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Date: 1月 24th, 2010
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) を入力していて……(その39)

アンプ専業メーカーであったクレルが、スピーカーシステムを手がけたように、
パス・ラボも、またスピーカーシステムを手がけている。

パス・ラボの主宰者、ネルソン・パスは、自身の最初の会社スレッショルドを創立するまでは、
アメリカ・サクラメントにあったスピーカーメーカー、ESSにつとめている。

ESSは、オスカー・ハイル開発のハイルドライバーを搭載したモデルをつくっていた会社で、
パスは、ESSの後援を受けて大学に通っていた、とインタビューで答えている。
パスのESSでの仕事は、ネットワークの設計をやっていたとのことだが、
会社にとっては、トラブルメーカーと思われていた、と語っている。

パスは新しいことをやりたくて、製品を改良しようとしていたことが、会社の経営陣からは、
よけいなことだと思われていたらしい。
だから、大学卒業と同時に、辞めてくれ、といわれ、ESSを離れている。

このESS時代に同僚だったのが、一緒にスレッショルドを創立したメンバーの一人、
グラフィック・デザイナーのルネ・ベズネである。
スレッショルドの社名は、ベズネが、ESSで働いていたときに、思いついたものだそうだ。

Date: 1月 23rd, 2010
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その24)

スピーカーのセッティングをいいかげんにしたままでは、幸運がいくつも重ならないかぎりは、
そうそういい響きを、そのスピーカーから抽き出すことはできない。

けれど、聴き馴染んでいるベートーヴェンの音楽が、誰の曲なのか、一瞬わからなくなるほど、
音楽を歪めてしまうような鳴り方には、ならない。

いいかげんなセッティングによるひどい音は、そういう類の音ではない。
2007年に聴いた、あのひどい音は、あきらかに「調整後」の音であったはずだ。

Date: 1月 23rd, 2010
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その23)

この項の(その7)に書いたことに、話を戻そう。

じつは、このブースの音は、2007年だけではない、他の年も、ひどい音を出していた。
その6)や(その7)を書いてしばらくして、「A社って、○○でしょ」と、友人から言われた。
その通りだったから、隠しもしなかったが、
私だけでなく、A社のブースの音をひどいと感じていた人はいたわけで、それはなにも彼一人だけでなく、
私のまわりには、少なからず、同じように感じている人がいる。

それが、2009年では、それまでのひどすぎる音が嘘のようになくなり、
細かいことを言えば、もちろん不満点はあるものの、音楽が歪められることなく、まともな音が鳴っていた。

ある人からの情報によれば、昨年は、スピーカーの位置出しに、かなり時間をかけて行なっていた、ときいた。
ということは、一昨年までとは、かなり適当に、こんなところでいいよ、という感じでやっていたことになる。

ふざけた話だ、と怒る前に、もう一度、2007年の、
コリン・デイヴィスの「コリオラン序曲」の鳴りかたの変質ぶりを思い出してみると、
あの音のひどさは、スピーカーのセッティングのいいかげんさが原因ではないはずだ。

Date: 1月 22nd, 2010
Cate: よもやま

「つぶやき」しています。

見知らぬ方からのフォローがあったら、ここに書こうと決めていましたので、
お知らせしておきます。今年から「つぶやき」しています。

いちおう毎日つぶやいています。
といっても、このブログと同じように、帰宅後につぶやいていますので、
一言ブログみたいな感じになりつつあります。

Date: 1月 22nd, 2010
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その20・続々続々補足)

瀬川先生に足りなかったものがもうひとつあるとすれば、
「インターナショナル・サウンド」の前に、
岡先生の発言にあるように「アメリカ製の」、もしくはアメリカ西海岸製の」、または「JBL製の」と、
ひとこと、つけ加えられることであろう。

グローバルとインターナショナルの違いは、
「故郷は?」ときかれたときに、
「日本・東京」とか「カナダ・トロント」とこたえるのがインターナショナルであって、
「お母さんのお腹の中」とこたえるのがグローバルだ、と私は思っている。

Date: 1月 22nd, 2010
Cate: 瀬川冬樹, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その20・続々続補足)

仮に欠席裁判だとしよう。
29年経ったいま、「グローバル」という言葉が頻繁に使われるようになったいま、
「インターナショナル・サウンド」という表現は、瀬川先生も「不用意に使った」とされているが、
むしろ正しい使われ方だ、と私は受けとめている。

もし「グローバル・サウンド」と言われていたら、いまの私は、反論しているだろう。

瀬川先生は、他の方々よりも、音と風土、音と世代、音と技術について、深く考えられていた。
だから、あの場面で「インターナショナル・サウンド」という言葉を、思わず使われたのだろう。
瀬川先生に足りなかったのは、「インターナショナル・サウンド」の言葉の定義をする時間だったのだ。
思慮深さ、では、決してない。

Date: 1月 22nd, 2010
Cate: 瀬川冬樹, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その20・続々補足)

瀬川先生が、「インターナショナル・サウンド」という言葉を使われた、29年前、
私は「グローバル」という言葉を知らなかった。
「グローバル」という言葉を、目にすることも、ほとんどなかった(はずだ)。

いま「グローバル」という言葉を目にしない、耳にしない日はないというぐらい、の使われ方だが、
「グローバル・サウンド」と「インターナショナル・サウンド」、このふたつの違いについて考えてみてほしい。

ステレオサウンド 60号の、瀬川先生抜きの、まとめの座談会は、
欠席裁判のようで不愉快だ、と捉えられている方も、少なくないようである。
インターネット上でも、何度か、そういう発言を読んだことがある。

早瀬さんも、「やり場のない憤り」を感じたと、つい最近書かれている。

私は、というと、当時、そんなふうには受けとめていなかった。
いまも、そうは受けとめていない。

たしかに、菅野先生の発言を、ややきつい表現とは感じたものの、瀬川先生の談話は掲載されていたし、
このとき、瀬川先生が帰らぬ人となられるなんて、まったく思っていなかったため、
次号(61号)のヨーロピアン・サウンドで、きっとKEFのスピーカーのことも、
思わず「インターナショナル・サウンド」と言われるのではないか、
そして、「インターナショナル・サウンド」について、
菅野先生と論争をされるであろう、と思っていたし、期待していたからだ。

Date: 1月 21st, 2010
Cate: 4343, JBL

4343における52μFの存在(その13)

2405ほどではないが、私の経験では、JBLのユニットは、総じてコーン型ユニットよりも、
ドライバーユニットに、能率差はわりと顕著なことである。

ステレオサウンドの試聴室にあった4344でも、レベルコントロールを追い込んでいくと、
左右で、ミッドハイ(2421)のレベル差が、1dBほどあった。
たとえば4343(4344)の例でいえば、ミッドバスのユニットの能率の差は、左右チャンネルでないとして、
レベルコントロールの0dBの位置で、ミッドハイ(2420もしくは2421)の能率の差があったとしたら、
わずかではあるが、クロスオーバー周波数が左右チャンネルで異ることになる。
単にミッドハイのレベルがすこし高いだけではない。

もちろん2420の能率の差があったところで、
ミッドハイのローカットの周波数はネットワークによって決まるので一定だが、
カットオフ周波数・イコール・クロスオーバー周波数ではない。

ミッドハイのレベルが高くなると、ミッドバスとのクロスオーバー周波数は、すこし下の周波数に移動する。

JBLのマルゴリスは、ステレオサウンド 51号で、レベルコントロールについて、
「アンプのトーンコントロールとは違いますから、これを動かしたからといって歪が増えたりするわけではありません。十分レベルコントロールを活用して、それぞれの部屋に合ったレベルバランスに調整していただきたいと思います。」
と語っている。

Date: 1月 20th, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その10)

「肉体のない音」は、「音は人なり」とともに、私のオーディオのはじまり、といっていい。

たびたび書いているように、五味先生の「五味オーディオ教室」が、
最初に手にし、もっともくり返し読んだオーディオの本である。

この本の最初に出てくるのが、いわゆる「肉体のない音」について、である。

Date: 1月 19th, 2010
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その1)

「その発言はどこまでもメーカー、メディアの代弁者としてしか見られなくなってしまったことも、
活字離れの原因となっているように思えてならない。」
と早瀬さんは、オーディオ評論家について書かれている。

オーディオ評論家と名のって仕事をしている人、つまりお金を稼いでいる人たちは、
オーディオ雑誌を手に取って見れば、いったい何人いるのだろうか、と思う。

他に仕事をもちながら、オーディオ評論と、一般的には呼ばれている仕事をしている人もいるだろうし、
専業オーディオ評論家の人のほうが、実際に多いのかもしれない。
ホームシアターに軸足を置いている人たちは、どちらなのだろう?

資本主義というよりも、商業主義の世の中では、オーディオ評論家と呼ばれている人、名のっている人が、
メーカーや輸入代理店の代弁者──すこしきつい表現をすれば広報マン──としてしか機能しなくなっても、
それを全面的に否定する気は、じつはない。

言いたいのは、代弁者(広報マン)として、実は機能していないのではないか、という印象を、
私はもっているということ。

Date: 1月 18th, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その9)

「肉体のない音」といえば、3年前にリリースされたグールドの1955年のゴールドベルグ変奏曲を、
ヤマハの、まったく新しい自動演奏ピアノを使って再録音したSACDのことを、
誰しも頭に浮かべるのではないだろうか。

これこそ「肉体のない音」といえるものであるはずで、このディスクが発売されることを知ったとき、
「肉体のない音」とは、どういうものか、この耳で、少なくとも、そのひとつの例を確かめることができると、
そういう気持が先立っていた。

re-performance、と、この自動演奏ピアノの仕組みをつくりあげた会社は、そう呼んでいる。

発売後、すぐに購入した。いわば、変な期待をもちながら、音が鳴りだすのを待った。
鳴った、「グールドだ!」と、当り前すぎることを、心の中でつぶやいた。

ピアノのメーカーも、録音方式も、いろんなことが大きく違うにも関わらず、
「グールドだ!」と認識してしまったことに、すこし拍子抜けするとともに、
すこしばかり驚いてしまった。

これはほんとうに「肉体のない音」なのか。

Date: 1月 18th, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その8)

左右のスピーカーのあいだに、空気の密度が急激に高まって、硬い、見えない壁ができ、
それをこれまた、異常に硬いもので叩いた、もしくは貫いた結果の音、と、
ここまで書いて思い当ったのが、ソニックブームである。

飛行機が音速を超えるときに発生する衝撃波に近いであろう、そんな音、
つまりアコースティック楽器では、いかなる楽器をもってこようとも、
こんな音はとうてい出せないだろう、といった低音が伝わってきた。

いままでいくつものスピーカーを聴いていたが、それらのなかで、同じCDをかけて、同じアンプで鳴らしても、
こんな低音を出せるスピーカーは、おそらくないだろう、とそう思うぐらいの音で、
その意味では、この一点のみにおいて、他のいかなるスピーカーよりも優れている、といえるのかもしれない。

けれど、その低音が鳴ったのは、わずか1、2秒のことである。
たしかに凄いとは思った。が、ただそれだけのことである。

衝撃波のような低音がはいっているCDそのものにまったく興味がない。
だから、そのCDがどんなにすごい音で鳴ろうとも、
グールドをはじめとする、私が聴きたい音楽のCDが、奇妙な異和感をまとって鳴るのだから、
その非常に高価なスピーカーを、欲しくなることは絶対にない。

Date: 1月 17th, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その8)

ただ、同時に、多少の反省が、そこにはあると思う。というのは「ステレオサウンド」をとおして、メーカーの製品作りの姿勢にわれわれなりの提示を行なってきたし、それをメーカー側が受け入れたということはいえるでしょう。ただし、それをあまり過大に考えてはいけないようにも想うんですよ。それほど直接的な影響は及ぼしていないのではないのか。
それからもうひとつ、新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。
(中略)そういう状況になっているから、もちろんこれからは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。その意味で、今後の「ステレオサウンド」のテストは、いままでの実績にとどまらず、ますます内容を濃くしていってほしい、そう思います。
オーディオ界は、ここ数年、予想ほどの伸長をみせていません。そのことを、いま業界は深刻に受け止めているわけだけれど、オーディオ・ジャーナリズムの世界にも、そろそろ同じような傾向がみられるのではないかという気がするんです。それだけに、ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか。
     *
瀬川先生が、ステレオサウンド 50号の特集記事
「ステレオサウンド誌50号の歩みからオーディオの世界をふりかえる」のなかで、語られている言葉だ。

50号は、1979年3月に出ている。
オーディオ誌の企画書といえるメモを書かれて、2年後の発言である。

Date: 1月 16th, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その7)

これが「肉体のない音」なのかもしれない。
グールドのゴールドベルグのCDがケースに収められるのを見ながら、そんなことも思っていた。

試聴会が始まって、機械の説明とともにつぎつぎとCDが鳴らされていく。
そのなかには、グールドほどではないが、聴きなれたものもあった。
それらの鳴り方も、グールドのゴールドベルグに感じた印象と変らない。

ポップスがかかると、おっ、と感じる。いままでのCDとは違う鳴り方で、
はじめて聴くCDということもあり、それまでの異和感はとくに感じられなかった。

それほど長時間の試聴ではなかったのだが、聴いていてわかったのは、
アコースティック楽器主体の録音では、奇妙な異和感がつねにつきまとう。

ポップスも、それも電子楽器やコンピューターによる音の調整を施した録音では、
ある種の爽快感が現われてくる。

内容そのものに興味がなかったため、CDのタイトルは忘れてしまったが、
アメリカのハイエンドメーカーのあいだで、低音の鳴り方をチェックするのによく使われるというCDがかかった。

このCDだけは、まぁ、たしかにすごかった……。

Date: 1月 16th, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その6)

奇妙なことに、聴けば聴くほど「グールドのゴールドベルグ」という確信がなくなっていく。
グールドの演奏を真似た、まったく知らない人の演奏のように聴こえてくる。

とにかく、まずピアノがヤマハのCFには、どうしても聴こえない。
アップライトピアノにしか聴こえない。

580kgの重量のあるピアノが鳴っている感じが全く、そこで鳴っていた音には感じとれなかった。
重量だけではない、アップライトピアノだから、コンサートグランドピアノとは大きさも違う。
響きがこじんまりとしていて、空間に響きが拡がっていく感じがしない。

そのためもあろうが、弾いているひとも、なんとなく細い人というより、存在感が希薄、
もしくは自動ピアノの演奏じゃなかろうか、そんなところまで妄想がいってしまう音なのだ。

グールドのゴールドベルグのCDは、回数の多さだけでなく、じつにさまざまなシステムで聴いてきた。
ステレオサウンドの試聴室で、いろんなCDプレーヤー、多種多様なスピーカーで聴いてきた。

そこで鳴っていた音は、首を傾げたくなるほど不思議な音だった。

なぜ? と思っていたら、開始時間になり、CDプレーヤーからCDが取り出され、
ケースにおさめられているときに見えたジャケットは、
やはり、というべきなのか、グールドのゴールドベルグ変奏曲のものだった。