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Date: 7月 10th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その7)

平面バッフル用の板を買っても、予算を30万円とするならまだ余裕がある。
その残った予算でチューナーを買うのもいいと思う。

私もそうだった。
最初予算いっぱいを使ってスピーカーとアンプとアナログプレーヤーでいこう、と考えていた。
そうすることで、少しでもいい音が出せる可能性があると判断したからである。

けれどチューナーは買った。
オーディオ店の人が、安いものでいいからチューナーは買っておいた方がいい、と強くすすめられたためである。
それでも要らない、と思っていたけど、プリメインアンプとペアとなるチューナーにした。

チューナーは要らない、としたのは、私がその頃住んでいた熊本では、民放のFM局はまだなかったこともある。
NHK-FMしか聴けないチューナーに、
カートリッジのいいモノ(エラックのSTS455EとかデッカのMark Vなど)が買える金額を払うのが、
もったいないように感じた。

そういう私が、チューナーを買っておいてよかった、と思っている。
チューナーがあったからこそ、私はケイト・ブッシュを聴く機会があったからだ。

もしチューナーを買っておかなければ、ケイト・ブッシュの見た目だけで判断してしまっていて、
関心をもつことはたぶんなかった、と思うからだ。

ここではアンプと同じテクニクスのチューナーから、ST-C01(35000円)を選ぶ。
SU-V6とペアになるチューナーではないけれど、コンサイスコンポ用のチューナーとして開発されたもので、
W29.7×H4.9×D25.5cmと薄型でコンパクトにまとめられている。

Date: 7月 9th, 2014
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その4)

別項(オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」)でも書いているように、
私はステレオサウンドには、オーディオ評論の本という側面が、以前は確かにあった、と感じている読み手である。

私はステレオサウンドをいつのころからかそんなふうに読んできたし、
そう読んでおもしろいオーディオ雑誌であった時期がある。
だからこそ夢中になって読んできた。

だが、このことは私の勝手な読み方だったのであろう、と、
2013年の、ステレオサウンド編集長の新年の挨拶を読むと、改めて思ってしまう。

本だけに限らない。
何であれ、送り手の意図とは違う受けとめられ方をされることは、決して少なくない。
むしろ意図通りに受けとめられることのほうが少ないようにも思っている。

ステレオサウンドというオーディオ雑誌を、どう読もうと、
ステレオサウンドを手にした人の勝手が許されるともいえるし、
送り手側にしてみれば、できればそうでないことを望んでいる。

2013年の新年の挨拶は、私がステレオサウンドに期待していることは、
期待すべきことではなかった、ということをはっきりとさせてくれた。

私はいまでも、ステレオサウンドはオーディオ評論の本として読み応えのある本であってほしい、
と望んでいるけれど、2013年の新年の挨拶にあるように
「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」こそが
ステレオサウンドの創刊以来変らぬ編集方針の柱であるのなら、望むのは筋違いでしかない。

そして考えたいのは、
「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」には、
オーディオ評論家は読者の代表という意識があるのか、ということ、
ステレオサウンド編集部にもそういう意識があるのか、ということである。

Date: 7月 9th, 2014
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(続キースモンクスのトーンアーム・その6)

audio & design(キースモンクス)のトーンアーム、M9BAが想定しているカートリッジについて、
あれこれ考えていくのも楽しいけれど、それ以上に、岩崎先生がこのトーンアームをなぜ購入されたのか、
そのことについて考える方がもっと楽しい。

何かはっきりとした目的があったのか。
つまり、あるカートリッジを鳴らすためという目的からのM9BA購入なのか、
それともそういう目的なしに、このトーンアームが気に入っての購入だったのか。

いまとなってはわからなくなってしまった答を、岩崎先生が残された文章の断片に何かを求めていく。
これが私にはけっこう楽しい。

別項で書いているエレクトロボイスのエアリーズの補修のために先月岩崎先生のお宅に行ってきた。
そのとき、岩崎先生のカートリッジのコレクションを見せてもらった。

いまはもうそんなには残っていない。
それでもいくつかのカートリッジが残っていて、
このカートリッジを使われていたんだ、と思いながら、いくつかのカートリッジを眺めていた。

その中にデッカのMark Vがあった。
ボディの色から、EEだということがわかる。

Mark V/EEは元箱に収まったままだった。
まだ使われていない感じがする。

そんなMark Vをみていると、岩崎先生はM9BAとの組合せを考えられていたのかも、とおもえてくる。
デッカのInternational ArmとのM9BAとの類似性からいっても、その可能性は高い。

だとすればターンテーブルは何を組み合わせられるつもりだったのだろうか。
いつか、どこかにそのヒントがきっとあると思っている。

Date: 7月 9th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

試聴ディスク考(その9)

具体的な試聴記とは、いったいどういうものなのか。

インターネットでみかけるのは、試聴機材について述べていること。
できればケーブルについても、何を使ったかを書いている。

それから試聴ディスクのタイトル(できればレーベル、CD番号も)、
そのCDのどの曲を聴いたのか、
その曲のどの部分が、こう鳴った、ときちんと書いてあるのが、具体的な試聴記ということになるようだ。

どんな試聴機材だったのかは、目安にはなる。
だが、あくまでも目安程度にとどまる。
そこで、それらの試聴機材がどういうふうにセッティングされ、どんな調整が施されているのか、
そういったことまではわからないし、
仮にそういった細かな事柄まで書いてあったとしても、そこでの音が誌面から聴こえてくるわけではない。

読んでいて、あまりにもおかしな(不思議な)試聴記だと、
いったいどういうシステムで聴いたのか、と気になるけれど、
まともな試聴記であれば、試聴機材については、あっ、こういうシステムで聴いたんだ、程度の認識である。

それから試聴ディスクに関しても、このディスクの、この曲の、この部分が……、と書いてあるのは、
ステレオサウンド 44号、45号で黒田先生が試みられた試聴記と同じではないか、と思う人がいよう。

似ているといえば似ているけれど、いわゆる似て非なる試聴記ということになる。
そこに気づかずに、試聴記を読んでいて、
これは具体的だから信用できる、
具体的な試聴記を書く人だから信用できる、は、
単に一見わかりやすそうに見えるだけで、実のところ、具体的なことはほとんど書かれていないことが多い。

Date: 7月 9th, 2014
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その3)

ステレオサウンド編集長による2013年の新年の挨拶に、こう書いてあった。
     *
創刊以来、「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」との想いはただの一度も変ったことがありません。そして、これからもこの想いはけっして変ることがありません。
     *
茶化すつもりはまったくないのだが、
これを読んで、ステレオサウンドとはそういうオーディオ雑誌だったのか、と思った。

ステレオサウンド編集部に七年いた。
七年間で、「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」、
そうおもっていたことはなかったのではないか、とふり返ってみた。

この想いは創刊以来ただの一度も変ったことがありません、とあるから、
私がいた七年間(1982年〜1988年)もそうだったことになる。

つまり私は、その想いで本づくりをしていたわけではないことになる。
そうか、そうか、と妙に納得してしまった。

ステレオサウンドを読みはじめた中学二年のころは、
どのオーディオ機器がどういうふうにいいのだろうか、を知りたかったし、
それをステレオサウンドに求めて読んでいた。

そのころのステレオサウンドも
「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」
という想いでつくられていたとすれば、その想い通りに読んでいた読者になる。
それでもそんな読み方をずっと続けてきたわけでもない。

Date: 7月 8th, 2014
Cate: 中点

中点(その14)

別項(オーディオの「介在」こそ)で、
音楽と聴き手とオーディオの位置関係について書いた。

私は、音楽と聴き手を結ぶ線の上にオーディオ機器が介在している、といまも考えている。
知人は三角形を描く。

ということは私にとってのオーディオは、音楽と聴き手(つまり自分)を両極とする線上にある点である。
音楽と聴き手の両方から等しい距離に、その点(オーディオ)が位置していれば、
私にとって、というべきか、音楽と私にとっての中点はオーディオということになる。

とはいうものの、その点(オーディオ)が等しい距離に位置しているのかを、まだ見極めていない。

オーディオは中点となり得るのだろうか。

Date: 7月 7th, 2014
Cate: 組合せ

組合せのこと(その6)

オーディオ雑誌における組合せの記事の取り扱いの変化については、私なりの答はある。
ここにそれを細かく書いていこうとは思っていない。

ただひとつ書いておきたいのは、組合せはオーディオの想像力ではないだろうか、ということ。

これだけではわかりにくいのはわかっている。
でも、あえてこれだけにしておく。

Date: 7月 6th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その6)

カートリッジも決った。
ここまでの金額を合計すると、
D130が45000円×2、SU-V6が59800円、デッカMark V(M)が28000円だから177800円。

予算を30万円とすれば、まだまだ残っている、といえる。
実際にはD130の平面バッフル用に板を買ってこなければならないから、
当時サブロク板がどのくらいしていたのかわからないけれど20000円もあれば、いい板が買えたと思う。

アナログプレーヤーに何を選ぶか。
国産ならば、デンオンだとDP50M(59800円)、パイオニアならばPL30(55000円)、
ソニーだと電子制御トーンアームを搭載したPS-X65C(65000円)、
トリオではKP5050(55000円)、KP7070(70000円)、
ビクターもソニー同様電子制御トーンアームのQL-Y5(69800円)といったところが候補となる。

デッカには専用トーンアームとして、International Armが用意されていた。
ワンポイント支持のオイルダンプのストレートパイプである。

デッカ独自のカートリッジの構造を考えると、トーンアームにダンプ機構があったほうが使いやすいかもしれない。
そうなると電子制御のソニーかビクター、それからオイルダンプのパイオニアということになる。

そんなことを考慮しながらも、選びたいプレーヤーはデュアルのCS1246(64800円)である。
これだけが候補中唯一のベルトドライヴであるけれど、これが選択理由ではなく、デュアルであるからだ。

D130といえば私のなかでは岩崎千明と直結しているところがあり、
岩崎先生が愛用されていたプレーヤーのひとつがデュアルだからである。

ここで合計金額は242600円となる。

Date: 7月 6th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その5)

テクニクスSU-V6は安価なプリメインアンプだが、
この時代のプリメインアンプということもあってヘッドアンプも搭載している。
カートリッジはMM型だけでなくMC型も候補にできるけれど、
やはりMC型を使うであれば、外付けのきちんとしたヘッドアンプもしくは昇圧トランスを使いたい気持があるし、
MM型で使いたいカートリッジもいくつかあるので、MC型は次のステップでの楽しみにとっておきたい。

MM型で私がここで使いたいのはエラック(エレクトロアクースティック)のSTS455E(29900円)か、
オルトフォンのVMS20E MKII(25000円)、
それからデッカのMark V/EE(38000円)かMark V(M)(28000円)である。

D130を選んでおきながらも、私はこの組合せでクラシックもできれば聴きたいという気持があるから、
これらヨーロッパのカートリッジを選択するわけだが、
ジャズに焦点をしぼれば、エンパイアの4000D/III(40000円)を、多少高くなるけれどイチバンにもってきたい。

ここであげたカートリッジから、どれが選ぶのか、となると、
デッカのMark VがD130の鮮烈な印象をさらに新鮮なものにしてくれそうな気がする。

Mark Vには型番の末尾にアルファベットがつく。
何もつかないのが丸針、Eがつくのは楕円針、
EEとつくのは楕円針だが、Mark Vの振動系に改良が加えられたモデルで、
MがつくのはMark V/EEの針を丸針にしたモデル。

つまり同じ丸針でもMark VとMark V(M)は同じではない。

1980年ごろの組合せとしてスピーカーにD130をフルレンジで鳴らすところから出発するのだから、
ここはあえて丸針にするのが筋ではないだろうか。

Date: 7月 6th, 2014
Cate: 組合せ

組合せのこと(その5)

以前は、組合せの記事には特別な意味があったように感じていた。

いまも組合せの記事はあることにはある。
あるオーディオ評論家が、あるスピーカーシステムを中心とした組合せをつくる。
そのスピーカーシステムでアンプをいくつか聴く、CDプレーヤーもいくつか聴く。

組合せの記事では、別のオーディオ評論家は、別のスピーカーシステムの組合せをつくる。
そのスピーカーシステムで、アンプ、CDプレーヤーを数機種ずつ聴く。

これは組合せの記事なのだろうか。

オーディオ評論家ごとにスピーカーシステムを振り分けての、
アンプ、CDプレーヤーの比較試聴記事というふうに捉えることができるからだ。

記事のタイトルに「組合せ」の文字が入っていれば、それは組合せということになるのか。
「コンポーネントステレオの世界」で行われていた組合せは、
たとえ誌面のどこにも組合せという文字がはいってなくとも、はっきりと組合せの本だとわかる。

それが、なぜいまはそうでなくなりつつあると感じるのか。

Date: 7月 5th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その24)

同じことはオーディオでもよくあることのひとつだ。
たとえばピンケーブル。RCAプラグの接触がうまくいってなくてということ、
カートリッジのシェルリード線のカシメがゆるゆるだということ、
トーンアームのプラグインナットの締めがゆるいこと、
それからアンプ、CDプレーヤーの着脱式のACコードがきちんと挿さってない、などである。

そんなことがそんなにあるわけないと思うだろう。
それが意外に多く見受けられることである。

ケーブルを変えれば音は変るわけだが、
それ以前にコネクターにおける接触がきちんとなされていなければ、
ケーブルを交換しての音の差は、接触がゆるいコネクターときちんとしているコネクターの違いなのかもしれない。

最初はきちんと接触していても、一部のケーブルのように極端に重量があるものだと、
いつのまにか接触不良を起しているかもしれない。

ACコードにしても、そんなことはないだろうと思われるだろうが、これも実際にあったことである。
アンプやCDプレーヤーの電源が時々落ちて困る、という話をきいた。
これも着脱式のACコードがきっちりと挿し込まれていなかったためのトラブルである。

大切な、高価なオーディオ機器をこわしたくない、傷めたくないからとおっかなびっくりでやっていると、
ACコードを挿して最初に手応えがあったところでやめてしまったためである。
メモリーのトラブルとまったく同じことが、オーディオでも起っている。

あと少しの力を加えていれば起きなかったトラブルである。

この問題がやっかいなのは、本人はしっかり接続しているつもりでいることだ。

Date: 7月 5th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その23)

オーディオクラフトの花村圭晟氏、マッキントッシュのゴードン・ガウの指摘にあるようなことに、
こういうこともある。

日本ではオルトフォン・SME規格のプラグインコネクターが一般的になっていて、
カートリッジを手軽に交換できるようになっている。
けれど、この結合部のプラグインナットの締めがしっかりなされていないことが割とある。

カートリッジを取りつけたヘッドシェルをトーンアームに取りつける。
このときトーンアームの軸受けを傷めないようにしっかりとアームパイプを右手で固定していなければならない。

プラグインナットの締めつけには右手の親指と人差し指で、のこりの指と手のひらでパイプを固定しておくわけだ。
これが基本なのだが、中にはプラグインナットだけしか触っていない人もいる。

そういう人に多いのだが、力を十分に加えることを怖れているようなところがある。
だからプラグインナットの締めが十分でなかったりする。

オーディオのことではないが、以前マッキントッシュ(パソコンのMac)が具合が悪くなったから……、
ということがよくあった。
最初の友人のMacだけをみていたけれど、友人の知り合いのMacもみることも増えてきた。
まだMacOSが現在のMacOS XではなくMacOS9のころの話だ。

大半はシステムがおかしくなって、だったけれど、中にはメモリー関係のトラブルもあった。
そのトラブルのほとんどは自分でメモリーを増設した、というもので、
すべてメモリーがスロットの奥まで取りつけられていなかったために起っていた。

どこまで力を入れていいのかがわからず、最初の手応えがあったところでやめてしまって、ということだった。
だからメモリーをきちんと取りつければそれで解決していた。

Date: 7月 5th, 2014
Cate: 組合せ

組合せのこと(その4)

組合せの記事が、私がステレオサウンドを読みはじめた1970年代からすると、減ってきている。
なぜなんだろうか。

1970年代よりも個々のオーディオ機器の完成度が高くなっているから、
組合せによる妙味がなくなってきているのか──。
私は、そうは思っていない。

1976年からずっとオーディオ雑誌を読んできている。
それで気づくことがある。
1980年代ごろから各オーディオ雑誌が賞を与えるようになってきた。

このことと組合せ記事の稀薄化は関係しているように思う。
「コンポーネントステレオの世界」のように、組合せだけで一冊の本が以前は成り立っていた。
ステレオサウンドの別冊だけではない、
音楽之友社からも「ステレオのすべて」が出ていた。
「ステレオのすべて」は組合せだけの別冊ではなかったけれど、それでもメインの記事は組合せだった。

いまはそういう時代ではなくなっている。
かわりに賞が、どこのオーディオ雑誌でも年末恒例の行事になっている。

組合せ記事は、あの時代、いわば一年の締括り的な意味合いがあったのではないか。
一年のあいだに多くのアンプ、スピーカーシステム、プレーヤー、カートリッジが登場する。
それらを試聴する記事が載る。
それだけでは機器の良し悪しはある程度わかっても、
オーディオは最初に述べたようにシステムとしてのみ機能するのだから、
組合せの中で、それらの機器がどう活きるのか・活かすのか──。

ここに焦点があてられていたからこそ、組合せの記事があれだけのボリュウムでつくられていたのではないのか。

Date: 7月 5th, 2014
Cate: 組合せ

組合せのこと(その3)

黄金の組合せなんていわれているものは破鍋に綴蓋的組合せ、という人もいる。
このことを完全に否定はしないけれど、いったいいつの時代のことなのだろうか、と聞き返したくなる。

たとえばタンノイのIIILZにラックスのSQ38Fの組合せは、黄金の組合せと呼ばれていた。
どちらもかなり昔のスピーカーとアンプではある。
いまのアンプやスピーカーと比較すれば、欠点は少なくない。
個性も強い、といえるアンプとスピーカーであり、その組合せだから破鍋に綴蓋的だろうか。
そういう消極的な組合せを、黄金の組合せと呼ぶだろうか。

誰がいいはじめたのかはわからない。
おそらく黄金の組合せと名づけた人は、
積極的な良さを、この組合せに見出したからこその「黄金の組合せ」だったはずだ。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」に登場するオーディオ機器は、
IIILZ、SQ38Fよりも新しい世代のモノばかりであり、ここには破鍋に綴蓋的な組合せと思われるものはない。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」は1976年12月に出ている。
そろそろ40年前のことになろうとしている。
そういう時代にも破鍋に綴蓋的組合せはなかった。

1960年代までさかのぼれば、破鍋に綴蓋的といえる組合せはいくつかあったであろう。
そういう組合せを、誰が熱心に読むだろうか。考えればすぐにわかることだし、
熱心に読まれないものを誰が積極的につくるだろうか。

Date: 7月 4th, 2014
Cate: 組合せ

組合せのこと(その2)

組合せには目的があり、制約もあり、
組合せをつくる人が、どれだけ考えての組合せなのかもあらわれてくる。

ステレオサウンドを読みはじめたばかりのころ、
組合せの面白さが、私にとって、そのオーディオ評論家がどれだけ信頼できる人なのかを判断する、
もっとも重要なことだった。

読み手のこちら側が思いもつかない組合せ、
それも人目を引くということだけでなく、納得のいく組合せをつくって提示してくる人、
私にとって瀬川先生だったし、
私にとっては「コンポーネントステレオの世界 ’77」一冊だけの存在ではあったけれど、岩崎先生もそうだった。

組合せに、ほかの人には真似のできない何かを感じさせてくれる、ということでは、
私にとっては、このふたりがダントツの存在だった。

ステレオサウンド、別冊「コンポーネントステレオの世界」で組合せをつくられる人は、
少なくとも納得のいかない組合せをつくる人は、以前はいなかった。

けれど最近のステレオサウンド(に限らず他のオーディオ雑誌もふくめて)、
組合せ記事がつまらなく感じてきている。
以前は、熱く読めたのが組合せの記事だったのが、いまは関心がもてない記事の筆頭になりつつある。

こんなことを書くと、こんな反論があるはずだ。
おまえが熱く読んでいたころといまとではオーディオ機器の完成度において違いが大きい。
以前のように破鍋に綴蓋的な組合せは現代においてはほとんどあり得ないことである、と。

ほんとうに、そうなのだろうか。