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Date: 10月 30th, 2013
Cate: audio wednesday

第34回audio sharing例会のお知らせ(瀬川冬樹氏のこと・再々掲)

11月のaudio sharing例会は6日(水曜日)である。
翌7日は、瀬川先生の命日であり、三十三回忌となる。

だから、前日6日のaudio sharing例会では、
私が所有している瀬川先生の未発表原稿(未完原稿)、
デザインのスケッチ画、かなり若いころに書かれたある記事のプロットといえるメモ、
瀬川先生が考えられていたオーディオ雑誌の、いわば企画書ともいえるメモ、
その他のメモなどを持っていく。

これらはいずれきちんとスキャンして公開していくつもりだが、
原稿、メモ、スケッチそのものを公開するのは、この日(11月6日)だけである。
今後一般公開しない。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 10月 29th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その5)

別項の、EMT 930stのこと(その6)で、
レコードが回転しているからこそカートリッジは発電し、音声信号を得られる、と書いた。

つまりトーンアームの実動作時はレコードが回転していることが条件となる。
とするとレコードの回転とはターンテーブルプラッターの回転であり、
回転には回転軸があり、そこは支点であり、
トーンアームの支軸とカートリッジの針先とのあいだの長いスパンよりも、
さらに長いスパン(トーンアームの支軸とターンテーブルプラッターのシャフト)が存在することになる。

Date: 10月 29th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その13)

それがどういうことなのかはもう忘れてしまった人でも、
右ねじの法則という言葉はうっすら憶えているのではないだろうか。

このブログをお読みの方は当然インターネットに接続されているわけだから、
右ねじの法則の詳しいことについては、検索してみてほしい。

とにかく導線に電流を流せば,その周囲に磁界が発生する。
この磁界がケーブルの振動発生へとつながっていく。

ケーブルに信号を流せばわずかかもしれないが、振動を発生している。
オーディオケーブルの中でもっとも大きな信号が流れるスピーカーケーブルの外被を触ってみたところで、
実感できる振動を感じることはできない。

振動が発生することはわかっていても、ほんとうに振動しているのだろうか、とも思う。

もう20年くらい前のことだが、
ある仕事でビルの変電設備に入ったことがある。
そこにはいまどきのスピーカーケーブルよりもずっと太くて硬いケーブルが使われていた。

芯線の一本一本もちょっとしたスピーカーケーブル並の太さで、
外被も硬くても重たい感じのする材質が使われている。
こんなケーブルを鞭代わりになぐられようものなら、
肋骨くらいは簡単におれてしまうそうな、そんな感じのするごついケーブルである。

そんなケーブルでも変電設備で使われている電流が流されると振動している。
ケーブルをにぎってみると、しっかりと振動が伝わってくる。
かなりのレベルの振動である。こんなにも振動しているのか、と思うほどである。

このとき、やっぱりケーブルは振動しているものだと確認できた。

Date: 10月 29th, 2013
Cate: 「スピーカー」論

スピーカーの位置づけ

中点(その12)に書いたことを思い出している。

レコードは、それがLPであろうとCDであろうとミュージックテープであろうと、
レコードの送り手側にとっては最終点であり、
レコードの受け手(聴き手)にとっては、音楽を聴く行為における出発点になる。

この「レコード」を「スピーカー」と置き換えてみる。

スピーカーから音が出る。
だからスピーカーはアウトプットのためのオーディオ機器という位置づけになる。
だからといって、スピーカーが絶対的に最終点といえるだろうか。

そんなことを考えている。

レコードが最終点でもあり、出発点でもあるわけならば、
スピーカーもまた出発点といえるのではないか。

最終点でもあり出発点でもあるレコードとスピーカー。
そのうちのひとつ(レコード)が音の入口であり、もうひとつ(スピーカー)が音の出口となり、
オーディオというひとつの系が形成されている。

Date: 10月 29th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その4)

ワンポイントサポートのトーンアームの実動作時には二点支持として捉えると、
その一方の支持でカートリッジ針先、
これはカンチレバーに嵌合されていて、そのカンチレバーの広報にはダンパーがあり、
サスペンションストリングがあり、それらの構造によって定まる支点があるわけだから、
カンチレバーも二点支持ということになる。

つまり長いスパン(トーンアームの支軸とカートリッジの針先)の二点支持の中に、
短いスパン(カンチレバー)の二点支持が存在しているかっこうになる。

Date: 10月 28th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その8)

ずっと以前の話。
dCSからElgarに続くD/AコンバーターとしてDeliusが発表になったときのことだ。
このDeliusが登場することをいち早く掴んで、あるオーディオ雑誌に記事を書いていた人がいた。

このころはインターネットはあったのだろうが、普及はしていなかった。
ほんの一部の人のものだったし、オーディオメーカーのサイトも存在していなかった。

だから、その人は得意満面だったのかもしれない。
ただ、そこにはDeliusが、デリウスと表記されていた。
いうまでもなくDeliusは、ディーリアスである。

最初D/Aコンバーター、Elgar(エルガー)がイギリスの作曲家だということを誰でもわかることだし、
おそらくその人もそのくらいは知っていたはずだ。
ならば第二弾のDeliusも、イギリスの作曲家だということはすぐに見当がつくはず。

Deliusが昔はデリアスと表記されていたことは知っているが、
それはそうとうに昔のことであって、少なくとも私がクラシックを聴き始めたころには、
すでにディーリアスと表記されていた。
それにケイト・ブッシュの三枚目のアルバム、Never for everの中に、Deliusという曲がある。
日本盤の対訳にも、ディーリアスと表記されている。

ちなみに私は、ケイト・ブッシュのDeliusで、フェンビーの存在を知った。

Deliusをディーリアスでもなく、デリアスでもなく、デリウスと書いた人は、
クラシックをまったく聴かない人なのだろう。
それにケイト・ブッシュも聴いていなかった人なのだろう。

Deliusの読み方がわからなかったら、誰かに訊けばいいのに……、と思う。
きくのが恥ずかしかったら、Deliusと英語表記のままにしてしまえばよかったのに、
わざわざ自分で読みを考えたのか、間違ったおかしなカタカナ表記にしてしまっている。

知ったかぶりをしなければ、この人は尻尾を出すことはなかったのに、
海外の最新情報に詳しいということを誇示したいためだったのか、
こういうことになってしまった。

それにしても、いじわるなのは編集部だとも思う。
編集部にはクラシックを聴く人もいたはず。
にも関わらずDeliusをデリウスのまま活字にしてしまうのは、
読者に対して筆者の尻尾を気づかせるためなのだろうか、と勘ぐってしまいたくなる。

Date: 10月 28th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(インターナショナルオーディオショウ講演スケジュール・その3)

インターナショナルオーディオショウには、海外メーカーの人たちも大勢来る。
会場となる国際フォーラムに行けば見かける光景に、
違うメーカーの人たちが話している。何を話しているのかはわからないけれど、
そんな光景をみていると、これを利用しない手はないだろう、と思ってしまう。

それぞれのブースでメーカーの人が話すのはたいていひとり。
複数のときもあるけれど、当然だが、同じメーカーの人たち同士。

それとは別に、違うメーカーの人たちによる対談なり鼎談を行ってほしい、と思う。
あらかじめスケジュールを決めるのは難しいだろう。
むしろ当日、やってくれそうな人たちに声をかけて、臨機応変に行うのがいいのかもしれない。

これをやるにはいくつかのことをクリアーしていかなければならない。
そのいくつかは私でもすぐに指摘できることがある。
ひとつせはブースの問題がある。

もうすでに空きブースはない。
とにかくいろいろと調整しなければならないことはあるのはわかっている。
でも、このことにしても、
ひとつ前に書いた取扱い輸入商社が違うモノを組み合わせての試聴にしても、
まったく無理なことではない。

やろうとすれば、実はすんなりできたりすることではないのか。
インターナショナルオーディオショウは、もっともっとおもしろいものにできる可能性がある。

Date: 10月 28th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(インターナショナルオーディオショウ講演スケジュール・その2)

昨年はどうにも都合がつかずにインターナショナルオーディオショウには行けなかった。
今年は、どうしても聴きたいモノがある。
だからなんとかどこか一日は行くつもりだ。

聴きたいものとは、アークが輸入を開始したドイツのスピーカー、ヴォクサティヴである。
高能率のフルレンジ型ユニットに、バックローディングホーン型エンクロージュアの組合せ。
それもただ単に過去の、こういったモノを復刻しただけではなく、
設計者・創業者のバックボーンを活かした、といえるこのシステムは、ぜひとも聴いてみたい。

とにかく時間がそれほどとれなくても、これだけは聴いてこよう、と想っているわけだが、
アークが取り扱っているアンプはダニエル・ヘルツのみである。
ということはアークのブースでは、ダニエル・ヘルツのアンプでヴォクサティヴが鳴らされるのか、
それともヴォクサティヴのサイトを見ると、アンプもラインナップされていることがわかる。
やはり管球式のアンプである。
これらも一緒に来て、鳴らされるのだろうか。

それはそれでいいのだが、個人的にいちばん聴いてみたいのは、
ステラ取扱いのアインシュタインのパワーアンプ、The Light In The Dark Limitedである。

とはいえヴォクサティヴがアインシュタインで鳴らされる音を聴くことはかなわないことは、わかっている。
それでも聴きたい気持だけはどうすることもできない。

私の場合、今年はこの組合せだが、
私以外の人には、その人だけの、ぜひ聴いてみたい組合せがきっとあるはず。
その組合せが、同じ輸入商社の取扱いであれば、何の問題もない。
けれどそういうことのほうが少ない。

Date: 10月 28th, 2013
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(入力作業をやっていておもうこと・その2)

仮にステレオサウンドに井上先生がいなかったとしよう。
井上先生だけでなく、技術やメーカーの歴史などに造詣の深かった長島先生、山中先生といった存在もなかったら、
果して瀬川先生は、ああいう姿勢でオーディオ評論をやられただろうか。

場合によってはそうであっただろうし、技術的な説明にも力を入れられたのではないだろうか。

つまり信頼できる仕事仲間(オーディオ評論家)がいたからこそ、
瀬川先生は他の人がしっかりと書いてくれることには触れずに、
瀬川先生のみが書けることに筆を費やされた(費やすことができた)。
そう見るべきではないだろうか。

この時代は、高い力量をもつ人たちがいた。
その人たちがオーディオ評論家の役目をきちんと認識した上で、
自分の役割もわかったうえでの、それぞれの文章であった。

たとえばステレオサウンドの特集記事のテストリポートの試聴記にしても、
瀬川先生の文章だけでは、そのスピーカーなりアンプがどういう音だったのかはわかる。
わかるけれども、その製品がどういう製品であったのかは掴みにくい。

スピーカーの試聴記にしても、瀬川先生の文章だけでは、
あれっ、このスピーカーのユニット構成はどうなっていたっけ? となってしまうことがある。

そういうとき同時に試聴記を書かれた方の文章には、
この手の記述があって、ああ、そうだった、このスピーカーはこういう構成だった、と思い出せる。

ステレオサウンドという本は、どの時代になって、
どんなに旧い号でも、実物があればそれを手にとって読まれれば、
一冊のステレオサウンドとして読まれるわけだが、
そこに掲載されている文章は必ずしもそうとはかぎらない。

ずっと以前も、メーカーが輸入商社が、
自社製品、取扱い製品が掲載された記事をまとめた小冊子を発行していたことがある。

そこにはいくつかの号からの文章が集められて再掲載される。
そして、いまは私がthe Review (in the past)で同じようなことをやっている。

こういう再構成の作業をやってみると、すぐに気がつくことだ。

瀬川先生は、信頼できる仲間(ライバル)がいたからこそ、
自分のスタイルを貫き通せたんだ、ということに。

そのことに気がつかずに、瀬川先生だけを高く評価するのはどうかと思う。
そして、いまはどうかと見渡してほしい。

Date: 10月 28th, 2013
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(入力作業をやっていておもうこと・その1)

もうひとつのブログ、the Review (in the past)の入力作業をやっていると、
気がつくことがいくつかある。

入力している文章は、そのほとんどを掲載されているオーディオ雑誌が出た時に読んだものだ。
それをけっこう年月が経ってから入力していると、あれこれ気がつく。
読んでいただけでは気がつかなかったことでもあるし、
私自身が歳をとったから気づくようになったこともあるし、
the Review (in the past)という文章がメインのブログに再構成していることで気がつくこともある。

瀬川先生の製品紹介は、それが新製品であってもほとんど製品の技術的な説明は省かれることが多かった。
それとは反対に井上先生は、ことこまかに製品の技術的な説明を書かれていた。

正直読者だった10代のころは、瀬川先生の文章は楽しみにしていたし、
井上先生の文章にはそれほど関心をもてなかった。
なぜ、この人は、メーカーのカタログや広告をみればわかることを(たとえそれだけではないにしても)、
これだけ書くのだろうか……。
その意図がよくわからなかった。

けれどthe Review (in the past)の入力作業をやり始めたら、
わりと早く気づいたことがある。
こんなふうに掲載誌から、いわば抜きとって別の媒体に再掲載(公開)するときには、
しかもそれが書かれてから十分すぎる時間が経過している場合には、
井上先生の書き方もまたひじょうに大事だということに。

Date: 10月 27th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(インターナショナルオーディオショウ講演スケジュール・その1)

数日前に、インターナショナルオーディオショウの講演スケジュールがPDFで公開されている。

ぱっと眺めてまず感じたのは、なんだかスカスカだな、ということだった。
数年前はどのブースも講演スケジュールがけっこうあった、と記憶している。
回数が減っているだけでなく、講演を行う人も減っていることに気がつく。

去年の講演スケジュールのPDFを保存しているわけではないし、
去年は都合がつかずに行けなかったから、ひじょうに曖昧な記憶との比較だが、
去年やっていたけど今年はやらないという人が三人いるようだ。

講演を行うのは、ほとんどがオーディオ評論家と呼ばれている人たち。
この人たちの話を聞きたい、という人も多くいる一方で、
この人たちの話すことは、少し待てばオーディオ雑誌で読めるし、特に興味はない。
それよりもせっかく海外からメーカーの人たちが来てくれているのだから、
その人たちの話を聞きたい、という人も少なくない。

昔のオーディオフェアのように開催期間が一週間ほどあれば、
どちらの希望も満たせるスケジュールも可能だろうが、三日間ではそれは百合だろうし、
だからといってインターナショナルオーディオショウを一週間は無理としても五日間やるというのも、
やはり無理な話であろう。

それにオーディオ評論家と呼ばれている人たちの話もメーカーの人たちの話も、どちらもいらない。
ききたいのは音だ、という人にとっては、
講演によって音を聴く機会を奪われている、ともいえる。

とにかく音を聴くことを第一目的としている人にとっては、講演はよけいなものとなるし、
今年のように講演が少ないことは歓迎していることだろう。

どれがいいのかはなんともいえない。
でも、今年の講演スケジュールをみていると、やはり寂しい気がする。

Date: 10月 27th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その7)

ステレオサウンド 60号の黒田先生による「岡さんの本」の文章は頷くところが多々ある。
その中でも、深く頷いてしまったところは、このところだ。
     *
 オペラには、そしてオペラの全曲レコードには、いろいろややこしいことがある。したがって、にわかじたてのしったかぶりは、オペラやオペラの全曲レコードについてとやかくいったときに、かならずといっていいほど尻尾をだす。「あの『リゴレット』のレコードのコーラスはいいね、特にソプラノやアルトの女声が……」といったおっちょこちょいの阿呆が、かつていた。先刻ご承知の通り、「リゴレット」の合唱は男声だけである。オペラについてわかった風なことをいおうとすると、そういうことになる。
 岡さんは、そういう意味で、決して尻尾をださない。いや、ださないのではない、だしたくとも、岡さんには尻尾がないのである。はっきりと、「まるっきりオペラを聴いていないわけではないが、ぼくの経験はすこぶる貧弱ではある」と、謙遜にすぎるのではないかと思うが、岡さんは書く。しかし、調べられることは徹底的に調べる。したがって、読者は、そこで、著者である岡さんの書かれることのすべてを信じるようになる。著者と読者の、信頼に裏うちされた会話がこの本で可能なのは、そのためである。
     *
ここにあるとおり、岡先生は「調べられることは徹底的に調べる」人である。
だからこそ、岡先生の部屋には、「沢山のレコードがあり、沢山の本があった」と黒田先生が書かれているわけだ。

他の人だったら、ある程度信用できる人が話してくれたことならば、そのまま書いてしまうことだってある。
いわゆる裏を取ることをせずに書いてしまう。
岡先生は、これを絶対にやらない人だった。

そういう岡先生だからこそ、いまも健在ならインターネットのことをどう活用されただろうか、と想ってしまう。

オーディオ雑誌になにかを書いている人たちも当然インターネットを利用している。
中には最新情報を得ることに、ほかの人よりもいち早く情報を得ることに汲々としている人もいることだろう。

そういった情報先取り自慢など、岡先生はされない。

Date: 10月 27th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その12)

比較的新しいパワーアンプを使っているかぎり、
市販されているスピーカーケーブルの多くは末端処理を特別にすることなく、
そのまま接続できる、といっていいだろう。

それでも、世の中にはわざわざ末端処理をする人もいる。
そのままスピーカーケーブルをスピーカー端子に挿し込んでぎゅっと締めればいいのに、ラグを使っている。

どんなラグであれ、ラグを使えれば、そのキャラクターが必ず音としてあらわれる。
見た目がごついラグであればあるほど、キャラクターは強く出る傾向にあるともいえる。

時には、そういうキャラクターを必要とする場合もある。
とはいえ、この手のキャラクターは、どんな音にものってくる。
うまく効果的に作用してくれるのであればいいけれど、
邪魔になる、耳につくことも多い。
キャラクターは、のる音を選ばない。

個人のシステムであれば、そのシステムの所有者がそれで満足していれば、とやかくいうことではない。
けれどステレオサウンドの試聴室は、そういうところではない。
オーディオ機器をテストする場であるから、この手のキャラクターはときにテストの邪魔になる。

もちろんどんなものにもキャラクター(固有音)はあるから、ゼロにはできないのはわかっている。
わかっているからこそ、できるだけ特徴的なキャラクターは避けるように配慮していた。

その点、いまは楽であろう、と思ってしまう。
末端処理に特に気を使う必要はないはずだから。

とにかく、スピーカーケーブルはある時期から太くなっていった。
スピーカー端子もそれに対応していった。
もっともパイオニアのExclusive M5、スタックスが探梅していたスピーカー端子は、
かなり早い時期から太いケーブルへ対応していた。

スピーカーケーブルが太くなった。
太くなったということは、スピーカーケーブルが重くなった、ということでもある。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その5)

音楽性、精神性といったことばは、使う時に注意が必要にも関わらず、
そんなことおかまいなしに安易に使われることの多さが、気になってきている。

どちらも便利なことばである。
「この演奏には精神性がない」とか「この音には音楽性が感じられない」とか、
とにかく対象となるものを一刀両断にできる。

しかも、これらのことばを、こんなふうに使う人に限って、
精神性とはいったいどういうことをいうのか、どう考えているのか、
音楽性とはいったいどうことなのか、どう捉えているのかについての説明がないままに、
精神性(音楽性)がない、という。

その反対に、音楽性がある、精神性がある、という使い方も安易すぎるとも感じているが、
少なくともこちらは一刀両断しようとしているわけではない。

とにかく一刀両断的な「音楽性(精神性)がない」の使われ方をする人は、
時間をかけて話していこうとは思わない。

なにも「音楽性(精神性)がない」という使い方が悪い、という単純なことではない。
少なくとも、そこでその人が感じている精神性、音楽性について、
とにかくなんらかの説明があったうえで、こういう理由で「音楽性(精神性)を感じない」といわれれば、
その意見に同意するかどうかは措くとしても、話を続けていける。

ながいつきあいで、音楽の好み、音の好み、どんなふうに音楽を聴いてきたのかを熟知している相手とならば、
一刀両断的な言い方でも、まだわかる。
けれどそうでない人と話す時にこんな言い方をしてしまったら、
そうだそうだ、と同意してくれる人とならばいいけれど、世の中はそうでないことのほうが多い。

こういうことを書いている私も、20代のころは、こんな言い方をしていたのだ。
そして、そんな言い方をしていた20代のころ、私はカラヤンの「パルジファル」を聴くことはなかった。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(1980年当時のショウルームと広報誌)

1980年は、まだオーディオフェアの時代だった。
メーカーのショウルームも、東京にはいくつもあった。

サンスイのオーディオセンターは、西新宿にあった。
テクニクス、オーレックス、ダイヤトーン、ソニー、Lo-Dは銀座に、
トリオは丸の内、フォステクスは水道橋、オンキョーは秋葉原、ラックスは湯島、ビクターは高田馬場、
ヤマハはお茶の水、パイオニアは目黒、アカイは東糀谷、シャープは市ケ谷、オットー、コーラルは末広町に、
オーディオテクニカはショウルームではないものの、
創業者・松下秀雄氏のコレクションの蓄音器のギャラリーが町田(現在もあるはず)だった。

それだけでなくそれぞれのメーカーは広報誌も出していた。
ソニーはES REVIEW、ヤマハはapex、フォステクスはエコーズ、トリオはSUPREME、
サンスイはAudio journal、パイオニアがHIFiWay、オーレックスがAurex Joy。

すべての広報誌を読んだわけではないが、
これらは単なる自社製品の広報だけの本ではなかった。
すべてが無料だったわけではないが、それだけに読める広報誌だった。
おもしろい記事もあった。