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Date: 11月 16th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その14)

私が聴くことができたガウスの音は、3588同軸型ユニットを搭載したModel 7258と、
デンオンのSC2000だけである。

無線の実験の記事で、ガウスの登場を知り、つよい憧れを抱いてきたのに、
たったこれだけしか聴くことができなかった。
おそらく、これから先も聴く機会は訪れないような気がする。

なんとも不完全燃焼な感じがしている。
もっと聴きたかった、と思っていたけれど、ほとんど縁がなかった。

今回ガウスのことを書いていて思い出したことがある。
ステレオサウンド別冊HIGH TECHNIC SERIESのトゥイーター号のことだ。
このトゥイーター号は1978年12月ごろに出ている。
にも関わらず、テスト機種にガウスの1502はない。

このムックの巻末に佐伯多門氏によるトゥイーターの技術解説のページがある。
ドーム型、コーン型、リボン型、ホーン型などの構造の解説がなされていて、
それぞれの代表的な製品の写真も載っている。

ホーン型のところにはガウスの1502の写真が使われている。
このときガウスのユニットの販売は始まっていた。
けれど、岡先生、黒田先生、瀬川先生による試聴記事にはガウスは登場していない。

このとき、なぜだろう、と疑問に感じていた。
JBLの2405とガウスの1502の比較、
それを読みたいと思っていただけに、肩透かしのようでもあった。

いまなら、その理由のいくつかは推測がつく。
でも当時はまったくわからなかった。
ただただ、なぜ?、と思うばかりだった。

ガウスへの憧れは、そうやってしぼんでいった。
SC2000以降、ガウスのユニットを搭載した製品はでていない。
話題にものぼらなくなっていった。

ガウスがどうなったのかも気にしなくなっていた。
そんな私が、ふたたびガウスのことを、そういえばどうなったんだろう……とか、
やっぱり聴いてみたかったなぁ、とか思い出したのは、
菅野先生と川崎先生の対談がきっかけである。

この対談で、川崎先生は1978年にガウスへ企業留学する予定だった、と語られている。

Date: 11月 16th, 2015
Cate: デザイン

Beocord 9000というデッキ(その1)

以前、カセットデッキをいま手に入れるとしたら、ナカミチの680ZXだと書いた。
理由はそのときも書いているように、半速の録音・再生ができるからである。

私はカセットデッキ、カセットテープにあまり夢中になれなかった。
同世代のオーディオマニアだと、学生時代にはカセットデッキに夢中になっていた人がけっこういる。

彼らがナカミチのデッキに、当時にどれだけ憧れていたか、という話を聞くと、
へんな話なのだが、うらやましく思うこともある。
そんなに夢中になれなかったから、そう思うのであって、
彼らが抱くナカミチのデッキへの憧れは、私にはかけらもない。

その理由は、デザインでいいと思ったことがないからだ。
680ZXも、いいデザインとは思っていない。
ナカミチらしいデザインとは、それでも思っている。
誰がみても、他社製のカセットデッキと間違うことはない。

1980年にフラッグシップモデルとして1000 IIが1000ZXLとなったときも、
その価格(550000円)、機能、性能は、カセットテープでここまでやるのか、と思っても、
そこに熱さを感じることは、残念ながら私はなかった。

1000ZXLよりも680ZXの方が、使って面白そう、楽しそうと思っていた。
このころマランツは680ZXとは反対に倍速の録音・再生可能なデッキを出した。

カセットデッキ(テープ)に音質追求を望む人は、
半速の680ZXへの興味よりも倍速のカセットデッキへの興味があることだとだろう。
私は反対だった。

そんな私でも、ヤマハのTC800GLは、写真を見て、いいな、と思ったことがある。
カタログや広告ではマリオ・ベリーニによるデザインであることを謳っていた。

マリオ・ベリーニがどんな人なのかは、当時はまったく知らなかった。
ただ広告に書いてあることを鵜呑みにしていただけだ。
でも、TC800GLと同じように傾斜したスタイルをもつナカミチの600 IIよりも、
TC800GLは洗練されていて、マリオ・ベリーニは有名な人なんだろうな、と思っていた。

そのTC800GLも、スライド式のレベルコントロールのところにもっと精度感があれば……、
金属製であったらなぁ……、と価格を無視したようなことも思っていた。

カセットデッキに対して、常にどこか醒めていたところがあった私でも、
ひとつだけ、おぉっ、と圧倒されたモデルがある。
Beocord 9000だ。1981年ごろに登場したB&Oのカセットデッキである。

Date: 11月 15th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その3)

「五味オーディオ教室」と出あい、オーディオにのめりこむようになった1976年は、
オーディオブームは下火とまではいわなくとも、落着いてきていたころである。

日本におけるオーディオブームはいつごろなのか。
1960年代後半から1970年代にかけて、といわれることが多いようだ。

オーディオブームを広告の量という面だけからみていくと、
それもスイングジャーナルに掲載されたオーディオの広告という狭い範囲でのことからいえば、
オーディオブームといえるのは1972年ぐらいからである。

1971年になってから、それまでモノクロだった会社の広告がカラーになりはじめた。
とはいえ毎号カラーではなかったし、まだまだカラーの広告を出していなかった会社の方が大半だった。

それが1972年あたりから、カラー広告がはっきりと増えている。
それに広告の予算も増えたのだろう、広告のつくりにも変化がみられる。
そして広告の出稿量がさらに増えている。

これはスイングジャーナルに載った広告という、ごく狭い範囲でいえることなのはわかっている。
それでも1972年以降がオーディオブームのピークにさしかかっていたとはいえるだろう。

ヤマハのNS1000Mが登場した1974年は、はっきりとオーディオブームのピークである。
NS1000Mがコンシューマー用スピーカーとしては、おそらく初といえる全面黒仕上げ、
サランネットなしのスタイルで世に出せたのは、
オーディオブームがピークにあったことも関係しているはずだ。

オーディオブームのピークの前、もしくは後であれば、
サランネットあり、木目仕上げのNS1000だけの発売になっていたかもしれないし、
NS1000Mが登場したにしてもサランネットありになっていた可能性もある。
NS1000Mの視覚的アイコンといえるウーファーの保護用の金属ネットもなかったであろう。

そうなっていたらNS1000Mの大ヒットは、ヒット作ぐらいに抑えられていた可能性も考えられる。

Date: 11月 15th, 2015
Cate: デザイン

世代とオーディオ(ガウスのこと・その13)

デンオンのSC2000は、1986年に登場したスピーカーシステムである。
にもかかわらず、何も知らない人が、このスピーカーを見たら、もっと以前のスピーカーと思ってしまうほど、
垢抜けていないと思わせるところがある。

以前のスピーカーシステムは、フロントバッフルが側板、天板、底板よりも一段奥まっていたのが多かった。
サランネットを装着した状態で、側板などと面が揃うようにすることも関係していた。
いわゆる額縁スタイルのエンクロージュアである。

けれど1980年に入れば、音場の再現性にとってバッフルが奥まっていては不利ということで、
額縁スタイルのスピーカーシステムは登場しなくなっていた。

そこにSC2000は、そのスタイルで登場した。
これは搭載している同軸型ユニット3588のホーンとの兼ね合いからきている。
搭載ユニットを真横からみればすぐにわかるようにホーンが突出しているため、
フロントバッフルが側板などと面が揃うようにすると、
サランネットがホーンの突出分だけさらに厚みを増すようになってしまう。

SC2000のサランネットは側板や天板よりも少し前に出ている。
これがもっと前に出てしまうと、
サランネット装着時のエンクロージュアとサランネットのバランスが崩れてしまうだろう。
SC2000のデザインを担当した人は、それを避けたかったのであろう。

とはいえ、もっと知恵を絞ってほしかった、とも思ってしまう。
SC2000は、井上先生によると二年間の開発期間を経て製品化されている。
これだけの時間があったにも関わらず、なんとも安易な……、と感じてしまう。
それはサランネットだけではない。

バッフル板の色もそうだ。
なぜ、この色を選んだのだろうか、と、SC2000を最初見た時も、そしていまも思っている。
サランネットの布地の色の選択にも、そう思う。
もっといえばサランネットの下の方に銘板がるある。
その位置、大きさも、なんだろうなぁ……、と感じていた。

SC2000が力作なのはわかっている。
けれど、スピーカーシステムとして捉えた時に、ちぐはぐさを感じるし、
安易な部分も感じとれてしまう。

だからだと思うのだが、ステレオサウンド 81号で山中先生は、こういわれている。
《ずいぶん注意深く作ってはいるんだけど、形がね。昔、秋葉原で売っていたのと同じ感じですからね。》
菅野先生は
《この形ではね。よし、いい音で鳴らしてやろうという意欲が起きないですよ》と。

こじつけといわれようと、
この形のまずさが、音のプロポーションのよくないことへ関係しているはずだ、といいたくなる。

Date: 11月 14th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(オーディオと黒・その2)

アンプのブラックパネルは、サンスイのAU111から始まったようだ、と以前書いた。
スピーカーシステムに関してはどうだろうか。

スピーカーはブックシェルフ型であっても、オーディオ機器の中では大きいサイズになる。
しかもステレオだから二台必要となる。

そのためであろう、スピーカーシステムは家具調の仕上がりのモノがあったし、
そうでなくとも木目を採用したモノばかりの時代があった。

そこにヤマハのNS1000Mが登場する。
1974年のことだ。

NS1000M以前にコンシューマー用スピーカーシステムで木目を排したい黒仕上げのモノはあったのか。
あったかもしれないが、アンプにおける黒ということでサンスイのAU111が真っ先に思い浮ぶように、
スピーカーにおける黒となると、やはりNS1000Mが浮ぶ。

NS1000Mの登場を同時代的に体験しているわけではない。
私がオーディオに興味をもったとき、NS1000Mはすでに存在していたし、
スウェーデンの国営放送へのモニターとしての正式採用が話題になっていた。

それに木目仕上げのNS1000もあったこともあり、すんなりNS1000Mを受け止めていたが、
1974年の時点である程度のオーディオのキャリアを持っていた人にとっては、
NS1000Mの登場は衝撃的であったかもしれないと想像できる。

全面黒仕上げで、サランネットも排している。
スコーカー、トゥイーターの振動板にベリリウムを採用したことよりも、
アピールとしては黒仕上げの方が、印象としては効果的であったのではないか。

私が興味をもったときには、黒はごく普通にアンプにもスピーカーにも、アナログプレーヤーにも使われていた。
けれどオーディオと黒の関係は古いようでいて、思ったほど古いことでもないという気もしている。

オーディオと黒。
少し掘り下げてみたいテーマである。

Date: 11月 13th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その12)

ステレオサウンド 81号では国産スピーカーにはない良さを認めながらも、
難点といえることについても語られている。

岡先生は《ちょっと頭がないと思うな》といわれて、
続けて菅野先生が《プロポーションがあまりよくないですね》と発言されている。

音に肉体の存在を感じさせるだけに、
その肉体のプロポーションが気になってくる、というわけである。

ただ、このプロポーションの悪さは、どこに起因しているのかははっきりとしない。
井上先生は新製品紹介の記事で、
《かなりデンオンしらいイメージに調整してあるようだ》と書かれている。

ここがひっかかってくる。
井上先生が新製品紹介の冒頭に書かれていること、
同軸型2ウェイ方式と3ウェイ方式について試作をして検討した結果、
同軸2ウェイをデンオンは選択したとある。

選ばれなかった3ウェイについて詳細はわかっていない。
けれどガウスのユニットで3ウェイのシステムを組むとなると、
トゥイーターは1502、スコーカーはHF4000は1981年ごろに製造中止になって、
かわりに4080が登場しているので、おそらくこれであろう。

ウーファーは5800シリーズがやはり1981年ごろに製造中止になっているので、
4500シリーズの中から、おそらく4583Fあたりということになろう。

なぜデンオンが同軸2ウェイを選んだ、その理由ははっきりとしない。
3ウェイ方式の試作品が、上記のようなユニット構成であれば、
ユニットの占めるコストは、同軸2ウェイよりも大きくなってしまう。
これも理由のひとつなのかもしれないが、3ウェイであった場合、
デンオンらしいイメージに調整することが、より困難であったのかもしれない……、そう思ってしまう。

もしかするとガウスの3ウェイの試作品は、プロポーションの悪さはなかったのかもしれない。
そんなことを思ってしまうには、もうひとつ理由がある。
SC2000の外観である。

Date: 11月 13th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その11)

デンオンのSC2000は、ステレオサウンドの試聴室でじっくり聴いている。
新製品紹介は井上先生が担当されていた。
ステレオサウンド 81号に載っている。

SC2000の音は、ある程度記憶している。
それでも、その音は、ガウスの音といっていいのだろうか、
デンオンのスピーカーシステムとして、SC2000という型番が与えられている。
つまりは、ガウスのユニットを採用していてもデンオンの音として捉えるべきであろう。

デンオンは自社製のユニットにこだわっていない。
1970年代にはデンマークのピアレス社製のユニットを搭載したブックシェルフ型、
SC104、SC105、SC107といった製品を出していた。
それ以外にもやはりヨーロッパ製のユニットを採用した製品があった。

そういうスピーカーづくりをおこなってきたデンオンであるから、
SC2000の音を聴いたからといって、ガウスの音を聴いたとは言い難い。

井上先生も
《ガウスらしいボッテリとしたエネルギッシュな独特のキャラクターがほとんど姿を消し》と書かれている。

ただ、それでもガウスらしさは残っている。
といっても、私は何度も書いているようにガウスの音をほとんど知らない。
ステレオサウンド 81号では特集はComponents of The yearであり、
SC2000は賞に選ばれている。

そこでの音の評価は、ガウスの音と評価と読めるところがある。

長島先生は《中低域の量感や音の形の良さなどを買うんです》といわれ、
山中先生も《音の骨格みたいなものですね》といわれている。

菅野先生も同じことを表現をかえて発言されている。
《肉体がしっかりしている。今のスピーカーは肉体がないからね》
それゆえに上杉先生がいわれるように《聴きごたえする音》をSC2000は聴かせてくれる。

井上先生は、
《原にこたえる音がするからね。聴く方も体力がないと駄目って感じ……》と、
岡先生も《肉体の存在感は認める》といわれている。

ここで語られている音の印象は、私も感じていた。
これが、ガウスの音といっていいのであろう。

Date: 11月 13th, 2015
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(石黒浩氏の講演をきいて)

「音は人なり」。

これはオーディオの真理のように語られつつある。
たしかにそうだと納得しているところをもっているけれど、
この「音は人なり」の解釈は、これまでいわれてきたことだけだろうか、とも思うところがある。

今日、六本木にある国際文化会館に、石黒浩氏の講演を聴きに行っていた。
石黒氏は、大阪大学特別教授、ATR石黒浩特別研究所客員所長。
マツコロイドの製作の監修者でもある。

KK塾三回目(12月)の講演を行われる方でもある。

一時間半ほどではあったが、非常におもしろい話がきけた。
なぜ、石黒氏はandroid(人型ロボット)の研究をされているのか、
その話をききながら、「音は人なり」のことを考えていた。

「音は人なり」の「人」とは、いったい何だろうか。
そのことを考えていた。

Date: 11月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その10)

3588はユニット単体でも販売されていたし、
このころになるとガウスの輸入元はシャープではなくヒビノ音響に変っていた。

3588ユニットをおさめたModel 7258が、とにかく私にとっての初めて聴くガウスの音だったわけだが、
正直、それほど印象に残っていない。

私が感じたことは、75号で細谷信二氏も指摘されている。
     *
 一方のガウス7258は、ユニットの素姓としては、ワイドレンジ指向といえ、とくに中高域から高域にかけてのスムースなつながりの良さ、反応の機敏さは、このエンクロージュアに収められた状態では、まだまだ出し切れていないように思う。
 エンクロージュアやネットワークのまとめ方次第では、811Bをしのぐものができる可能性は充分にもっているはずだ。
     *
ここでも、ユニットに対して、システムとしてのまとめ方のまずさが感じられる。
それにこれを書くために75号を読み返して気づいたのだが、
7258のエンクロージュアはガウスが作っていたものだろうか、という疑問が出てきた。

細谷氏は《同社指定のバスレフ型エンクロージュアにおさめたもの》という書き方をされている。
こういう書き方の場合、国産エンクロージュアの可能性が高い。
ガウスが設計し、輸入元のヒビノ音響が作ったエンクロージュアだとしたら、
同じ寸法のエンクロージュアであっても、
ガウスが試作品として作ったエンクロージュアにいれた音を聴いてみたかった、とも思う。

3588ユニットは、これで終りではなく、デンオンのSC2000にも採用されて、
再び聴く機会があった。

SC2000は1986年に登場したフロアー型である。
エンクロージュアのサイズはW59.0×H96.0×D45.4cmで、重量は66.0kgだ。

Date: 11月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その9)

ガウスのスピーカーとは縁がないまま、ステレオサウンドで働くようになった。
私が働きはじめた1982年には、ガウスはあまり話題にならなくなっていた。
私が初めて聴いたガウスはModel 7258である。

ステレオサウンド 75号に載っている。
1985年のことだ。
このころになると、ガウスもシステムをつくっていたようだが、
それらの情報はほとんど得られなかったし、聴く機会もなかった。

Model 7258は、同社の同軸型ユニット3588を搭載したモニタースピーカーである。
外形寸法はW73.7×H60.5×D44.7cm、重量は46.0kg。

アルテックの612C Monitorの外形寸法がW64.8×H74.9×D50.8cm、重量が53.0kgだから、
かなり近い寸法といえるし、7258がどういうモニタースピーカーなのかがある程度はわかる。

75号の特集は「実力はコンポーネントの一対比較テスト」で、
細谷信二氏がUREIのModel 811Bと比較試聴されている。
811Bの外形寸法はW67.3×H52.7×D48.3cm、重量は53kgである。

同軸型ユニットの3588は15インチ口径のウーファー(ボイスコイル径は3インチ)に、
2インチ口径のダイアフラムのホーン型を組み合わせている。

3588の外観上の特徴は、ホーンにある。
アルテックの604シリーズのマルチセルラホーン、604-8H以降のマンタレーホーン、
UREIのホーンとも違う形状をしている。

ガウスではCoshホーンと呼んでいた。
Coshホーンは横に広いホーンではなく、縦に長いホーンで、アヒルの口が開いているようでもある。
ポカンと口を開けているようにも見えて、試聴室では、別の例えもいわれていたが、
やや下品なので、ここでは控えておく。

75号ではUREIの801Bユニットと並べた写真がある。
これをみるとわかるように、3588はホーン搭載の同軸型ユニットとしては奥行きが短い。
にもかかわらず資料によると、ウーファー、トゥイーターのマグネット独立した構造である。

同軸型としては薄型といえる構造は、
ウーファーとトゥイーターのボイスコイル位置を接近させているためでもあると考えられる。
75号で細谷氏が書かれているように、ウーファーとトゥイーターの時間差は平面上で0.3msecと小さい。

UREIがネットワークでタイムアライメント補正を行っているのに対して、
ガウスはネットワークによる、そういった補正は必要ないとしていた。

Date: 11月 11th, 2015
Cate: オーディオマニア

夏の終りに(情熱とは・その3)

マルコ・パンターニの走りに、多くのロードレースファンは熱狂した。
沿道に集まっている人たちもそうだし、テレビで観戦している人たちもそうだ。

スポーツを見ても熱狂するということがほとんどない私でも、
パンターニの走りには熱狂した。

皆、パンターニの走りは熱い、そういったことを口にする。
私もそういっていたし、そう感じている。

山岳コースを誰よりも速く走るには最短距離を走ることも求められる。
平坦な道ではコーナーの内側を走る選手でも、
山岳コースを苦手とする選手はコーナーの外側を走ることがある。

内側を走った方が距離は短くなる。
山岳にはいくつものコーナーがあるわけだから、
すべてのコーナーを内側で駆け抜けるか、外側を走るかはけっこうな違いとなってくる。

それでも外側を走る選手がいるのは、内側を走ることがしんどいからでもある。
コーナーの内側と外側では山岳コースでは傾斜が、内側の方がきつくなる。

そのきつくなっている傾斜をもパンターニはすばやく駆け抜けていた。
そういうところにもロードレースファンは熱狂していた。

熱い走り──、それは情熱的な走りともいえようか。
そんなパンターニの山岳での走りをみていて、熱いものを感じていた。
このことは以前書いている。

けれどパンターニは、山岳のしんどさから抜け出したがっていた。
そのことをインタヴューを読んで知った。
情熱とは、いったいなんだろう……、と改めて考えていた。

Date: 11月 11th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その8)

瀬川先生のCP3820の試聴記は、少し違う。

クラシックでの再生に対する不満が、そこには書かれてある。
この点が、黒田先生、菅野先生の試聴記とまず違うところだ。

菅野先生は
《このスピーカーが最も苦手と思われるヴァイオリン・ソロにおいてすら、自然で美しい弦の魅力が聴かれた》と、
黒田先生も三枚の試聴ディスクのうち二枚はクラシックで、好ましいと評価され、
クラシック以外のディスクは、ほどほどという評価である。

ステレオサウンド 54号のスピーカーシステムの試聴は、
三氏が合同で試聴というやり方ではなく、三人三様の試聴というやり方である。
だから黒田先生の試聴、菅野先生の試聴、瀬川先生の試聴で、
ステレオサウンドの試聴室でCP3820が聴かせた音は、まったく同じなわけではない。

この瀬川先生の評価をどう解釈するか。
特にクラシックの弦の再生では、菅野先生の評価とかなり違っているところをどう解釈するのか。
これはステレオサウンド 60号の特集でのマッキントッシュのXRT20の評価ともつながってくるところであり、
ここで書いていると、話がどんどん逸れていくために割愛する。

54号を読みながら当時の私は、もどかしさを感じていた。
なぜガウスの輸入元はオプトニカ(シャープ)になったのか。
他の輸入元だったら……、と思っていた。

このころのガウスはスピーカーシステムを開発はしていなかったはず。
あくまでもスピーカーユニットのメーカーだったから、
輸入だけを行っている会社であれば、ユニットの販売だけになり、
システムでの販売はないわけだから、どこかの国内メーカーとガウスが組んだことは理解できる。

でも、なぜシャープなのか、と思っていた。
そして、なぜガウスは自社でシステム開発を行わないのか、とも思っていた。

Date: 11月 10th, 2015
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(ある番組をみていて思ったこと)

もう10年以上の前で、いつ見たのか正確には憶えていない。
NHKで、ある実験のドキュメンタリー番組があった。

その実験が意味するところは最先端すぎて私には理解できなかったし、
その実験が成功すれば世界初だということだけは憶えている。

その実験機材の様子が映されていた。
それを見て、私は失敗するな、と思っていた。

オーディオマニア的観点からすれば、絶対にいい音が出ないセッティングだったからだ。
世界初の実験だから、いろいろな器材が段階段階で足されていったように見えた。
配線もぐちゃぐちゃになっている。

オーディオ機器をこんなセッティングでこんなにぐちゃぐゃちの配線をしてしまったら、
そこでのオーディオ機器がどんなに高性能なモノであっても(むしろ高性能であればあるほど)、
その良さを活かすことはできない。

配線さえ間違えなければ音は出る。
出るけれど……、というレベルの音でしかない。

テレビに映っていた実験もそれに近いというか、まったく同じといいたくなる状態だった。
実験は失敗だった。

私はそうだろう、と思って見ていた。
この実験室にはオーディオマニアがひとりもいないんだな、と思って見ていた。

実験はすべての器材がいったんバラされ、一から実験機材のセッティングが始まった。
今度は、以前の状態とはまったく違う、きちんと整理されぐちゃぐちゃの配線も、
少なくともテレビの画面からは伺えない状態に仕上げられていた。

実験は見事成功。
最先端の実験なのだから、細かな、デリケートなところが影響しての失敗だったのだろう、
とオーディオマニアの私は思っていた。

Date: 11月 10th, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その14)

KK塾で、人工知能の話が出た。
人工知能は不可能だ、と川崎先生が話された。

そうかもしれない、と思いながら聞いていたし、
でもまったく不可能というわけでもないかも……、そんなことも思っていた。

もしかすると人工知能が誕生するかもしれない。
真に人工知能と呼べるものが誕生したとしても、
それを搭載したロボットが登場してきたとしても、
そこにないのは、魂なんだろうな、とも聞きながら考えていた。

人工生命体をつくれても、そこに魂はあるのだろうか。

では、魂とは何なのか。
ここで行き詰まるわけだが、
再生音には、時として、その人の魂みたいなものを感じることがないわけではない。

どんな再生音にも、それがあるといわない。
だが、真剣に鳴らし込まれた結果の再生音には、何かがある。

Date: 11月 10th, 2015
Cate: audio wednesday

第59回audio sharing例会のお知らせ(スピーカーの変換効率とは)

12月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

11月の回で予定とは違うことをやってしまったことは、すでに書いた通りだ。
アルテックのユニットを中心とした喫茶茶会記のスピーカーは高能率型といえる。

11月の回では最後にグレン・グールドのブラームスを鳴らしたことも書いている。
このグールドのブラームスのディスクの一曲目、間奏曲 op.117-1。
この曲の終りの消え入るようなグールドのピアノの音。

この時の音を聴いていて、高能率スピーカーに共通する良さも感じていた。

CDが登場したころにアナログディスクとの比較でよくいわれていたことがある。
アナログディスクはS/N比の確保が難しい。
けれどアナログではノイズフロアーであっても、ノイズの中からピアニッシモを聴き取ることができる。

デジタルはそうではない。ノイズはないけれど、
そういった微妙なニュアンスを伝えるのに欠かせない微弱な音も亡くなってしまう──。

だから、どちらがS/N比がいいとは一概にはいえない。
そんなことがいわれていた。

このことを、実は思い出していた。
11月4日に聴いたグールドのブラームスのピアニッシモは、
アナログディスクで聴いているような感じのピアニッシモに感じられたからだ。

CDも登場してから30年以上が経ち、S/N比は向上してきている。
喫茶茶会記では比較的新しいCDプレーヤーがある。

なので高能率のスピーカーだから、とは言い切れないのはわかっていも、
それでも感覚的には高能率のスピーカーでは、どこまでも耳を欹てている自分に気がつく。
そして、これはアナログディスクの聴き方に共通するところがある、と思っていた。

11月は、結局高能率型スピーカーについて話さなかったので、
12月は上に書いたことも含めて、高能率型スピーカー(スピーカーの変換効率)について話したい。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。