Date: 12月 3rd, 2013
Cate: 純度
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オーディオマニアとしての「純度」(その11)

チャートウェルのステビング、JBLのランシングとは、マーク・レヴィンソンは違っていた。
レヴィンソンは会社をつぶしたり、会社の再建のために自殺をすることなく、
最初に興した会社マークレビンソンを手放したものの、
その後、チェロ、レッドローズミュージック、そしていまダニエル・ヘルツを興している。

レヴィンソンが経営者として優れているのかどうかはこれだけではなんとも言い難いが、
少なくとも「機敏なビジネスマン」であったことは疑いようがない。

ランシングもステビングもエンジニアだった。
レヴィンソンはエンジニアとは呼べない。
だからレヴィンソンは「機敏なビジネスマン」であった(なれた)というわけでもないはず。

JBLにはアーノルド・ウォルフが、ランシング亡きあと、いた。
ウォルフはSG520、SA600、パラゴンなどのデザイナーであり、
のちに社長となっている。

ウォルフのような人がいるということは、
デザイナー(エンジニア)としての純度と、会社を経営していく才は、
ひとりの男の中で両立するものでもあり、
マークレビンソン時代のレヴィンソンが、
「練達の経営者の才能」をあらわしはじめていたからといって、
オーディオマニアとしての純度が失われつつあった、とは必ずしもならない。

たとえオーディオマニアとしての純度が失われていっていたとしても、
それは「練達の経営者の才能」をあらわしはじめたことと関係していることにはならない。
違うところに理由はあって、
たまたま「練達の経営者の才能」をあらわしはじめた時期と重なっていたのかもしれない。

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