオサウンド別冊HIGH TECHNIC SERIESのトゥイーター号のことだ。
このトゥイーター号は1978年12月ごろに出ている。
にも関わらず、テスト機種にガウスの1502はない。

このムックの巻末に佐伯多門氏によるトゥイーターの技術解説のページがある。
ドーム型、コーン型、リボン型、ホーン型などの構造の解説がなされていて、
それぞれの代表的な製品の写真も載っている。

ホーン型のところにはガウスの1502の写真が使われている。
このときガウスのユニットの販売は始まっていた。
けれど、岡先生、黒田先生、瀬川先生による試聴記事にはガウスは登場していない。

このとき、なぜだろう、と疑問に感じていた。
JBLの2405とガウスの1502の比較、
それを読みたいと思っていただけに、肩透かしのようでもあった。

いまなら、その理由のいくつかは推測がつく。
でも当時はまったくわからなかった。
ただただ、なぜ?、と思うばかりだった。

ガウスへの憧れは、そうやってしぼんでいった。
SC2000以降、ガウスのユニットを搭載した製品はでていない。
話題にものぼらなくなっていった。

ガウスがどうなったのかも気にしなくなっていた。
そんな私が、ふたたびガウスのことを、そういえばどうなったんだろう……とか、
やっぱり聴いてみたかったなぁ、とか思い出したのは、
菅野先生と川崎先生の対談がきっかけである。

この対談で、川崎先生は1978年にガウスへ企業留学する予定だった、と語られている。

Date: 11月 13th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その12)

ステレオサウンド 81号では国産スピーカーにはない良さを認めながらも、
難点といえることについても語られている。

岡先生は《ちょっと頭がないと思うな》といわれて、
続けて菅野先生が《プロポーションがあまりよくないですね》と発言されている。

音に肉体の存在を感じさせるだけに、
その肉体のプロポーションが気になってくる、というわけである。

ただ、このプロポーションの悪さは、どこに起因しているのかははっきりとしない。
井上先生は新製品紹介の記事で、
《かなりデンオンしらいイメージに調整してあるようだ》と書かれている。

ここがひっかかってくる。
井上先生が新製品紹介の冒頭に書かれていること、
同軸型2ウェイ方式と3ウェイ方式について試作をして検討した結果、
同軸2ウェイをデンオンは選択したとある。

選ばれなかった3ウェイについて詳細はわかっていない。
けれどガウスのユニットで3ウェイのシステムを組むとなると、
トゥイーターは1502、スコーカーはHF4000は1981年ごろに製造中止になって、
かわりに4080が登場しているので、おそらくこれであろう。

ウーファーは5800シリーズがやはり1981年ごろに製造中止になっているので、
4500シリーズの中から、おそらく4583Fあたりということになろう。

なぜデンオンが同軸2ウェイを選んだ、その理由ははっきりとしない。
3ウェイ方式の試作品が、上記のようなユニット構成であれば、
ユニットの占めるコストは、同軸2ウェイよりも大きくなってしまう。
これも理由のひとつなのかもしれないが、3ウェイであった場合、
デンオンらしいイメージに調整することが、より困難であったのかもしれない……、そう思ってしまう。

もしかするとガウスの3ウェイの試作品は、プロポーションの悪さはなかったのかもしれない。
そんなことを思ってしまうには、もうひとつ理由がある。
SC2000の外観である。

Date: 11月 13th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その11)

デンオンのSC2000は、ステレオサウンドの試聴室でじっくり聴いている。
新製品紹介は井上先生が担当されていた。
ステレオサウンド 81号に載っている。

SC2000の音は、ある程度記憶している。
それでも、その音は、ガウスの音といっていいのだろうか、
デンオンのスピーカーシステムとして、SC2000という型番が与えられている。
つまりは、ガウスのユニットを採用していてもデンオンの音として捉えるべきであろう。

デンオンは自社製のユニットにこだわっていない。
1970年代にはデンマークのピアレス社製のユニットを搭載したブックシェルフ型、
SC104、SC105、SC107といった製品を出していた。
それ以外にもやはりヨーロッパ製のユニットを採用した製品があった。

そういうスピーカーづくりをおこなってきたデンオンであるから、
SC2000の音を聴いたからといって、ガウスの音を聴いたとは言い難い。

井上先生も
《ガウスらしいボッテリとしたエネルギッシュな独特のキャラクターがほとんど姿を消し》と書かれている。

ただ、それでもガウスらしさは残っている。
といっても、私は何度も書いているようにガウスの音をほとんど知らない。
ステレオサウンド 81号では特集はComponents of The yearであり、
SC2000は賞に選ばれている。

そこでの音の評価は、ガウスの音と評価と読めるところがある。

長島先生は《中低域の量感や音の形の良さなどを買うんです》といわれ、
山中先生も《音の骨格みたいなものですね》といわれている。

菅野先生も同じことを表現をかえて発言されている。
《肉体がしっかりしている。今のスピーカーは肉体がないからね》
それゆえに上杉先生がいわれるように《聴きごたえする音》をSC2000は聴かせてくれる。

井上先生は、
《原にこたえる音がするからね。聴く方も体力がないと駄目って感じ……》と、
岡先生も《肉体の存在感は認める》といわれている。

ここで語られている音の印象は、私も感じていた。
これが、ガウスの音といっていいのであろう。

Date: 11月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その10)

3588はユニット単体でも販売されていたし、
このころになるとガウスの輸入元はシャープではなくヒビノ音響に変っていた。

3588ユニットをおさめたModel 7258が、とにかく私にとっての初めて聴くガウスの音だったわけだが、
正直、それほど印象に残っていない。

私が感じたことは、75号で細谷信二氏も指摘されている。
     *
 一方のガウス7258は、ユニットの素姓としては、ワイドレンジ指向といえ、とくに中高域から高域にかけてのスムースなつながりの良さ、反応の機敏さは、このエンクロージュアに収められた状態では、まだまだ出し切れていないように思う。
 エンクロージュアやネットワークのまとめ方次第では、811Bをしのぐものができる可能性は充分にもっているはずだ。
     *
ここでも、ユニットに対して、システムとしてのまとめ方のまずさが感じられる。
それにこれを書くために75号を読み返して気づいたのだが、
7258のエンクロージュアはガウスが作っていたものだろうか、という疑問が出てきた。

細谷氏は《同社指定のバスレフ型エンクロージュアにおさめたもの》という書き方をされている。
こういう書き方の場合、国産エンクロージュアの可能性が高い。
ガウスが設計し、輸入元のヒビノ音響が作ったエンクロージュアだとしたら、
同じ寸法のエンクロージュアであっても、
ガウスが試作品として作ったエンクロージュアにいれた音を聴いてみたかった、とも思う。

3588ユニットは、これで終りではなく、デンオンのSC2000にも採用されて、
再び聴く機会があった。

SC2000は1986年に登場したフロアー型である。
エンクロージュアのサイズはW59.0×H96.0×D45.4cmで、重量は66.0kgだ。

Date: 11月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その9)

ガウスのスピーカーとは縁がないまま、ステレオサウンドで働くようになった。
私が働きはじめた1982年には、ガウスはあまり話題にならなくなっていた。
私が初めて聴いたガウスはModel 7258である。

ステレオサウンド 75号に載っている。
1985年のことだ。
このころになると、ガウスもシステムをつくっていたようだが、
それらの情報はほとんど得られなかったし、聴く機会もなかった。

Model 7258は、同社の同軸型ユニット3588を搭載したモニタースピーカーである。
外形寸法はW73.7×H60.5×D44.7cm、重量は46.0kg。

アルテックの612C Monitorの外形寸法がW64.8×H74.9×D50.8cm、重量が53.0kgだから、
かなり近い寸法といえるし、7258がどういうモニタースピーカーなのかがある程度はわかる。

75号の特集は「実力はコンポーネントの一対比較テスト」で、
細谷信二氏がUREIのModel 811Bと比較試聴されている。
811Bの外形寸法はW67.3×H52.7×D48.3cm、重量は53kgである。

同軸型ユニットの3588は15インチ口径のウーファー(ボイスコイル径は3インチ)に、
2インチ口径のダイアフラムのホーン型を組み合わせている。

3588の外観上の特徴は、ホーンにある。
アルテックの604シリーズのマルチセルラホーン、604-8H以降のマンタレーホーン、
UREIのホーンとも違う形状をしている。

ガウスではCoshホーンと呼んでいた。
Coshホーンは横に広いホーンではなく、縦に長いホーンで、アヒルの口が開いているようでもある。
ポカンと口を開けているようにも見えて、試聴室では、別の例えもいわれていたが、
やや下品なので、ここでは控えておく。

75号ではUREIの801Bユニットと並べた写真がある。
これをみるとわかるように、3588はホーン搭載の同軸型ユニットとしては奥行きが短い。
にもかかわらず資料によると、ウーファー、トゥイーターのマグネット独立した構造である。

同軸型としては薄型といえる構造は、
ウーファーとトゥイーターのボイスコイル位置を接近させているためでもあると考えられる。
75号で細谷氏が書かれているように、ウーファーとトゥイーターの時間差は平面上で0.3msecと小さい。

UREIがネットワークでタイムアライメント補正を行っているのに対して、
ガウスはネットワークによる、そういった補正は必要ないとしていた。

Date: 11月 11th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その8)

瀬川先生のCP3820の試聴記は、少し違う。

クラシックでの再生に対する不満が、そこには書かれてある。
この点が、黒田先生、菅野先生の試聴記とまず違うところだ。

菅野先生は
《このスピーカーが最も苦手と思われるヴァイオリン・ソロにおいてすら、自然で美しい弦の魅力が聴かれた》と、
黒田先生も三枚の試聴ディスクのうち二枚はクラシックで、好ましいと評価され、
クラシック以外のディスクは、ほどほどという評価である。

ステレオサウンド 54号のスピーカーシステムの試聴は、
三氏が合同で試聴というやり方ではなく、三人三様の試聴というやり方である。
だから黒田先生の試聴、菅野先生の試聴、瀬川先生の試聴で、
ステレオサウンドの試聴室でCP3820が聴かせた音は、まったく同じなわけではない。

この瀬川先生の評価をどう解釈するか。
特にクラシックの弦の再生では、菅野先生の評価とかなり違っているところをどう解釈するのか。
これはステレオサウンド 60号の特集でのマッキントッシュのXRT20の評価ともつながってくるところであり、
ここで書いていると、話がどんどん逸れていくために割愛する。

54号を読みながら当時の私は、もどかしさを感じていた。
なぜガウスの輸入元はオプトニカ(シャープ)になったのか。
他の輸入元だったら……、と思っていた。

このころのガウスはスピーカーシステムを開発はしていなかったはず。
あくまでもスピーカーユニットのメーカーだったから、
輸入だけを行っている会社であれば、ユニットの販売だけになり、
システムでの販売はないわけだから、どこかの国内メーカーとガウスが組んだことは理解できる。

でも、なぜシャープなのか、と思っていた。
そして、なぜガウスは自社でシステム開発を行わないのか、とも思っていた。