モノと「モノ」(その13)
オーディオにもパソコンにも、ハードウェアとソフトウェアという括り方ができる存在がある。
オーディオもパソコンも、どんなに高価で高性能をモノを揃えたとしても、
ソフトウェアがなければ単なる飾りか、
デザインがよくなければ飾りにもならず、置物。もっとひどくなれば邪魔物になってしまう。
オーディオにはLP、CD、ミュージックテープといったプログラムソースと呼ばれるソフトウェア、
パソコンにはアプリケーションと呼ばれるソフトウェアがあって、
オーディオもパソコンも道具として機能するようになる共通するところをもつ。
とはいえ、ソフトウェアであっても、パソコンのアプリケーションもまた道具のひとつである。
パソコンが登場した時からしばらくは何度か目にしたことがあるのが、
パソコンという道具は、他の道具と異り、はっきりとした目的をもっていない、といったことがあった。
つまり包丁は食材を切ったり捌いたりするための道具である。
鍋は食材を煮るための道具であり、ペンは文字や絵を描くための道具。
そういった意味での目的をはっきりともたない道具がパソコンである、と。
パソコンは、ある意味何でも可能にしてくれる道具かもしれない。
とはいえ基本的には計算器である。
その計算器に、実に様々な計算を実行させるのがアプリケーションということになる。
どういう計算をさせるかによって画像処理が可能になるし、
音をいじることもできる。表計算もできるし、文字入力・変換もできる。
計算器の処理能力が高ければ高いほど、可能となる処理範囲は広くなっていく。
年々パソコンの計算器としての処理能力は高くなっていくし、
アプリケーションも多機能になっていく傾向がある。
私が最初に自分のMacとして使い始めたClassic IIから20年以上経つ。
この間の処理能力の向上と多機能化は目覚しいものがあって、
最近ではそのことが 当り前のことになりすぎてしまい、
この間の進歩を忘れてしまいがちにもなる。