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Date: 1月 16th, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その5)

この項の(その3)で、グールドのゴールドベルグ変奏曲なら、たいていの場所で耳にしても、
グールドの演奏だと、耳が判断する、といったことを書いた。

まぁ、よほどひどい環境でも無いかぎり、ふしぎなもので、さほど高価なスピーカーでなくても、
レコード店に置いてある程度のスピーカーから、ラジオのスピーカーであっても、
グールドの演奏だと、バッグラウンドミュージックであっても、ふしぎと耳にはいってくる。

にもかかわらず、昨年、ある試聴会で、どうして?、と考えてしまうことがあった。

開始時間の20分ほど前に会場についた。バッハのゴールドベルグ変奏曲がかかってくることは、すぐにわかった。

よさそうな位置の席を見つけて坐って、そのゴールドベルグに耳をかたむけたら、
「もしかして、グールド?」と思ってしまった。
弾き方は、あきらかにグールドの演奏に似ていると感じても、「あっ、グールドだ!」とは感じられなかった。

Date: 1月 15th, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その4)

アデールの「フーガの技法」、2枚のCDを聴きおわったところで、拍手が鳴り、最初のときは驚いた。

ジャケットには”Live Recording” と書かれているし、ライヴ録音だと感じさせる箇所もないわけではないが、
聴き耽っていたら、そんなことは頭の中から消えていて、いきなりの拍手の音に、ハッとした。

このライヴでの聴取は、みな息を潜めて、ひとつになって聴いている。
別の場所、別の時間にいる、CDの聴き手も、いつのまにか聴取とひとつになっている、とでもいったらいいのだろうか。

拍手の音は、とうぜんだがひとつではない。あちこちから聴こえてきて、
視覚情報のあたえられていないCDの聴き手は、拍手の数の多さから、
こんなにも多くの聴き手がまわりにいたことを、はじめて知る。

この静謐さは、グールドとアデールのバッハに通底しているもののひとつであろう。
これだけではないだろう。まだなにかがあるのだろう……。それを感じとりたくて、今日もまた聴いていた。

Date: 1月 14th, 2010
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」(その5)

他者からの「承認」をえやすい音のスピーカーが、あきらかにある。
しかも増えてきている。

そのことで失われつつある「もの」がある。
そして、オーディオ評論とも関係している。

Date: 1月 13th, 2010
Cate: 瀬川冬樹, 現代スピーカー
1 msg

現代スピーカー考(その20・続補足)

「ぼくはインターナショナル・サウンドっていうのはあり得ないと思います」と岡先生は否定されている。
が、「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とも言われているように、全否定されているわけではない。

岡先生は、こうも言われている。
「非常にオーバーな言い方をすれば、アメリカのスピーカーの方向というものはよくも悪しくもJBLが代表していると思うんです。アメリカのスピーカーの水準はJBLがなにかをやっていくたびにステップが上がっていく。そういう感じが、ことにここ10数年していたわけです。
 JBLの行きかたというのはあくまでもテクノロジー一本槍でやっている。あそこの技術発表のデータを見ていると、ほんとうにテクノロジーのかたまりという感じもするんです。」

この発言と、瀬川先生が病室から談話で語られた
「客観的といいますか、要するにその主観的な要素が入らない物理特性のすぐれた音」、
このふたつは同じことと捉えてもいい。

だから残念なのは、全試聴が終った後の総括の座談会に、瀬川先生が出席されていないことだ。
もし瀬川先生が入院されていなかったら、インターナショナル・サウンドをめぐって、
ひじょうに興味深い議論がなされたであろう。

それは「現代スピーカー」についての議論でもあったはずだ。

瀬川先生の談話は、the Review (in the past) で公開している。
「でも、〝インターナショナル〟といってもいい音はあると思う」の、そのだ。

Date: 1月 13th, 2010
Cate: 瀬川冬樹, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その20・補足)

ステレオサウンドの60号が手もとにあるので、
瀬川先生のインターナショナルサウンドについての発言を引用しておく。
     *
これは異論があるかもしれないですけれど、きょうのテーマの〈アメリカン・サウンド〉という枠を、JBLの音には、ぼくの頭のなかでは当てはめにくい。たとえば、パラゴンとオリンパスとか、あの辺はアメリカン・サウンドだという感じがするんだけれども、ぼくの頭の中でJBLというとすぐ、4343以降のスタジオモニターが、どうしてもJBLの代表みたいにおもえちゃうんですが、しかし、これはもう〈アメリカン・サウンド〉じゃないんじゃないのか、言ってみれば〈インターナショナル・サウンド〉じゃないかという感じがするんです。この言い方にはかなり誤解をまねきやすいと思うので、後でまた補足するかもしれないけれども、とにかく、ぼくの頭の中でのアメリカン・サウンドというのは、アルテックに尽きるみたいな気がする。
アルテックの魅力というのは(中略)、50年代から盛り返しはじめたもう一つのリッチなアメリカ、それを代表するサウンドと言える。もしJBLの4343から4345を、アメリカン・サウンドと言うならば、これは今日の最先端のアメリカン・サウンドですね。
     *
瀬川先生のインターナショナル・サウンドに対しては、
アメリカン・サウンドの試聴に参加された岡、菅野のおふたりは、異論を唱えられている。

岡先生は、4345の音を「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とされている。

Date: 1月 12th, 2010
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その59)

「きれいさっぱり」という表現がある。

きれいさっぱりに洗った、という場合には、汚れの落とし忘れもなく、清潔なこと。
きれいさっぱりあきらめた、という使い方もある。
潔くあきらめて、さっぱりしている、という意味だ。
また、何もかも失ってしまったときにも、きれいさっぱり、を使うこともある。

洗濯の例のようによい意味で使われることもあれば、そうでない使い方もある。

バーンスタインのマーラーには、きれいさっぱり、という表現はまったく無縁だ。
インバルのマーラーには、きれいさっぱり、という言葉を使いたくなる、なにかを感じる。
というより、何かがたりないから、そう感じる、といったほうが正しい。

きれいさっぱりな音のアンプ、は、褒め言葉ではない。
そう受けとる人もいるかもしれないが、音の表面的な綺麗さにこだわるあまり、
なにか大事なものまで捨ててしまった音、そんな意味が含まれている。

バーンスタインの感情移入の凄まじさは、ある種のノイズなのかもしれない。
その「ノイズ」は、人によっては、音の汚れとして、または、きわどい音として受けとめるのか……。

バーンスタインのマーラーの第5番を「チンドンヤみたい」と受けとめた編集者にとっては、
バーンスタインの発する「ノイズ」は、単なる汚れにしかすぎなかったのか。
だから、その種の「ノイズ」をきれいさっぱりと洗い流したインバルのマーラーを選ぶのか……。

その一方で、きれいさっぱりなものに物足りなさを感じる者も、またいる。

Date: 1月 11th, 2010
Cate: 電源

電源に関する疑問(その19)

伊藤先生製作の349Aのアンプには整流管は5AR4(GZ34)がささっていた。
それをウェスターンの274Bに差し換える。
出力管の349Aよりも、整流管のほうが大きく、堂々としている。
見た目のバランスの良さはくずれてしまったが、音の美しさは、はっきりと倍加した。

しかも音が歇んでいく様の美しさが、とくにきわだっていたことを、思い出したのだ。
あの音が欲しいのだ。

整流管として内部抵抗が低いのは5AR4のほうで、274Bは高い部類である。
つまり電圧降下が、内部抵抗の高い分だけ増えることになる。
つまりレギュレーションが悪くなる。にもかかわらず、音の美しさは増していく。

もちろん内部抵抗の違いだけでなく、電極の材質、作りの違い、ガラスの違いもあるだろう。
そういったもろもろのことが有機的に絡みあっての音の違いではあるとわかってはいるが、
その音の違いを思いだしながら、伊藤先生製作の349Aのアンプの回路図をもういちど見直していくと、
1kΩの抵抗の存在が、音が歇むときの美しさに、実は密接に関わっているような気がしてきた。

そうなってくると、いちど、伊藤先生の回路通りに、
ようするにウェストレックスのA10の回路を元にしたものをつくってみようと考えを改めた。

Date: 1月 11th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343における52μFの存在(その12)

4350でふしぎなのは、ミッドバスとミッドハイのレベルコントロールがない点である。

ステレオサウンド 51号に「♯4343研究」という連載の1回目が載っている。
JBLプロフェッショナル・ディヴィジョンのゲーリー・マルゴリス氏とブルース・スクローガン氏に、
ステレオサウンド編集部がきき手として、4343のセッティングとチューニングの説明している。< そこでマルゴリスは、スピーカーのレベルコントロールついて、 「リスニングルーム個々によって全く音響条件が違うわけですから、 それぞれの部屋で最適なバランスが得られるように、充分に活用してください。」と語っている。 さらに「スピーカーユニット自体も、生産上の能率差はプラス・マイナス1dBが許容されていますから、 最大2dBの能率差が出ることもあるわけです」と続けている。 あくまでも最大2dBの能率差ということだから、運がよければ、ほとんど差がないこともあるだろうし、 まあ、1dBぐらいは違っているだろう、と覚悟しておいたほうがいい(と私は思っている)。 とくに能率差がわりと多く発生しているのが、トゥイーターの2405である。 この記事中にある、マルゴリス調整後の4343のレベルコントロールの写真を見ると、 2405のレベルは、左右でかなり差があることがわかる。

Date: 1月 10th, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その3)

アデールによる「フーガの技法」の最初の一音、そしてもう一音が鳴ったとき、
「グールドだ!」と感じてしまった。

グールドのディスクは、反復してよく聴いている。
だから、外出先で、レコード店やそれ意外の場所でも、グールドの演奏がかかると、
耳がすぐに反応して「あっ、グールドだ!」とわかる。

さすがにグールドののこしたすべてのディスクに対して、なわけはないが、
それでも新旧のゴールドベルグ変奏曲、平均律クラヴィーア、パルティータなどは、すぐに反応している。

それはしっかりと耳に刻まれているからこそ反応できるのに、
はじめて聴くアリス・アデールの「フーガの技法」に反応したのはなぜだろう?

聴き進むにつれて、グールドがもしピアノで再録音していたら、
まさに、いま聴いている演奏にきわめて近い、というよりも、そっくりになったのかもしれない。
そんな気もしてきた。

アリス・アデールが、グールドの演奏を真似している、そんなことではない。
真似しようとしてもできるものではないだろうし、もしそっくりの真似が可能だとしても、
そういう演奏に、耳が「グールドだ!」と反応することはない。

いっておく、アリス・アデールの「フーガの技法」は素晴らしい。

Date: 1月 9th, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その2)

グールドは、1962年に、楽器指定のない「フーガの技法」を、オルガンでのこしている。
残念なのは、第1集のみだけということ。

グールドが第2集まで録音していてくれたら……、と思うだけでなく、
もしピアノで演奏していたら……、とも思う。

いくら思ったところで、どうなるものではないとわかってはいるが、やはり、つい思う。
もちろん四六時中思っているわけではないが、なにかのきっかけがで、しばらくその想いにとらわれてしまう。

ここ数年は、実のところ、思うことはなかった。
年末から新年にかけて、バッハを中心に集中して聴いていたこともあって、
今年最初に購入したCDのなかに、「フーガの技法」をピアノで演奏したものを加えた。

アリス・アデール(Alice Ader)による「フーガの技法」だ。

Date: 1月 8th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343における52μFの存在(その11)

自作スピーカーのごく一部の例外を除けば、そして既製のスピーカーシステムは、
ウーファーの能率がいちばん低く、それより上の帯域を受け持つユニット、
トゥイーター、スコーカーのレベルを絞り、能率を合わせている。

言いかえれば、能率の基準はウーファーにあり、
レベルコントロールの調整の基準もウーファーにある、ということだ。

つまり、いちばん低い能率のウーファーのレベルは、当然だが固定されているわけだ。
スピーカーシステムのレベル調整において、この当然すぎることを意識することは、あまりないのかもしれない。

これが、4350には、あてはまらない。
瀬川先生は、ステレオサウンドの43号に、
「使い手がよほど巧みなコントロールを加えないかぎり、
4350Aは、わめき、鳴きさけび、手のつけられないじゃじゃ馬にもなる」と書かれている。

4350のもつ、この性格は、レベルコントロール調整時の意識のなかにも潜んでいる、といえないだろうか。

Date: 1月 7th, 2010
Cate: Kathleen Ferrier, 音楽性

AAとGGに通底するもの(その1)

東京で暮らすようになって、大晦日に除夜の鐘が聞こえるところに住んだことはない。

大晦日、階下の人がいなかったので、除夜の鐘の代わりというわけでもないが、
エネスコのヴァイオリンによるバッハを、午前0時をまたぐように聴いていた。

エアコンはとめて、聴いていた。
聴いていくうちに部屋の温度は低くなっていくなかで、しんみりと聴いていた。

翌日の朝、今年初めにかけた曲も、エネスコのバッハの2枚目。
つまりパルティータ第2番、ソナタ第3番、パルティータ第3番を聴いた。

なんとなく「正月はバッハだよなぁ」という気分になり、カラヤンのロ短調ミサをかけた。
EMIから出ているモノーラル盤で、フェリアーが歌うリハーサルも含まれている。

時間はあるから、マタイ受難曲を聴くことにした。ヨッフム指揮のフィリップス盤。
これで1日は、ほぼ終っていた。

2日も、やはりバッハで、グールドのデビュー盤のゴールドベルグ変奏曲から、
アルバムの発売順に聴いていこうと思い、次にベートーヴェンの第30、31、32番、
バッハの協奏曲第1番とベートーヴェンの協奏曲第2番、
バッハのパルティータ第5盤と6番、というふうに聴き続けていた。

グールドが、もうすこし生きていて、ベートーヴェンの後期のピアノソナタと、
バッハの「フーガの技法」を再録音してくれていたら……、と過去何度思ったか数えきれないくらいことを、
またくり返し思っていた。

Date: 1月 6th, 2010
Cate: 604-8G, ALTEC, ワイドレンジ

同軸型ユニットの選択(その14)

UREIの813のネットワーク(TIME ALIGN NETWORK)は、回路図から判断するに、
ウーファー部のハイカットフィルターは、6次のベッセル型である。

ベッセル型フィルターの通過帯域内の群遅延特性はフラットであると前に書いているが、
そううまくウーファーの音だけに遅延がかかって、トゥイーターからの音と時間的な整合がとれているのか、
と疑われる方もおられるだろう。
メーカーの言い分だけでは信じられない、コイルとコンデンサーだけのネットワークで、
タイムアライメントをとることが、ほんとうに可能なのか、と疑問を持たれても不思議ではない。

ステレオサウンドの46号の特集記事はモニタースピーカーだった。
その次の47号で、46号で登場したモニタースピーカーを、三菱電機郡山製作所にての測定結果が載っている。

アルテックの620A、JBLの4343、4333A、ダイヤトーンのMonitor1、キャバスのブリガンタン、
K+Hの092、OL10、ヤマハのNS1000M、そしてUREIの813の、
無響室と2π空間での周波数特性、ウーファー、バスレフポート、パッシヴラジエーターに対する近接周波数特性、
超高域周波数特性、高次高調波歪特性、混変調歪特性と混変調歪差周波掃引、
インパルスレスポンス、群遅延特性、エネルギータイムレスポンス、累積スペクトラム、
裏板振動特性、デジタル計測による混変調歪が載っている。

Mark Levinsonというブランドの特異性(余談・ML4について)

ここで、マークレビンソンのラインナップに、ML4がなかったことを書いた。
なかったわけでないことが、今日思い出すことができた。

さきほど坂野さんから、ステレオサウンドのバックナンバーが、まとまって送られてきた。
そのなかに50号が含まれていて、
編集部原稿による「マーク・レビンソンのニューライン完成間近」という記事がある。
ここにML4の試作品の写真と説明が載っている。

そうだ、そうだ、ここに載っていた、と思い出した。

ML4は、大幅に値上がりしたML1のローコスト版を望む声がアメリカでは強く、
それに応える形で開発されたもの、らしい。
モジュール構成ではなく、電源部も内蔵されている、とある。

フロントパネルは、ML1と同じように中央にMark Levinsonの、例のロゴがあり、
その左右にツマミが3個ずつ左右対称に配置されている。

電源部内蔵とあって、パネル高もML1よりもはありそうな感じだ。
これがML10の原型か、は、はっきりとしない。

この記事中では、ML10はKEFのModel 105をベースに、
ネットワークと内部配線材(おそらく銀線使用か)を中心にモディファイされたもの、となっている。

さらにML7の型番もあり、これはのちに登場するコントロールアンプのことではなく、
ML5の姉妹機にあたるもので、
ML5がスチューダーのA80のトランスポート採用であるのにたいし、
このときのML7は、ルボックスのB77のトランスポートを使い、
マークレビンソン製の録音・再生アンプを組み込んだもの。

今日届いたステレオサウンドのバックナンバーのおかげで、
書くことを控えていた、いくつかの項目の続きが書けるようになった。

the Review (in the past) の入力に関しても、
そろそろ手もとにあるステレオサウンドのバックナンバーが足りなくなってきたころだっただけに、
助かっている。

Date: 1月 5th, 2010
Cate: 4343, JBL
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4343における52μFの存在(その10)

4ウェイの4341、4343、4344、4345のレベルコントロールは3つ。
3ウェイの4333は2つ、2ウェイの4320、4331は1つ。

当然のことだが、低域(ウーファー)以外のすべての帯域に、
それぞれレベルコントロールがあり、ウーファーを基準に、それぞれのユニットのレベルは変えられる。

4355はバイアンプ駆動だから、低域とそれより上の3つの帯域については、
チャンネルデバイダーのレベルセットでコントロールできる。
そのうえで、ミッドハイとトゥイーターは、4355のレベルコントロールを使えば、
それぞれのユニットのレベルは変えられる。

4350のレベルコントロールはトゥイーターの2405用であって、
つまりチャンネルデバイダーでレベルコントロールしようと、
ミッドバスとミッドハイのふたつのレベルは固定されている。

2202Aと2440の組合せによる2ウェイ・スピーカーが4350の中心にあり、
この2ウェイに関しては、ユーザーはいっさい触れられない設計になっている。
いじることが許されているのは、ウーファーとトゥイーターの、この2ウェイに対する相対的なレベルである。