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Date: 11月 22nd, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その26)

Discoveryのバスレフポートは2本、径も長さも異っている。
材質はアルミで、指ではじくとチーンと、きれいな音で鳴る。
特にダンプはしていない。
もっともDiscoveryの発表は2000年ですでに10年以上が経過しているので、細部に変更が加えられていて、
もしかするとバスレフポートの処理も変っている可能性がないわけではないが、
この部分に関しては、おそらくいまもダンプはしていないと思う。

そして、この部分が、Discoveryをこの項で採り上げる理由である。

Discoveryのバスレフポートは聴き手の方を向いていない。
とはいえ、バスレフポートからさまざまなノイズが放射されていることは、他のバスレフ型と同じである。
このバスレフポートからのノイズをどう処理するのか。

アルミ製のバスレフポートはきれいな音で鳴いている。
これも、実のところ一種のイズである。
ノイズをすべて悪だと捉えるのであれば、このアルミ製のバスレフポートをすぐさまダンプすることだろう。
それにあえてエンクロージュア底部に露出させないだろう。

なぜ露出させ、鳴きをそのまま残しているのか。
そして2本のバスレフポートの鳴きは径と長さが違うため、微妙にズレている。
この2つのバスレフポートの鳴き(ノイズ)によって、
バスレフポートから放射されるノイズをマスキングしている。

つまりコントロールできないノイズ(バスレフポートからの放射音)を、
コントロールしている(できる)ノイズ(バスレフポートのきれいな鳴き)でマスキングすることで、
聴感上のS/N比を、文字通り聴感上改善している。

これは私の推測にしかすぎないし、
ウィルソン・ベネッシュの開発陣が、どういう意図でバスレフポートをアルミでつくり露出させたのか、
その理由については何も知らない。
それでも「ノイズ」という観点からDiscoveryというスピーカーシステムをみていけば、
以上書いてきたことが私のなかでは浮び上ってくる。

不要輻射をひとつずつなくしていくことも手法ではある。
それを真面目に行ってきたのが、ある時期の日本のメーカーのつくるスピーカーシステムだった。
そうやって聴感上のS/N比は確実に向上していった。
だが、不要輻射を抑える、なくしていくという考え方だけでは対処できないノイズもある。
そういうノイズに対しては、
コントロールしている(できる)ノイズによってマスキングするのは有効な手法ではないだろうか。

Date: 11月 22nd, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その25)

ウィルソン・ベネッシュのDiscoveryは、3ウェイの小型スピーカーシステムである。
3ウェイと表記したが、ウィルソン・ベネッシュのカタログには2.5ウェイとなっている。
フロントバッフルには17cm口径のウーファーと25mm口径のソフトドーム型トゥイーターがとりつけられていて、
一見すると2ウェイに見えるが、
エンクロージュアの底部にアイソバリック方式のウーファーの背面が顔をのぞかせている。
これがメーカーのいうところの2.5ウェイの0.5にあたる。

そして外観上の特徴は、このアイソバリック方式のウーファーだけではなく、
やはりエンクロージュア底部に露出しているバスレフポートにもある。

Discoveryはいわゆる小型スピーカーに属するサイズではあるが、
エンクロージュアとスタンドは一体化されている。
もっとも一体化させないことには、
エンクロージュア底部にウーファーの背面とバスレフポートを露出させることは無理なのだが。

Discoveryのバスレフポートの位置は、ひとつの解決方法といえる。
これはほかのサイズのスピーカーでは無理なことだし、しかもスタンドと一体型ということが条件となってくるため、
他のスピーカーシステムではなかなか採用しにくい面ももっているが、それでも高く評価したい。

エンクロージュアの背面にバスレフポートがあれば後ろの壁面との距離がシビアになってくるのと同じように、
エンクロージュアの底部にバスレフポートをもってくれば、床との距離がその分シビアになるはず。
けれどDiscoveryではスタンドと一体型ゆえに、バスレフポートの対面にはスタンドのベースがある。
このベースとの距離は一定であり、調整の必要はない。
つまりメーカーで指定された距離、といえるわけだ。

いうまでもないことだが、バスレフポートからの放射された音が直接耳を向くことはない。

Date: 11月 22nd, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その24)

なにを優先するか、である。
聴感上のS/N比を、私は重要視するけれども、
聴感上のS/N比なんてそれほど重要じゃない、という音の求め方もある。
どちらが正しい、とか、間違っている、とかではなく、
ふたりの求める音楽、音楽に何をもとめるのか──、そのための音に要求するものの優先度が変ってくるからだ。

それにJBLの3つの4ウェイのスピーカーシステムを例に挙げたが、
4341、4343、4344の中で、どれを選ぶか。
私はためらうことなく4343を選ぶ。だからバスレフポートがエンクロージュアのいちばん下にあっても、
そういうものとして受けとめて、自分の求める音楽を鳴らしていくだけであって、
もし私が4344を選ぶ人間であれば、ポートが上にあってもかまわない、
それに下にあるよりもずっといい、というふうに受けとめるだろう。

結局のところ、自分の求めるスピーカーシステムで、どうなっているかの問題でしかない、という気持もある。
そう思いながらも、うまい手法だな、と関心してしまったスピーカーシステムもある。
ウィルソン・ベネッシュのDiscoveryである。

しばらく輸入元がなかったウィルソン・ベネッシュだが、
今年の秋から輸入が再開されていることを先月の終りに知った。
現在の輸入元(take 5)のサイトにスピーカーシステムはVectorしかないが、
ウィルソン・ベネッシュのサイトではDiscoveryは現行製品だから、いずれ取扱いがはじまることを期待したい。

Date: 11月 21st, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その23)

バスレフ型の動作が単純なもので、バスレフポートからは共振周波数以外の音は放射されてない、
しかも位相はウーファーと常に同相である──、
そういう動作であれば、バスレフポートの位置は下側にあるよりも上にあったほうがいい、といってもいいだろうが、
実際のバスレフポートの動作は複雑なものであり、バスレフポートからは実にいろいろな音が出ている以上、
単に下側にあると低音がボンつく、とか、鳴らしにくい、とか、といった理由で、
ダメとは言い切れない難しさがついてまわる。

バスレフポートを上にもってくれば、聴き手の耳の位置がどの高さにあるかにもよるが、
場合によっては、バスレフポートが耳の位置と同じ高さになることがある。
このときの音に与える影響は、下側にあるときと違ってくるのは容易に想像できるし、
実際に聴感上のS/N比に敏感である人ならば、
バスレフポートを上に持ってきたスピーカーシステムの難しさを感じられるだろう。

バスレフポートからのノイズは、ポートの材質や表面の処理、
それに両端の形状、固定方法などによって変化してくる。
さらにはエンクロージュア内部の構造、吸音処理に仕方によっても変化してくるだけに、
ここが正解だということは、いまだいえないのが現状である。

さまざまな要素に注意を払えばはらうほど、バスレフポートの位置は難しい、といえる。
近視眼的に見ている(聴いている)のであれば、逆に答は出しやすい。
だが、それはあくまでも、ごく狭い要求に対しての答でしかなく、
スピーカーシステムに求めるものによっては答ではなくなってしまう。

Date: 11月 21st, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その22)

だから聴感上のS/N比が高くなればなるほど、バスレフポートの設置位置は難しくなる。
バスレフポートからの放射は、はっきりと聴感上のS/N比に影響を与えるからだ。

フロントバッフルにポートを設けるのか、それともリアバッフルにするのか。
バスレフポートの助けを積極的に利用するのであれば、やはり前面につけたい。
エンクロージュア後方もひとつの手法ではあっても、狭い空間に設置する場合、
やはり後ろの壁との距離・角度が前面にあるよりもシビアになる傾向はある。

前面に設けるとしても、フロントバッフルのどこにするのか、でも大きく変ってくる。
たとえばJBLの4300シリーズをみていくと、機種毎によってバスレフポートの位置はさまざまである。
4ウェイの4341、4343、4344とではポートの位置は異っている。

4341ではウーファーの左側に上下に2つ並んでいる。
4343ではウーファーの下側左右にそれぞれひとつずつある。
4344ではミッドバスの横に、4341と同じように上下に2つ並んでいる。

4341、4343、4344のユニット構成はほほ同じ。
エンクロージュアの寸法も4341のみやや異っているが、4343と4344はまったく同じである。
にも関わらずバスレフポートの位置はみな異っている。

どれがいちばん良いのか。
4344だ、といともたやすく断言する人がいる。
理由は4343、4341とは異り、上についているから、だということらしい。
こんなことをいう人は4343のバスレフポートの位置は最悪だ、とまだ断言される。

ほんとうにそうだろうか。
低音の鳴らしやすさということでは、
たしかにバスレフポートはエンクロージュアの下側にあるよりも上側のほうが楽なことが多い、とはいえなくもない。
ただし、あくまでも、いえなくもない、ということであって、
鳴らしやすい、から、という理由で、4344のバスレフポートの位置が正解だと言い切ってしまう人は、
見方を変えれば、鳴らしにくいものからは理由をつけ逃げているだけ、
さらにいえば、うまく鳴らしていくことができないだけとも、いえなくもない。

Date: 11月 21st, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その21)

エンクロージュアの両端の角張ったコーナーからの不要輻射は、
直接耳ではっきりと聴きとれるわけではないけれど、音場感の再現性においてはほかの条件がまったく同じであれば、
小さなRではあってもラウンドバッフルの方が有利なのは確かなことである。

ラウンドバッフルは、スピーカーシステムの不要輻射を減らす、いくつもある手法のひとつである。
CDが登場して、この不要輻射の問題ははっきりとクローズアップされてきた。
吸音材の材質についてもそうだし、ハードドーム型の振動板を保護するための金属性のネットのつくりにもいえる。

バスレフポートもそうである。
バスレフの動作は、エンクロージュア内の空気のバネ作用を利用して、
ウーファーからの背面の音の位相を反転させてポートから放射する。
ウーファーの振動板が前に出れば、バスレフポートからも空気が押し出される。

ただしこれはあくまでもバスレフポートの共振周波数において、である。
ポートが、仮に40Hzに設定されていたとする。
40Hzの音に関しては、位相反転型が示すようにウーファーとポートの位相はあっている。
だがポートからは40Hzの音だけが出るわけではない。
40Hzがピークであって、40hzより上の帯域も下の帯域もなだらかにレスポンスは下りながらも放射されている。
40Hz以外の周波数に関してはウーファーとの位相がズレてくるわけである。

つまりバスレフポートから40Hzの音が出ているとき、同時にそれ以外の周波数に関しては空気を引き込んでいる。
40Hzの信号がウーファーに加わって振動板が前に動く。
それと伴ってバスレフポートからも40Hzの音が中心となって放射される。
けれど音楽信号は40Hz以外の周波数も含んでいる。
スピーカーシステムは音楽を鳴らすモノであるから、
バスレフポートの空気の流れはウーファーの振動板の動きに追従しているだけではない。

バスレフポートの空気の流れに関しては、1980年代の終りごろに、
ダイヤトーンかヤマハのどちらか、もしくは両社が解析していて、
つねに空気の出入れが同時に起っているがわかっている。

中心の大部分から音が放射されているとき、
その空気の流れとポートの内側壁面とのあいだでは逆方向に空気が流れている。
バスレフポート内で空気がすれ違っているわけだ。

Date: 11月 21st, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その20)

1980年代、日本のオーディオにおいて特徴的だったことのひとつに、
いわゆる598(ゴッキュパッ)とよばれたスピーカーシステムのブーム(とよんでいいのだろうか)があった。

きっかけとなったのはオンキョーのスピーカーシステムだったはず。
これに触発されて、他のメーカーも59800円のスピーカーシステムの開発に、
この価格の製品としては驚くほどの物量を投じていた。
毎年どこかが改良されて新製品となっていく。しかもそのたびに重量が増していった……。

ユニット構成はどれも30cm口径のウーファーに、ドーム型のスコーカー、トゥイーターによる3ウェイ。
しかもエンクロージュアの両端にR(アール)をつけたラウンドバッフル仕様だった。

スピーカーの教科書には、ラウンドバッフルは指向特性の改善のため、とたいてい書いてある。
たしかに指向特性は改善するものの、
598のスピーカーシステムに採用されていたラウンドバッフルではRが小さ過ぎる。
実際のところ、この程度のラウンドバッフルでは指向特性の改善には意味がない、
とまではいわないものの、それほど大きな効果は期待できない。
指向特性の改善を目的とするのであれば、ダイヤトーンの2S305程度のラウンドバッフルが必要となる。
なのになぜ各社は手間をかけてまでラウンドバッフルにしていたのかは、
聴感上S/N比を高めるためである。

ピストニックモーションのスピーカーシステムの理想として、
スピーカーユニット以外からの音は消し去りたい、というのがある。
振動板がピストニックモーションによって音を放射するわけだが、
振動板以外のところからも音はいくつも出ている。振動板を囲むエッジからも音は出ているし、
何度か書いてきたようにフレームからも、それをエンクロージュアに固定しているネジの頭からも、
それにエンクロージュアからも、とにかくありとあらゆるところからいろんな音が出て、
振動板からの音と混じりあっているのが現状である。

エンクロージュアからもいろんな音が出ている。
フロントバッフル、側面、天板、リアバッフル、底板といった面からの輻射もあれば、
エンクロージュアのコーナー、角から輻射されている。
この角が丸く仕上げられているだけで、輻射の量も性質も変化していく。
できればすべてのコーナー、角を丸めたい(ラウンドバッフルにしたい)ところだが、
いちばん耳につくフロントバッフルの両端を処理している。

Date: 11月 20th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その19)

初期のCDプレーヤーのなかには、
ごく一部の機種でデジタル特有のジュルジュルといった感じのノイズを発生するものがあったが、
耳にはっきりと聴こえるノイズを出すプレーヤーは全般的にはない、といえた。
カタログ発表値でも90dB以上となっていた。

CDプレーヤーでは、アナログプレーヤーでMC型カートリッジを使用するときに、
ときとして悩まされるハムも発生しないし、
ハウリングの問題も、原則としてない。

だからアナログプレーヤーのように置き場所、置き台など設置の仕方で苦労することなく、
スクラッチノイズ、サーフェイスノイズ、ハム、ハウリング、こういったものから解放されていた。

けれどその反面、アナログディスク再生についてまわるノイズが、はっきりと耳で聴きとれるのに対して、
CDプレーヤーではノイズを発生していながらも、そのノイズは直接聴きとれないことが徐々にはっきりとしてきた。

CDプレーヤーは高周波ノイズを発生している。
自らがノイズ発生源であり、その発生させたノイズによって音質劣化を起している。
いわば自己中毒のようなものであり、高周波ノイズは他のオーディオ機器へも悪影響を与えている。

けれど、CDプレーヤーが発生させているノイズは、
アナログディスクのスクラッチノイズのように直接耳で聴くことはできない。
あくまでも間接的に聴いていることになる。

つまり直接聴こえないノイズが、聴感上のS/N比を悪化させている。
このことが広く知られるようになったと同じころ、
スピーカーシステムに関しても、不要輻射ということがいわれるようになってきた。

CDプレーヤーが発生させていたノイズも不要輻射であり、
これとほぼ同じ意味あいで、スピーカーシステムの不要輻射についても注目されるようになってきたのが、
1980年代の半ば以降の、日本製品についていえる大きな傾向である。

Date: 11月 20th, 2011
Cate: iPod

ある写真とiPhone

AERAムックの「スティーブ・ジョブズ 100人の証言」掲載の1982年12月当時のジョブズの写真、
この1枚の写真をみて思ったことを書いてきた。
それとは別に、他愛のないことだけど、思ったことがある。

10月14日に発売初日にiPhone 4Sを購入したことは書いた。
色は白だ。黒にするつもりは最初からなく、白と決めていた。特に理由はなかったけれども、白だった。

ジョブスが使っていたスピーカーシステム、アクースタットのModel 3のネットの色は、白。
黒ではない、白である。
Model 3は箱のスピーカーではない、板のスピーカーである。
白の板のスピーカー。

iPhoneも「板」だと書いた。
白の板のコンピューターとして、iPhone 4Sがある、と受け取っている。

Date: 11月 19th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その18)

CDが登場する数年前からデジタル録音のLPが大半のレーベルから発売されていた。
アナログディスクで聴いても、デジタル録音とアナログ録音とでは音そのもの質感の違いはあるけれど、
それ以上にテープヒスはアナログ録音では原理的にさけられないものであったのに、
デジタル録音では基本的には存在しなくなっていた。

そして1982年にCDとCDプレーヤーが登場した。
CDだからといって、すべてがデジタル録音なわけはなくて、アナログ録音のマスターとしたCDもあった。
そのころCDプレーヤーの完成度がいまから比較すると未熟で、
さらにどういうところが音質にどう関わっているのかも手探りの状態だっただけに、
おおまかな感触として、アナログ録音マスターのCDのほうがいい雰囲気で鳴ってくれることが多かったし、
このことはそのころに限定されるけれども共通した認識でもあった。

CDが登場したころ、よく言われていたのは、音楽がいきなり鳴り始めることに対する異和感についてだった。
アナログディスクでは無音溝に針を降ろして音楽が鳴り始めるまでに、なんらかの音(ノイズ)がする。
このノイズが一種の前触れになっていたわけだが、
CDでは、とくにデジタル録音のCDでは、そんな前触れは存在しない。

アナログ録音のものであれば、テープヒスが少しでもCDに記録してあればその部分の再生によって、
音楽がいきなり鳴り始めることはないけれども、
デジタル録音ではテープヒスもないから、いきなり、ということになってしまっていた。

アナログ録音のマスターによるアナログディスクでは、
テープヒスのほかに針が音溝をなぞっていくときに発生するサーフェイスノイズもあるし、
スクラッチノイズがある。
大きく、この3つのノイズが存在していた。

デジタル録音のマスターによるアナログディスクでは、
テープヒスがなくなり、サーフェイスノイズとスクラッチノイズがおもなノイズとなっていった。

そしてアナログ録音のマスターによるCDでは、
テープヒスがあった(実際にデジタル特有のノイズがあるのだが、あえてここでは省く)。
デジタル録音のマスターによるCDでは、テープヒスがなくなっている。

それまではっきりと耳で捉えることのできたノイズが、CDはほとんどなくなっているようにも聴こえた。
そうなってくると、「聴感上のS/N比」の意味するところが変化していった、
ともいえるし、その領域が広がっていった、ともいえよう。

Date: 11月 19th, 2011
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その5)

iPodはデジタルの長所を活かして、
ソニーのウォークマンのようにテープをつくる人の環境・技倆によって音が変ってくることはない。
しかも楽曲を提供するiTunes Storeを開始している。

それまではiTunesでのリッピングの設定による音の違いが起っていたのが、
iTunes Storeでは最初から圧縮された音源を購入するわけだから、
圧縮レートの違いによる音の違いも、ここではなくなってしまう。
iTunes Storeからダウンロードした音楽においては、
再生する人によって音が変化する、ということが基本的にはありえない。

このことはオーディオマニアだったジョブズの、
オーディオに対する、なにか特別な感情の顕れのような気もするし、
そういった特別な感情が生み出したような気もする。

誰が使っても同じ音楽であれば同じ音で提供するモノ、としてiPodは生れてきたのではないだろうか。
ということは「音は人なり」という大原則のもとにオーディオをやってきた者にとって、
iPodは、果してオーディオ機器と呼んでいいものだろうか、と迷うところがある。

それはオーディオ機器としての音のクォリティがどうかということではなく、
誰が使っても同じ音を提供できるモノだから、である。

2006年にiPod HiFiを出している。
量販店のさわがしい店頭で、ほんのわずかな時間、聴いた、というよりも耳にしたことがあるだけだから、
iPod HiFiの音については、正直語れない。
ようするに5年前はiPod HiFiに対して、ほとんど興味がなかった。
こんなモノなの……、という意識をもっていた。

けれどiPodに対する見方が変ってきたとともにiPod HiFiをきちんと聴いておきたかった、と思い始めている。

そしてiPodからデジタル出力を取り出せるようになった。
このことを含めて、オーディオマニアとして、
オーディオマニアだったジョブズがつくり出したiPodを、いまいちどじっくりと見直す必要があると感じている。

Date: 11月 19th, 2011
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その4)

スティーブ・ジョブズはオーディオマニアだった。
つまりは再生するオーディオ機器によって、同じレコードが違う鳴り方をすることは当然知っていたわけで、
また同じ再生装置でも調整次第で音が変化することも知っていた、と思っていいだろう。

日本でいわれている「音は人なり」という意識があったのかどうかはわからないが、
少なくともジョブズもオーディオマニアであるのだから、
自分が鳴らしている音は世界にひとつだけ、
似たような音は他にもあるかもしれないが同じ音はない、ということは意識にあったはず。

そういうジョブズがiPodをつくった、ということが、
オーディオマニアとしてiPodを捉えたときに、ひじょうに考えさせられることがある。

つまりiPodは、基本的に同じ音を聴くモノだ、ということ。
iPodが登場したばかりの頃、搭載しているハードディスクの容量はそれほど大きくはなかった。
だから必然的にCDにおさめられている音楽を圧縮することになる。
MacでiTunesを使って圧縮してiPodへコピーする。

iTunesの環境設定で、圧縮の変換レートは変更できるものの、
初期設定のまま変換して、iPodに付属している白いイヤフォンで聴くかぎりにおいては、
同じCDをリッピングしていれば、iPodを通じて聴く音は同じである。

いまはどうなのか知らないが、初期のころのiTunesはヴァージョンによって圧縮の仕方に多少の違いがあって、
リッピングを行ったiTunesのヴァージョンによって多少は音の違いが生じていたけれど、
ヴァージョンが同じ、変換レートが同じであれば、それにiPodも同じ世代のものであれば、
音は原則として変りようがない。

ソニーが開発したウォークマンとAppleのiPodはアナログとデジタルという違いはあっても、
音楽を片手で持てるモノにおさめて、
ヘッドフォン(イヤフォン)で聴くことを前提としているところは共通している。

けれどウォークマンはカセットテープにレコードをダビングして、それをソースとして聴く。
同じレコードをダビングしても、レコードを再生するプレーヤーの違いによる音の違い、
たとえ同じプレーヤーでも設置場所をふくめた使いこなしの差による音の違い、
アンプに違いによる音の違い、カセットデッキによる……、使用テープによる……、
さらにデッキやテープが同じでも録音レベル調整によっても音は確実に変ってきて、
同じレコードのダビングだとしても、ダビングする人が違えばそれだけ音は違ってくる。

そういうところがiPodには、ない。

Date: 11月 18th, 2011
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(批評と評論・その3)

オーディオにおける批評と評論と、いったいどう違うのか、とときどき親しい人と話していて話題になるものの、
なかなか、はっきりとしたことは出てこない。
なんとなくではあっても、批評と評論の違いを感じてはいても、
いざ言葉にして、その違いを述べるとなると、けっこうたいへんな作業である。

批評と評論の境界線といったものは、はっりきとあるのかどうか。
そんなことも考えてしまう。

いまはっきりといえるのは、すくなくとも評論は、それ自体がリファレンスである、ということだ。
参考・参照、それにひとつの基準として存在できるのが評論であって、
そうでないものは批評にとどまっている、ということ。

そして評論家とは、評論をする人のことである。
つまりは、そういうことである。

Date: 11月 18th, 2011
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(批評と評論・その2)

どんなにいい音がするオーディオ機器でも、
日によって、音がころころ変るモノならば、試聴室という状況・条件ではリファレンス機器としては使えない。

試聴室は、個人のリスニングルームとは違い、ほぼ毎日、そこで音が鳴っているわけではない。
試聴がないときには使われていない。
ときには実験で使うときもあるが、編集作業が〆切間際では試聴室は使われることはない。

そして試聴が始まると、朝から始まることもあるし、長引けば夜中までということもある。
鳴らしているとき、そうでないときの差はどうしても大きくなる。

そういう使われ方であっても、
しばらく鳴らしていれば、安定した性能・音を発揮してくれるオーディオ機器でなければ、
リファレンス機器として使いにくい、ということになる。

それに丈夫である、ということもけっこう重要な要素でもある。
名の通ったメーカーのアンプならば問題はないけれど、
試聴室に持ち込まれるアンプの全てが、なんら問題がないわけではない。
とくに私がいたころのステレオサウンドは外苑東通りに面したビルにあった。
窓から顔を出せば東京タワーがくっきりと見える。

井上先生がステレオサウンドの誌面でたびたび書かれているように、
オーディオ機器をとりまく環境としてはよくないどころか、かなり厳しいものといえる。
電源もきれいで高周波ノイズもないところでは問題を発生しないアンプでも、
このころのステレオサウンド試聴室では問題を発生するモノ、
もしくは発生寸前の、やや怪しい状態に陥るモノがないとはいえなかった。

そういうアンプが接がれても、壊れないことはリファレンス用スピーカーとして意外と重要なことである。

それからパワーアンプならば、どんなに音がよくても、
たとえばマークレビンソンのML2のように出力が25Wしかないモノは、リファレンスとしては使いにくい。
試聴するスピーカーシステムの能率が、すべて93dB(この数字は4343のスペック)以上あれば、
25Wでもなんとか使えるけれど、
それ以下の出力音圧レベルのスピーカーシステムとなると、25Wではあきらかに不足する。

それにCDが登場してきて、さらにパワーは求められるようになってきたから、
リファレンス用パワーアンプには、ある一定以上の出力が要求されるし、
ある程度の低負荷でも安定していることが必要となる。
それにバランス伝送が当り前となってきたため、アンバランス入力、バランス入力の両方を備えていること。

スピーカーシステムについてもパワーアンプについても、
リファレンス機器に要求されることとはどういうことなのか、まだまだある。
それにコントロールアンプ、CDプレーヤー、アナログプレーヤーについてもふれておきたいが、
ここではこれが本題ではないのでこのへんにしておくが、
結局なにがいいたいのか──、
それは批評と評論の違いについて、である。

Date: 11月 18th, 2011
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(批評と評論・その1)

ステレオサウンドの試聴室には、リファレンス機器と呼ばれるモノがつねに置いてある。
私がいたときはそうだったし、おそらくいまもそのはずだ。

私がいたころ、1980年代のステレオサウンドのリファレンス機器は、
スピーカーシステムはJBLの4343、そして4344だった。
アナログプレーヤーはパイオニアのExclusive P3aで、
そのあとマイクロのSX8000IIとSMEの3012-R Proの組合せだった。
カートリッジはオルトフォンのMC20MKIIだったころもあるし、SPU-Goldを使っていたときもある。
また試聴さる方によってもカートリッジは随時変っていた。

アンプはマッキントッシュのC29とMC2255の組合せから、アキュフェーズの組合せへ変っていった。
私がステレオサウンドに入る前は、マークレビンソンのLNP2がリファレンスだった。

一度、読者の方からの電話があった。
「誌面ではかなり高価な製品を高く評価しているのに、なぜそれらの製品をリファレンス機器として使わないのか」
こういった内容の問合せだった。

1980年にトーレンスのリファレンスが登場して以来、
そのメーカーの旗艦モデルの型番に、Reference とつける例がいくつかあった。
そういう製品のイメージからすれば、リファレンスというものは、その時点で最高のモノという捉え方もしたくなる。

けれどreferenceの意味は、参考・参照。
そこには最高、最優秀という意味はない。

試聴における、ひとつの基準としての存在がリファレンス機器である。
もちろん、ひどい音であっては困るし、できるだけいい音であってほしい。
それに性能的にも優れていなければならないけれど、その時点での最高の性能でなければならない、
ということはリファレンス機器にはそれほど求められていない。

それよりもあるレベルの性能(音をふくめて)の高さを、
つねに安定してい維持できるか、ということが優先される。