世代とオーディオ(ガウスのこと・その16)
バート・ロカンシーが、その開発に深く関係しているユニットとしてパイオニア・TADの製品がある。
ウーファーのTL1601、ドライバーのTD4001がそうである。
TD4001の写真を見たときに、何かに似ている、と感じた。
ガウスのHF4000に似ていることに気づいた。
HF4000の写真とTD4001の写真を比較してみると、
似ているというよりも外観に関してはそっくりといってもいい。
TADもガウスもロカンシーがやっていたわけだから当然といえば当然であり、
だからこそ型番もガウスが4000であり、そのあとに登場したTADが4001であるのも頷ける。
TD4001の型番を誰が付けたのかわからない。
でも、私はロカンシーが付けたか、もしくは4001という要望を出したのかもしれない、と思っている。
HF4000と基本的に同じながらも、HF4000の口径モデルとして改良されているわけだから、
1ステップ進んでいるという意味での「4001」のような気がしてならない。
このことはHF4000の開発まではロカンシーはガウスにいたことの証明でもある。
おそらくトゥイーターの1502はロカンシーの設計ではない、と思っている。
ステレオサウンド 38号に掲載されたガウスの写真は、
ステレオサウンドによる撮影ではなく、
メーカーもしくは輸入元に決りかけていたところから提供された写真である。
この写真には1502は写っていない。
HI-FI STEREO GUIDEのバックナンバーをみると、
ガウスは、1977年12月に発売されている’77-’78年度版に新製品として載っている。
フルレンジユニットが三機種、ウーファーが十四機種、あとはHF4000とホーンが二機種だけである。
1502がHI-FI STEREO GUIDEが載ったのは、半年後の’78年度版からである。
ロカンシーはこの時期、すでにガウスを離れパイオニア・アメリカに移っている。
エド・メイも1972年にJBLに復帰している。1976年に再びJBLから離れ、
スーパースコープ時代のマランツで、900シリーズのスピーカーシステムをてがけている。
ガウス初期の主要メンバーは、ガウスの輸入が始まったころにはいなくなっていた。