Archive for category 色

Date: 10月 26th, 2021
Cate:

色づけ(colorationとcolorization・その5)

このことも思い出す。
私だけでなく、あのころ瀬川先生の文章に魅了され、
何度もくり返し読んだ人ならば、きっと思い出すはずだ。

1981年夏、ステレオサウンド別冊セパレートアンプのムックの巻頭、
「いま、いい音のアンプがほしい」で、
アルテックの604EをマッキントッシュのMC275で鳴らした時のことを書かれている。
     *
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ、思ったものだ。
     *
この時の604Eがおさめられていた箱は、銀箱である。
マッキントッシュのC22とMC275と同時代のアンプ、
マランツのModel 7とModel 9、それからJBLのSG520とSE400Sで、このときの音は出なかっただろう。

《滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい》エリカ・ケートの歌声、
それにモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)、
これ以上のカップリングはないように、いまも思う。

そして、この時の音も、アルテックとマッキントッシュによるカラリゼイションである。

Date: 10月 25th, 2021
Cate:

色づけ(colorationとcolorization・その4)

割と程度のよいアルテックの604-8Gを持っている。
手に入れたのは十年ほど前である。
ずっと押入れで眠ったまま。

いまのスペースだと、604-8Gに見合うエンクロージュアを置くスペースが確保できない。
銀箱と呼ばれているエンクロージュアにおさめる気はまったくない。

あの小さなエンクロージュアでは、
私がアルテックのスピーカーに求めるカラリゼイションが得られそうにないからだ。
もっともっとゆったりした容積のエンクロージュアに、604-8Gをおさめたい。

私が第一候補として、604-8Gを手に入れる前から考えているのは、
ステレオサウンド 51号掲載のマイ・ハンディクラフトに登場したモノだ。

ジェンセンのバス・ウルトラフレックス型である。
このエンクロージュアなら、
アルテックならではのカラリゼイションを発揮できそうに感じるからだ。

このエンクロージュアそのものは聴いている。
聴いている、といってもエンクロージュア単体の音を聴けるわけはなく、
JBLの2220Bをおさめた状態の音だった。

その音を聴いているからといって、604-8Gをおさめた音が想像できるわけではない。
いいはずだ、という直観でしかないが、朗々と鳴ってくれるはずだ。

LCネットワークはアルテック純正は使わない。
自作する。
UREIの813のLCネットワークを参照に自作する。

バス・ウルトラフレックス型がすぐには無理だから、平面バッフルも考えている。

ブルックナーの音楽にまじっている水っ気を酒にかえてくれる音で、
グレン・グールドのブラームスの間奏曲集を一度聴いてみたい。

Date: 10月 25th, 2021
Cate:

色づけ(colorationとcolorization・その3)

ステレオサウンド 16号掲載のオーディオ巡礼で、
五味先生は山中先生のリスニングルームを訪問されている。

このころ山中先生のメインスピーカーは、アルテックのA5だった。
     *
そこで私はマーラーの交響曲を聴かせてほしいといった。挫折感や痛哭を劇場向けにアレンジすればどうなるのか、そんな意味でも聴いてみたかったのである。ショルティの〝二番〟だった所為もあろうが、私の知っているマーラーのあの厭世感、仏教的諦念はついにきこえてはこなかった。はじめから〝復活〟している音楽になっていた。そのかわり、同じスケールの巨きさでもオイゲン・ヨッフムのブルックナーは私の聴いたブルックナーの交響曲での圧巻だった。ブルックナーは芳醇な美酒であるが時々、水がまじっている。その水っ気をこれほど見事に酒にしてしまった響きを私は他に知らない。拙宅のオートグラフではこうはいかない。水は水っ気のまま出てくる。さすがはアルテックである。
     *
《さすがはアルテック》とある。
ブルックナーの音楽にまじっている水を、
五味先生のオートグラフでは《水は水っ気のまま出てくる》のに対し、
山中先生のアルテックは《見事に酒にしてしまった響き》だからだ。

これをどう捉えるか。
いくつかの捉え方ができよう。

その一つとして、アルテックのスピーカーによるカラリゼイションがうまく働いて、
ブルックナーの音楽にまじっている水っ気を酒にカラリゼイションしてしまう。
私は、そう捉えることができる、と考える。

これは高忠実度再生においてあってはならないことなのだろうか。

Date: 10月 22nd, 2021
Cate:

色づけ(colorationとcolorization・その2)

カラーレイション(coloration)とカラリゼイション(colorization)は、
同じように捉えがちの人もいるようだが、同じ色づけであっても、
その意味あいが違う、ということを(その1)で触れている。

カラリゼイションということで、私がまっさきに思い浮べるスピーカーは、
やはりアルテックだ。

往時のアルテックのことであり、
そのアルテックの604-8Gを搭載したUREIの813のことである。

UREIの813は聴く機会がなかった。
813Aもなかった。
私がステレオサウンドの試聴室で聴いたのは、813Bと、
そのコンシューマー・ヴァージョンの813Bxである。

813Bはアルテックの604ではなくなっている。

813の音は、ほんとうに聴きたかった。
瀬川先生は、「続コンポーネントステレオのすすめ」で、813についてこう書かれている。
     *
なにしろ、音がいくらでも湧き出てくるような、弾みのついた明るい響き。雄大なスケール感。まるでコダカラーのような、つまりどこか人工的な味わいであることは感じさせながらも、しかしこれはアメリカでしか作ることのできない色彩のあざやかさと豊富さ。
     *
ステレオサウンド 46号の特集の試聴記では、こう書かれている。
     *
たとえばブラームスのP協のスケールの雄大な独特な人工的な響き。アメリカのスピーカーでしか鳴らすことのできない豪華で華麗な音の饗宴。そしてラヴェル。「パリのアメリカ人」ではなくて「パリジャン・イン・アメリカ」とでも言いたい、まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ。
     *
46号では、岡先生も、同じように評価されていた。

こういう良さが、813Bでは、少なくとも私は感じられなかった。
アルテックのユニットではなくなったからなのか。

UREIの813の音は、はっきりとカラリゼイションである。
しかもそのカラリゼイションは、
アルテックのユニットだからこその色づけだと感じるし、
五味先生が山中先生のリスニングルームで、ブルックナーを聴かれたことも思い出す。

Date: 10月 20th, 2021
Cate:

色づけ(脚色と潤色)

これから先、どれほど技術が進歩しようと、
録音、再生、そして伝送の過程において、
なんらかの欠如が生じて、なんらかの色づけがなされるものである。

録音にしても、よりよい録音ばかりを聴くわけではない。
モノーラルの古い、それもかなり古い録音も聴く。
場合によっては、かなり具合の悪い録音を聴くこともある。

しかもそれらの録音は、
古い録音から新しい録音まで、いまでは百年ほどの隔たりがある。

さらに録音された場と再生の場は同じではない。
さまざまな条件が違いすぎるし、再生の場も再生する人の数だけ存在する。

音量ひとつとっても、まったく同じ音量で聴かれることなんて、まずない。

そうやって、われわれは録音された音楽を、自分だけの空間で聴いている。
しかも「音は人なり」である。

これを否定する人がいるのはわかっている。
それはそれでいい。

私とは、音楽、オーディオについて語る機会はない人だからだ。

「音は人なり」である。
結局のところ、鳴らす人の「色」が、
さらに録る人の「色」が、
再生にも録音にも生じてくる。

色づけは、ないほうがいい、とは私だってそうだ。
けれど、録音、再生、伝送の、すべての箇所に、色づけが生じる。
大きかったり小さかったり、
時にはそれが心地よかったり、耳障りだったりする。

そういった色づけを全面否定したところで、
オーディオは案外つまらなくなる。

技術の進歩は、色づけを排除していく方向であって正しい。
だからといって、それが絶対なのか、ということに疑問をもたない技術者は、
不遜な人となっていくようだ。

ふと思う。

その色づけも、脚色と潤色とがあるのではないか、と。

Date: 12月 25th, 2020
Cate:

オーディオと青の関係(名曲喫茶・その7)

2020年の大半は、コロナ禍である。
だった、と過去形で書けないのが、現状である。

飲食店は大変だ、と耳にする。
飲食店だけではないはずだが、
飲食店の閉店をきいたりみたりする機会がけっこうあるだけに、
新型コロナのおよぼす影響の深さを実感することになる。

この項で書いている新宿珈琲屋は、私にとってはじめての馴染みの店だった。
二年程しか通えなかったけれど、
それでも新宿珈琲屋は、馴染みの店だった。

東京で暮すようになって、来春で四十年になる。
馴染みの店はいくつかできた。

けれど新宿珈琲屋のように、それらのほとんどがなくなってしまった。
それぞれの理由で終っている。

いま馴染みの店は、いくつもない。
その数少ない飲食店も、どうなるのかはなんともいえない。

馴染みの店ではないものの、よく行く店のいくつかは今年閉店してしまった。
それだから、よけいに新宿珈琲屋のことを思い浮べる。

新宿珈琲屋がなくなり、代りになる店を一時期探した。
都内の主だった珈琲店に行った。
いまほど情報があふれる時代ではなかっただけに、雑誌が頼りだった。

でも代りとなる店、
馴染みの店となる珈琲店はついに見つけられなかった。

いまだったら、どうだろうか……、とは思わない。

あのころステレオサウンドで働いていなかったら、
あれほど新宿珈琲屋に通えなかった。

一杯五百円の珈琲は、当時としては高いほうだった。
ステレオサウンドで働く前から新宿珈琲屋のことは知っていたけれど、
アルバイトもほとんどしてなかった学生にとって、
五百円の珈琲は高いだけでなく、私の住んでいた田舎では、
高校生が一人で喫茶店に入ることが禁じられていた。

いつかは行ってみたい、と思っていた珈琲店に、
週に何度も通えるようになったのは、ステレオサウンドで働いていたからだ。

新宿珈琲屋は、あのときの私にとって《恵まれた青春》のようだった。

Date: 8月 18th, 2020
Cate:

オーディオと青の関係(その25)

単売されているユニットの場合なら、
コーン紙に、特徴となる色をつける理由はなんとなくわかる。

けれどBOSEの901IIIにしても、マランツの1970年代前半ごろのスピーカーシステムにしても、
そのころのスピーカーシステムというのは、サランネットを外して聴くことは珍しかった。

901シリーズは、ステレオサウンドの試聴室で何度も聴いているけれど、
一度もサランネットを外してユニットが見える状態で聴いたことはない。

BOSEもサランネット外して音を聴いてほしい、とは考えてなかったはずだ。
マランツのスピーカーにしてもそうだし、
このころの海外のスピーカーシステムで、
サランネットなしで聴くことを前提としているモデルは、どれだけあっただろうか。

スピーカーユニットではなく、スピーカーシステムを買う人にとって、
搭載されているユニットのコーン紙の色は、ほとんどの場合、どうでもいいことかもしれない。

そんなことはBOSEの開発者もわかっていたように思う。
なのに青色のコーン紙である。

特性的にも、音質的にも優れていたのだろうか。
そうとは思えない。

となると、青色のコーン紙は、服装でいうところの下着のおしゃれに近いことなのか。

Date: 8月 12th, 2020
Cate:

オーディオと青の関係(その24)

twitterで、(その23)へのコメントがあった。
マランツの1970年代前半のスピーカーユニットのコーン紙も青色だった、というものだった。

マランツのスピーカーシステムといえば、
エド・メイが手がけた一連のシリーズが、私の場合、すぐに浮ぶが、
それ以前にもスピーカーシステムを出していたのは知っていた。

マッキントッシュ、ボザークといった東海岸のメーカーらしく、
ユニットを多数使うところは同じだった。
とはいえ実物を見たことはないし、写真もモノクロのものばかりだった。

いまの時代、便利だな、と感心するのは、
インターネットですぐに検索できるだけでなく、
当時はモノクロ写真しか見ることのできなかったモノ、
内部を見たことのない製品、
それらがカラー写真で見れたり、内部の写真があったりする。

確かにマランツのスピーカーのコーン紙は青色だった。
しかも、写真で見る限り、BOSEのコーン紙の青色とよく似ている。

BOSEも東海岸のメーカーである。
もしかするとコーン紙の製造メーカーは、マランツとBOSEは、そのころ同じだったのか。
そうだとすれば、他にも青色のコーン紙のスピーカーはあった可能性がある。

Date: 8月 11th, 2020
Cate:

オーディオと青の関係(その23)

アメリカのオーディオは青を好むのだろうか。
「青なんだ」と最初に思ったオーディオ機器の最初は、BOSEの901IIIだった。

901搭載のユニットのコーン紙は青色だった。
901も最初モデルは違っていたはずだ。
II型からなのか、III型からなのかは知らないが、
少なくともIII型は、すでに青色のコーン紙だった。

同口径で、見た目は似ているユニットであっても、
101MMのそれは黒色だった。
BOSEの他のスピーカーで青色のコーン紙のモデルは、301MMIIぐらいしか思い浮ばない。

901IIIのころ(1976年ごろ)、
スピーカーのコーン紙といえば、黒色がほとんどだった。
黒色といっても、真黒なわけではなく、濃淡の違いはあったし、
それ以外の違いもあったけれど、おおまかに黒だった。

黒以外の場合は、白色はあった。
よく知られるところではヤマハのNS10Mのウーファーがそうだったし、
はっきり白色でなくとも、乳白色のコーン紙のユニットは、いくつかあった。
JBLのLE8T、ローサーのユニット、フォステクス、コーラルにもあった。

振動板の材質が紙ではなく金属の場合も黒ではなかった。
紙の振動板で、黒、白色以外で、
はっきりと色をつけたユニットとなると、901IIIの青が最初ではないだろうか。

他にもあったのかもしれないが、
ちょうどオーディオに興味を持ち始めたころの901IIIの青色のコーン紙は、
私にとっては鮮烈な印象であった。

とはいえ、当時は、なぜ青色なのか、ということについては考えもしなかった。
ただ青色ということだけが、記憶にはっきりと残っている。

Date: 4月 19th, 2020
Cate:

オーディオと青の関係(その22)

その21)で、イギリスのスピーカーユニットは赤に塗装したモノがあったことを書いた。
といっても、これらのスピーカーユニットは古いモノばかりである。

それでもイギリスのオーディオ機器は赤が好きなのか──、
とやはり思わせてくれたのが、フォーカスライトのREDシリーズだった。

REDシリーズを知ったのは、プロサウンドの広告だった。
表紙をめくって次のページがそうだった、と記憶している。
RED 2とRED 3だった、と思う。

単にフロントパネルが赤だけでなく、
フラットなパネル(金属板)ではなく、肉感的なカーヴをしていた。

RED 2はパラメトリックイコライザー。
私にはおいそれとは買えない価格だったけれど、
知人だったら、即買いそう、と思った。

話をして写真を見せたところ、一発で購入を決めていた。
しばらくして知人のリスニングルームにRED 2がおさめられた。

実物のRED 2は、やはりよかった。
しばらくしてRED 5が登場した。
パワーアンプである。

もちろんフロントパネルは赤である。
でも、全体の造りをみれば、それがCHORDのパワーアンプであることはすぐにわかる。

RED 5はフロントパネルだけでなく、
リアパネル側のヒートシンクも赤にしていた。

これだけなのに、ベースとなっているCHORDのパワーアンプとは、印象がずいぶん違う。
フォーカスライトのREDシリーズはプロフェッショナル用だから、
スタジオでラックに収められて使われるのが前提のはずだ。

にもかかわらずフロントパネルだけでなく、
ラックにマウントされればみえなくなるヒートシンクも赤にしている。

こういうところが、
スピーカーユニットの磁気回路を赤に塗装するところと共通している。

Date: 3月 30th, 2020
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その6)

(その3)で《LS5/1Aまでは期待しないものの、LS5/5は復刻されないものか》と書いたところ、
その一年後、イギリスのグラハムオーディオがLS5/5の復刻を発表した。
2019年のことである。

こうなると、LS5/1の復刻を期待したくなる。
まぁ、でも無理だろうな……、と思っていた。

先ほどグラハムオーディオのfacebbokに、
LS5/1用のエンクロージュアが届いた、という写真が公開されていた。

バスレフポートの形状と数は違うが、
ウーファーは15インチ口径を、ストロットを採用している。
トゥイーターは、二つ取り付けられるようになっている。

ユニットの写真は、まだない。
どんなユニットが搭載されるのかを含めて、非常に楽しみである。

Date: 9月 12th, 2019
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その5)

数日前、facebookを眺めていたら、グラハムオーディオのfacebookのページに、
BBCモニターLS5/5の写真が公開されていた。

四ヵ月前に公開された写真とは違い、ぐっとスピーカーに寄ったものであり、
前回の写真ではなんともはっきりしなかったところも、今回の写真はきちんとは伝えてくれる。

トゥイーターは、やはり復刻版のLS5/8やLS5/9に採用されているものと同じに見える。
HF1300と外観的にもかなり違うトゥイーターではあっても、
ロジャースのPM510やLS5/8に採用されていたオーダックス製のトゥイーターによく似た感じだ。

コーン型のウーファーとスコーカーは、ベクストレンの振動板のようだ。
それからエンクロージュアのプロポーションが、奥にかなり長い。

オリジナルのLS5/5は聴いていない。
聴いていないからこそ、今回のグラハムオーディオによる復刻は、
これはこれでいいんじゃないか、と、かなり魅力的に思えてくる。

オーディオマニアとして、音に対して強くありたい、とは常々おもっている。
それでも、今回のLS5/5のようなスピーカーの報せをみると、そのへんがぐらぐらとしてしまう。

Date: 5月 13th, 2019
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その4)

ほぼ一年前の(その3)で、
グラハムオーディオからLS5/5は復刻されないものか、と書いた。

書いているけれど、あまり可能性はないと思っていた。
ドイツで開催されていたオーディオショウ、
HIGH ENDでのグラハムオーディオのブースの写真が、
グラハムオーディオのfacebookのページで見ることができる。

そこにはLS5/5の復刻版が写っている。
今日現在、グラハムオーディオのウェブサイトには、LS5/5の情報はない。
けれど、期待していい、と思っている。

写真を拡大していくと細部は粗い。
トゥイーターは、いまのところHF1300(もしくはHF1400)の復刻版ではなさそうである。
LS5/8に採用されているトゥイーターの同じようである。

ユニット配置、コーン型ユニットの取り付け方などはLS5/5を踏襲している。
肝心なのは、その音と音色である。

どうなんだろうか。

LS5/5の資料はBBCのウェブサイトから
The design of studio monitoring loudspeakers Types LS5/5 and LS5/6”が
ダウンロードできる。

ラジオ技術選書「スピーカ・システム(山本武夫 編著)」に、LS5/5のことは載っている。
そのころから気になっていたスピーカーである。

なのでどういう構成のスピーカーなのかは、割と知っている。
それでも、LS5/5は、実物を見たことはない。
当然、音を聴いていないし、周りにきいたことのある人もいない。

グラハムオーディオのことだから、いいかげんな復刻モデルではない、と信じている。
グラハムオーディオのLS5/5、どんな音色に仕上がっているのか。

Date: 7月 4th, 2018
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その3)

セレッションのトゥイーター、
個人的には名トゥイーターといいたくなるHF1300。

いまBBCモニターのLS3/5Aの復刻モデルが、各社から出ている。
LS3/5Aに搭載されていたKEFのユニットは製造中止になって久しいから、
オリジナルの復刻にはユニットの復刻から、始めることになる。

そうやった復刻されたユニットを見ると、なかなかの仕上がりだ。
BBCモニターの復刻はLS3/5Aだけではない。

グラハムオーディオからはLS5/8とLS5/9も出ている。
LS5/1Aまでは期待しないものの、LS5/5は復刻されないものか。

LS5/5の復刻にはHF1300(正確には改良型HF1400)が不可欠だと、思っている。
ここが他のトゥイーター、どんなにそれが優秀であってもLS5/5の復刻とは呼べないはずだ。

ようするにどこかHF1300を復刻してくれないか、と思っているわけだ。
HF1300を単体のトゥイーターとして使ってみた(鳴らしてみた)ことはない。

自分でそうやって使う(鳴らす)ことで、確かめたいことがある。
それはHF1300独自の音色について、である。

ここでのタイトルは、
好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた、としている。
そうである。

そうなのは確かだが、HF1300は各社のスピーカーシステムに使われている。
組み合わされるウーファーもさまざまだ。

そこにおいて音色のつながりに不自然さを感じさせるスピーカーシステムはなかった。
ということは、HF1300はそれほど主張の強い音色をもっていないのではないか。
そう解釈することもできるからだ。

ステレオサウンド 35号「’75ベストバイ・コンポーネント」で、
井上先生は、
《英国系のスピーカーシステムに、もっとも多く採用されている定評のあるユニットだ。滑らかで、緻密な音質は、大変に素晴らしく他社のウーファーとも幅広くマッチする。》、
瀬川先生は、
《イギリス製のスピーカーシステムに比較的多く採用されている実績のある、適応範囲の広いトゥイーター。BBCモニターの高域はこれの改良型。高域のレインジはそう広くない。》
と書かれている。

HF1300は適応範囲の広いトゥイーターだということが読みとれる。

Date: 7月 3rd, 2018
Cate:

オーディオと青の関係(名曲喫茶・その6)

新宿珈琲屋のKさんの髪も長かった。

私は五味先生の「日本のベートーヴェン」に出てくる髪の美しい少女を、
髪の長い少女と手前勝手に想像しているのは、
私自身が少年だったころ、想いを寄せていた少女の姿からだけではなく、
実のところKさんのイメージもそこに重なってくるからだ。

新宿珈琲屋はカウンターだけの店だから、
《メニューを持って近寄って来る》こともないし、
《紺のスカートで去って行くうしろ姿》はない。

大きな店ではないから、
座っているところからすぐのところにKさんは立っていて仕事をしている。
頻繁に通っていたから顔は覚えられていた。
店に入ると、会釈を返してくれる。

とはいえKさんと話すことはほとんどなかった。
Kさんが淹れてくれるコーヒーを飲み、
後で鳴っているESLから流れてくるバロック音楽に耳を傾けて、
ただそれだけで店を出る。

あのころの私にとって新宿珈琲屋は、理想に近い居場所だった。
ずっと、あの場所にあるものだ、と信じ切っていた。

けれどあっけなく消失してしまった。
1983年12月だった、はずだ。
火事で無くなってしまった。

放火だといわれていた。
たしかにあの場所に木造長屋では、家賃収入も期待できない。
ビルに建て替えれば……、そんなウワサを聞いている。
地上げということをよく聞くようになっていたころだった。