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Date: 10月 9th, 2013
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(その5)

アンプからの電気信号(シグナル)に対してハイフィデリティであることは、
技術の追求においては無視できないことではあるものの、
オーディオがいまもモノーラル録音、モノーラル再生であるのなら、
アンプからの電気信号を正確に振動板のピストニックモーションへと変換することを実現できれば、
それでもってスピーカーのハイフィデリティは達成された、ということになる。

けれど、われわれが再生しようとしているものは、
ステレオフォニック録音のステレオフォニック再生である。
だから正確なピストニックモーションと不要共振の徹底した排除だけでは、
ハイフィデリティとはとても言い難い。

もっともこれがステレオフォニックではなく、バイノーラル録音・バイノーラル再生であれば、
正確なピストニックモーションと不要共振の徹底した排除を実現したスピーカーでも、
ハイフィデリティということができる。

完全とまではいかなくても、
ステレオフォニックな録音のステレオフォニックな再生という条件よりも、
はるかにハイフィデリティに近づいている、といえるはずだ。

もちろんその場合、スピーカーの配置は、ステレオフォニック再生とは違ったものになる。
もっともバイノーラルの再生は、すでにヘッドフォンという、
かなり理想に近いオーディオ機器(変換器)が存在しているので、
わざわざスピーカーをバイノーラル再生に用いることは無駄なのかもしれない。

ヘッドフォンは、バイノーラル再生に対しては、かなり理想に近いといえても、
だからといってステレオフォニック再生にとってもそうであるかといえば、
これはスピーカーにおける正確なピストニックモーションと徹底した不要共振の排除だけでは、
ハイフィデリティとはいえないのと同じで、
われわれはいったいどういう録音物を再生しようとしているのかを、
はっきりとさせておかなければならない。

Date: 10月 9th, 2013
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その2)

ステレオサウンドは季刊誌だから三ヵ月に一度、
オーディオアクセサリー、アナログもステレオサウンドと同じく季刊誌。
ステレオ、無線と実験、書店売りはしていないけれどラジオ技術は月刊誌だから、毎月出る。

どのオーディオ雑誌にも新製品が紹介されている。
新製品が紹介されていないオーディオ雑誌はないし、
新製品がまったく発売されないこともない、ということである。

一時期、日本のメーカーの新製品ラッシュが批判された。
そのころと比べれば、いつの日本のメーカーの開発スパンは長くなってきている。
それでも、どのオーディオ雑誌を手にとっても、毎号、多くの新製品が並んでいる。

一社あたりの新製品の数は以前よりも少なくなっていても、
メーカーの数が増えていれば、トータルとしての新製品の数は、以前よりも多くなる。

しかも昔以上に、ケーブルを含めたアクセサリー関連の新製品が増えてきている。
これらも当然誌面で取り上げられるから、
新製品のページが足りなくなることはあっても、
今号は新製品が少なくてページがうまらない、という事態にはなっていない。

新製品は編集者にとってはありがたいともいえる。
新製品が出続けているかぎりは、その紹介記事をつくるだけで誌面はうまっていく。
話題を提供してくれるのも新製品であるからだ。

そういう新製品が、ありえないことなのだが、一年間まったく、
どのメーカーからも登場しなくなったらどうなるだろうか。

一年間くらいではそれまで登場してきた、
既に市販されているオーディオ機器を再び取り上げることで記事はつくれる。

新製品がまったくでない状況が一年、二年、三年と続いたら……。
こんな、ほぼ絶対にあり得ないことを考えてみると、気がつくことがある。

Date: 10月 8th, 2013
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(そのきっかけ)

「スピーカーは役者だ」と、(その1)で書いた。
こう考えるように、こう捉えるようになったのには、あるきっかけがある。

そのことがなければ、「スピーカーは役者だ」と考えているのかどうかはなんともいえない。
この結論にいつかはたどり着いたかもしれないが、もっと時間を必要としたことだろう。

なぜ、人は音楽を聴くのか。
しかも飽きずに聴き続けるのか。

ある人にとってはどうでもいいような音楽が、別の人にとってはとても大事な曲にもなるし、
私にとって大事な、大切な曲が、私と違う人にとっては、それこそどうでもいい音楽になることだってある。

聴き手の感受性の違いから、などともっともらしい理由をつけようと思えば、
いくらでもつけられる。

でも結局のところ、音楽は物語のひとつでもあるからこそ、
その音楽のもつ物語の断片でもいいから、自分のそれまでの日々に重なるところがあれば、
その曲は、その人にとっては大切な音楽となるのだから、
もうこのことについては、たとえ心の中でどうおもっていても、言葉にすべきことではない。

特に歌は、直接・具象的な物語を含み、
日本人にとっては日本語の歌は、さらに直接的な物語となるものだから、
大切な日本語の歌を、ひとつでもいいから持っている人は、音楽の聴き手として充分しあわせといえよう。

2002年7月4日、
菅野先生のリスニングルームで、ホセ・カレーラスの「川の流れのように」をかけていただいた。
このとき菅野先生のリスニングルームで聴いていたのは、七人。

「川の流れのように」が鳴り終った時、
聴いていた人の心の裡がどうだったのかは、ひとりひとりが知っていればいいことである。

「川の流れのように」が鳴っている間、その人の人生(物語)が鳴っていたのは間違いないはず、と、
そう確信できるのは、そこにいた人たちの表情を見たからだ。

「川の流れのように」がおさめられているホセ・カレーラスのAROUND THE WORLDは、
私にとって最初に聴いた時から愛聴盤だった。
そこに2002年7月4日の物語が加わった。

そこでの物語を歌ってくれたのは誰だったのか、何者だったのか、何だったのか。
2002年7月4日に聴いたホセ・カレーラスの「川の流れのように」が、
私がスピーカーを役者として捉えるようになった、大きなきっかけである。

Date: 10月 8th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(その8)

これから書くことは、一年ほど前に書いたことのくり返しになる。
別項「私にとってアナログディスク再生とは(リムドライヴのこと)」で、
モーターの回転方向について書いた。

ターンテーブルの駆動方式としては理想と思われたダイレクトドライヴは、
その名の通りモーターの回転がそのままターンテーブルの回転となるため、
ターンテーブルの回転方向(時計廻り)とモーターの回転方向は同じである。

ベルドドライヴもダイレクトドライヴ同様、
モーターの回転数とターンテーブルの回転数は異るけれど、回転方向は時計廻りで同じである。

ところがリムドライヴだけはモーターがターンテーブルとは逆に反時計廻りである。
カラードの301、401にしろ、EMTの927Dst、930stにしろ、
リムドライヴであるかぎり、ターンテーブルは時計廻り、モーターは反時計廻りである。

ターンテーブルとモーターの回転方向が逆ということが、
ターンテーブルの回転の安定性にどう影響・関係してくるのか、
それを理論的に説明することは私にはできないけれど、
よく出来たリムドライヴのアナログディスクプレーヤーに共通して感じられる良さ、
それはこのことと無関係ではないだけでなく、深く関係しているはずだと、直感している。

Date: 10月 8th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(その7)

テープデッキにおける走行系は、
アナログディスクプレーヤーではターンテーブルの回転が、それにあたる。

アナログディスクはCDとは異り、回転数は一定である。
LPでは33 1/3rpm、EPは45rpm、つまり角速度一定で回転している。
そのためアナログディスクの外周と内周とでは、例えば一秒間に針先がトレースする距離は違ってきて、
外周のほうが長い分だけ、音質的には当然有利になる。

そういう宿命的な問題点を抱えているとはいえ、
ターンテーブルは常に一定の回転数で安定して廻っていればいいわけだが、
カタログ上のワウ・フラッターの数値では表示できない、
微妙な回転のムラが、
外部からの影響、アナログディスクの振幅の大きいところなどにより発生していると考えられている。

それにターンテーブルの駆動源であるモーターが、どれだけスムーズに回転しているかの問題もある。

とにかく、いついかなる時もスムーズで安定した回転。
これを実現するに、どうすればいのだろうか。

一般的にはアナログディスクプレーヤーの場合、
角速度一定ゆえにターンテーブルの質量を、それも外周部において増やすことで、
慣性質量を利用する手法が、以前からとられてきている。

現在市販されているアナログディスクプレーヤーの主流は、
比較的重量のあるターンテーブルを、
比較的トルクの弱い(振動の少ない)モーターによるベルドドライヴということになる。

EMTの927Dst、930stは、そういう手法は取らずに、
充分すぎる大きさのモーターによるリムドライヴ(アイドラードライヴ)である。

Date: 10月 7th, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その17)

「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」の書き出しを読んだ時、
仕事場として、都内の高層マンションの10階の部屋を借りられたのだと思った。

病気で入院され、退院されて復帰されたばかりだったから、
少しでも交通の便がよく、出版社やメーカーに近い都心の方が身体への負担も少ないだろうから……、
そんなふうに考えてしまった。

これ以外に、本漆喰の、あのリスニングルームの他に、もう一部屋、
そこに住まわれる理由が私には思いつかなかった。

ほぼ理想に近いとも思われるリスニングルーム、
ずっと借家住まいをされてきて、やっと建てられたリスニングルームだけに、
そこから瀬川先生が離れられるわけがない──、
そう思い込もうとしていた。

なぜ高層マンションに移られたのか、
その理由を知るのは、ステレオサウンド 62号、63号に掲載された追悼記事による。

独りになられたんだぁ……、とそう思った時、
ステレオサウンド 59号のパラゴンの文章を読み返していれば、といまは思うのだが、
当時は、なぜか59号の文章のことは頭になかった。

それだけ瀬川先生がいなくなられたことのショックが大きかったからでもあるし、
59号の、短いパラゴンについての文章よりも、
「いま、いい音のアンプがほしい」を読み返すことに気がとられてもいたからだろう。

Date: 10月 7th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(その6)

アナログディスク再生ではカートリッジの針先がレコードの溝をたどった際に発生する振動が、
カンチレバーの奥に取り付けられている(MC型の場合)コイルに伝わり、
このコイルが磁気回路内で動くことにより発電し、音声信号が得られる。

カートリッジが信号を生み出していることになるわけだが、
ただレコードの溝に針を落としただけではカートリッジは発電はしない。
あくまでもレコードが回転しているからこそ、カートリッジは発電できる。

レコードが回転できるのは、レコードを乗せているターンテーブルが文字通り回転しているからである。

こんなふうに考えていけば、ターンテーブルの回転こそが、
アナログディスク再生におけるエネルギーの源と捉えることができる。

そして、これも当り前すぎることで、こうやって書くのもどうかと思ってしまうのだが、
ターンテーブルの回転エネルギーの源はモーターである。

Date: 10月 7th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(その5)

カセットテープ(デッキ)とオープンリールテープ(デッキ)の音の安定感の違いを生み出しているのは、
走行系の安定性だと私は思っている。

テープというものはベースとなる材質を考えても、
片方のリールにしっかりと巻かれているテープが、もう片方のリールへと巻き取られていくことによる変動要素、
そういったことを考えると、一朝一夕に走行の安定性が得られたのではないことはわかる。

いろいろなメーカーがさまざまな試みをやった結果として、
現在のオープンリールデッキが完成したのであり、その成果は見事だと思う。

そんなオープンリールテープ(デッキ)とくらべると、
カセットテープは走行系が弱い、と言わざるを得ない。

フィリップスがカセットテープを開発してから、
おもに日本のメーカーが躍起になったことで、ずいぶんと走行の安定性は得られるようになったといえても、
やはりカセットテープの構造上、テープを取り出してテープを走行させることができないため、
録音ヘッド、再生ヘッドへのタッチの具合もふくめて、
オープンリールテープ(デッキ)にはどうしてもかなわない。

カセットテープと同じようにプラスチック製のケースにテープがおさめられているビデオテープ、DATテープ、
これらはテープをケースの外側に引き出してヘッドに巻きつけて走行させている。

ビデオテープ、DATテープが、カセットテープと同じ構造であったら、どうなっていただろうか。

アナログディスクにおけるテープの走行性にあたるのは、いうまでもなくターンテーブルの回転である。

Date: 10月 7th, 2013
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(その4)

High-Fidelityは、ときとして都合のいいものである。
この音はハイフィデリティだ、このほうがハイフィデリティだ、的な使い方がなされているが、
この場合、もっとも問題になるのは、何に対してのハイフィデリティか、ということは、
実のところ、ずっと以前からいわれていたことではあるにも関わらず、
いまでも、ただ単に「ハイフィデリティだ」というふうに使われることが多い。

再生側におけるハイフィデリティとは、
理想論は別として現実には、録音に対してのハイフィデリティということになる。
では録音におけるハイフィデリティとは、やはり原音ということになる。
だが、この原音と呼ばれる、正体が判然としないものに対してのハイフィデリティとは、
いったいどういうことになるのか。

このことについて書くことは、
ここでの「スピーカー」論から離れていくし、
再生側におけるハイフィデリティは、録音に対してのハイフィデリティということに落ち着く。
それ以上のことを望んでも、再生側からはいかんともしがたいからだ。

では録音に対してのハイフィデリティということになるわけだが、
2チャンネル・ステレオにおいては、左チャンネルと右チャンネルの信号がそれぞれ録音されている。
このふたつのチャンネルの信号を、
まったく干渉せずに何も加えず何も減らさずにスピーカーに電気信号として送り込む、
その送り込まれた電気信号を完全な正確さで振動板のピストニックモーションへと変換する。
この際に、余分な共振はいっさい加えない。

これが果して録音に対してのハイフィデリティといえるのか、となると、
やはりこれは録音「信号」に対するハイフィデリティということでしかない。

Date: 10月 6th, 2013
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(その3)

スピーカーは、アンプからの電気信号を振動板のピストニックモーションとする変換器であるとすれば、
アンプからの電気信号のとおりに、振動板が前後に動けばいい、ということになる。

もちろん分割振動という余計なものはなく、振動板が正確に前後にのみ、
電気信号にあくまでも忠実に動く。

低音から高音まで、ピアニシモからフォルテシモまで、
あらゆるおとの電気信号が来ても、それを振動板の前後運動に正確に変換する。
そしてエンクロージュアの振動も極力抑えていく。

とにかく振動板以外の振動は不要な振動と判断して、
振動板のみが正確にピストニックモーションする──、
大ざっぱに言えば、これがいまのスピーカーの目差すところである。

このことが100%実現できる日が来たとしよう。
それでHigh-Fidelityは実現された、といえるようになる──、とは私には思えない。

これは、あくまでもアンプからの電気信号に対してのHigh-Fidelity(高忠実度)でしかない。
Signal-Fidelityの理想を実現した、としかいえない。

アンプからの電気信号を正確に振動板がピストニックモーションできれば、
それで理想が実現、問題解決となるほど、オーディオはたやすくない。

スピーカーがそんなふうになるころには、
アンプも当然進歩していて、入力信号そのままに増幅して、歪もノイズもいっさいなしになっていることだろう。
ならばアンプからの電気信号の通りに振動板がピストニックモーションしていれば、問題はない──、
はたしてそう言えるのだろうか、それだけで充分なのだろうか。

Date: 10月 6th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(その4)

音の安定感といっても、ひとによってその捉え方はさまざまだということをわかっている。
だから具体的な例をだして話をしよう。

カセットテープとオープンリールテープとがある。
両者の音の違い──、
それももっともはっきりとした音の違いということになると、
私にとっては、音の安定感になる。

カセットテープの音は、どこかふわふわしたとでもいおうか、
そういう心もとなさ、不安定さがどこかに感じてしまう。
普及型のデッキで、安価なテープで録音・再生してみると、よけいにそれははっきりとする。

高級カセットデッキと呼ばれるモノで、テープもしっかりとしたものを用意すれば、
普及型の時と比較すれば安定感は確実に増す。

これだけ聴いていれば、そう不満も抱かないのかもしれないが、
一度でもオープンリールデッキでの録音・再生の音を聴いてみれば、
やはりカセットはカセットでしかないな、と残念ながら感じてしまう。
それだけオープンリールデッキ(もちろん良質のデッキに限るけれども)の音は、
どっしりと安定している。業務用の物となると、より安定感は増してくる印象がある。

私はカセットテープとオープンリールテープの音の違いを、こう感じているし、
カセットテープの最大の不満はここにあるわけだが、
カセットテープの音に、特に不安、不安定さを感じない、という人もいる。

それは、音に何を求める化の違いであって、
ことさら音の安定感──この音の安定感は、音の確実性でもある──を求めない人にとっては、
カセットテープの音に、大きな不満を感じることはないのも頷ける。

もっともカセットテープの音の魅力は、この不安定さをうまく処理したところにある、とは思っている。

Date: 10月 6th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBLの型番)

オーディオのことを話していて、最近感じることが多くなったのは、
JBLのスピーカーユニットの型番をを言っても、通じなくなってきたことである。

JBLの2397といっても、それがまずホーンだということを説明して、
それからどういう形状のホーンなのかについて話さなければならない。

JBLのスピーカーユニットのラインナップが充実していたのは1980年代まで、といっていいだろう。
だから若い世代には、JBLのスピーカーユニットの型番をいっても通じないのは、仕方ないことなのだろう。

私がステレオサウンドに入ったころは、
JBLのスピーカーユニットの型番はほぼすべて憶えていなければいけない、という雰囲気があった。
そうでなければステレオサウンドの編集者として勤まらないのではなくて、
まわりにJBLのスピーカーユニットにただならぬ関心をもっている人が数人いたからで、
彼らの話についていくには、ウーファー、フルレンジ、トゥイーター、ドライバーの型番だけでなく、
ホーンの型番、そしてスロートアダプターの型番、ネットワークの型番まで、
しっかりと憶えている必要があった。

ステレオサウンドに入る前からほとんど記憶していた。
ただネットワーク、それもプロ用のネットワークの型番は完全とはいえなかった。

でも、そういう環境にいれば、すぐに憶えてしまう。
そうやって憶えてきたことは、いまでもけっこう憶えているものである。

自分がそうだったから、人もそうだと思いがちなのが、人間であろう。
同世代、もしくは上の世代のオーディオマニアは、みなJBLのスピーカーユニットの型番を諳んじている。
そう思ってきた。ずっとそう思ってきた。

皆がみんなJBLのスピーカーユニットに関心を持っていたわけではないことは、
少し考えればわかることなのに、そんなふうに思ってしまっていた。

JBLのスピーカーユニットの型番だけを言っても通用しないのは、
世代に関係なく一般的なのかもしれない。
とはいえJBLのスピーカーユニットの型番を言った後で、その説明をしなければならないことに、
それでも時代が変ってしまった、と感じてしまうのはなぜなのだろうか。

Date: 10月 5th, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL

パラゴンの形態(その7)

すでに書いているようにステレオサウンド 60号の318ページには図面も載っている。
4520エンクロージュアのホーン開口部にHL88ホーンを取り付けた側面図である。

この図を見た人ならば、そこにパラゴンの図面が重なってくるであろう。

JBLのバックロードホーン型システムとして、C40 Harknesがよく知られているが、
このC40 Harknesより前にC34 Harknesと呼ばれる、やはりバックロードホーン型システムがある。

C40は横置きのエンクロージュアで、C34は縦置きでコーナー型という違いがある。
そのことを知っている人ならば、318ページの側面図を頭の中で90度傾けてしまうのだはないだろうか。

4520エンクロージュアのホーン開口部にHL88ホーンを取り付け、横置きにする。
ウーファー用のホーンに構造の違いはあるものの、パラゴンの思い起すには充分である。

C55は1957年に登場しているが、C55はC550の型番を変更しただけであり、
C550は1955年の登場である。
パラゴンは1957年。

登場した年代はパラゴンのほうが後ではあるが、
パラゴンは構想から製品化まで10年近い年月がかかっている、ときいている。
とすれば、C55(4520)エンクロージュアのホーン開口部にHL88を取り付けるという発想は、
パラゴンのユニット配置が先にあったから生れてきたものかもしれない。

Date: 10月 5th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(その3)

安定感のある音──、
こう書いてしまうと、誤解する人がいることをこれまでの体験から知っている。

安定感のある音、それはどっしりした音、
つまりに鈍い音、細やかさに欠ける音──、
そんなふうに受けとる人が、なぜかいる。

あえて書けば、安定感のある音、
これがあるからこそ、実は細やかな音、音楽の繊細な表情を、
同じアナログディスクから聴き得ることができる。

繊細な音を、どうも勘違いしている人が少なからずいる。
繊細な音を出すには、音の強さが絶対的に不可欠である。

音のもろさを、繊細さと勘違いしてはいけない。
力のない、貧弱な音は、はかなげで繊細そうに聴こえても、
あくまでもそう感じてしまうだけであり、そういう音に対して感じてしまう繊細さは、
単にもろくくずれやすい類の音でしかない。

そういう見せかけだけの繊細な音は、
音楽のもつ表情の変化に十全に反応してこない。
いつも脆弱な印象をつきまとわせ、聴き手に不安な印象を与える。

そんな音が好きな人もいる。
でも、私はそんな音で音楽を聴きたくはない。
音楽にのめり込むには、そんな音では困る。

聴き手に不安・不安定さを感じさせない、
そういう音でなければ、実のところ繊細な音の表現は無理だと、これまでの経験からはっきりといえる。

Date: 10月 5th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(その2)

EMTのアナログプレーヤー、930stは1970年代においても、
すでに旧式のプレーヤーとしての扱いだった。

国産のアナログプレーヤーはすべてがダイレクトドライヴ方式に移行していて、
ワウ・フラッターは930stよりも一桁安い価格帯の普及型プレーヤーでも、
930stのワフ・フラッターの値よりも一桁低いレベルに達していた。

1970年代の終りには、カッティングマシンもダイレクトドライヴ化されてきて、
ワウ・フラッターの低さを誇るレコード会社も現れていた。

そういう時代にリム(アイドラー)ドライヴの930stは、音のよいプレーヤーの代名詞となっていた。
とはいえ、オーディオマニアのすべての人が、そう認識していたわけではない。

「EMTの930stって、ほんとうに音のいいプレーヤーですか」という人は今だけでなく、昔からいた。
旧式ともいえるつくり、カタログ上のスペックにしても旧世代といえるものだから、
今も昔もいるカタログ上のスペックがなによりも優先する人たちにとっては、
930stというアナログプレーヤーは、旧式であるばかりか非常に高価なだけに、
物好き(骨董好き)が使うモノということになろう。

930stが旧式のプレーヤーであることは否定しないが、
音を聴けば、この旧式のプレーヤーでなければ求められない音の安定感があることにわかる。

930st以上の安定感を求めるならば、927Dstかトーレンスのリファレンスにしかないくらいに、
930stでかけるアナログディスクの音は安定している。