ピュアオーディオという表現(「3月のライオン」を読んでいて・その2)
「3月のライオン」の単行本、第九巻の166から169ページまでの四ページ。
オーディオと同じだな、とつくづく思う。
そこには、こんなセリフが出てくる。
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「これでどーだ!!」──ってくらい研究したのに
きわっきわまで行ったら
そこにまた見たコトのないドアがいっぱい出て来ちゃったんだ
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将棋の歴史は長い。
正確にいつからなのかは知らないが、オーディオの歴史よりもずっとずっと長いことは確かだ。
長い歴史ともに、オーディオよりもずっと多くの人が親しんでいる。
つまりは数えきれないほどの対局が行われてきている。
江戸時代のからの棋譜が残っている、ともきく。
膨大な資料をプロ棋士は研究している。
将棋の手というのは、もう出尽くしているのではないか、と、
将棋のド素人の私は、中学生のころ思ったことがある。
「3月のライオン」は先崎学八段が将棋監修をされている。
上に引用したセリフは、プロ棋士の実感と捉えていいだろう。
オーディオにも、見たコトのないドアは無数にあるはず。
それは「こんなところまで」といいたくなるところまで来て、
やっと目の前にあらわれるドアである。