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Date: 3月 5th, 2017
Cate:

いい音、よい音(その3)

ある料理を、複数の人で食べたとする。
料理でなくともいい、日本酒であったり、ワインであったり、他の食べ物、飲み物でもいい。

とにかく同じものを、複数の人で食べる(もしくは飲む)。
これは、複数の人が同じ食べ物(飲み物)を食べた(飲んだ)、といえる。

口にいれた食べ物(飲み物)をどう感じるかは、人によって違うところがある。
それでも同じ食べ物(飲み物)を口に入れた、といえる。

音はどうだろうか。
同じ部屋で同じ時間に、ある音を聴く。
座る位置で音は違うから、くり返し同じディスクを鳴らして、
みな同じ位置で音を聴く。

理屈でいえば、みな同じ音を聴いた、といえるのだが、
感覚的に、ほんとうにそういえるだろうか、と思ってしまう。

同じ音を聴いたとしても、感じ方は人それぞれであることは、
食べ物(飲み物)と同じであるのもわかっている。

そういうこととは少し違うところで、人は同じ音を聴けるのだろうか、という疑問がある。

人それぞれ感じ方が違うから、結果として違う音を聴いていた、とはいわない。
それでは食べ物(飲み物)にも同じことはいえる。

いまはまだうまく説明できないのだが、食べ物(飲み物)と同じにはいえない性質が、
音にはあって、そのことによって、同じ音を複数の人が聴くことはできないのではないのか。

Date: 3月 4th, 2017
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その8)

別項「オプティマムレンジ考」で少し触れたが、
現在のオーディオ機器のセパレーション特性はどの程度確保されているのだろうか。

昔のステレオサウンドではアンプの特集であれば測定結果があって、
そこには歪率とともにセパレーション特性もあったりした(ないこともあったけれど)。

大半のアンプが高域にいくにしたがってセパレーション特性は悪くなる。
クロストークが増えるわけである。

クロストークをなくすにはシャーシーから完全に分離したモノーラル構成にするしかない。
デュアルモノーラルコンストラクションを謳っていても、
ひとつのシャーシーに2チャンネル分のアンプ(回路)がおさまっている以上、
完全なセパレーション特性を得ることはできない。

ハイレゾリューションそのものはけっこうなことである。
でも安易にサンプリング周波数を上げて、再生周波数の上限を拡げていくことは、
デメリットもついてくるということを考えなければならない。

現在のアンプのセパレーション特性はどうなっているのだろうか。
20kHzまでフラットなセパレーションが確保されているのか。
それから20kHz以上になると、どうなっているのか。
なぜオーディオ雑誌では、ハイレゾ特集を行うときに、アンプの測定を行わないのか。
20kHz以上の特性についての綿密な測定は、これから重要になるのではないか。

20kHz以上の信号とノイズが、アンプの動作にどう影響を与えるのか。
セパレーション特性だけでなくTIMも含めて検証してみるべきである。

Date: 3月 4th, 2017
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(続×七・余談)

しっかりした本棚におさめて使えるオーディオシステムの妄想を、余談として書いてきた。
JBLの4411の組合せの、いわば机上プランである。

音だけでいえば、4411の方がいいだろうけど、
本棚におさめて使うシステム、いわば私にとって大型のラジカセの延長としてのシステムでは、
デザインの、他のオーディオ機器にはない特徴で選べば、
スピーカーは同じJBLでも4310にしたい。

4311の方が4310よりも音はいいだろうし、中古も手に入りやすい。
それでも4310なのは、4310ならではのデザインがあるからだ。

4310がスピーカーとなると、プリメインアンプはマランツのModel 1060にしたい。
マランツのアンプでは、Model 7を別格とすれば、私はこの1060が好きである。

私がオーディオに興味を持ち始めたころには製造中止になっていたモデル。
1060の存在を知ったのは、数年後だったか。

そのころのマランツのプリメインアンプのデザインしか知らなかった目には、
1060のデザインは新鮮だった。こんなデザインのアンプがマランツにあったのか、と思ったし、
いかにもマランツらしい、とも感じていた。

これも音だけでいえば、その後の1250の方が音はいいに決っている。
それでも1250には、まだアメリカのブランドとしてのマランツのアクの強さのようなものが、
少し押しつけがましいようにも感じられる。

その点、1060もいかにもアメリカのマランツらしいデザインであっても、
1250に感じたところはない。
写真でしか見たことがないから実物を見てしまったら、少し印象は変るのかもしれないが、
ここで書いているのは妄想の組合せだから、気にしない。

4310に1060。
ここまではすんなり決っても、このふたつに見合うアナログプレーヤーが浮ばない。

Date: 3月 4th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その8)

「コンポーネントステレオのすすめ 改訂版」には、
瀬川先生によるEatonの組合せがある。
     *
 イギリスの名門といわれるタンノイの新シリーズのイートンは芯の強い緻密な音質。ロジャースLS3/5Aは、BBC放送局仕様のミニモニタースピーカーで、あまり大きな音は出せないが、繊細な細密画のような、あるいはスピーカーの向う側に小宇宙とでもいいたい空間の広がりを感じさせるような、独特の音を聴かせる。アンプとカートリッジは、オルトフォンのSQ38FD/IIならや古めかしさはあるが温かい表現だし、エレクトロ・アクースティックと5L15なら、鮮度の高く澄明で繊細な表現が得られる。どちらをとるかが難しいところ。

●スピーカーシステム:タンノイ Eaton ¥160,000
●スピーカーシステム:ロジャース LS3/5A ¥150,000
●プリメインアンプ:ラックス 5L15 ¥168,000
●プリメインアンプ:ラックス SQ38FD/II ¥168,000
●フォノモーター:ビクター TT-81 ¥65,000
●プレーヤーケース:ビクター CL-P1 ¥23,800
●トーンアーム:ビクター UA-7045 ¥25,000
●カートリッジ:オルトフォン SPU-GT/E ¥43,000
●カートリッジ:エレクトロ・アクースティック STS555E ¥35,900

組合せ合計¥520,000(Eatonを使用した場合)
     ¥510,000(LS3/5Aを使用した場合)
     *
「コンポーネントステレオのすすめ 改訂版」は1977年に出ている。
ラックスのプリメインアンプ二機種は、どちらも168,000円だが、
片方は管球式でもう片方は最新のトランジスターアンプで、
製品のコンセプトは、同じラックスの中にあっても対極といえる。

EatonはIIILZの後継機とはいえ、
搭載ユニットはトランジスターアンプ時代を迎えてインピーダンスが8Ωに変更されたHPDシリーズ。
IIILZにもHPD295を搭載したモデルはあるが、
一般的にいわれているIIILZはMonitor Gold搭載のモデルのことであり、
ここでのIIILZも、そのモデルのことである。

瀬川先生が5L15を組み合わせられる理由もわかる。
IIILZとSQ38FDの黄金の組合せからは、
おそらく得られないであろう《鮮度の高く澄明で繊細な音》。

透明ではなく澄明な音。
この組合せも、当時聴きたいと思っていた音のひとつだった。

Date: 3月 4th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その7)

元のEatonは、IILZの後継機といえる。
IIILZといえば、日本ではラックスのSQ38FD、それにオルトフォンSPUとの組合せが、
いわゆる黄金の組合せとして、古くからのオーディオマニアのあいだでは知られている。

残念なことに私は、この「黄金の組合せ」の音は聴いていない。
瀬川先生は「続コンポーネントステレオのすすめ」では、こう書かれている。
     *
 ところで、数年前のこと、ラックスの管球アンプSQ38FDとタンノイのIIILZ(スリーエルゼット)というスピーカーの組合せを、ステレオサウンド誌が〝黄金の組合せ〟と形容して有名になったことがある。絶妙の組合せ、ともいわれた。こういう例をみると、スピーカーとアンプとに、やはとり何かひとつ組合せの鍵があるではないかと思えてしまう。だがそれはこういうことだ。タンノイのIIILZは、数年前の水準のトランジスターアンプで鳴らすと、概して、弦の音が金属的で耳を刺す感じになりやすく、低音のふくらみに欠けた骨ばった音になる傾向があった。それを、ラックスのSQ38FDで鳴らすと、弦はしっとりとやわらかく、低音も適度にふっくらとしてバランスがよい。ここにオルトフォンのSPUというカートリッジを持ってくると、いそうそ特徴が生かされる。
     *
この瀬川先生の文章以前に、「五味オーディオ教室」でも、
IIILZの黄金の組合せについては読んでいた。
     *
 かつてヴァイオリニストのW氏のお宅を訪れたとき、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聴かせてもらったことがある。そのあと、オーケストラを聴いてみたいと私は言い、メンデルスゾーンの第四交響曲が鳴り出したが、まことにどうもうまい具合に鳴る。わが家で聴くオートグラフそっくりである。タンノイIIILZは何人か私の知人が持っているし、聴いてきたが、これほどナイーブに鳴ったのを知らない。「オリジナルですか?」とたずねた。そうだという。友人のは皆、和製のエンクロージァにおさめたもので、箱の寸法など寸分違いはないのに、キャビネットがオリジナルと国産とではこうまで音は変わるものか。
 スピーカーだけは、ユニットで買ったのでは意味がない。エンクロージァごとオリジナルを購入すべきだと、かねて私自身は強調してきたが、その当人が、歴然たる音の違いに驚いたのだから世話はあるまい。
 私は確信を持って言うが、スピーカーというものを別個に売るのは罪悪だ。スピーカーだけを売るから世間の人はスピーカーを替えれば音が変わると思ってしまう。スピーカーというのは要するに紙を振動させるものなので、キャビネットが音を鳴らすのである。スピーカー・エンクロージァとはそういうものだ。
 でも本当に、わが耳を疑うほどよい響きで鳴った。W氏にアンプは何かとたずねるとラックスのSQ38Fだという。「タンノイIIILZとラックス38Fは、オーディオ誌のヒアリング・テストでも折紙つきでした。〝黄金の組合わせ〟でしょう」と傍から誰かが言った。〝黄金の組合わせ〟とはうまいこと言うもので、こういうキャッチフレーズには眉唾モノが多く、めったに私は信じないことにしているが、この場合だけは別だ。なんとこころよい響きであろう。
 家庭でレコードを楽しむのに、この程度以上の何が必要だろう、と私は思った。友人宅のIIILZでは、たとえばボリュームをあげると欠陥があらわれるが、Wさんのところのはそれがない。カートリッジはエンパイアの九九九VEだそうで、〈三位一体〉とでも称すべきか、じつに調和のとれた過不足のないよい音である。
 畢竟するに、これはラックスSQ38Fがよく出来ているからだろうと私は思い、「ラックスもいいアンプを作るもんですな」と言ったら「認識不足です」とW氏に嗤われた。そうかもしれない。しかしIIILZと38Fさえ組合わせればかならずこううまくゆくとは限らないだろうことを、私は知っている。つまりはW氏の音楽的教養とその生活が創造した美音というべきだろう。W氏は、はじめはクォードの管球アンプで聴いていたそうである。いくらか値の安い国産エンクロージァのIIILZでも聴かれたそうだ。そのほかにも、手ごろなスピーカーにつないで試した結果、この組合わせに落着いた、と。
 私事ながら、私はタンノイ・オートグラフを鳴らすのにじつに十年を要した。それでもまだ満足はしていない。そういうオートグラフに共通の不満がIIILZにもあるのは確かである。しかし、それなら他に何があるかと自問し、パラゴン、パトリシアン、アルテックA7、クリプッシ・ホーンなど聴き比べ(ずいぶんさまざまなアンプにつないで私はそれらのエンクロージァを試聴している)結局、オートグラフを手離す気にはならず今日まで来ている。それだけのよさのあることを痛感しているからだが、そんな長所はほぼW家のIIILZとラックス38Fの組合わせにも鳴っていた。
     *
アンプはどちらもラックスだが、SQ38FとSQ38FDの違いはあるが、
他のアンプとの組合せからすれば、この違いは小さいといえよう。
カートリッジもオルトフォンSPUとエンパイアの999VEの違いはあるが、
ここではIIILZとSQ38F(D)との組合せにウェイトとしては重心がある。

1976年にEatonが登場した。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」で、山中先生が組合せをつくられている。
そこではパイオニアのセパレートアンプC21とM22、
アナログプレーヤーはトーレンスのTD160CにカートリッジはAKGのP8Eだった。

「黄金の組合せ」的な要素はなかった。
むしろ上杉先生によるDevonの組合せの方が近かった。
アンプはラックスのSQ38FD/II、カーリトッジはデンオンのDL103だった。

Date: 3月 3rd, 2017
Cate: ジャーナリズム

光の射す方へ

別項「オーディオ評論をどう読むか(その2)」で、
太陽の光と月の光の違いについて、
そしてオーディオ評論(家)にも、太陽の光と月の光とがあることについて書いた。

その後も、「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって)」でも、
そのこと、その違いについて書いた。

光の射す方へ、人はめざす。
オーディオマニアも、またそうであろう。

けれど、太陽の光の射す方へめざすのか、
月の光の射す方へめざすのか。

太陽の光を思って、月の光の射す方向へとめざしてはいないだろうか。

昨夏書いたことを、ここでまた書いているのは、
「またか」と思われるだろうが、「3月のライオン」にハマっているからだ。

十一巻の巻末に「ファイター」という短篇が収録されている。
「3月のライオン」の主人公、桐山零の小学生時代が描かれている。

「ぼくの隣はいつも空席だ」という独白で始まる。
16ページの短篇の最後には、現在の主人公の独白がある。
     *
僕が変わった訳では無い
──そして周りが変わってくれた訳でも無い
ただ気が遠くなりそうな日々を必死で
指して指して
ただ指し続けているうちに
ある日ふと
同じ光の射す方へ向かう人達と
一緒に旅をしている事に気付いた

──そして 今日も
目の前に座る人がいて
またひとつ新しい物語が始まる
光の射す方へ
僕らの旅は続くのだ
     *
《同じ光の射す方へ向かう人達と一緒に旅をしている事に気付いた》
光の射す方へ向いながらも、その「光」が違うことに気づいている。

どちらの光の指す方へ向うのか。
それはその人しだいである。

それでもどちらが太陽の光の射す方なのかは、しっかりと見極めておかねばならない。

Date: 3月 3rd, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その6)

「五味オーディオ教室」をくり返しくり返し読んでいた中学生の私にとって、
タンノイは特別な存在であった。

そしてオートグラフは、さらに特別な存在だった。
1976年、オートグラフは輸入元のティアック製造のエンクロージュアにおさめられたモノだった。

エンクロージュアはオリジナル!
「五味オーディオ教室」を読んでいた私にとって、それは絶対であり、
いくらタンノイが承認したエンクロージュアであっても、
国産エンクロージュアのオートグラフは別物であった。

1976年当時のタンノイのラインナップはABCシリーズ。
その中でいちばん下のEatonは、身近に思える存在だった。

Eatonの価格は80,000円(一本)。
搭載されているユニットHPD295Aは60,000円だった。
エンクロージュアの価格は20,000となるのか……、そんなことを思いながらHI-FI STEREO GUIDEを眺めていた。

Ardenは220,000円で、HPD385Aは100,000円。
エンクロージュアは120,000円。

ArdenとEatonは大きさがかなり違う。
輸送コストも違ってくるわけで、
スピーカーシステムの価格からユニットの価格を差し引いたのが、
エンクロージュアの価格とはいえないのはわかっていても、当時はそんな単純計算をしていた。

HPD295Aを買ってきて、エンクロージュアを自作するよりもEatonは安く感じられた。
実際に自作よりも安いといえる。

このEatonを、オートグラフをつくりあげたガイ・R・ファウンテン氏を鳴らしていた。
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
瀬川先生がタンノイのリビングストンにインタヴューされている記事のなかで、
それは語られている。
    *
彼は家ではほんとうに音楽を愛した人で、クラシック、ライトミュージック、ライトオペラが好きだったようです。ロックにはあまり興味がなかったように思います。システムユニットとしてはイートンが二つ、ニッコーのレシーバー、それにティアックのカセットです。
     *
オートグラフでなく、ArdenでもなくEatonである。

オーディオ入門・考(ステレオサウンド 202号)

facebookを見ていて、
そうか、ステレオサウンド、出ているんだ、ということに気づいた。

ステレオサウンドの発売日は知っている。
でも、発売日が待ち遠しいということはなくなってから、久しい。
それでも発売日ちかくになれば、今度の号の特集はなんだろう、
表紙はなんだろう、という興味からステレオサウンドのサイトを見ていた。

でも今回はそれすらもしていなかったことが、自分でも少し意外だった。
なので202号は読んでいないが、
特集は「本格ハイレゾ時代の幕開け」、第二特集が「アナログレコード再生のためのセッティング術」。

ここで書くのは第二特集のほうだ。
セッティングに術をつけてしまう感覚には「?」を感じてしまうが、
この第二特集では柳沢功力氏が「レコードプレーヤー・セッティングの基本」を書かれている。

私はまだ読んでいないのだが、facebookでは、この記事が話題になっていたし、
ページ数もけっこう割かれている、とのこと。

柳沢功力氏のことだから、破綻のない内容にはなっているはずだ。
ステレオサウンドの筆者の中には、どうにもアナログディスク再生に関して、
かなりアヤシイ人がいる。
いかにもわかっているふうに書いているつもりであっても、
読めば、その人の基本がなってないことはわかる人にははっきりとわかる。

誰とは書かないが、気づいている人は少なくない。
その人に「レコードプレーヤー・セッティングの基本」を書かせなかったのは、賢明といえる。

「レコードプレーヤー・セッティングの基本」が私が考えている内容であれば、
この記事を、203号が出た頃から、ステレオサウンドのサイトで公開すべきだと思う。

基礎的、基本的な記事はいつでも読めるようにしておくことが、
オーディオのこれからを考えているのであれば、その重要性がわかるはずだ。

何もいますぐ公開すべき、とまではいわない。
三ヵ月先、半年先でもいいから、
無料で「レコードプレーヤー・セッティングの基本」は公開することで、
オーディオ界が得られることは必ずあるはずだからだ。

Date: 3月 2nd, 2017
Cate: audio wednesday

第75回audio wednesdayのお知らせ(結線というテーマ)

4月のaudio wednesdayは、5日だ。

やりたいことはいくつかある。
いまのところ、ふたつのうちのどちらかをやろうと考えている。
セッティングの中の、結線に関することをテーマにする予定だ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 2nd, 2017
Cate: ディスク/ブック, 岩崎千明

Leroy Walks!(二度目の「20年」)

締めの一曲としてかけた「Leroy Walks!」を聴いていた喫茶茶会記の店主・福地さんがいった。
「(この音なら)岩崎千明さんも喜ぶはず」と。

福地さんは私よりも若いから、岩崎先生の文章にリアルタイムで触れてきたわけではない。
喫茶茶会記をジャズ喫茶だと思っていない人の方が多くとも、
喫茶茶会記はジャズ喫茶である。

私が鳴らした「Leroy Walks!」を、どういわれるか。
わからない、というのが本音だ。

私だって、岩崎先生の文章をリアルタイムで読んだのは、わずか数ヵ月。
岩崎先生に、私は会えなかった。

岩崎先生も「Leroy Walks!」も聴かれていたであろう。
どんなふうに鳴らされただろうか。

岩崎先生はLPで聴かれていた(はず)。
私はCDで「Leroy Walks!」を聴いた。
それだけ月日が経っている。
ずいぶんと経っている。

1977年3月に亡くなられた。
昨晩から3月である。

二度目の「20年」が、ここにもある。

Date: 3月 2nd, 2017
Cate: ディスク/ブック

Leroy Walks!(その1)

Leroy Walks!

ジャズ好きの人にはお馴染の一枚なのか、いわゆる名盤といわれているのか、
それともそれほど知られていないのか──、
そんなことすら知らずに、昨晩のaudio wednesdayで聴いた。

セッティングを済ませて、
喫茶茶会記の店主・福地さんに借りたCDの一枚が「Leroy Walks!」だった。

体形づけてジャズを聴いてこなかった私は、
Leroy Vinnegarも「Leroy Walks!」も知らなかった。

福地さんが、なぜこのディスクを出してくれたのかはわからないが、
いい演奏が聴こえてきた。

昨晩のaudio wednesdayでは、いつもとは違うスピーカーのセッティングにした。
特にテーマを決めていたわけでもなかったので、
もしかするとうまくいかないかもしれないけれども、試してみたかったことをやってみた。

そのためであろう、いい演奏に充分にふさわしい鳴り方とは感じられなかった。
悪くはなかった。
演奏のよさは、初めて聴く者に伝わってきたわけだから。

それでも、もっともっと良くなる予感はあった。
19時からaudio wednesdayが始まって、
「やはり」ということで、スピーカーのセッティングを、少し変えた。
先月までと同じセッティングにしたわけではない。
このディスクでの時である。

その後にもこまかな、ある個所に関して、いくつか変えた音を聴いた。
それを試しながら、このへんがいい感じに鳴ってくれるであろうポイントを探していた。

そこにしてみた音は、気持ち良く「Leroy Walks!」が聴ける予感があった。
だから締めの一枚(一曲)として、
最後に「Leroy Walks!」の一曲目をかけた。

やっぱり、こんな感じで鳴ってくれるんだ、と納得のいく音がした。
福地さんも、その音を聴いて、喜んでくれた。

少なくとも「Leroy Walks!」を聴いてきた人の耳を納得させるだけの音は、
昨晩のaudio wednesdayでは鳴らせた。
いままでやってなかったセッティングでも、それができた。

昨年から音を鳴らすようになって感じているのは、
最後にかける一曲、締めの一曲(一枚)がうまく鳴ってくれれば、気持ちがいい、ということだ。

Date: 3月 1st, 2017
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(「3月のライオン」を読んでいて・その2)

3月のライオン」の単行本、第九巻の166から169ページまでの四ページ。
オーディオと同じだな、とつくづく思う。

そこには、こんなセリフが出てくる。
     *
「これでどーだ!!」──ってくらい研究したのに
きわっきわまで行ったら
そこにまた見たコトのないドアがいっぱい出て来ちゃったんだ
     *
将棋の歴史は長い。
正確にいつからなのかは知らないが、オーディオの歴史よりもずっとずっと長いことは確かだ。

長い歴史ともに、オーディオよりもずっと多くの人が親しんでいる。
つまりは数えきれないほどの対局が行われてきている。
江戸時代のからの棋譜が残っている、ともきく。

膨大な資料をプロ棋士は研究している。
将棋の手というのは、もう出尽くしているのではないか、と、
将棋のド素人の私は、中学生のころ思ったことがある。

「3月のライオン」は先崎学八段が将棋監修をされている。
上に引用したセリフは、プロ棋士の実感と捉えていいだろう。

オーディオにも、見たコトのないドアは無数にあるはず。
それは「こんなところまで」といいたくなるところまで来て、
やっと目の前にあらわれるドアである。

Date: 2月 28th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その5)

ハーマンインターナショナル傘下時代のABCシリーズの成功があればこその、
現在のタンノイがあるという見方をすれば、
その意味でのLegacy Seriesなのかも、と思いながらも、
こうやって書いていると、Ardenの横幅を広くとったプロポーションを見ていると、
広いフロントバッフルだからこそ得られる音の魅力を、
あえていまの時代に聴き手に問う意味でのLegacyなのかもと思えてくる。

オーディオとは、結局のところ、スピーカーの音の魅力といえる。
そればかりではないのはわかっていても、
最近の「スピーカーの存在感がなくなる」というフレーズを、
頻繁に目にするようになると、あぁ、この人たちは、スピーカーの音が嫌いなんだな、とさえ思う。

スピーカーというメカニズムが発する音の魅力。
これは項を改めて書いていくが、
スピーカーの音の「虚」と「実」についても、もう一度考え直す必要はある。

実際にLegacy SeriesのArdenの音を聴いてみないことには、
言えないことは山ほどあるが、それでも写真を見ているだけでも、
Legacy Seriesとタンノイが呼ぶ意味に関しても、あれこれ考えることがある。

ただArdenは、そう安くはないようだ。
日本での販売価格がどのくらいになるのかはわからないが、
以前のABCシリーズのような、ベストバイといえる価格ではないことは確かだ。

価格ということでは、Eatonが日本ではどの価格帯に属することになるのか。
これはArdenよりも、個人的に気になっている。

Date: 2月 28th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その4)

同じ内容積のエンクロージュアであっても、
フロントバッフルの面積を広くとり、奥行きの浅いプロポーションと、
フロントバッフルの幅をユニットぎりぎりにまで狭めて、その分奥行きの深いプロポーションとでは、
音の傾向はかなり違ってくることは、ずいぶん以前からいわれていること。

BBCモニター系列のスピーカーシステム、
スペンドール、ロジャース、KEFなどのスピーカーの音に惹かれてきた私としては、
奥行きの深いプロポーションのエンクロージュアを好むが、
それでもタンノイの同軸型、それも15インチ口径のモノがついていて、
エンクロージュアのプロポーションとしては、やはり堂々としていてほしい。

その意味でもArdenである。
もういまの人は実験をしてみることもしないのだろう。
以前はエンクロージュアの左右にサブバッフル(ウイング)をとりつける手法も一般的だった。

ビクターからはEN-KD5というエンクロージュアキットが出ていた。
20cm口径のフルレンジ用のエンクロージュアで、30cm口径のパッシヴラジエーターがついていた。
このキットの特徴は、左右のサブバッフルだった。

アルテックのA7にもウイングを取り付けたモデルがあったし、
A2、A4といったモデルは210エンクロージュアにウイングを取り付けたモノである。

ウイングによる音の変化は、何も本格的なバッフルを用意しなくとも、
ダンボールがあれば確認できる。
できれば硬いダンボールがいいが、エンクロージュアの高さに合わせてカットして、
エンクロージュアの左右に立ててみればいい。

やる気があればさほど時間はかからない。
これで手応えのある感触を得たならば、次は材質に凝ってみればいい。

そんなことをやれば音場感が……、とすぐに口にする人がいるのはわかっている。
でもほんとうにそうだろうか。
そんなことを口にして、自らオーディオの自由度を狭めているだけではないだろうか。

オーディオを窮屈にしているのは、意外にそんなところにもある。

Date: 2月 27th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その3)

Ardenを筆頭とするABCシリーズは1979年にユニットのフェライト化にともないMKIIとなり、
1981年10月、Arundel、Balmoralの二機種だけになってしまった。

型番からいえば、Ardenの後継機がArundel、
Berkeleyの後継機がBalmoralと思いがちだが、
Balmoral搭載のユニット口径は12インチで、Cheviotの後継機である。

BalmoralとCheviotは、一見したところ、
エンクロージュアのプロポーションは近いように思える。

ArundelとArdenは、この点が大きく違う。
Ardenはフロントバッフルの面積を大きくとったプロポーションに対し、
Arundelはずっとスリムになっている。

Ardenの外形寸法はW66.0×H99.0×D37.0cm、
ArundelはW49.8×H100.0×D48.9cmである。
フロントバッフルの横幅を縮めた分、奥行きを伸ばしている。

BBCモニター系のプロポーションに近くなっている。
Arundelの音は聴いているはずなのに、記憶がほとんどない。
Ardenの堂々とした音は、Arundelからは感じられなかったからなのかもしれない。

今時のスピーカーのトレンドばかりを王ことに汲々としている人は、
新Ardenのプロポーションを見て、音場感なんて再現できない、といいそうである。

確かにフロントバッフルの幅の狭さは有利に働きがちではあるが、
それだけでスピーカーの音・性能が決るわけではない。

瀬川先生はステレオサウンド 45号のスピーカー特集で書かれている。
     *
たとえばKEFの105のあとでこれを鳴らすと、全域での音の自然さで105に一歩譲る反面、中低域の腰の強い、音像のしっかりした表現は、タンノイの音を「実」とすればkEFは「虚」とでも口走りたくなるような味の濃さで満足させる。いわゆる誇張のない自然さでなく、作られた自然さ、とでもいうべきなのだろうが、その完成度の高さゆえに音に説得力が生じる。
     *
Ardenの試聴記である。
Legacy SeriesのArdenの味の濃さは、元のArdenよりは薄らいでいるかもしれない。
おそらくそうだろう。
それでも、あのプロポーションを見ていると、
「実」と口走りたくなる味の濃さは失っていないように思いたくなる。