Archive for category ディスク/ブック

Date: 8月 9th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その7)

ハイフェッツのバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを買ったことを、
(その5)に書いた。昨秋のことだ。

ずっと以前、聴いていたよりも、ずっとよく感じられる。
こんなにもよかったのか、と思うほどであって、
その間、くり返し、ハイフェッツのバッハを聴いていたわけではなかった。

ほんとうに二十数年ぶりに聴いて、そう感じていた。
同じことを黒田先生が、「ぼくだけの音楽 2」で書かれている。
     *
 レコードに残されているハイフェッツの演奏はレコードに記録されているものだから、以前きいたものとちがうはずなどてかった。しかし、ハイフェッツの演奏の様相、とでもいうべきものが、昔と今とでは、かなりちがっているように思われた。とりわけ小品をひいたハイフェッツの演奏について、そのことがいえた。演奏そのものが同じで、しかもそれをちがったものと感じたとすれば、変化はこっちにあった、と考えなければならない。そのことに思いあたって、ぼくは愕然とした。
(中略)
 音楽もまた、それを感じとる聴き手の身丈以上のものにはなりえない、ということを、ここでぼくは思い出すべきであろう。おそらく、若い頃のぼくは、ハイフェッツの演奏を味わうには身丈がたりなかったのである。今でもなお、ハイフェッツの音楽を充分にききつくせていると思える自信はないが、しかし、すくなくとも以前はききとれなかったハイフェッツの素晴らしさが感じとれるようになんた。そのことを、だれに感謝したらいいのかわからないが、ぼくはとてもうれしい。
     *
黒田先生は、この文章を1990年に書かれている。
1938年生れの黒田先生は、この時52歳だった。

黒田先生も書かれているが、ハイフェッツの演奏は、
表情豊かで、よく歌っている。
けれど、若い頃は、そんなふうには感じられなかった。

だから、歳をとるのもいいものだ、と書きたいわけではなく、
ハイフェッツの演奏もTIDALで、MQAで聴けるようになったことを書きたいのだ。

バッハの無伴奏も、今回のソニー・クラシカルのMQAへの本格参入によって、
MQAで聴けるようになった。
ハイフェッツのほかの演奏(アルバム)も、かなりMQAで聴ける。

ブルッフのヴァイオリン協奏曲もある。
バッハやブルッフは44.1kHzのMQA Studioなのだが、
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークのピアノ・トリオなどは、
192kHzのMQA Studioで聴ける。

個人的にはバッハの無伴奏を192kHzで、と思ったりするが、
それでもハイフェッツのバッハの無伴奏をMQAで聴けるようになって、
その音の表情の豊かさ、よく歌っていることに、あらためて聴き惚れている。

ハイフェッツのヴァイオリンは、少しも乾いていない。

Date: 8月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

バッハ 平均律クラヴィーア曲集(その7)

その4)で、リヒテルの平均律クラヴィーア曲集を、
MQAで聴ける日がきてほしい、と書いた。

SACDのライナーノートに、
オリジナルのマスターテープからは96kHz、24ビットでデジタルに変換された、
とあったからだ。

TIDALでリヒテルのアルバムは、いくつかはMQAで聴けるようになっている。
平均律クラヴィーア曲集はまだだ。

昨年4月に、MQAで聴ける日がきてほしい、と書いたものの、
ほとんど期待はしていなかった。
でも、いまは違う。

大いに期待できる。

Date: 8月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Billie Jean(その2)

TIDALへのソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルのMQAの提供は、
毎日検索してしまうほど、すごい。

8月4日に気づいてから、あれこれ検索していた。
マイケル・ジャクソンも見ていた。
数枚ほどのアルバムがMQAになっていたが、“Billie Jean”が収録されているアルバムはなかった。

今日、見たらやはり増えていた。
“Number Ones”があった。
“Billie Jean”がMQAで聴ける。

96kHzのMQA Studioである。

これが一年前だったら──、と思ってしまう。
2020年夏からMQAで提供してくれれば、
10月7日のaudio wednesday(music wednesday)での“Billie Jean”をMQAで鳴らせた。

いまの私の環境では、あの時ほどの音量では鳴らせない。
もう一度、コーネッタで、今度はMQAで、あの時のこえる音量で聴きたい。

Date: 8月 4th, 2021
Cate: ディスク/ブック

サー・コリン・デイヴィスのベートーヴェン 序曲集(その3)

エソテリックの人たちの何人かは、
菅野先生監修のリマスタリングに立ち合っていることだろう。

それにエソテリックからのSACDの第一弾に、
コリン・デイヴィスのベートーヴェンを選んだということは、
菅野先生のところで聴いてのことのはずだ。

にも関らずの2007年のインターナショナルオーディオショウでのエソテリックでの、
コリン・デイヴィスのベートーヴェンは、正体不明でしかなかった。

誰の指揮なのか、どの国の、どのオーケストラなのか、
そういったことだけでなく、ベートーヴェンの曲なのに、
ベートーヴェンの音楽になっていなかった。

その意味において、別項で書いているゼルキンのベートーヴェンのことを思い出す。

エソテリックのSACDの出来が悪かったわけではない。
このSACDは手に入れて聴いている。

悪いのは鳴らし方である。
一時期、中古相場が三万円(元は3,300円)程度までになったSACDであっても、
鳴らし方を根本的なところで間違ってしまえば、とんでもない鳴り方に変容してしまう。

エソテリックのSACDだから、いい音で鳴ってくれるわけではない。
エソテリックのSACDも、TIDALのMQAも、選択肢である。

最良とおもえる選択をしたところで、音楽の聴き方をどこかで間違ってしまっていては、
間違った鳴らし方しかできない。

少なくとも菅野先生のところでコリン・デイヴィスのベートーヴェンを聴いている人間が、
2007年のエソテリックのブースで、正体不明の音楽を鳴らしてしまっている。

私がスタッフの一人だったら、あれでは鳴らせないと、
つまり聴かせられないと判断する。

けれど2007年のエソテリックはそうではなかった──、
ということは、あの音を、菅野先生のところでの音と同じとまではいわないものの、
良さは出せていると判断してのことなのだろう。
そうとしか思えない。

だとしたら、鳴らし方以前の聴き方の、本質的なところでの問題である。

Date: 8月 4th, 2021
Cate: ディスク/ブック

サー・コリン・デイヴィスのベートーヴェン 序曲集(その2)

今日、TIDALで、コリン・デイヴィスのベートーヴェンもMQAになっているのに気づいた。

急にソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルはMQAに積極的になったようだ。
クラシックだけでなく、ジャズも、ポップスもMQAになっているのが、けっこうある。

ジョージ・セルのベートーヴェンの交響曲第七番もなっていた。
192kHzのMQA Studioである。

これがじつにいい。
セルはもともと好きな指揮者の一人だったが、
こんなにすごかったのか、と再認識しているくらいにいい。

今回のソニーのMQAは、私が見た範囲ではすべてMQA Studioである。
コリン・デイヴィスのベートーヴェンは比較的初期のデジタル録音だから、
MQA化はあとまわしにされるのかと、勝手におもっていた。

ところがこんなに早くMQAで聴ける。

どれで聴くのがいちばんなのか。
それは、聴いた人それぞれが判断すればいいことで、今回のMQAの登場は、
コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集を聴く選択肢が一つ増えた、ということ。

以前書いていることだが、
2007年のインターナショナルオーディオショウのあるブースでは、
このコリン・デイヴィスのSACDが、ひどい音で鳴っていた。

私は菅野先生のところで三回、コリオランを、
エグモントを一回聴いていて、その音がこの録音・再生のリファレンスとなっている。

自分のシステムでも聴いている。
なのに、2007年のインターナショナルオーディオショウでの、あるブースの音は、
音がひどいというよりも、コリン・デイヴィスのベートーヴェンだ、すぐには気づかないほど、
音楽的に変質してしまっていた。

ほかのブースでは、ブースに入った時にかかっていれば、
すぐにコリン・デイヴィスのベートーヴェンだとわかるのに、
そのブースでは、コリオランが鳴っていたにもかかわらず、
まず、この曲なんだっけ、という一瞬ではあったけれど、考えてしまった。

そして、コリン・デイヴィスの演奏だと気づくのに、また少し時間を必要とした。
気づいたあとでも、ほんとうにコリン・デイヴィスの演奏? という鳴り方だった。

このことを書いた時は、どのブースなのかはあえて書かなかった。
あれから十年以上経っている。書いておこう。

コリン・デイヴィスのベートーヴェン(エソテリックのSACD)がひどい鳴り方だったのは、
エソテリックのブースだった。

Date: 8月 4th, 2021
Cate: ディスク/ブック

サー・コリン・デイヴィスのベートーヴェン 序曲集(その1)

菅野先生のリファレンスディスクといえるサー・コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集。
ソニー・クラシカルからCDが登場したときは、
あまり話題にならなかった、と記憶している。

出ていたのは知っていたけれど、聴いてはいなかった。
菅野先生のリスニングルームで聴いたのが初めてだった。

演奏も録音も素晴らしい、と菅野先生はいわれていた。
菅野先生がお持ちのCDは日本盤だった。

その時に、一枚しか持っていないし、廃盤になっているから、
もしなくした時の用心にもう一枚手に入れたい、
探してほしい、と頼まれたことがある。

その時に、ほかのディスクも予備が欲しいので、ということで頼まれた。

コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集は、
アメリカのAmazonで見つけて手に入れた。
ほかのディスクは、穴場的なレコード店にきっとあるな、と目星をつけて行ったら、
やっぱりあった。

そのコリン・デイヴィスのベートーヴェンが、2007年に、
エソテリックからSACDとして登場した。
菅野先生のよるリマスター監修だった。

2007年のインターナショナルオーディオショウでは、
このディスクがよくかかっていた。

エソテリックのSACDは限定販売なので、
しばらくしたら中古相場はけっこうな値段になっていた。

いまは一万円程度に落ち着いているようだが、
私が知っている範囲では、三万円ほどしていたこともある。

コリン・デイヴィスのベートーヴェンは、44.1kHzでの録音である。
それをDSDに変換して聴くことを、どう捉えるのかは、その人の自由である。

いまSACDは売っていないが、ソニー・クラシカルから廉価盤として出ている。
こちらを買って、自分でDSDに変換したり、アップサンプリングするのも、
いまではアプリケーションがあれば、簡単に行える。

Date: 7月 28th, 2021
Cate: ディスク/ブック

はっぴいえんど写真集「ゆでめん」(追補)

野上眞宏さんの写真展では、音楽がつねにある。

今回の「ゆでめん」の写真展でもそのはずだし、
はっぴいえんどの音楽がかけられるはずである。

今回、会場に持ち込まれるのはKEFのLS50 Wireless IIとのこと。

Date: 7月 27th, 2021
Cate: ディスク/ブック

はっぴいえんど写真集「ゆでめん」

写真家・野上眞宏さんによるはっぴいえんどの写真集「ゆでめん」、
その発売にあわせて野上眞宏写真展「ゆでめん」が、8月3日から15日まで開催される。
9日は、ギャラリー休廊日。

場所は、ギャラリールデコ 東京都渋谷区渋谷3-16-3 高桑ビル 5F、
12時から19時までで、最終日15日は17時まで。

「ゆでめん」の発売は8月5日ですが、
3日、4日は先行発売される、とのこと。

入場料は1000円、入場制限あり。

野上さんは、基本的に毎日夕方ギャラリールデコにおられる予定なので、
野上さんのサインが欲しい方は、その時間帯にどうぞ。

Date: 6月 26th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Elena Fischer-Dieskau(その1)

TIDALでクラシックの新譜をチェックしていて、
目に飛び込んできたのは、モノクロのジャケットだった。

きりっとした顔付きの女性が写っている。
iPhoneで見ていたので、表示される写真は小さく、
パッとみて、最初は歌手? と思った。

名前をみたら、Elena Fischer-Dieskauとある。
よけいに歌手と思ってしまった。

ピアニストだった。
Elena Fischer-Dieskauは、
名前からわかるようにディートリッヒ・フッシャー=ディスカウの孫にあたる。

収録されているのは、ブラームスの七つの幻想曲、二つのラプソディ、
それからシューマンのクライスレリアーナである。

日本での発売は6月30日とのこと。

この数ヵ月、TIDALでフランスの女性ピアニストをけっこう聴いてきた。
昔と違い、いまの時代、国の違いによって演奏スタイルが、といったことは、
あまりいえなくなってきたのかもしれないが、
Elena Fischer-Dieskauの演奏を聴いていると、ドイツのピアニストだ、と強く感じる。

それとも祖父のディートリッヒ・フッシャー=ディスカウの血なのか。

いまのところ、一枚だけである。
これからどんな録音をしてくれるのかも知らない。

エレナ・フッシャー=ディスカウのブラームスとシューマンを聴いていて、
ベートーヴェンとバッハを聴いてみたい、と思っていた。

この人のベートーヴェンとバッハは、どんな感じなのだろうか。
この数ヵ月聴いてきたフランスのピアニストで、そんなふうにおもったことはなかった。

音楽の骨格の違いゆえか。

Date: 6月 23rd, 2021
Cate: ディスク/ブック

はっぴいえんど写真集「ゆでめん」

写真家・野上眞宏さんによるはっぴいえんどの写真集「ゆでめん」が、
8月5日、ミュージック・マガジンから発売になる。
ミュージック・マガジンのサイトでの告知は、まだない。

6月18日には、iPad写真集アプリ「野上眞宏のSNAPSHOT DTARY」もヴァージョンアップして、
最新のiPadOSにも対応している。

Date: 6月 20th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Cantate de l’enfant et de la mere Op.185(その3)

昨年までは毎日チェックしていたe-onkyoのサイトだったが、
昨秋からTIDALを使うようになってから、チェックの頻度が、
必ずしも毎日ではなくなってしまった。

なので18日に配信が始まっていたのを、昨晩寝る前に気づいた。
ミヨーの「子と母のカンタータ」が、e-onkyoで96kHz、24ビット(flac)で配信されている。

ということはTIDALでも配信が始まっているだろうと思い、チェックしてみた。
あった。
こちらも18日に始まったのだろうか。

Amazon Music HDでは、ナクソスの配信。
e-onkyoとTIDALは、ソニー・クラシカルである。

Date: 6月 14th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Cantate de l’enfant et de la mere Op.185(その2)

聴きたい、とおもうときには、聴けないことが多かったりするものだ。
そういうものだ、となかばあきらめていた。

それでもAmazon Music HDを使い始めたのだから、
こっちでも、検索してみよう、と思った。
すんなり見つかった。

五味先生が聴かれていたのと同じである。
私がずっと以前に手離したのと同じ、
ミヨー夫人による朗読の「子と母のカンタータ」である。

素晴らしい時代を迎えつつある、という感触がある。
ほぼ三十年ぶりに聴いた。

あのころは、ミヨー夫人の朗読が心に沁みてくるという感じではなかったけれど、いまは違う。

五味先生の個人的事情と私の個人的事情とではずいぶん違うけれど、
三十年のあいだに、いろんな個人的事情はあった。

そんなことがあったから、「子と母のカンタータ」が聴きたくなったのだろうし、
いま、こうやって聴くことができて、よかった。

あいかわらずミヨー夫人が、なにを言っているのか、まんたくわからない。
けれど、あのころと違って、インターネットがある。

インターネットがあるからこそ、こうやって「子と母のカンタータ」が聴けているわけで、
「子と母のカンタータ」の詩を検索すれば、きっとすぐに見つかるだろう。
翻訳も見つかるもしれない。

見つからなかったとしても、いまはDeepLという翻訳サイトがある。
そこを使えば、日本語に訳してくれる。

そこにかかる労力はわずかなものであり、
やろうとおもえばすぐにできることだ。

でも、知らないままでいいのかもしれない、といまはおもっている。

《音楽のもたらすこの種の空想》、
そのためにあえてやらないことだってある。

Date: 6月 14th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Cantate de l’enfant et de la mere Op.185(その1)

TIDALを使うようになって、わりとすぐに検索した曲がある。
けれど、検索の仕方をいくつか試してみたけれど、TIDALにはなかった。

ナクソスのサイトで聴けるのは知っている。
ただしmp3音源だ。

昔、LPを持っていた。
廉価盤だった、と思う。
水色の背景のジャケットだった。
もちろんフランス盤だ。

この曲を知ったのも、聴きたいとおもったのも、
五味先生の文章を読んだから、である。
     *
 〝子と母のカンタータ〟は、フランス語の朗読に、弦楽四重奏とピアノが付いている。朗読は、私の記憶に間違いなければミヨー夫人の声で、こちらは早稲田の仏文にいたがまるきりフランス語はわからない。だからどんな文章を読んでいるのか知りようはないのだが、意味は聴き取れずとも発声を耳にしているだけで、何か、すばらしい詩の朗読を聴くおもいがする。フランス語はそういう意味で、もっとも詩的な国語ではないかとおもう。カタログをしらべると、ピアノはミヨー自身、弦楽四重奏はジュリアードが受持っているが、なまじフランス語がわからぬだけに勝手に私自身の作詩を、その奏べに托して私は耳を澄ました。空腹に耐えられなくなるとS氏邸を訪ねては、〝幻想曲〟とともに聴かせてもらった曲であった。
 私たち夫婦には、まだ子はなかった。妻は私が東京でルンペン暮しをしているのを何も知らず、適当な職に就いて私が東京へ呼び寄せるのを、大阪の実家で待っていた。放浪に、悔いはないが、何も知らず待ちつづける妻をおもうと矢張り心が痛み、もしわれわれ夫婦に子供があって、今頃、こんなふうに妻は父のいない我が子に詩を読んできかせていたら、どんなものだろうか。多分、無名詩人の私の作った詩を、妻はわが子よりは自分自身を励ますように朗読しているだろう……そんな光景が浮んできて、いつの間にか私自身のことをはなれ、売れぬ詩を書いている貧しい夫婦の日常が目の前に見えてきた。どんな文学書を読むより、音楽のもたらすこの種の空想は痛切であり、まざまざと現実感をともなって私を感動させる。
 いつもそうである。
 貧乏物語をしたいからではなく、音楽が、すぐれた演奏がぼくらに働きかけ啓発するものの如何に多いかを言いたくて、私は書いているのだが、ついでに言えば私が今日あるを得たのは音楽を聴く恩恵に浴したからだった。地下道や、他家の軒端にふるえながらうずくまって夜を明かした流浪のころ、おそらく、いい音楽を聴くことを知らねば私のような男は、とっくに身を滅ぼしていたろう。
 そういう意味からも、とりわけ〝子と母のカンタータ〟は私を立直らせてくれたことで、忘れようのない曲である。遂に未だにミヨー夫人の朗読したその詩の意味はわからない。私にはただ妻が私たち夫婦のために読んでいる詩と聴えていた。どうにか世に出るようになってこのレコードを是非とり寄せたいとアメリカに注文したら、すでに廃盤になっていた。S氏のコレクションの中にまだ残されているかも知れないとおもうが、こればかりは面映ゆくて譲って頂きたいとは言えずにいる。ステレオ盤では、たとえ出ていても、ミヨー夫人の朗読でのそれは望めまい。それなら別に聴きたいと私は思わない。ぼくらがレコードを、限られた名盤を愛聴するのは、つねにこうした個人的事情によるだろう。そもそも個人的関わりなしにどんな音楽の聴き方があるだろう。名曲があり得よう。
(オーディオ巡礼「シューベルト《幻想曲》作品一五九」より)
     *
五味先生が注文されたときには廃盤になっていたようだが、
私が20代前半のころは、手に入れられた。
五味先生以上に、私はフランス語はまったくわからない。

ミヨー夫人の朗読の意味は、なにひとつわかっていなかった。
当時、調べようとしたけれど、手がかりもなくあきらめてしまった。

「子と母のカンタータ」のLPは、無職時代に、
背に腹は替えられぬ、という理由で、ほかの多くのディスクとともに売り払った。

その時は、特に惜しい、とは感じていなかった。
ここ十年くらいである。
もう一度聴きたい、とわりと頻繁に思うようになってきたのは。

Date: 6月 11th, 2021
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その7)

いろんな指揮者のモーツァルトの演奏を聴いていると、
ふと、こんな演奏じゃなくて……、と思ってしまうときがある。

そういう時に聴きたくなるモーツァルトは、きまってカザルス指揮のモーツァルトである。
そして、もうひとりフリッツ・ライナーのモーツァルトである。

ライナー/シカゴ交響楽団によるモーツァルトを聴いていると、
これこそがモーツァルトだ、と心でつぶやいている。

カザルスのモーツァルトもそうなのだが、こういうモーツァルトは聴けそうで聴けない。

ライナー/シカゴ交響楽団のモーツァルトの交響曲を聴く、ずっと前に、
ライナー/メトロポリタン歌劇場による「フィガロの結婚」を聴いていた。

録音は、私が手に入れたCDはかなり悪かった。
それでも演奏は素晴らしかった。

五味先生はカラヤンの旧録音(EMIでのモノーラル)を高く評価されていた。
五味先生はライナーの「フィガロの結婚」は聴かれていないのか。

「フィガロの結婚」の記憶があるから、
ライナー/シカゴ交響楽団のモーツァルトには期待していた。

期待は裏切られるどころか、こちらの勝手な期待を大きくこえたところで、
モーツァルトのト短調が鳴り響いていた。

五味先生の表現を借りれば、
《涙の追いつかぬモーツァルトの悲しい素顔》が浮き上ってくる演奏とは、
ライナーやカザルスの演奏のような気がしてならない。

Date: 6月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

COMPLETE DECCA RECORDING Friedrich Gulda

タワーレコードから届いた新譜案内のメール。
そこに、フリードリッヒ・グルダの「デッカ録音全集」があった。

41枚のCDとBlu-Ray Audioで、7月下旬に出る。
192kHz、24ビットでのリマスターということだ。

Blu-Ray Audioで聴けるのは、
ホルスト・シュタイン/ウィーンフィルハーモニーとのベートーヴェンである。

それ以外は、44.1kHz、16ビットになるわけだが、
おそらくe-onkyo、TIDALでも扱うことになる、と思っている。

すべてが、となるのかどうかはなんともいえないが、
私としてはベートーヴェンのピアノソナタが、
192kHz、24ビットのMQAで聴けるようになれば、それでそうとうに満足できる。

その日がおとずれるのが、待ち遠しい。