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Date: 5月 3rd, 2013
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(ふたつの絵から考える・その1)

目の前に造花がある。
その造花をふたりの絵描きが描いていく。

ふたりとも高い技術をもっている。
絵を描く技術の優劣はつけがたい。

ひとりの絵には、造花が造花として描かれていた。
もうひとりの絵には、ほんものの花を見て描かれたような花があった。

ふたりの絵描きのどちらの絵が、High Fidelityといえるだろうか。

目の前にあったのは造花である。
花弁も葉も茎も、本来の植物とはまったく異る素材を使ってつくられている。
どんなに精巧につくられていても、造花は造花であるのだから、
その造花を忠実に描くのであれば、その絵に描かれたものは見る者に造花であることを意識させなければならない。
そうもいえる。

もうひとりの絵描きによる絵のように、造花のもととなったほんものの花を見る者に意識させるのは、
その意味では忠実ではない、忠実性の低い絵ということになる。
そうもいえる。

どちらも造花を描いた絵であることに変りはない。

Date: 5月 3rd, 2013
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その44)

スピーカーの能率をあらわす出力音圧レベルは通常、93dB/W/mというふうに表記される。
つまり1Wのパワーを測定するスピーカーシステムに入力して、正面1m距離の音圧を表示するわけなのだが、
JBLのS9500の出力音圧レベルは97dB/2.83V/mであり、
入力されるパワーの1Wではなく、2.83Vと電圧値となっている。

この2.83Vというのは、8Ωのスピーカーに1Wのパワーを入力したときのスピーカーにかかる電圧である。
オームの法則により、電力は電圧の二乗をインピーダンスで割った値だから、
2.83×2.83÷8=1(W)ということである。

ということはS9500の場合、インピーダンスは3Ωと発表されているから、
2.83×2.83÷3=2.669(W)となる。
つまりS9500の出力音圧レベルは2.669Wのパワーをいれて正面1mで測定した値である。

2.669Wは1Wの2.669倍。
2.669倍は4.26dBとなる。
ということはS9500に2.669Wではなく1Wの入力を加えた場合の音圧は、4343とほぼ同じということになる。

4343の出力音圧レベルは93dB/W/m。
この値はウーファーの2231Aの出力音圧レベルと同じ。
たいていのスピーカーシステムがそうなのだが、
マルチウェイシステムにおいてもっとも音圧レベルが低いのはウーファーであり、
中高域のユニットはアッテネーターによりレベル合せが行われているから、
ウーファー単体の音圧レベルがたいていにおいてシステムの音圧レベルとなることが多い。

もっとも中にはネットワークで補整をかけているシステムもあり、
ウーファー単体の音圧レベルよりも低くなっているものも存在する。

Date: 5月 2nd, 2013
Cate: Digital Integration
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Digital Integration(デジタルについて・その9)

ケーブルによる伝送の場合、インピーダンスに不整合があれば信号が反射される。
このことは知識としては知っていた。
特に高周波においては顕著であるからこそ、
デジタル信号の伝送経路であるトランスポートD/Aコンバーター間は、
コンシューマーオーディオのライン信号の受け渡しで常識となっているやり方──、
送り出しはローインピーダンスで受ける側はハイインピーダンスと設定(ロー出しハイ受けともいう)ではなく、
75Ωということでケーブルのインピーダンスまで規定されている。

その部分に、ケーブルのインピーダンスなどあまり問題とされないラインケーブル(アナログ信号用)を使う。
単純に考えれば反射が、75Ω規格のケーブル使用よりも多く発生するのだろうから、
それだけ音は悪くなる可能性がある。

そんなことをぼんやりと思いながらも、ラインケーブル数種を試しにデジタルケーブルとして使ってみた。
すくなくとも明らかな音の劣化は、そのときは感じられなかった。
むしろ気がついたのは、別のことだった。

ケーブルを変えたときの音の傾向が、
ラインケーブルとして使った時の音の傾向とほぼ同じであることに気がついた。
このことは正直意外だった。

ラインケーブルとして使った時、そのケーブルに流れるのはいわばアナログ信号。
アナログ信号の帯域幅は広い。
デジタル信号のように非常に高い周波数の信号よりはずっと低い周波数帯ではあるけれど、
20Hzから20kHzまでは10オクターヴある。

デジタル信号はオーディオの音声信号よりずっと高い周波数であっても、帯域幅はそれほど広くはない。
信号の波形だって違う。

にも関わらず、ケーブルを変えたときの音の傾向は、
そこを流れるのがアナログであろうとデジタルであろうと、ある共通したところがはっきりとある。

この現象のもつ意味を深く考えるようになったのは、数年後であった。

Date: 5月 1st, 2013
Cate: audio wednesday
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岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(第29回audio sharing例会のお知らせ)

「昔はよかった」と書いている。
だからいまは、そのよかった昔よりもずっとよい、といいたい。
本音で、心からそういいたい。

すべてがその昔よりも悪くなっているとは言わないけれど、
それでも「昔はよかった」といわざるをえないのが現実であり現状である。

「昔はよかった」と書いている私は、いま50。
私より上の世代の人は大勢いる。
私が「昔はよかった」といっている時代よりも、もっと前のことを体験してきている人たちがいる。

私は瀬川先生とは何度かお会いできた。
話をすることもできた。
けれど五味先生、岩崎先生には会えなかった。

オーディオ界には、岩崎先生、瀬川先生と仕事をされてきた人たちがいる。
その人たちに、いまのうちに話をきいておこう、と思っている。

「昔はよかった」のはなぜだったのかを、より深く知りたいという気持もあるからだ。

6月5日(水曜日)のaudio sharingの例会には、
岩崎先生、瀬川先生と仕事をされてきた国内メーカーに勤務されていた、
いわばオーディオの先輩といえる人たちに来ていただく。

パイオニアに勤務されていた片桐陽氏、サンスイに勤務されていた西川彰氏、
おふたりに「岩崎千明・瀬川冬樹がいた時代」について語っていただく。

折しも5月31日には、ステレオサウンドから岩崎先生の「オーディオ彷徨」が復刊、
さらに瀬川先生の著作集の出版も予定されている。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

「岩崎千明・瀬川冬樹がいた時代」についてなら、
私にも語らせろ、という方いらっしゃいましたらご連絡ください。

Date: 4月 30th, 2013
Cate: オーディオ評論
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「新しいオーディオ評論」(その1)

もっと「新しいオーディオ評論」を期待しています。

このメッセージを受けとって、改めて自覚していた。
私は五味先生の書かれたものを核として、
瀬川先生、岩崎先生、菅野先生、伊藤先生たちの書かれたものによってかたちづくっている。

このことを全否定しての「新しいオーディオ評論」は私はない、とおもう。

以前書いているように、
長島先生の言葉を借りれば、
瀬川先生によって
「オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。
彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、
オーディオを、『音楽』を再生する手段として捉え、
文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。」

ということは、全否定なしに「新しいオーディオ評論」はしょせん無理なことなのか。
これについて、まったく考えなかったわけではない。
でもほぼ同時に答もあった。

青は藍より出でて藍より青し

これが答だった。
藍より青し、も「新しいオーディオ評論」のはず。
そして、やはり「青」なのか、とおもった。

Date: 4月 29th, 2013
Cate: audio wednesday

第28回audio sharing例会のお知らせ

5月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

テーマはいまのところまだ決めていません。
6月5日に行う29回のテーマはすでに決めてますし、ゲストをお呼びする予定なんですけど。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 4月 29th, 2013
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタルについて・その8)

ソニーとLo-Dがほぼ同時にセパレート型のCDプレーヤーを発表してからしばらくしてのことだった。
そのときステレオサウンドの試聴室にあったのはソニーだったと記憶している。
もっとも、ここではソニーであろうがLo-Dであろうが、その後に登場した他社製のモノであってもかまわない。
セパレート型であることが条件だったのだから。

このときやっていたのはトランスポートとD/Aコンバーターを接続するケーブルによる音の違い。
トランスポートD/Aコンバーターを結ぶケーブルは75Ω規格のケーブル。
この部分で音が変化することは、誰しもが思うことであって実際に音は変化する。

CDプレーヤー登場以前、
CDプレーヤーはデジタル技術の産物だから音は変らない、という意見も一部ではあった。
けれど、出て来た製品を聴く限り、音はあたりまえのように違っていた。

でもこの部分のケーブルは、
CDプレーヤーでは音は変らない、と考える人にとっては、
絶対に、といいたくなるほど音が変るとはおもえないところであろうが、
ケーブルを変えれば音は変る。

音が変るのは確認できた。
次はいったいどこまで音が変るのかに興味がうつっていく。

75Ωのケーブルをいくつか試していた。
といってもそれほど多くの75Ωケーブルが、当時のステレオサウンドにあったわけではない。
だからラインケーブルをあれこれ試してみた。

75Ωではない、ラインケーブルを使っても音は出る。
とくに問題は感じられなかった。
それよりもあれこれ聴いていくうちに、気がつくことがあった。

このときからである、デジタルに対して疑問が出て来きたのは。
とはいっても、このときはまだ小さな小さな疑問ではあったのだが。

Date: 4月 28th, 2013
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その43)

S9500登場以前のJBLのスピーカーシステムといえば、
1976年に発表された4343を筆頭とするスタジオモニターが、その代名詞となりつつあった。

コンシューマー用のスピーカーシステムも、もちろんあったし、新製品も登場していた。
1980年代にはそれまでのJBLのラインナップとはやや異る特色をもつL250が登場したものの、
すくなくとも日本では4343、それに続いた4345、4344の人気が圧倒的に高く、
本来の実力の割には話題にのぼることは少なかった。

S9500はそんなJBLのコンシューマー用スピーカーシステムの頂点としてだけではなく、
JBLのスピーカーづくりの、あの時点での集大成ともいえる内容と外観をもつ登場した。

素材面でそれまでのJBLでは採用してこなかったモノを大胆に使い、
コンクリートの台座を含める4ピース構成という、エンクロージュアを分割させている。
他にもいくつかの特徴をもつ中で、出力音圧レベルが97dBと、
4343の93dBと比較して4dBも上昇している。

JBLの、いわば原器といえるD130の100dBをこえる、
いまとなっては驚異的ともいえる高能率ほどではないにしても、
1989年に97dBの出力音圧レベルは充分高能率スピーカーといえる値になっていた。

しかもS9500はD130よりもずっと周波数レンジが広い。
S9500は2ウェイだから広くて当然ということになるが、低域に関してもより低いところまでのびている。
レンジの広さと高能率の両立を実現している、ともいわれたS9500は、
ほんとうに高能率スピーカーといっていいのだろうか。

S9500のカタログの出慮音圧レベルの項目には、こう記してある。
97dB/2.83V/m、と。

Date: 4月 27th, 2013
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その42)

インピーダンスは電磁変換効率を把握する上で重要な項目といえる。

パワーアンプが真空管から半導体へと増幅素子の変化があり、
真空管アンプ時代では考えられなかったほどの大出力が、家庭内で気楽に使えるようになった。

ハイパワーアンプの出現がスピーカーの能率を低下させる理由のひとつともいえるし、
スピーカーの周波数特性を伸ばすために能率が低下し、補うためにアンプの出力が増していった、ともいえる。

真空管アンプ、それも小出力しか得られなかった時代にはスピーカーの能率は100dBをこえるものが珍しくなった。
それが真空管アンプも出力をましていくようになり、
スピーカーの能率も以前ほど100dBをこえるものは少なくなっていった。
それでも90dB程度は、能率が低いスピーカーといわれていた。

それがステレオになり大型スピーカーシステムを家庭内にペアで置くことの難しさが発生してくるようになると、
スピーカーの小型化が望まれるようになるし、
そのころのスピーカーの常識としてはサイズが小さくなれば能率も低くなりがちである。

とにかくスピーカーの能率は低くなっていく一方で、
90dBを切るモノも珍しくなくなっていった。

そういう流れの中で、JBLから1989年、Project K2 S9500が登場した。
一部では高能率スピーカーの復活、という表現もされたスピーカーシステムである。

Date: 4月 27th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その32)

海老沢徹氏による連載「針先から見たスーパーアナログの世界」、
ステレオサウンド 75号に掲載されているこの記事のなかで、
ウェストレックスのカッターヘッド3D RECORDERが写真とともに紹介されている。

この3D RECORDER海老沢氏所有のもので、撮影のためにお借りしてけっこうな期間私が預っていた。
机の引出しの中にしまっていて、見たくなればいつでも好きな時に好きなだけ見れて、そして触れた。

3D RECORDERは実測で2060g。金属のかたまりであるから、ずしっと重い。
感覚的には実測値よりも重く感じる。
誌面の都合で写真が小さくなってしまったのが、いまでも悔やんでしまうのだが、
3D RECORDERはカートリッジとは、まったく別物であることを、実際に手にして実感していた。

カッターヘッドはラッカー盤に溝を刻んでいくもの、
カートリッジはプレスされた塩化ビニール盤の溝をトレースしていくもの、
だからこのふたつがまったくの別物であることは知識として理解はしていても、
実際にカッターヘッドの実物を見て手にすれば、感覚的に理解できるほどの違いが歴然としてある。

これで、私の中でカッティングマシンがアナログディスクのプレーヤーとして理想とはいえないことに確信を得た。
アナログディスクのプレーヤーが、プレスされた塩化ビニール盤を再生するものではなく、
ラッカー盤を再生するものだとしても、
カッターヘッドとカートリッジの違いについて考えれば考えるほど、
プレーヤーとしての理想は、別のところにあると考えるようになる。

これだけが理由ではないのだけれど、
リニアトラッキング方式がけっしてアナログディスク再生のトーンアームとして、
カートリッジを移動させるための機構として理想とはいえないと、
私は結論づけている。

Date: 4月 26th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その9)

オーディオ評論(音を言葉で表現すること)の問題、
曖昧さ、難しさについてはここではこれ以上深入りしないけれど、
つまりは長岡鉄男氏がスピーカーシステムの試聴記事でスピーカーユニットの重量を量られたのは、
このところにある、といっていいはず。

JBLの2405の重量はカタログ発表値では2kgである。
この2kgという事実は、2405の音像が平面で切り張りと感じる人にとっても、
立体的と感じる人にとっても変らぬ事実である。

2kgを重いと感じるのか、軽いと感じるのか、こんなものだろうと感じるのかは人によって違ってきても、
2405の重量が2kgという事実は誰にとっても同じである。

つまり長岡鉄男氏は、誰にとっても事実であることを文字とされたわけである。
このことに関しては、私が長岡鉄男氏の熱心な読者ではなく、
ほとんど読んでいない読者だけに記憶に曖昧なところがあるけれど、
スピーカーユニットの重量やアンプのボリュウムのツマミの重量を量ることについて、
長岡鉄男氏自身が書かれている記事を読んだ記憶がある。

つまりすべての人にとって変らぬ事実というのは、重量ぐらいしかない、ということだった。

Date: 4月 26th, 2013
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その8)

時代はすこし違っているというものの、
井上先生、瀬川先生、黒田先生がおもな執筆の場としてステレオサウンドに早瀬文雄氏も書かれていた。
同じフィールドにいた人たちの間でも、
オーディオの音の関する評価基準の中で、どちらかといえば客観的ともいえる音像の立体感において、
正反対の評価となっていることは、
フィールドが違えば、さらに大きくなることだってあるし、
いまここで取り上げていることは書き手側の問題であって、それだけでもこういうことが起り得るのに、
実際にはここに読み手の問題がある。

例えばステレオサウンドしか読んでこなかった読者が、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌を読んだとして、
そこに書かれていることをステレオサウンドに書かれているのを読んだときと同じように受けとれるか。
これはどのオーディオ雑誌が優れているのかということではなく、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌(できればステレオサウンドと執筆者がかぶらない雑誌)、
それしか読んでこなかった読み手がステレオサウンドをはじめて手にとって読んだとしても、
同じことがいえる。

言葉で音を表現することは粗視化であり、主観的、恣意的なことが多分に含まれるだけに、
ある人によるある記事だけを読んだだけで、
そこで評価されているオーディオ機器の音が正確に把握できるものではない。

ある人が書いたものをできるだけけ多く読んでいくことで、
ようやく試聴記に書かれていることから音がある程度想像できるようになってくるわけなのだから、
書き手側にはフィールドがあれば読み手側にもフィールドがあり、
そこで順列組合せ的に事柄が発生する。

そうなるとすべての人に共通する事実というものは、ほとんどないにも等しい。

書き手側においても、JBLの2405の例のように立体感でまるで正反対の評価が出ているわけで、
2405の件に関してはここで取り上げている範囲では3対1で平面で切り張りが事実として受けとれるが、
これは書き手側だけにおけるわずかなサンプルであり、
読み手側を含めて2405をの音についてきいたことがある人に意見をきいていけば、逆転するのかもしれない。

Date: 4月 26th, 2013
Cate: アナログディスク再生

ローインピーダンス型カートリッジのメリット(その2)

コントロールアンプもしくはプリメインアンプの入力セレクターをPHONOにしてボリュウムをあげていく。
当然ノイズが聴こえてきて徐々に大きくなってくる。
このときのノイズの量は、カートリッジが何も取り付けられていない状態、
インピーダンスの高いMM型カートリッジが取り付けられている状態、
MC型カートリッジが取り付けられている状態、
さらにオルトフォンSPUのようにMC型の中でもインピーダンスの低いものが取り付けられている状態で変化する。

つまりフォノイコライザーのノイズ量はアンプのPHONO入力端子にショートピンを差した状態がいちばん少なく、
PHONO端子につながれているカートリッジのインピーダンスが低い、
カートリッジ実装状態のノイズ量は、ショートに近い状態のモノほど少ない。

とはいえローインピーダンスのカートリッジはMM型にしろMC型にしろ、
インピーダンスが高めのものよりも出力が低いことが多いわけだから、
S/N比という観点ではsignalのレベルが下げることで、必ずしもS/N比が高くなるともいえない。

けれどフォノイコライザーのノイズがカートリッジのインピーダンスによって変化していくのを耳にすれば、
アナログディスク再生においては、
必ずしもカートリッジの出力が大きい(そのためにハイインピーダンス仕様)だけでは
実質的なS/N比が有利になるとはいえなくなる。

ローインピーダンスのカートリッジのもつ技術的メリットを活かすのは、
だから難しい面があることは事実としても、
インピーダンスの値と出力レベルとの相関関係において、特に聴感上のS/N比に関しては、
いいポイントがあるのかもしれない。

Date: 4月 25th, 2013
Cate: アナログディスク再生

ローインピーダンス型カートリッジのメリット(その1)

いま別項「D130とアンプのこと」で、ローインピーダンスのカートリッジについて書いていて、
ひとつ、技術的なメリットを思い出した。

それはカートリッジ実装状態のフォノイコライザーのノイズが減る、ということ。
このことはステレオサウンドでも活字になっているので、記憶されている方、ご存知の方もおられるだろう。

ステレオサウンド 76号での「読者参加による人気実力派スピーカーの使いこなしテスト」の基礎篇にある。
このときの試聴で使っていたコントロールアンプはQUADの44。
44にはCDプレーヤー(パイオニアD9010X)と
アナログプレーヤー(トーレンスTD126MKIII)が接続されていて、主に試聴はCDで行われていた。

ある程度セッティングを詰めていったところで、
それまでTD126MKIIIにつけていたカートリッジをMM型からMC型へと交換して、CDの音を聴いている。
このときのMM型はスタントン、ピカリングのローインピーダンス型ではなく、一般的なハイインピーダンス型。

カートリッジを交換して聴くのはアナログディスクではなく、CDである。
にも関わらず、音ははっきりとよい方向へと変化する。

そのときの音の変化を、
読者代表として参加されていた舘一男さん(早瀬文雄氏)と井上先生はこう語られている。
     *
舘 これは好き嫌いの問題というよりも、MC型に変えた方が、SN比がよくなり、CD再生のクォリティが上りますね。
井上 CDを聴いている時の大きな問題のひとつとして、フォノイコライザーからのノイズの飛びつきがあります。この問題を解決するには、CDを聴いている時はイコライザー部の電源が落ちるか、イコライザーの出力にミュートをかけてほしいんだけど、現在ではそれを望むのは無理。だから、CDを本気で聴きたいときは、アナログ入力を外してショートピンを差すか、もしくはローインピーダンスのMC型カートリッジをつけてやるといいでしょう。インピーダンスの低いカートリッジだと、等価的に入力がショートされた状態になりますから。
     *
このメリットは、なにもCD(ライン)入力のみ作用するわけではない。

Date: 4月 24th, 2013
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その31)

一般的な弧を描くタイプのトーンアームの先端に取り付けられたカートリッジの針が、
レコードの溝をトレースしながら内周へと移動していくのは、
オーディオに興味を持ち始めたばかりの少年の頭でも容易に想像できた。

けれどカッターヘッドと同じ軌跡を針先が移動するリニアトラッキング方式となると、
B&O、ヤマハ、マカラなどから製品が出ていても、考えれば考えるほど、その動作は理解し難かった。

それでもカッターヘッドと同じだから、それが理想的なものであると思い込もうとしていた。
実際にリニアトラッキング方式を採用したプレーヤーが動作しているのをみることができたのは、
もう少しあとのことで、そのときは気がつかなかったことが、
ステレオサウンドで働くようになり、自分の手で触れ調整し操作し、その音を聴けるようになって、
リニアトラッキング方式への思い込みを、やっと消し去ることができた。

リニアトラッキング方式といっても、各社各様である。
それでもひとついえることは、カンチレバーの動きを注視してほしい、ということだ。

こういうふうに動いてくんだ、と納得できる、そんな動きをカンチレバーがしている。
もちろん、それだけでリニアトラッキング方式のトーンアームの音はこうだ、と決めつけられるわけではない。
それでもカンチレバーの動きをみていると、リニアトラッキングといっても、
カッティングマシンにおけるそれと、再生側のアナログプレーヤーにおけるそれとでは、
決定的に異るものであることがわかるというものだ。

それに実際のカッターヘッドの実物を手にしてみると、
カートリッジとカッターヘッドはまったくの別物であり、
そのまったくの別物を移動させていく手段の理想が同じである、と考えるのが根本的におかしいことにも気づく。