夜の質感(その8)
シノーポリによるマーラーは、当時賛否両論があったように記憶している。
私のまわりにも、どちらかといえば否定的な意見をもつ人がいたし、
そうかと思えば熱狂的に、といいたくなるほどシノーポリの演奏を支持する人もいた。
非常に興味深い、という意味では面白い演奏なのはわかるけれども、
それでも、ここまで……、という気持が多少なりとも湧いてきたことも事実だった。
否定的とまではいかなかったけれど、熱狂的に支持するともいかなかった。
つまり態度保留にしていた。
しかも、ここ十数年、シノーポリのマーラーは聴いていない。
いちどすべて聴いてみよう、とは思っている。
私も歳をとっているし、時代も変っている。
鳴らすスピーカーも変った。
いま、どう感じるかを知りたい、と思うからだ。
バーンスタインのマーラーとシノーポリのマーラー、
当時、このふたつのマーラーを聴いて漠然と感じていたのは、
解釈(interpretation)と分析(analysis)の違いと、その境界の曖昧さだった
クラシックを聴く人は、同じ曲を何人もの演奏家の録音で聴いている。
それはつまり聴いた演奏家の数だけの解釈を聴いているわけであり、
シノーポリのマーラーも、シノーポリの解釈であることはわかってはいる。
わかってはいるけれども、当時、シノーポリの演奏は解釈よりも、
分析的な面が色濃く感じられるような気がしていた。