バターのサンドイッチが語ること、考えさせること(その1)
バターのサンドイッチのことを書いた。
これ以上書く必要はない、と考えながらも、
バターのサンドイッチが示唆することについて、二、三書いておきたいという気持もまた強い。
蛇足だな、と自分で思いながら書いていく。
バターのサンドイッチのバターは、
オーディオにおけるケーブルをはじめとする、アクセサリーの類なのかもしれない。
バターのサンドイッチがおもいつかないから、
バターは塗るものという思い込みから離れることができないから、
とにかくバターを吟味する。
そのへんのスーパーで売っているようなバターではなく、
高級食材を扱っているスーパーでのみ買える高価なバターをいくつも試したり、
さらにはそういうスーパーでも手に入らないような、もっと特別なバターを探し出してくる。
そのへんのスーパーで売っているようなバターよりも、
ずっとずっと高価なバターをパンに塗って食しては、このバターは……、と評価し、
気に入った、それもめったなことでは入手できないバターであればあるほど、
そのバターについてのウンチクを滔々と誰かにまくしたてることだろう。
そんな人は、バターのサンドイッチは思いもつかないことだろう。