Archive for category ディスク/ブック

Date: 1月 28th, 2022
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その8)

カザルスの演奏は、ソニー・クラシカルからも出ているおかげで、
TIDALでMQA Studioで聴ける。
といっても、これまで発売されたすべての録音が聴けるわけではない。

モーツァルトの交響曲がない。
CD(アメリカ盤)は持っているし、リッピングしているから聴けるのだが、
やはりMQA Studioで聴いてみたい。どうしても聴きたい。

TIDALでMQA Studioで聴けるようになるのかどうかは、
いまのところわからない。

カザルスによる剛毅な音楽は、
太い血管を血がたっぷりと、そして勢いよく通っているからなのだろう。
そんな感じを受ける。

そんな演奏を毛嫌いする人がいるのは知っている。
優美さに欠ける──、そんなことをいう人もいる。
野暮とすらいう人もいる。

それはそれでいいけれど、剛毅な音楽だからこその音楽の優しさを、
そういう人は知らないのか。

Date: 1月 5th, 2022
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集(その8)

昨年末の数日、ケント・ナガノのベートーヴェンの交響曲を集中して聴いていた。
ソニー・クラシカルから出ていたのは知っていたけれど、これまで聴いてこなかった。

TIDALにあるから、今回聴いた。
MQA Studio(44.1kHz)で聴ける。

オーケストラはピアノ協奏曲と同じ、モントリオール交響楽団である。
たまたま目についた四番から聴き始めた。

すぐに気づくのはライヴ録音だということ。
第一楽章の冒頭、聴いていて確認していた。
ケント・ナガノの指揮だということを。

なぜかというと、クライバーの演奏を思わせたからであり、
しかも観衆のざわめきも、クライバーの四番の演奏を思わせるところがあって、
それらがたまたま重なっての錯覚でもあった。

いい演奏だと私は思っている。
そう思ったからこそ、残りの交響曲も聴いたわけだ。

それでも、聴きながら、なんなんだろう……、とも感じていた。
だから聴き終ってから、児玉麻里とのピアノ協奏曲の一番と二番を続けて聴いた。

やはり素晴らしい演奏である。
菅野先生が「まさしくベートーヴェンなんだよ」いわれていたように、
ベートーヴェンの音楽が、そこで響いている。

ケント・ナガノによる交響曲がベートーヴェンの音楽ではない、といいたいのではなく、
ピアノ協奏曲で感じたものが、交響曲では足りない、もしくは欠けている気がする。

動的平衡の音の構築物であってこそ、私にとっての「まさしくベートーヴェン」である、
と以前書いた。
ここのところが、ひっかかっている。

菅野先生のところで聴いたのなら、「まさしくベートーヴェン」と感じたのかもしれないし、
そうでないかもしれない。

それでも、私のところでも児玉麻里とのピアノ協奏曲は、やはり素晴らしいのだから、
しかもオーケストラも同じということは、
ケント・ナガノによるピアノ協奏曲における動的平衡の音の構築物には、
児玉麻里の存在があったから、としかいいようがない。

Date: 12月 15th, 2021
Cate: ディスク/ブック

バーンスタインのブラームス第一番

TIDALで音楽を聴くようになってから、
クラシックに関しては、同じ曲を、別の演奏家で聴くことがものすごく増えた。

いままでもこういった聴き較べはしていたといえばそうなのだが、
それほど積極的ではなかった。

なのにTIDALでは、そうとうにやっている。
12月はブラームスの交響曲第一番を、ほぼ毎日聴いていた。

バーンスタイン/ウィーンフィルハーモニーを聴いたのがきっかけだった。
この録音を、発売当時に聴いて、バーンスタインに夢中になった。

ドイツ・グラモフォンではブラームスの前に、
同じウィーンフィルハーモニーとによるベートーヴェンの交響曲全集があった。

高く評価されているのは、知っていた。
聴いてみたい、という気持はったけれど、すぐには手を出すことはなかった。

なのにブラームスに関しては、発売されてすぐに買って聴いた。
いまも聴いているわけだから、その時も、素晴らしい演奏だ、と感じていた。

特に四楽章を聴いて、バーンスタインって、こんなに素晴らしい指揮者だったのか──、
お前の認識不足だよ、といわれようが、そう感じたことを、いまもはっきりと憶えている。

素晴らしいだけではなく、美しいのだ。
オーケストラがウィーンだから、ということもあるのはわかっている。

今回久しぶりにバーンスタインのブラームスを聴いて、あらためてそう感じて、
それがきっかけで、他の指揮者のブラームスの一番を次々と聴いていくことになった。

いままで聴いてきた指揮者だけでなく、初めての演奏(録音)もけっこうあった。
いいな、と感じた演奏を聴き終ったあとには、
バーンスタインをまた聴いていた。

そんなことを飽きもせず、12月の半分を過ごしていた。
結論は、やっぱりバーンスタインのブラームスはいい、ということ。
それも四楽章の美しさは、私にとって格別だ、ということ。

三十数年前に感じたことを確認しただけ、ともいえる。

Date: 12月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その5)

「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」のLPを買ったのは、
サウンドコニサーの取材から一年後くらいだった。

衝撃をうけたにも関らず、すぐには買わなかったのに、特に大きな理由はなかったはずだ。
自分でも、いまふり返ってすると、なぜ? と思うけれど、
とにかくしばらしくしてから買った。

自分で買って、1980年12月5日が“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”であることを知って、
そうか、冬のライヴ録音だったのか、と思ったことだけは、はっきりと憶えている。

黒田先生は、サウンドコニサーで、こう発言されている。
     *
このレコードの聴こえ方というのも凄かった。演奏途中であれほど拍手や会場ノイズが絡んでいたとは思いませんでしたからね。拍手は演奏が終って最後に聴こえてくるだけかと思っていたのですが、レコードに針を降ろしたとたんに、会場のざわめく響きがパッと眼の前一杯に広がって、がやがやした感じの中から、ギターの音が弾丸のごとく左右のスピーカー間を飛び交う。このスペクタキュラスなライヴの感じというのは、うちの4343からは聴きとりにくいですね。
     *
まさにそのとおりだった。
この会場のざわめき、そして伝わってくる熱気から、私は勝手に夏のライヴだと勘違いしていたわけだ。

《スペクタキュラスなライヴの感じ》を、
アクースタットのスピーカーから、はっきりと聴きとれた。

JBLの4343で、「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」を初めて聴いたとしても、
その演奏に驚いたはずだ。
でも、《スペクタキュラスなライヴの感じ》は、聴きとりにくかっただろう。
もちろん4343で聴けば、
4343の良さで「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」の魅力を伝えてくれただろうが、
アクースタットほどの衝撃は得られなかったかもしれない。

レコード(録音物)との出逢いは、ときに再生システムに影響を受ける。
まったく影響を受けない、ということはありえない。
少なからずとも影響を受けるものだ。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の最初はアクースタットだった。
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の最初は、コーネッタか。

Date: 12月 7th, 2021
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その4)

1982年夏、ステレオサウンドの別冊として「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」が出ている。
このサウンドコニサーの試聴で、
私は“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”を初めて聴いた。

このディスクが出ていたことは、
ステレオサウンドの音楽欄で知っていた。
安原顕氏が紹介されていて、絶賛に近い評価だったと記憶している。

黒田先生も、「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、取り上げられている。
《音楽もいいし、音もいい。最近は、とかくむしゃくしゃしたときにはきまって、このレコードをとりだしてかけることにしている。》
と書かれていた。

いまでこそ“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”といっているけれど、
当時、日本では「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」のほうが通りがよかった。

サウンドコニサーの取材(試聴)では、
「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」は、試聴レコードには入っていなかった。

けれどアクースタットのModel 3の音を聴かれた黒田先生が、
このディスクを、とリクエストされたのが「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」だった。
このことはサウンドコニサーに載っているし、
別項「黒田恭一氏のこと」のところでも書いている。

とにかくアクースタットで聴いた「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」は、
試聴室の雰囲気を、最初の一音で変えてしまった。

音が鳴っていないときのアクースタットのスピーカーは、単なる板である。
しゃれっ気がない、ただの板である。
オーディオ機器としての魅力には、その点では乏しい。

けれどひとたび音が鳴ってくると、
特に「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」では、
聴き終ったあと、みなが静かな昂奮状態にあったといえる。

「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」を初めて聴いた私は、
夏のライヴ録音だと思ってしまっていた。

Date: 12月 7th, 2021
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その3)

1980年12月5日が“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”ならば、
1980年12月6日は“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”である。

昨夏、“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”が発売になる、
というニュースがあった。
2021年発売の予定ではあったが、音沙汰はなかった。

日本の日付は変ってしまったが、
アメリカはまだ12月6日なので、ようやく発表があった。

2022年夏に発売である。
CDだけでなく、SACD、LPも発売になる。

TIDALでMQAで聴けるようになるのかどうかはいまのところ不明だが、
可能性はけっこう高いと思っている(信じている)。

夏といっても、何月なのかはわからない。
7月なのか、8月なのか。
それとも泳げる季節を夏とするのか。

とにかく発売になるのは間違いない。

Date: 11月 29th, 2021
Cate: ディスク/ブック

音楽を感じろ

ニール・ヤングがPONOを手がけたことは知っている。
うまく起動にのらなかったことも、だ。

PONOに触れたことはない。
優れたモノだったのかどうかは、判断のしようがない。

2020年夏に、そのニール・ヤングとフィル・ベイカーによる「音楽を感じろ」が、
河出書房新社から出たことも知ってはいた。

でも、そこまでで、「音楽を感じろ」を読みたい、とまでは思わなかった。
そうやって一年ちょっと過ぎた昨晩、Mさんからメールが届いた。

メールのタイトルは、「ニールヤングのponoとMQA」である。
どういうこと? と急いで本文を読むと、
「音楽を感じろ」によると、PONOのエンジンはメリディアンが開発していて、
それがMQAのベースになった、とのこと。

メリディアンとの関係はうまくいかなかったようで、PONOは別のエンジンを採用する。

「音楽を感じろ」はまだ手に取っていない。
メリディアンのことにどれだけページが割かれているのかもわからない。
とはいえ、MQAのエヴァンジェリストを自認する者として、
「音楽を感じろ」は必読の一冊といえる。

Date: 11月 23rd, 2021
Cate: ディスク/ブック

三角帽子

今日(11月23日)は、マヌエル・デ・ファリャの誕生日だ、ということを、
ソーシャルメディアで知った。

ファリャといえば「三角帽子」がよく知られているし、
アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団の録音が、
いまも演奏・録音ともに高く評価されている。

リマスター盤もいくつかあるようだし、
オリジナルのアナログディスクはかなり高価なようである。

私がはじめて聴いた「三角帽子」は、デュトワ盤だった。
アンセルメと同じデッカ録音で、話題になっていた。

そのあとしばらくしてアンセルメ盤を聴いた。
そしてフリューベック・デ・ブルゴス盤を聴いた。

スペインに行ったことはない。
なんとなくのイメージを、スペインに持っているわけなのだが、
そんな私の耳には、フリューベック・デ・ブルゴス盤が、
ファリャはスペインの作曲家だ、ということをはっきりと感じさせてくれた。

フリューベック・デ・ブルゴス盤を聴いてからこれまでのあいだに、
少なくないスペイン出身の演奏家を聴いてきた。
そうやって培われた耳で、つい最近「三角帽子」を聴いていた。

TIDALがあるからだ。
アンセルメもデュトワも、改めて聴いた。
フリューベック・デ・ブルゴスこそ、もっと高く評価されていい。

フリューベック・デ・ブルゴスのあとでは、アンセルメの演奏が色褪る。
スペインの作曲家であるファリャの色が褪せている、と感じてしまう。

Date: 11月 21st, 2021
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その7)

菅野先生のところできいたディスクで、私がいちばんの宿題と感じているのは、
これまで書いてきたように児玉麻里/ケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲だ。

このディスクが、菅野先生のところできいた最後の一枚だっただけに、
そして、その時の音のすごさが、まさしく別項で書いているように、
動的平衡の音の構築物であっただけに、特別な存在となっている。

このベートーヴェン以前にもいくつかある。
ミハイル・ペレトニョフのシューマンの交響的練習曲、
コリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集、
ユッカ=ペッカ・サラステのシベリウスなどが、すぐに浮んでくる。

ほかにも挙げられるけれど、
ジャーマン・フィジックスのトロヴァドールを導入されてからの菅野先生の音で聴いた、
これらのディスクの存在感は、どうしても大きい。

あと一枚、どうしてもあげておきたいのが、
ホセ・カレーラスの“AROUND THE WORLD”で、そのなかの「川の流れのように」だ。

2002年7月4日。
菅野先生にお願いしてかけてもらった一曲である。
まだトロヴァドールは導入されていなかった。
マッキントッシュのXRT20で鳴らしてくださった。

この時の音も、上記のディスクとは違った意味での「宿題としての一曲」である。

ホセ・カレーラスの“AROUND THE WORLD”は、カレーラスの数多くの録音のなかでも、
ラミレスの「ミサ・クリオージャ」とともに、大切な存在だ。

なのに“AROUND THE WORLD”は廃盤のようである。
TIDALでも、いまのところ聴けない。

ホセ・カレーラスの“AROUND THE WORLD”をMQAで聴ける日が来てほしい。

Date: 11月 20th, 2021
Cate: ディスク/ブック

THE BERLIN CONCERT(その1)

2020年、クラシックのCDで一番の売行きだったのは、
“JOHN WILLIAMS IN VIENNA”のはずだ。

今年(2021年)が、どのディスクだったのかは知らない。
でも来年(2022年)、一番売れるであろうCDは、
“JOHN WILLIAMS BERLINER PHILHARMONIKER”であろう。

ウィーンの次はベルリンである。
“JOHN WILLIAMS IN VIENNA”がそうとうに売れたのだから、
二匹目のドジョウということで企画なのかどうかはなんともいえないが、
来年1月に発売予定である。

先行して、“Superman March”が聴ける。
e-onkyoでも、この一曲のみ先行発売しているし、
TIDALでもMQA(192kHz)で聴ける。

昨晩、寝る直前に聴いていた。
楽しくて二回聴いていた。

オーケストラもスピーカーも同じだな、と改めて感じていた。

瀬川先生が、「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭で書かれている。
     *
 現にわたくしも、JBLの♯4343の物凄い能力におどろきながら、しかし、たとえばロジャースのLS3/5Aという、6万円そこそこのコンパクトスピーカーを鳴らしたときの、たとえばヨーロッパのオーケストラの響きの美しさは、JBLなど足もとにも及ばないと思う。JBLにはその能力はない。コンサートホールで体験するあのオーケストラの響きの溶けあい、空間にひろがって消えてゆくまでの余韻のこまやかな美しさ。JBLがそれをならせないわけではないが、しかし、ロジャースをなにげなく鳴らしたときのあの響きの美しさは、JBLを蹴飛ばしたくなるほどの気持を、仮にそれが一瞬とはいえ味わわせることがある。なぜ、あの響きの美しさがJBLには、いや、アメリカの大半のスピーカーから鳴ってこないのか。しかしまた、なぜ、イギリスのスピーカーでは、たとえ最高クラスの製品といえどもJBL♯4343のあの力に満ちた音が鳴らせないのか──。
     *
オーケストラでもまったくそうなのだ。
瀬川先生の例では、スピーカーの格が違いすぎてもそうなのだが、
オーケストラは格においてもアメリカのオーケストラよりも同等、もしくは上なわけで、
そうなると、どうしてアメリカのオーケストラからは、こういう響きが出ないのだろうか──、
と思うことになる。

Date: 11月 13th, 2021
Cate: Glenn Gould, ディスク/ブック

グレン・グールドのモーツァルトのピアノ・ソナタ

13歳の秋、「五味オーディオ教室」に、こうあった。
《モーツァルトの、たとえば〝トルコ行進曲〟の目をみはる清新さ》──、
グレン・グールドのことだ。

まだ、この時は、グールドのトルコ行進曲は聴いていなかった。

《目をみはる清新さ》、
この時は勝手に、こんな演奏なのかしら、と想像していた。

実際のグールドの演奏は、聴きなれていた演奏とは大きく違っていたし、
想像とも違っていた。

それからずいぶん月日が経った。
くり返し聴いた日々もあったし、
まったく聴かなくなったころもあった。

SACDでも出たので手に入れた。
SACDでも聴けるし、いまではTIDALでMQA Studioでも聴ける。

ついさっきまで聴いていた。MQA Studioで聴いていた。
聴いていて、いままで感じたことのないことを考えていた。

なにかものすごいつらい状況に追いやられた時、
音楽を聴く気力すらわいてこない時、
とにかく尋常ではない時に聴ける音楽は、こういう音楽なのではないか、と。

Date: 11月 10th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Mahler: Lieder eines fahrenden Gesellen(その2)

私にとって、マーラーの「さすらう若人の歌」といえば、
フィッシャー=ディスカウとフルトヴェングラーのアルバムが真っ先に浮ぶわけだが、
新しい録音の「さすらう若人の歌」をひさしく聴いていない。

いまは、誰の録音が評価が高いのか。

Kindle Unlimitedで、レコード芸術のバックナンバーが一年分読める。
いまちょうど名曲名盤500をやっているところだ。
マーラーは2021年5月号で取り上げられていて、Kindle Unlimitedで読める。

「さすらう若人の歌」は、
クリスティアン・ゲルハーヘルとケント・ナガノ/モントリオール交響楽団による
ソニー・クラシカルから出ているアルバムが一位である。

二位には、クーベリックとのフィッシャー=ディスカウの二回目の録音が入っている。
フィッシャー=ディスカウとフルトヴェングラー盤は、
ハンプソンとバーンスタイン盤と同じ三位である。

けっこう変ってきているのだな、と思って、コメントを読むと、
フィッシャー=ディスカウ/フルトヴェングラー盤は不動の一位だったことがわかる。

前回三位だったゲルハーヘル/ナガノ盤が、今回初の一位とのことだ。
そうなると「さすらう若人の歌」に関しては、
フィッシャー=ディスカウ/フルトヴェングラー盤を聴かずして、
何を聴くのか──、そう思っている私でも、
ゲルハーヘル/ナガノ盤を聴きたくなる。

TIDALにある。
ソニー・クラシカルだから、このアルバムもMQA Studio(44.1kHz)で聴ける。

Date: 11月 9th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Mahler: Lieder eines fahrenden Gesellen(その1)

マーラーの「さすらう若人の歌」。

1980年代後半のレコード芸術での「名曲名盤300」で、
このマーラーの「さすらう若人の歌」は、
フィッシャー=ディスカウとフルトヴェングラーのアルバムが、
ダントツの一位だったことをはっきりと憶えている。

二位、三位のアルバムもフィッシャー=ディスカウで、
二位はクーベリックの指揮で、三位はフルトヴェングラーだがライヴ録音である。

手元に本がないので確認のしようがないが、
選者全員が、一位のディスクを選んでいた。

しかも黒田先生は、フィッシャー=ディスカウとフルトヴェングラーのアルバムだけを選ばれていた。

一生に一度しか歌えない歌が、いかなる名歌手にもあるようだ──、
そんなことを書かれていた。

フィッシャー=ディスカウほどの名歌手でも、一生に一度の歌唱はあるのだろう。

この「さすらう若人の歌」も、MQA Studio(192kHz、24ビット)で、
e-onkyoで購入できる。

TIDALでも、MQA Studioで聴ける。

Date: 11月 7th, 2021
Cate: ディスク/ブック

サンソン・フランソワのショパン

昨年11月のaudio wednesdayで、サンソン・フランソワのショパンをかけた。
そのことがあって、今年は例年になくショパンを聴いている。

といっても、それまであまり聴いてこなかったショパンだから、
それまでよりも聴いている、というぐらいで、そんなに多く、というわけではない。

20代のころ、ショパンを聴くとお尻のあたりがムズムズしてしまうことが多かった。
つまり嫌いな作曲家なのではなく、苦手な作曲家だった。
それが消えていったのは、40ぐらいのころ。

なのでショパンは、40すぎてから、少しずつ聴くようになっていったが、
ショパンのCDを積極的に買うようになったとは言い難かった。

それまで購入していたCDで、
ショパンの曲がおさめられているディスクを聴くようになった、といったほうがいい。
新しいショパンの録音を聴くようになったのは、TIDALを使うようになってからだ。

かなりの数のショパンのアルバムがTIDALで聴ける。
比較試聴もすぐにできる。

クラシックを聴くようになって四十年以上経って、
これまでになくショパンを聴いていた。

そんな一年を過ごして、サンソン・フランソワのショパンに惹かれる。

Date: 11月 2nd, 2021
Cate: ディスク/ブック

BACH UNLIMITED(その2)

クラシックに興味を持ち始めたばかりのころ、
バッハの作品に、イギリス組曲、フランス組曲、
そしてイタリア協奏曲があるのを知った。

いずれも鍵盤楽器の曲なのに、イギリスとフランスは組曲で、
イタリアだけが、なぜ協奏曲? と思った。

いまならばすぐにインターネットで検索して、その理由を知ることができるが、
当時はそんなものはなかったし、まわりにクラシックに詳しい人もおらず、
イタリア協奏曲が、協奏曲の理由がすぐにはわからなかった。

しばらくして二段鍵盤楽器のための曲ということを知り納得したわけだが、
だからといって、イタリア協奏曲とおもえる演奏は、そう多くはない。

私が聴いたイタリア協奏曲は、グールドの演奏が最初だった。
グールドは右手と左手の音色を変えている。
グールドの演奏で聴けば、協奏曲だと理解できるし、納得できる。

では、市販されているイタリア協奏曲の録音がすべてそうなわけではない。
達者に弾いていても、協奏曲とは感じられない演奏もある。

リーズ・ドゥ・ラ・サール(Lise de la Salle)の“BACH UNLIMITED”、
ここにおさめられているイタリア協奏曲は、たしかに協奏曲である。