Date: 12月 3rd, 2013
Cate: 「スピーカー」論
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トーキー用スピーカーとは(Dolby Atmos・その3)

ららぽーとがある船橋からいま住んでいる国立まで電車の時間は一時間半ほどある。
その間ぼんやりと思っていたことがある。

いまジョン・カルショウがいたら、この日私が体験した技術で、
21世紀の「ニーベルングの指環」を制作するのではなかろうか、と。

20世紀の「ニーベルングの指環」はショルティとの全曲録音だった。
音だけのものであっても、カルショウはさまざまなことを試みている。
そのすべてが、いま聴いても価値が変らない、とはいえないところはある。
やりすぎの感はたしかにある。

それでも当時、初の「ニーベルングの指環」の全曲盤である。
あれだけ長い作品を音だけのレコードで、聴き手に最後まで聴き通してもらうためのアイディアとしては、
成功しているといえるし、そこがまたいまではやりすぎとも感じてしまう。

とはいえカルショウ/ショルティによる「ニーベルングの指環」はおもしろいレコードである。
こういうレコードを、いまから50年以上前にカルショウはつくっている。
そのカルショウが、3D映像とドルビーアトモスを与えられたら、
どんな「ニーベルングの指環」をわれわれに提示してくれるであろうか。

ワーグナーの楽劇でも、
「ニーベルングの指環」の作曲の途中でつくられた「ニュルンベルグのマイスタージンガー」、
「トリスタンとイゾルデ」は登場するのは人間だけなのに対して、
「ニーベルングの指環」ではそうではない。

そういう作品である「ニーベルングの指環」だけに、あれこれ夢想してしまっていた。

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