Archive for category ディスク/ブック

Date: 11月 5th, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その5)

昨晩のaudio wednesdayの最後にかける曲は、
あらかじめカザルスのモーツァルトに決めていた。

まず「ハフナー」をかけた。
残念なことに途中で、「偶然は続く(その3)」で書いているように、
マッキントッシュのMA7900の電源がふいに落ちた。

再び電源をいれて、最初からかけなおすことも考えたけれど、
「ジュピター」をかけることにした。

「ハフナー」にしても、「ジュピター」にしても、
一楽章から四楽章まで鳴らすつもりでいたので、
一楽章だけでなく最後まで聴いていた。

ライヴ録音なので、最後に拍手が入る。
拍手が鳴り出して、わりとすぐにMA7900の電源が落ちた。
この日、何度目になるのか。
途中で数えるのがイヤになるくらい、マッキントッシュの電源が落ちた。
十回ほどか。

それでもカザルスの「ジュピター」だけは、拍手の音は途中で切れたものの、
最後まで鳴らしてくれた。

Date: 11月 5th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Both Sides Now

昨晩(11月4日)のaudio wednesdayでは、
Bird 100がテーマだったので、
チャーリー・パーカー、ビリー・ホリデイ、バド・パウエル、
それからサンソン・フランソワをかけた。

19時からの、約四時間。
21時くらいに、ちょっと一休みという意味をかねて、
ジョニ・ミッチェルの“Both Sides Now”をかけた。

MQA(96kHz、24ビット)でかけた。

いいのは鳴らす前からわかっていたことなのだが、
それでも予想を超えて、よかった。

“Both Sides Now”は、ちょっとだけ意図を込めての一曲だっただけに、
ここまでうまく鳴ってくれると、何もいうことはない。

チャーリー・パーカー、ビリー・ホリデイなどをかけ終ったあとで、
パブロ・カザルス指揮のモーツァルトを鳴らした。

そういう意味を込めて、かけた。

Date: 11月 3rd, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その4)

指揮者パブロ・カザルスの演奏は、
録音は残っているけれど、映像はないものだ、と今日まで、そう思っていた。

残っていてもおかしくはないのだけれど、なんとなくそう思い込んでいた。
でも、残っていた。

YouTubeに“Casals at Marlboro”がある。
14分32秒の、さほど長くない動画だけれど、冒頭と最後のところで、
モーツァルトの「ハフナー」を指揮するカザルスが、数分とはいえみることができる。

「ハフナー」のときだから、1967年のマールボロ音楽祭だ。

とにかくカザルスの指揮する姿をはじめてみた。

Date: 10月 30th, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その3)

カザルス指揮によるモーツァルトの後期交響曲六曲で、
20代のころ、いちばん聴いていたのは、ト短調(40番)だった。

ハ長調(41番)は、なぜだか、まったくといいほど聴かなかった。
カザルスの演奏が──、というよりも、
「ジュピター」のニックネームで呼ばれている、この交響曲を、
当時の私は、意識的に遠ざけていた。

いま思うと、なぜなんだろう? と自分でもなぞでしかないのだが、
ほかの指揮者でも「ジュピター」を聴くことは、ほとんどなかった。

40近くなったころに、なにかのきっかけで「ジュピター」を聴いた。
聴いていて、20代のころ、聴く機会はけっこうあったにもかかわらず避けてきた、
その理由をおもいだそうとしたけれど、何もなかった。

それでも、もっと早く聴いておけばよかった──、と思ったわけではない。
まったく聴いていなかったわけではないし、
カザルスの「ジュピター」も、数えるほどでしかないが、聴いていた。

とはいえ、記憶のなかで鳴り響くカザルスのモーツァルトは、ト短調ばかりだった。
カザルスの「ジュピター」は……、と思い出そうとしても、朧げだった。

カザルスの「ジュピター」は、熱かった。
こうなると、カザルスの「ジュピター」ばかり聴く日が、しばらく続いた。

不思議なもので、それでも、もっと早く聴いていれば、
そのよさがわかっていれば、といったことはおもわなかった。

いま聴いて、素晴らしいと思える──、
そのことに、音楽を聴く喜びを感じられれば、それでいいのだと。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ディスク/ブック

BEETHOVEN · Die Violin-sonaten

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ十曲。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタほど熱心に聴いてきたとはいえない。

それだから、1998年だったかに出たアンネ=ゾフィー・ムターのそれに関心をもつことはなかった。
ムターの演奏は、レコードよりも先に、
1981年のカラヤン/ベルリン・フィルハーモニーとの公演で聴いている。

東京文化会館で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だった。
かなり無理してチケットを手に入れた。
S席なんて無理で、A席も当時の私には高くて買えなかった。
B席がやっとだった。

ステージからは遠い。
そのせいもあったとは思うのだが、きれいとは感じても、
ベートーヴェンの音楽とは感じなかった。

そのことが強く印象にあって、ムターに、その後関心を持たなくなった。
そのこともあったから、よけいにムターのヴァイオリン・ソナタを聴きたいとは思わなかった。

数ヵ月前に手にした吉田秀和氏の「ベートーヴェン」。
ここにムターのヴァイオリン・ソナタがとりあげられている。
読んでいて、ムターの、この録音を聴きたくなった。
     *
 ムターは、かつてカラヤンの下でやった協奏曲の中に象徴される美しく甘いベートーヴェンの像に逆らって、別のベートーヴェンを提出する。それは新しいベートーヴェン像を築くというだけでなく、かつての自分のアンティテーゼを提出することでもある。つまり、ここでは一人の音楽家がベートーヴェンの追求を通じて、新しい自己の確立を計っているのである。
     *
ここを読んだだけでも、聴きたくなった。
さっそく買おう、と思ってタワーレコードに注文したけれど、
入手できませんでした、という返事が数週間後に届いた。

新品での入手は、もうできないようだ。
中古で手に入れるしかない。
といっても、すんなり見つかるのが、今の時代である。

私の感想は、特にいいだろう。
吉田秀和氏の「ベートーヴェン」にあるとおりだった。

1981年、ムターをドイツ人とはまったく感じなかった。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでのムターは、はっきりとドイツ人である。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Billie Jean(その1)

マイケル・ジャクソンのディスクは一度も買ったことはない。
それでも、あれほどヒットしていたから、どこかでは耳にしている。
“Billie Jean”も、何度かは聴いている。

断片的に聴いたこともあるし、通しで聴いたこともある。
それでも自分のシステムで聴いたことはないし、
誰かのシステムで、というわけでもなかった。

今回、コーネッタで“Billie Jean”を聴いた。
こうやって聴くのは今回が初めて、といっていい。

聴いて、こんなにも音がいいのか、と驚いた。
いまさら驚くなんて……、といわれるだろうが、
なんと気持ちの良い音なのか。

キレッキレの躍動感で鳴ってくれる。
だからといって耳障りなわけではなかった。

音が鳴ってきた瞬間、音がいいと驚いた。
聴いているうちに、たっぷりとお金をかけられた音のよさでもあるな、と思っていた。

マイケル・ジャクソンほどヒットを飛ばしている歌手だから、
これだけの録音が許されたんだろうなぁ、
いまこんな贅沢な録音が許される人は誰がいるんだろうか……、
そんなことも思っていた。

コーネッタで“Billie Jean”なんて……、と思い込んでいる人は聴かなくていい。
そんな人は、今回のaudio wednesdayと同じシステムを与えられても、
“Billie Jean”をうまく鳴らせっこない、と思うからだ。

Date: 10月 8th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Sel

ついさきほど昨晩のaudio wednesdayでのプレイリストを公開した。
19時開始で、23時まで、途中21時ごろ短い休憩を入れたが、
ずっと野上さんと赤塚さんの選曲を聴いていた。

RoonとTIDALを使ってだから、
CDのかけかえによる曲と曲との空きはなく、
切れることなく音楽が鳴っているから、みな黙って聴いていた。

それでも赤塚さん選曲のSmadj(スマジ)の「Sel」が鳴ったあとは、
みな驚いていた。驚きの声があがった。

私も聴いていて驚いていた。
選曲した赤塚さんも、その鳴ってきた音に驚いていたぐらいだから、
みんな驚いて当然なのだろう。

Smadjはチュニジアのミュージシャン。
このブログを読まれている人で、Smadjを知っている、聴いているという人は、
どれだけいるのだろうか。
私はまったく知らなかった。

聴いている人は、少ないだろう。
だから、昨晩聴いたなかで、Smadjの「Sel」をイチオシしたい。

Date: 10月 3rd, 2020
Cate: ディスク/ブック

クラウス・テンシュテットのマーラー

別項「タンノイはいぶし銀か」で、
東欧のオーケストラの音についてのコメントがあり、
そのことで思い出したことを少しばかり書いた。

書いてしばらくして、そういえばと、
テンシュテットも東ドイツ出身の指揮者だったことを思い出す。

黒田先生だったと記憶しているが、
テンシュテットの録音がEMIが出始めたころに、
テンシュテットを大きな氷山に喩えられていた。

氷山の一角といわれるように海面にあらわれているのは、ほんの一部で、
海中にはその何倍もの大きさが隠れている。

テンシュテットが、そのころ見せ始めたのは、まさしく氷山の一角で、
これからその全貌を、われわれにみせて(聴かせて)くれるであろう、と。
そんなことを読んだ記憶がある。

なるほどなぁ、と思いながら読んでいた。
私が買った(聴いた)テンシュテットの最初のレコードは、マーラーだった。
六番が最初だった。

そのころステレオサウンドの試聴室で何度となく聴いていたレーグナーのマーラーの六番。
テンシュテットの場合は、亡命して西欧のオーケストラを振ってもので、
そのころは、そのへんのことをあれこれ考えながら(比較しながら)、
聴くことはしていなかったし、考えてもいなかった。

テンシュテットのマーラーは、その後もいくつか聴いている。
けれどマーラーばかり、テンシュテットばかり聴いているわけでもないから、
テンシュテットのマーラーをすべて聴くことはなかった。

テンシュテットの名声は、私がそうやって聴いていたころも、
あとになって非常に高くなっていた。
でも、そのころはテンシュテットから遠ざかっていた。

二年ほど前だったか、タワーレコードに、
テンシュテットのマーラー全集のCDボックスが、三千円を切る価格で売っていた。
ひさしぶりにテンシュテットのマーラーを聴こうかな、と思いつつ、
手にとっては見たものの、他に優先したいディスクがけっこうあり、
わずか三千円ほどであっても、レジまで持っていくことはなかった。

そのあとも、何度か店頭でみかけている。
いつこのあいだもみかけた。
それでも他のディスクを優先してしまった。

先日、タワーレコードのサイトを眺めていたら、
テンシュテットのマーラーの一番、五番、九番、十番(一楽章)、
テンシュテットのマーラーでアナログ録音だったものが、
SACDになっているのを知った。

何年か前に出ていたのに気づいていなかった。
今回は違う。ひさしふりにテンシュテットのマーラーである。

Date: 10月 2nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その5)

これも、レコード(録音物)の落穂拾いか、と自覚しつつも、
ハイフェッツのバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを買った。

LPで昔聴いていた。
それでもあまり印象に残っていない。

私にとってハイフェッツといえば、
ブルッフのヴァイオリン協奏曲がまっさきに思い浮ぶヴァイオリニストである。

五味先生もハイフェッツのブルッフは聴かれていた、ときいている。
ブルッフの印象は思い出すことはあったが、
バッハに関しては、ほとんど残っていない。

ただシゲティ、シェリングとは違う演奏であることぐらいは憶えている。
エネスコ、シゲティ、シェリング。
これだけあれば、私は満たされている。

これだけしか持っていないわけではない。
他にも持っている(聴いている)。
最近の録音でも、いくつか聴きたいのはある。

なのに、それらの録音ではなく、
いまさら、またハイフェッツのバッハが気になってきたし、
ハイフェッツを優先してしまっている。

Date: 10月 2nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その7)

オーディオマニアは、AとBとに分けられる。
こんなことをたまにみかける。

オーディオマニアに限らず使われているのだから、
またか、と思う。
そう思うくらいなので、個人的にはあまり使いたくないのだが、
身体が憶えている音に関しては、これを使いたい。

身体が憶えている音を持っているオーディオマニアと、
持っていないオーディオマニアがいる──、とに分けられるとはいえそうに感じている。

以前はそんなこと感じなかったし、考えてもいなかった。
けれど、二年前のOTOTENのハーマンインターナショナルのブースで、
“Hotel California”が、当時発売されたアナログディスクで鳴らされた。

スタッフの個人所有のディスクだった。
その人は、ずっと、そのディスクで“Hotel California”を聴いていたはずだ。
もちろんアナログディスクだけではなく、CDでも聴いていたであろう。

でも“Hotel California”が発売されたころからのアナログディスクである。
それを最新のシステムで再生して、その人は満足していた様子だった。

それはそれでいい。
ケチをつけることではないのだが、
このスタッフの人は、当時どんな音で“Hotel California”を聴いていたのだろうか、
と考えてしまった。

私は“Hotel California”のディスクを買うことはなかったけれど、
JBLの4343で聴いた音が、いまも残っている。
身体が憶えている音として、残っている。

だからこそ二年前のOTOTENでの“Hotel California”の音には、
こんな音……、と思うところがあったし、
そのころ聴く機会が続いたいくつかのリマスター盤での“Hotel California”にも、
こんな音……と思っていた。

そんなことがあったから、
身体が憶えている音を持っているオーディオマニアと、
持っていないオーディオマニアとがいるように、ここにきて考えるようになった。

身体が憶えている音を持つ持たないについて、
項を改めて書きたい。

Date: 10月 1st, 2020
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その6)

昨晩、友人のAさんとひさしぶり飲んでいた。
割と頻繁に会うのだけれど、今年はコロナ禍のせいで、八ヵ月ほど会うことはなかった。

二人とも1963年生れである。
音楽とオーディオが好き。
聴いてきた音楽は、けっこうな違いがあるけれど、
共通する音楽もあって、昨晩は“Hotel California”のことについて話していた。

発売当時、アナログディスクで聴いた音の印象と、
いま入手できるリマスター盤(CD、アナログディスクなど)の音の印象が違う──、
とAさんも私も感じている。

Aさんも私も“Hotel California”は、JBLの4343て聴いた音こそが、
このディスクのいわばリファレンス(基準)の音となっている。

“Hotel California”をカリフォルニア生れのスピーカーで聴く、
つまりカリフォルニアの空を思わせるような音で聴く、
これこそが“Hotel California”のほんとうの音だ、というのは、
いわばこじつけであって、もちろんJBL以外のスピーカーで聴いたっていい。

そうはいいながらも、Aさんも私も、“Hotel California”のあのころの音は、
もっと乾いていた、という記憶がある。

“Hotel California”と4343の組合せ。
その音がいまも記憶に残っている。
その音を基準にして、リマスター盤の音について語っている。

若い人たちからすれば、おじさん二人のノスタルジーな会話なのかもしれないが、
それでも二人で確認していたのは、
“Hotel California”と4343の組合せの音は、身体(からだ)が憶えている音なのだ。

Date: 9月 24th, 2020
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その2)

“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”には期待している。
期待は“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”に対してだけではなく、
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”に対しても持っている。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”はSACDも出ている。
その意味での期待ではなく、“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の完全版が、
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の発売にあわせて出てくるのではないか、という期待だ。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の実際のライヴは、もっと長かったはずだ。
それをすべて聴きたい、とずっとおもってきた。

“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”は、
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”との組合せで、
いくつかのヴァージョンが出るではないだろうか。

そういうやり方を好まないけれど、
今回はそのことに期待している。

Date: 9月 22nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その1)

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の間違いではなく、
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”で合っている。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”に収められている日だけでなく、
翌日の土曜日も演奏が行われていて、録音が残されていることを知ったのは、
三年ほど前のことだ。

アル・ディ・メオラがfacebookに、そう書いていた。
なんでも、ある一人が発売に反対している、ともあった。

いつ出るのか。
あまり期待せずに待っていた。

ようやく来年発売になるようだ。
延期になる可能性もあるけれど、とにかくいつかは発売されるであろう。
期待は、ずっと大きくなっている。

Date: 9月 13th, 2020
Cate: ディスク/ブック

BEETHOVEN Complete Piano Sonatas · Diabelli Variations / Barenboim

ダニエル・バレンボイムのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集が、
10月30日、ドイツ・グラモフォンから出る。

バレンボイムのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、これで四度目である。
前回はデッカから14年前に出ている。

たしかブレンデルが三回録音していたと記憶しているが、
それでもすごいことだと思っていたが、
バレンボイムはそれをこえている。

今後、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を四回も録音する演奏家は、
登場しないのではないか。

少なくともバレンボイムに匹敵するピアニストということになると、
少なくとも私が生きているうちにはないだろう。

バレンボイムは、今年の11月で78歳になる。
バレンボイムの音楽活動を見ていると、
この人は、あと20年くらい現役のままなのではないか、と思うことがある。

仮にあと20年、バレンボイムが現役のピアニストだったとしたら、
五度目の全集録音が現実となるかもしれない。
というよりも、可能性は、けっこう高いと思っている。

いままでバレンボイムのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集には、さほど興味を持てなかった。
これといった理由があったわけではないが、なんとなく遠ざけてきていた。

三度目の全集だったら、そのまま聴かずにすましていたことだろう。
けれど、四度目となると、なぜ、そこまで、という興味がわいてくる。

それに、MQAでもリリースされるのではないか、という期待もある。
MQAだったら、まちがいなく聴く。

通常のCDであっても、おそらく聴くと思う。
五度目を期待しているから、である。

Date: 8月 18th, 2020
Cate: ディスク/ブック

THE JIMMY GIUFFRE IN QUARTET PERSON

Jimmy Giuffreをどう呼ぶのかも、昨晩まで知らなかった。
“THE JIMMY GIUFFRE IN QUARTET PERSON”というレコードのことも、もちろん知らなかった。

昨晩は、新宿・歌舞伎町にあるジャズ喫茶ナルシスに行ってきた。
10月7日のaudio wednesdayで、DJをやってくれる野上眞宏さんと赤塚りえ子さんの三人で、
夕食のあとの雑談で、ナルシスに行こう、ということになった。

こういう状況下なので、ナルシスが営業しているのかどうかもはっきりしなかった。
最悪の場合、閉店しているかも……、そんなことも心配しながらも、
ナルシスの入っているビルの前につくと、
ブラインドのすきまからぼんやりとあかりが灯っていた。

「やっている!」
喜びの声をあげながら、階段をあがる。
ドアには、いくつかの貼り紙があった。
営業時間も、8月中は22時まで、である。

ドアを開けて入れば、変らぬナルシスである。

世の中は大きく変化していっているけれど、
ここは切り離されているかのような雰囲気さえある。

“THE JIMMY GIUFFRE IN QUARTET PERSON”は、何枚目かにかけてくれたレコードだ。
「今度はちょっと地味なのをかけるね」ということで、
ジミー・ジェフリーのレコードである。

ジミーと地味をかけて、オヤジギャグを言おうか、どうしようか迷っていたら、
野上さんに、先にいわれてしまった。

ナルシスのママが、われわれ三人にジャケットを渡しながら、
写真の真ん中あたりをみてごらん、と。

“THE JIMMY GIUFFRE IN QUARTET PERSON”のジャケット写真は、
ファイブスポットでのライヴ風景である。

ミュージシャンの後の壁には、さまざまなチラシが貼ってある。
そのなかの一枚。
ほら、このへん、といわれながら渡されたから気づいたのだが、
そこには“YAYOI KUSAMA”の文字があった。

“THE JIMMY GIUFFRE IN QUARTET PERSON”は、
“Jimmy Giuffre Live in 1960”というタイトルでCDが出ている。

1960年のライヴ録音であり、その時代のファイブスポットの壁であり、チラシである。

“THE JIMMY GIUFFRE IN QUARTET PERSON”とほかの場所で出会っていても、
そこには気づかないだろう。

ナルシスに行ったからこそ、であえて気づけたわけだ。