Date: 8月 4th, 2021
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サー・コリン・デイヴィスのベートーヴェン 序曲集(その3)

エソテリックの人たちの何人かは、
菅野先生監修のリマスタリングに立ち合っていることだろう。

それにエソテリックからのSACDの第一弾に、
コリン・デイヴィスのベートーヴェンを選んだということは、
菅野先生のところで聴いてのことのはずだ。

にも関らずの2007年のインターナショナルオーディオショウでのエソテリックでの、
コリン・デイヴィスのベートーヴェンは、正体不明でしかなかった。

誰の指揮なのか、どの国の、どのオーケストラなのか、
そういったことだけでなく、ベートーヴェンの曲なのに、
ベートーヴェンの音楽になっていなかった。

その意味において、別項で書いているゼルキンのベートーヴェンのことを思い出す。

エソテリックのSACDの出来が悪かったわけではない。
このSACDは手に入れて聴いている。

悪いのは鳴らし方である。
一時期、中古相場が三万円(元は3,300円)程度までになったSACDであっても、
鳴らし方を根本的なところで間違ってしまえば、とんでもない鳴り方に変容してしまう。

エソテリックのSACDだから、いい音で鳴ってくれるわけではない。
エソテリックのSACDも、TIDALのMQAも、選択肢である。

最良とおもえる選択をしたところで、音楽の聴き方をどこかで間違ってしまっていては、
間違った鳴らし方しかできない。

少なくとも菅野先生のところでコリン・デイヴィスのベートーヴェンを聴いている人間が、
2007年のエソテリックのブースで、正体不明の音楽を鳴らしてしまっている。

私がスタッフの一人だったら、あれでは鳴らせないと、
つまり聴かせられないと判断する。

けれど2007年のエソテリックはそうではなかった──、
ということは、あの音を、菅野先生のところでの音と同じとまではいわないものの、
良さは出せていると判断してのことなのだろう。
そうとしか思えない。

だとしたら、鳴らし方以前の聴き方の、本質的なところでの問題である。

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