Archive for category ディスク/ブック

Date: 12月 30th, 2017
Cate: ディスク/ブック

ニュー・アトランティス(その3)

『「もの」に反映するジョンブル精神』から、あと一本書き写しておきたい。
     *
最初の「拡声器」を作った人は、イギリス人、サミュエル・モーランド卿であると、ヨハン・ベックマンは言う(『西洋事物起源』特許庁内技術史研究会・ダイヤモンド社)。サミュエルは、数年にわたって多くの実験を行なった後、1671年に拡声器に関する本を発行した。この器具は、口が広いトランペットのような形状のもので、彼は最初、これをガラスで作らせ、後に、種々の改良を施して銅で作らせた。彼はこれを用い、王(チャールスII世)や、ルパート(Rupert)皇子らの人びとの隣席の下でさまざまな実験を行ったが、人びとはその効力に驚嘆したのであった。ベーコンの予言、『ニュー・アトランティス』の約半世紀あとのことであった。サミュエル・モーランドと、ほぼ同時代人だったのが、ニュートンである。ニュートンによって象徴されるように、17世紀は、数学や物理や化学の基礎研究が積み重ねられていった時代である。それが18世紀前半から、せきを切ったように、発明ラッシュとなり、やがて産業革命のクひとつの要因となっていく、そういう世紀を準備していた時代でもある。『電気音響学』の名著(1954)で知られるフレデリック・ハントは、その学問の契機となった重要な発見として、1729年のステファン・グレイによる電気の導体と不導体の区別を挙げている。もちろん、グレイもイギリス人である。次の世紀にあらわれたマイケル・ファラデーの名前はあまりにも有名である。かれが発見した電磁誘導の現象を、さらに深く追求したのが、ジェームス・マックスウェルであり、その後継者、ジョン・ウィリアム・ストラット・レーリイは今日もなお復刻されている名著『音の理論』を著わした(1877年)。これだけの種がまかれてきたのだから、20世紀のイギリス人のオーディオでの分野の収穫が、その質において、きわめてたこかいものも充分にうなずけるのである。
     *
THE BRITISH SOUNDのカラー口絵ということを差し引いても、
底の深さのようなものを感じる。

そしてくり返しになるが、情報革命は劇場から、ということも深く実感する。

THE BRITISH SOUNDには、「英国製品の魅力を語る」というページもある。
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、長島達夫、柳沢功力の五氏によるものだ。

井上先生が、こんなことを書かれている。
     *
 英国のオーディオは、その歴史も古く、趣味性豊かでオリジナリティのある製品を、SP時代の昔から原題にいたるまでつくり続けてきた点で、特異な存在である。
 英国のオーディオの独自性を示す一つの例がある。去年の八月末に西独デュッセルドルフで開かれたテレビ・ラジオ・ショー(日本のオーディオフェアに相当する)で、各国のジャーナリストが集まり良いオーディオ製品とは何か、をメインテーマとして話し合いをする催しが開かれた。これに西独のオーディオ誌から四名、英国のフリーランスの評論家二名、それに日本から三名が参加したときのことである。西独側が測定データをチェックし、それに補足的に試聴を加えて、基本的に測定データの優れた製品が良いオーディオ製品である、雑誌にもデータ類を優先し、主にグラフ化して発表するという立場を主張するのに対して、英国側は同様に測定データを優先させながらも、かなり試聴にも重点を置き、良い製品をセレクトし、リポートする立場をとる。このように、文字として記せば大差ないことのように思われがちな主張の差であるが、西独側の発言で、ヨーロッパでは一般にこのような考え方をする……というと、英国側から間髪を入れずに、我々は異なった見解であるという意味の反論が飛び出してきた。穏やかな話し合いの場でさえも、明確に自己の主張を通す態度は、少なくともこの催しの場では英国側の際立った特徴であり、西独側のほうが論理的ではあるが、むしろ、主張の鋭さにいま一歩欠けた点が感じられるようであった。
     *
イギリスのふたりのフリーの評論家が誰なのかはわからないし、
彼らがフランシス・ベーコンの「ニュー・アトランティス」を読んでいたのか、
サミュエル・モーランド、ステファン・グレイ、
ジョン・ウィリアム・ストラット・レーリイといった人たちのことを、
どれだけ知っていて、彼らを関連付けて捉えているのか、そんなことは一切わからないが、
それでも「イギリスこそが……」という自負のようなものがあるのではないのか。

それはシェークスピアの国だからなのか。

Date: 12月 29th, 2017
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ニュー・アトランティス(その2)

『「もの」に反映するジョンブル精神』の文章は、
私の記憶違いでなければ、Kさんである。

私よりかなり年上のKさんは、知識欲旺盛な人である。
こういうひとが、あの大学に行くのだな、と納得させられるほど、
あらゆる勉強を楽しまれている感じを、いつも受けていた。

しかもマンガもしっかり読まれている、というのが、私には嬉しかった。

「ニュー・アトランティス」について書かれた次のページには、こうある。
     *
シェークスピアの同時代人であるベーコンが音響工学に興味を持った理由を想像してみる。そこで、思いつくのは、この時代のロンドンのひとたちの演劇についての異常なまでの熱狂ぶりである。木造で、数千人を収容できる公衆劇場が、1600年当時、すくなくとも5つか6つ存在した、と推定されている。この店ではヨーロッパの他の都市にはくらべるものがなく、ロンドンをおとずれた外国人をおどろかせたという。この話を紹介しているフランセス・イエイツ(『世界劇場』藤田実訳・晶文社)は、これらの劇場が、いずれも〝古代ローマ人の方式にならった木造の〟劇場であったと述べている。〝これらの建物には屋根がなく、座席が階段状についた桟敷(ギャラリー)が、劇場のまんなかの上に開いた空間「中庭(ヤード)」を取り囲み、この中庭に開け放しの舞台(オープン・ステージ)がつき出ている。〟イギリスのルネッサンスは、劇場と演劇というかたちで、その独自の発現を見せたようである。その頂点に、私達は、あのウィリアム・シェークスピアの名を見ることができる、そう言ってよいだろう。数千人を収容できる公衆劇場が、PA装置もなく用いられるとしたら、これはどうしても音響工学と直面しなければならなくなってしまう。これらの劇場の下敷となったと思われる、古代ローマの建築家、ヴィトルヴィウスの著述のことをも、イエイツは指摘している。このヴィトルヴィウスは劇場の音響効果にも、すでに大きな関心をはらっていた。ヴィトルヴィウスの建築書を、歴史のなかから、ルネッサンスのヨーロッパに持ちこんだのはイタリア人だったが、それを、故大劇場の復活というかたちで、もっともよく生かしたのはイギリス人だった。それは、同時に、音響工学のルネッサンスでせあった。イギリス人は、その歴史を受け継いでいるのである。
     *
こうやって書き写していても、Kさんでなければ書けない文章だ、と思っていた。

同時に、農業革命は農場から、工業革命は工場から、
情報革命は劇場から、という川崎先生のことばも思い出していた。

Date: 12月 29th, 2017
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ニュー・アトランティス(その1)

1622年から24年にかけてフランシス・ベーコンが「ニュー・アトランティス」を書いている。
17世紀、いまから400年ほど前に、フランシス・ベーコンは音響研究所について書いている。
     *
 また音響研究所ではあらゆる音を実際に発生させ実験している。われわれにはあなた方にはない和音、四分の一音やそれ以下の微妙な違いの音によるハーモニーがある。同じくあなた方の知らぬさまざまな楽器があり、あるものはあなた方のどの楽器も及ばぬ甘美な音色を出す。典雅な音を奏でる鐘、鈴の類もある。小さな音を大きく、深く響かせ、大きな音を弱め、鋭くすることも、本来は渾然一体てある音を震わせ、揺るがせることも、あらゆる明瞭な音声と文字、獣の咆哮、鳥の歌声を模倣し、表現することもできる。耳に装着して聴覚を大いに助ける器具もあれば、音声を鞠でも投げ返すように、何度も反響させて、種々の奇妙な人工木霊を作り、来た音声を前より大きくして返したり、高くも低くもする装置もある。あるものは、もとの綴りとも発音とも明らかに違う音声に変えてしまう。筒や管を用い、奇妙な経路を経て遠くに音声を運ぶ手段もある。
(「ニュー・アトランティス」 川西進訳・岩波文庫より)
     *
初めて読まれる方もいるはずだ。
どう思われただろうか。
驚かれた、はずだ。

「ニュー・アトランティス」に音響研究所についての記述があるのは、1983年に知った。
ステレオサウンド別冊THE BRITISH SOUNDのカラー口絵。
『「もの」に反映するジョンブル精神』とつけられた10ページの記事。

この記事で、音響研究所の箇所を読んだ。
驚いた。

THE BRITISH SOUNDでの引用は、中橋一夫訳・日本評論社から、である。
当時、「ニュー・アトランティス」を読もうと思ったのに、
なぜかいまごろ読んでいるのは、手に入らなかったから忘れてしまったのか……。
もうはっきりとは憶えていない。

それから今日までTHE BRITISH SOUNDは何度も開いている。
その度に、「ニュー・アトランティス」のところを読んでいたわけではないが、
何度かは読み返している。

それでも、いまになって、あらためて、すごい予見だ、と思っている。

Date: 12月 7th, 2017
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30年ぶりの「THE DIALOGUE」(余談)

ステレオサウンド 52号、
瀬川先生による「JBL♯4343研究」は、
プリメインアンプで4343をどこまで鳴らせるか、という企画である。

「THE DIALOGUE」も試聴レコードの一枚で、試聴記の中にも何度か出てくる。
ラックスのL58Aの試聴記にも出てくる。
     *
たとえば「ザ・ダイアログ」で、ドラムスとベースの対話の冒頭からほんの数小節のところで、シンバルが一定のリズムをきざむが、このシンバルがぶつかり合った時に、合わさったシンバルの中の空気が一瞬吐き出される、一種独得の音にならないような「ハフッ」というような音(この「ハフッ」という表現は、数年前菅野沖彦氏があるジャズ愛好家の使った実におもしろくしかも適確な表現だとして、わたくしに教えてくれたのだが、)この〈音にならない音〉というようなニュアンスがレコードには確かに録音されていて、しかしなかなかその部分をうまく鳴らしてくれるアンプがないのだが、L58Aはそこのところがかなりリアルに聴けた。
     *
《一種独得の音にならないような「ハフッ」というような音》、
たしかに、そういう音が「THE DIALOGUE」にはある。

この「ハフッ」という表現を使ったジャズ愛好家──、
一関ベイシーの菅原正二氏なのではないだろうか。

Date: 12月 7th, 2017
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マーラー 交響曲第二番

ショルティ/シカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲第二番を、
ひさしぶりに聴いた。

「THE DIALOGUE」も約30年ぶりに今年聴いたけれど、
ショルティのマーラーの二番も、そうとうにひさしぶりである。

20代のころ聴いたCDは、
国内盤であっても、プレスは西ドイツの盤だった。
二枚組だった。

今回聴いた(昨晩のaudio wednesdayで鳴らした)CDは、
国内プレスの国内盤で、しかも一枚にまとめられている。

比較試聴すれば、音の違いはあるのだろうが、
とにかく鳴らしてみた。

第一楽章冒頭の低弦の鳴り方。
記憶に残っている鳴り方とは違うところもあるけれど、
大事なところで違っていたわけではなかった。

昨晩は、二回鳴らした。
一回目は、三枚目のディスクとして鳴らした。
二回目は終りごろに鳴らした(何枚目のディスクかは数えていない)。

時間としては三時間ほど経っている。
そのあいだにも、スピーカーのセッティングを少し変えている。

アンプも部屋も暖まっている。
スピーカーもほぼ鳴らし続けている。

一回目と二回目は、ずいぶんと違った。
一回目では、こういう録音を、この音量(けっこうな音量)だと、
いまのままではトゥイーターの075の鳴り方が厳しいなぁ、とも感じたが、
二回目では、そのあたりが随分と変化していた。

第一楽章を終りまで鳴らした。
「一本の映画を観ているようだった」という感想があった。

来年のaudio wednesdayでは、このディスクをかけることが増えそうであるし、
このショルティのマーラーの二番を、
喫茶茶会記の裏リファレンスディスクにしよう、と勝手に決めた。

Date: 11月 28th, 2017
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喫茶茶会記の本

12月18日ごろに、トランジスタ・プレスという出版社から、
喫茶茶会記の本が出る。

喫茶茶会記、10周年記念の本である。
本が出る(出す)ということは、店主の福地さんから夏ごろに聞いていた。

どんな本に仕上がっているのかは、まだ知らない。

Date: 11月 17th, 2017
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劇音楽「エグモント」

ベートーヴェンの劇音楽「エグモント」といえば、
ジョージ・セル指揮ウィーンフィルハーモニー(デッカ盤)が真っ先に浮ぶし、
ジョージ・セルといえば、この「エグモント」が最初に浮ぶくらいに、
私の中では「エグモント」とジョージ・セルの結びつきは強すぎるくらいに固い。

このセルの「エグモント」は長島先生が、よく試聴用レコードとして持参されていた。
もちろんLPである。

この「エグモント」は、とあるジャズ喫茶の、いわばリファレンスレコードでもある。

それまで私が聴いてきたセルのレコードは、
ほとんどがクリーヴランド管弦楽団を指揮してのものだった。
セルとウィーンフィルハーモニー、
それに序曲だけは聴いたことのある「エグモント」の全曲盤でもある。

鳴り出してきた音は、
このレコードが、ジャズ喫茶のリファレンスレコードなのだ、ということが納得できるものである。
もっとも最初に聴いた時には、まだそのことは知らなかったけれど、
後にそうだ、と聞いて、納得したものである。

セルの「エグモント」は、なかなかCDにならなかった。
1980年代後半に、音楽之友社が独自にCD化したのが最初だった。

CD化されない名盤を独自に……、という企画を、当時の音楽之友社は行っていた。
解説は、確か黒田先生が書かれていた、と記憶している。

このCDもいまは手元にない。
手離して十年ほど経ってくらいに、無性に聴きたくなった。
けれどCDは入手できなかった。
CD化されていたけれど、すぐに廃盤になったのか、
それとも音楽之友社のCD以降、デッカからは出ていなかったのか、
そこまで調べていないけれど、「えっ、いまもないのか」と思ったことははっきりと憶えている。

音楽之友社のCDは、いま聴くと印象が多少は変るのかもしれないが、
当時の印象は、LPで聴いたほどには強烈なものではなかった。

悪いわけではない……、
けれど、何かが欠けている気がする……、
そんな印象がどうしても拭い去れなかった。

いまはユニバーサルミュージックからCDが出ている。
輸入盤はないみたいだ。

12月のaudio wednesdayで、久しぶりに聴いて(かけて)みたいとおもう。

Date: 9月 25th, 2017
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オーヴェルニュの歌

カントルーブの「オーヴェルニュの歌」といえば、
ネタニア・ダヴラツの歌唱が有名であっても、
私が最初に聴いたのは、キリ・テ・カナワとフレデリカ・フォン・シュターデのどちらかだった。

ダヴラツの「オーヴェルニュの歌」を聴いたのは、CDになってからだった。
そのCDも、もう手元にはない。

聴きたくなることはある。
岡先生によるダヴラツの「オーヴェルニュの歌」のCDの紹介記事を読んでいたから、
無性に聴きたくなっていた。
その数日後、タワーレコードからのニュースで、
ダヴラツの「オーヴェルニュの歌」のリマスター盤が出ることを知った。

発売日は来月である。
少し待たねばならないが、このくらいならしんぼうできる。

Date: 8月 31st, 2017
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完全な真空

スタニスワフ・レムの「完全な真空」。
この本を手にしたのは、出版社が国書刊行会だったということも大きい。

1989年に翻訳が出た。
ステレオサウンドを辞めてしばらくしてのことだった。

当時編集顧問をされていた方から、国書刊行会の本は読んだほうがいいよ、と言われていた。
他に読みたい(買いたい)本もあったけれど、「完全な真空」を手にとってレジへ行った。

「完全な真空」は架空の書籍の書評集である。
いまも手に入る本だし、特にその内容について書くつもりも、この本の書評を書くつもりもない。

当時「完全な真空」に刺激されて、架空のオーディオ機器の批評を考えた。
その数年後に、サウンドステージの編集を手伝う機会があって、
実は一本だけ記事を作ったことがある。

架空の、海外のオーディオ雑誌を翻訳するというかたちでの、
架空のオーディオ機器の批評記事である。
三本ほど、どんなことを書くかも考えていた。

結局、サウンドステージの仕事から離れることになり、掲載されることはなかった。
この記事につけていたタイトルが「絶対零度下の音」である。

絶対零度下では分子運動さえ止ってしまう。
つまり音は存在しない状態のはずだ。

完全な真空がありえないように、絶対零度下の音も存在しない。

この「絶対零度下の音」は、私にとって、のちに別の意味をもちはじめた。

Date: 8月 21st, 2017
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スメタナ 交響詩「わが祖国」(その1)

ラファエル・クーベリック指揮の「わが祖国」は六枚のディスクが残されている。
六枚すべてを聴いているわけではない。

自分で買ったディスクもあれば、
どこかで聴いたディスクもある。
じっくり六枚の「わが祖国」を比較試聴したわけではない。

そんな私にとって、クーベリックの「わが祖国」といえば、
1984年のライヴ録音が、もっとも心に深く残っている。

バイエルン放送交響楽団を指揮してのオルフェオ盤は、
スメタナ没後100年、クーベリック生誕70年を記念して行われた演奏会を録音したものだ。

もう「わが祖国」を通して聴きたい、と思うことはなくなった。
それでもクーベリックの、この盤の「モルダウ」だけは、
つよく聴きたくなる時が、ふいにおとずれる。

Date: 8月 11th, 2017
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ブラームス ヴァイオリン協奏曲(クライスラー盤)

 ステージで演奏するソナタや、協奏曲を、暗譜で弾いたフリッツ・クライスラーは、大変な近眼だったので、伴奏者への配慮で一応、譜面を前にしてはいるが譜などまるで見ていなかったと、ミヒャエル・ラウホアイゼンは語っている。ラウホアイゼンは一九一九年から十年余、クライスラーの伴奏をつとめたが、その回想で又こうも言っている。——「ステージで演奏の休止のとき、クライスラーはヴァイオリンの頭部をもって、ぶらさげ、けっして脇の下に抱えたりはしなかった。一度、わけをたずねたら、そんなことをすれば弦をあたため、音が変ってしまうと彼は嗤った。又、あごの下にクッションを当てるようなことも此の巨匠はしなかった。クッションを使用すると、ヴァイオリンの音がこもる、ほら、こんな具合に——と弾き較べてくれたのが……」クライスラー愛好家ばかりか、音キチなら快哉を叫びたい挿話だろう。
     *
五味先生の「音楽に在る死」からの引用だ。

クライスラーは1950年に引退している。
これ以降のヴァイオリニストも多くは、脇の下にヴァイオリンを抱えている。
顎の下にクッションも当てる人もけっこういる。

この人たち(ヴァイオリニストたち)にとって、音とはその程度のことなのか、と思ってしまう。

「音楽に在る死」には、こうも書いてある。
     *
 ジャック・ティボーは、どうしてもクライスラーの演奏した数々の協奏曲の中で、一つを選ばねばならないなら、躊躇なくブラームスのを採ると言ったそうである。なるほど、レオ・ブレッヒ指揮のベルリン国立オペラ管弦楽団とのそれは、ベートーヴェンやメンデルスゾーンの協奏曲とともに、SP時代、空前絶後の名演と讃えられ、クライスラーでなくば夜も明けぬ時期が私にはあったが、白状すると、メンデルスゾーンやベートーヴェンほど中学生には面白くなかった。私だけに限らぬようで、この協奏曲が、ヨアヒムとの親交なしに生まれなかったろうことは知られているが、そのヨアヒムが「自分のように指の大きな者でないと弾きにくかろう」と言い、それほど至難な技巧の要求されるわりに花やぎのないことをフォン・ビューローも指摘している。(ブルッフはヴァイオリンに味方する協奏曲を書いたが、ブラームスはヴァイオリンに敵対するそれを書いた——ハンス・フォン・ビューロー)要するに大変シンフォニックで難渋なこの曲が中学生に分るわけはなかった。門馬直美氏の解説で知ったのだが、この曲の完成後数年たって、当時早くも完璧な技巧の持主といわれたフーベルマンが十歳前後でこれを弾いたとき、天才とか神童をあまり好きでなかったブラームスも、次第に演奏に惹きつけられ、終ってから控室に出向いて、演奏途中で喝采が起って気分がそこなわれたと悲観していたこの少年を抱いて、接吻し、褒めたたえて言うのに「そんなに美しく弾くものじゃないよ。」——ブラームスの面目躍如たる挿話だ。且この曲がどんな種類の音楽かもこの挿話は明かしている。
 クライスラーは、申してみればフーベルマンの再来だろう。
     *
クライスラーは引退後、それまで蒐集した楽器や美術品を手放したそうだ。
けれどブラームスのヴァイオリン協奏曲の自筆譜とショーソンの「詩曲」の自筆譜は置いていた。

Date: 7月 19th, 2017
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没後20年 武満徹オーケストラ・コンサート(2016/10/13)

2016年10月13日、没後20年 武満徹オーケストラ・コンサートに行ってきたことは、
その日のブログに書いている。

録音がなされていたことも書いた。
CDになって出るであろう、と思っていたが、なかなかリリースされなかった。

ようやくタワーレコード限定で、
没後20年 武満徹オーケストラ・コンサート(2016/10/13)」が発売される。

聴きに行ったコンサートが収録されていることは、これまでもあった。
CDになって出ているものもある。

「没後20年 武満徹オーケストラ・コンサート(2016/10/13)」も、
そういう一枚であるが、他の同種のディスク(録音)と少し違うのは、
曲目によって編成が変っていくのにあわせて、
マイクロフォン・セッティングも変っていた。

メインのマイクロフォンは、上から吊されているから変化はないが、
補助マイクロフォンは本数も位置も、曲に応じて変えられていた。

武満徹の作品をあまり聴かない私でも、
このディスクはその点でも興味深い。

Date: 7月 17th, 2017
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揺れるまなざし

1976年秋、テレビから流れてきた資生堂のコマーシャルには、
目を奪われた、と表現したらいいのか、
当時13歳だった私は、もう一度「ゆれる・まなざし」のコマーシャルを見たいと思った。

前年にソニーからベータマックスの家庭用ビデオデッキは発売されていたけれど、
普及しているわけではなかった。
ビデオデッキがあれば、何度も見れるのに……、と思ったし、
同じクラスだったT君もそうだったようで、
彼は化粧品店に頼んで、「ゆれる、まなざし」のポスターを貰っていた。

真行寺君枝という名を、このとき知った。

バックに流れていたのは、小椋佳の「揺れるまなざし」だった。
小椋佳のCDは一枚、「揺れるまなざし」が収められているのだけを持っている。

情景が浮んできそうな歌詞。
けれど「揺れるまなざし」だけは、はっきりとした情景として浮ぶことはなかった。
真行寺君枝は美しかった。

それでも真行寺君枝のまなざしが、「ゆれる、まなざし」とは感じられなかった。

「揺れるまなざし」の歌詞は、物語のようでもある。
冬も近くなった秋なのは、歌い出しの歌詞でわかる。

続く歌詞、
 めぐり逢ったのは
 言葉では尽くせぬ人 驚きにとまどう僕
 不思議な揺れるまなざし

こんなことが現実にあるのか、と思った。
あったらいいなぁ、とも中学二年の私は願ってもいた。

現実にはそんなことはなかった。
50年以上生きていれば、ハッとするほど美しい人とすれ違うことはある。

それでも「揺れるまなざし」が描く情景とは、違っていた。
《驚きにとまどう》ことはなかった。
《言葉では尽くせぬ人》ではなかった。

先日、横浜に朝から用事があった。
信号待ちをしていたときが、まさに「揺れるまなざし」だった。

近くに立っていた人のまなざしがそうだった。
驚きにとまどった。
言葉では尽くせぬまなざしだった。

「揺れるまなざし」から41年経って、
歌の世界だけではないことを知った。

すぐに「揺れるまなざし」を思い出していたわけではない。
しばらくして、すこし落ちついて「揺れるまなざし」を口ずさんでいた。

Date: 7月 10th, 2017
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兵士の物語

ストラヴィンスキーの「兵士の物語」を知った(聴くようになった)きっかけは、
ステレオサウンドで当時連載されていた岡先生の「クラシック・ベスト・レコード」だった。

日本フォノグラムが、オーディオファイル・コレクターズ・シリーズとして発売した一枚だった。
「兵士の物語」という作品があるのはなんとなく知っていたけれど、まだ聴いていなかった。
それほど聴きたいと思っていたわけでもなかったが、
岡先生の、67号の文章を読んでいたら、すぐにでも聴きたくなったのを憶えている。

ジャン・コクトーが台本を書き直し、
コクトー自身が語りを担当したことでも知られるマルケヴィチ盤である。

この盤について詳しく書くこともないだろう。
録音は1962年、
オーケストラといっても編成は七人、
登場人物もわずか。
小さな規模の舞台音楽だけに、その音のリアリティに当時少なからず驚いた。
しばらくよく聴いていた一枚だ。

岡先生にとって、
《筆者のレコード棚の最良席を占めていて、ききたいときは即座に出せるようになっている》
一枚である。

過去のさまざまな名録音がいくつもSACDとなっている。
タワーレコードは独自の企画で、SACDを出している。
この「兵士の物語」も7月12日にタワーレコードからSACDとして発売される。

これはSACDで聴きたい、と思ったし、
劇場用スピーカーとしてのアルテックで聴きたい、とも思った。
うまく鳴ってくれそうな予感があるからだ。

喫茶茶会記でのaudio wednesdayで、一度鳴らしてみたい一枚でもある。
喫茶茶会記にはSACDプレーヤーがないので、まだ先の話だが……。

Date: 6月 17th, 2017
Cate: ディスク/ブック

THE DIALOGUE(その2)

別項で書いているように30年ぶりに「THE DIALOGUE」を聴いた。
それほど長くない時間で、しつこいくらいくり返し聴いた。
そのことを『30年ぶりの「THE DIALOGUE」』で書いた。
その8)まで書いて気づいた。

「THE DIALOGUE」はまさしく対話だ、と。
その1)で、あるジャズ好きの人から、
「音はいいけど、音楽的(ジャズ的)にはつまらない……」といわれた、と書いた。
そこには、ジャズではないというニュアンスも含まれていた。

30年前は、それに対して何もいえなかった。

30年ぶりに聴いて、楽器による対話だということを、実感した。
「THE DIALOGUE」というタイトルを忘れていたわけでもないし、
対話という意味があるのも知ってはいたが、それはあくまでも知識としてでしかなかった。

30年のあいだに、いくつもの「対話」をきいてきた。
それらがあったからこその、実感かもしれない。

「THE DIALOGUE」はまさしく対話だ、
だからこそジャズだ、といまならそういえる。