Date: 11月 21st, 2015
Cate: 世代
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世代とオーディオ(ガウスのこと・その15)

ステレオサウンド創刊20周年記念別冊として出版された「魅力のオーディオブランド101」の中で、
菅野先生が、ガウスはもともとはデュプリケーターのメーカーだった、と話されている。
プロの分野ではデュプリケーターで有名だったそうだ。

このガウスに、JBLにいたエドモンド・メイ(Edmond May)1969年から1972年まで在籍している。
エド・メイは、JBLで4310、4320といったスタジオモニターの他に、Decaedシリーズ、L65などを手がけていた。
彼がガウスでスピーカーの開発に携わっている。

そしてもうひとりJBLからガウスへ移籍してきたのが、よく知られるバート・ロカンシー(Bart Locanthi)である。
ロカンシーはJBLを1970年に離れている。
その後アルテックに移りガウスに来て、1975年からパイオニア・アメリカである。

ロカンシーがガウスにいたのが正確にいつからいつまでなのかは,わからない。
エド・メイとバート・ロカンシーのふたりがガウスに在籍していたのは、1970年から1972年なのか。
ロカンシーはエド・メイがいなくなったあとも、パイオニア・アメリカに移るまではガウスにいたようだ。

ステレオサウンドにガウスが紹介されたのは、38号(1976年3月発売)である。
新製品紹介のページで、山中先生と井上先生がガウスについて語られている。

ただ、記事中にもあるように、試聴に間に合わなかったため、あくまでも紹介に留まっている。
この記事で、山中先生は、ガウスは大パワーに強いコーン型ユニットを数機種発表していて、
アメリカで評判になっていた、と語られている。

38号に掲載された写真には、コーン型ユニットとともにコンプレッションドライバーのHF4000も写っている。

記事では、試聴は次の機会にゆずる、とある。
ということは、この時点で輸入元がほぼ決っていた、と思われる。
まだ本決まりでなかったため、
輸入元については何も語られずに、紹介のみになってしまったのではないだろうか。

結局、「次の機会」はないままだった。
シャープがガウスの輸入元に決り、ガウス・オプトニカの製品を出すまで、
ステレオサウンドにガウスは登場しなかった。

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