「新しいオーディオ評論」(その1)
もっと「新しいオーディオ評論」を期待しています。
このメッセージを受けとって、改めて自覚していた。
私は五味先生の書かれたものを核として、
瀬川先生、岩崎先生、菅野先生、伊藤先生たちの書かれたものによってかたちづくっている。
このことを全否定しての「新しいオーディオ評論」は私はない、とおもう。
以前書いているように、
長島先生の言葉を借りれば、
瀬川先生によって
「オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。
彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、
オーディオを、『音楽』を再生する手段として捉え、
文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。」
ということは、全否定なしに「新しいオーディオ評論」はしょせん無理なことなのか。
これについて、まったく考えなかったわけではない。
でもほぼ同時に答もあった。
青は藍より出でて藍より青し
これが答だった。
藍より青し、も「新しいオーディオ評論」のはず。
そして、やはり「青」なのか、とおもった。
REPLY))
オーディオをやっている人は新しいという言葉に騙されやすいことに注意ですね。モノを売るときに新しいとかこれからはと言って売ることが多すぎる。新しいことと良し悪しの切り分けが出来ていない。
オーディオ評論は商業誌であることが限界であるのは編集者ならご存知でしょう。
新しい評論よりも読者のメディアリテラシーの向上が先にないと始まらないかもしれません。