ソング・オブ・サマー
「ソング・オブ・サマー」が出ていたのを、
つい先日知った。
エリック・フェンビーによるディーリアスの本だ。
ディーリアスの名前だけは知っていた。
けれど、まだきいたことがなかった高校生のころ、
ケイト・ブッシュの三枚目のアルバムに「Delius」があった。
その歌詞に、フェンビーの名が出てくる。
フェンビーの名前を初めて知ったのは、ケイト・ブッシュの「Delius」のおかげだ。
とはいえフェンビーのことについて、すぐに何かを知ることができたわけではない。
二、三年して、やっとフェンビーのとディーリアスの関係について知った。
それでもフェンビーによるディーリアスを聴けたわけではない。
そのころの日本では、ビーチャム、バルビローリによる演奏が、
ディーリアスの定番となっていた。
どちらも聴いた。
でも、私は、ビーチャム、バルビローリによるディーリアスの音楽を聴く前に、
ケイト・ブッシュの「Delius」を聴いている。
その影響があるのは自分でもわかっている。
もっと違うディーリアスがあっていいのではないか──、
そんなふうに感じるところがあった。
何かもどかしさを感じていたともいえる。
フェンビーによるディーリアスのCDが出たのはいつだった。
1985年、もう少し前だったか、
六本木のWAVEで見つけたときは、嬉しかった。
やっとフェンビーの演奏でディーリアスが聴ける。
一方的な期待を持ちすぎて、初めてのディスクを聴いてしまうのは、おすすめしない。
フェンビーのディーリアスは、よかった。
ケイト・ブッシュの「Delius」で、私の中になにかが出来上っていたディーリアス像、
それにぴったりとはまるような感じを受けた。
正直にいおう、フェンビーのディーリアスを聴いて、
初めてディーリアスの音楽がいい、と思えた。
フェンビーの「ソング・オブ・サマー」は、評価も高いようだが、
残念なことにフェンビーによるディーリアスのCDはほとんどないのが現状だ。
CD-Rの七枚組を見つけた。
20代前半に聴いたフェンビーのディーリアス、
30年後に、もう一度聴けるだろうか、どう感じるのだろうか。