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Date: 11月 26th, 2017
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(ガラード301との比較・その10)

EMTの930stとガラードの301+オルトフォン、
ふたつのアナログプレーヤーを比較試聴して、顕著な違いとして感じたのが、音の構図である。

音のデッサン力の確かさ、といってもいい。
この音の構図をしっかり描くのは930stであり、
ガラード+オルトフォンでは、正直心許ない印象を受けた。

ここのところに、
プロフェッショナル用とコンシューマー用の違いを意識させられる。

こう書くと、
ガラードの301もBBCで使われていたから、プロフェッショナル用ではないか、
と反論がありそうだが、
私はガラードの301をプロフェッショナル用だとはまったく思っていない。

プロフェッショナル用だから、素晴らしいわけではないし、
コンシューマー用のほうが素晴らしいモノは、けっこうある。

それなのにこんなことを書いているのは、
私が以前から感じているプロフェッショナル用機器の音の良さとは、
930stの音の良さと、共通するからである。

くり返しになるが、それが音の構図であり、音のデッサン力の確かさである。
アナログプレーヤーだけでなく、スピーカーシステムに関しても同じだ。

JBLのスピーカーシステムに感じる良さのひとつに、同じことが挙げられる。
いまやJBLのスピーカーシステムのラインナップは拡がりすぎているが、
少なくともJBLのプロフェッショナル用は、930stと同じで、確かな音の構図を描く。

すべてのプロフェッショナル用機器がそうだとまではいわないが、
優れたプロフェッショナル用機器に共通する良さは、ここにあった、といえる。

過去形で書いたのは、私がここでプロフェッショナル用として思い出しているのは、
往年のプロフェッショナル用機器ばかりであるからだ。

Date: 11月 26th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・余談)

タンノイのABCシリーズは1976年に登場している。
その二年後に、タンノイからはABCシリーズとは別系統のTシリーズが発表された。
日本でも発売されているが、ABCシリーズの陰にかくれてしまった感があるし、
私も実物を見たことは一度もない。

TシリーズはABCシリーズ同様、同軸型ユニット採用だが(ローコストモデルだけ違う)、
このユニットの振動板には紙ではなく、高分子系のものを採用、
ABCシリーズ搭載のHPDがまだアルニコマグネットだったが、
Tシリーズのユニットはフェライトマグネットだった。

Tシリーズのタンノイなんて、記憶にない……、という方もいるはず。
日本ではT225、T185、T165、T145、T125の型番ではなく、
Mayfair、Dorset、Chester、Ascot、Oxfordの型番で発売されていたからだ。

型番上では五機種だが、実質は三機種である。
Mayfair(T225)とDorset(T185)、
Chester(T165)とAscot(T145)は、
エンクロージュアの仕上げが異なるモデルである。

Dorset、Chester、Oxfordは、いわゆる一般的な木製のエンクロージュアである。
Mayfairの天板にはガラスが使われていて、
このガラスを外すと、レベルコントロールのツマミが現れる。
サランネットの形状もDorsetとは違う。
Ascotはフロントバッフルにプラスチックの成型品を使っている。

実はこのTシリーズの開発には、アーノルド・ウォルフが参画している。
このころのタンノイはハーマン参加だったし、
アーノルド・ウォルフもJBLの社長を辞めていた時期でもある。

アーノルド・ウォルフがどこまで関っているのかまでは知らないが、
関係していることは確かだ(ステレオサウンド 48号に載っている)。

Date: 11月 25th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL SE408Sを見ながら・その2)

目の前にあるSE408Sを、どうメインテナンスするのか。
それを考えるのは、実に愉しい。

電解コンデンサーは、電源部の平滑コンデンサーを含めてすべて交換する予定だ。
アンプ部のプリント基板には、チューブラ型のコンデンサーが使われている。

修理といって、よく見かけるのは、このコンデンサーをラジアル型に交換している例だ。
これは、個人的に絶対やりたくない。

SE408Sは外装がないだけに、コンデンサーの形状の違いは、
そのまま見た目の大きな違いとなってくるからだ。

耐圧、容量が同じで、品質的にも同じがより良いコンデンサーであれば、
形状の違いは気にしない──、そういう考えで修理されているJBLのアンプは少なくない。

そういう修理のアンプを、完全メインテナンス済みと謳われていても、
私は信用しないし、そういうオーディオ店も信用しない。

ただチューブラ型であっても、SE408S当時(ほぼ50年ほど前)のコンデンサーと、
現在のコンデンサーでは耐圧、容量が同じならば、サイズはちいさくなる。

私としては、容量は同じにして、耐圧が高いチューブラ型を選択して、
極力サイズが変らないようにする。

問題は色である。

Date: 11月 25th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL SE408Sを見ながら・その1)

いま手元にJBLのSE408Sがある。
これも預かりモノである。
預かりモノのJBLの数が増えていっている。

預かりモノであっても、JBLが集まってくるのはやっぱりうれしい。

SE408Sはずっと以前にも見ているし、聴いたこともある(正確にはSE400S)。
SE408Sは、(その13)で書いているSE408Sそのものである。

SE408Sだから外装ケースはない。
内部はじっくり、常に見ることができる。

手元にあると、回路図と照らし合せて見ることができる。
十分に見た、と思っていても、ふと、あそこは? と気になってもすぐに見られる。

JBLのプリメインアンプSA600のパワーアンプ部は、SE408Sそのままといっていい。
けれとSA600の回路図と内部写真を見ながらだと、こういう変更点があるのかと気づく。

JBLのこの時代のパワーアンプはエナジャイザーを特徴としていた。
SE408Sもそうだ。

けれど、回路図だけを見ているよりも、実物を見ていると、
このエナジャイザー実現のための配線の引き回しは、
想像以上に複雑なことに気づく。

そして、そういえば……、と思い出すこともある。
     *
 たしかに、永い時間をかけて、じわりと本ものに接した満足感を味わったという実感を与えてくれた製品は、ほかにもっとあるし、本ものという意味では、たとえばJBLのスピーカーは言うに及ばず、BBCのモニタースピーカーや、EMTのプレーヤーシステムなどのほうが、本格派であるだろう。そして、SA600に遭遇したのが、たまたまオーディオに火がついたまっ最中であったために、印象が強かったのかもしれないが、少なくとも、そのときまでスピーカー第一義で来た私のオーディオ体験の中で、アンプにもまたここまでスピーカーに働きかける力のあることを驚きと共に教えてくれたのが、SA600であったということになる。
 結局、SA600ではなく、セパレートのSG520+SE400Sが、私の家に収まることになり、さすがにセパレートだけのことはあって、プリメインよりも一段と音の深みと味わいに優れていたが、反面、SA600には、回路が簡潔であるための音の良さもあったように、今になって思う。
     *
瀬川先の「いま、いい音のアンプがほしい」からの引用だ。
1981年夏、読んだ時は、簡潔といえばそうなのだろうけど……、と半信半疑だった。

でも、いまこうしてSE408Sをじっくりと見ていると、
エナジャイザーまわりがないSA600は、確かに簡潔といえるし、
そのことによる音質面でのメリットは小さくないし、
むしろ昔よりもアンプを取り囲む状況が悪くなっている現在の方が、
SA600の簡潔さのメリットは、より大きいといえるだろう。

SE408Sのエナジャイザーまわりの配線をパスした例をインターネットで見たことがある。

エナジャイザーの機能を使うことはない。
イコライザーカードはフラットのカードがついているし、
ハークネス用のカードが見つかるかどうかもなんともいえないからだ。

それでも本来の機能を活かしたままで、使うことを常に心掛けている。
時には手を加えることをためらわないけれど、
それでもすべての機能を活かしたまま、というのは絶対に守っている。

手元にあるSE408Sは、多少ハムが出ている。
いくつか部品の交換はしなければならないが、
エナジャイザーの機能をパスするようなことはしない。

Date: 11月 25th, 2017
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017

今年度のKK適塾が12月22日から始まる。
参加申し込み受付が始まっている。

Date: 11月 25th, 2017
Cate:

賞からの離脱(自転車雑誌でも……)

初めて自転車雑誌を手にしたのは1994年。
サイクルスポーツバイシクルクラブだった。

当時は両方とも毎号買っていた。
何年か経ってから、バイシクルクラブは、書店で手にとって面白いと感じた号だけを買うようになった。
サイクルスポーツは毎号買っていた。

いまはサイクルスポーツを、面白いと感じた号だけを買っている。
バイシクルクラブを買うことはなくなった。

いま書店には2018年1月号が並んでいる。
バイシクルクラブの特集は、「もうお尻は痛くない!」で、
表紙にも、黄色の文字で大きく載っている。

その上に、「日本バイシクル・オブ・ザ・イヤー2018」とある。
中を見なくとも、タイトルだけでわかる。

自転車雑誌も、ついに賞を始めたのか、と思った。
私が買いはじめた20数年前からすると、自転車はブームといえるほどになっている。
東京にいると、ロードバイクを見かけない日はないくらいである。

自転車店も増えている。
自転車関係の本も増えている。

海外メーカーの新製品発表会の様子が、
自転車雑誌のウェブサイトでも公開されているのを見ると、
20数年前では考えられなかったほどの活況である。

それでも、いままで自転車雑誌は、賞をやってこなかった。
それをバイシクルクラブが、今回初めてやっている。

今回は第二特集としての扱いである。
それでも今後はどうなっていくのか。
毎年恒例となるのか。
ページ数も増えて、第一特集となっていくのか。

サイクルスポーツは、どう出るのか(追従しないでほしい)。
そんなことを考えながらも、
なぜ、いま賞なのか? と思う。

Date: 11月 25th, 2017
Cate: audio wednesday

第83回audio wednesdayのお知らせ(誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク)

12月6日のaudio wednesdayに持っていく予定のディスク。

オッターヴィオ・ダントーネ指揮アカデミア・ビザンティーナによるバッハの「フーガの技法」。

「フーガの技法」は、ふと、誰かの新しい演奏を聴きたくなる。
そういうときにタイミングよく出合えたCDが、この「フーガの技法」。

オルガンによる「フーガの技法」もいいし、ピアノによる「フーガの技法」もいい。
室内楽による「フーガの技法」もいい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 24th, 2017
Cate: バスレフ(bass reflex)

バスレフ考(その9)

バスレフポートの位置で、どれだけ音が変るのかで、
市販スピーカーを見渡してみると、アルテックの620がある。

604-8Gを搭載したモデルが620A、
ホーンがマンタレー型になり、
フェイズプラグもタンジェリン型になった604-8Hを搭載したのが620Bである。

エンクロージュアの外形寸法は同じ。
厳密に言えば、カタログ発表値は、
620Aは620Bよりも高さが4mm、奥行きが3mmの違いがある。
補強棧がどうなっているのかは、エンクロージュア内部をみたことがないのでなんともいえない。

620Aと620Bのエンクロージュアの外観的な違いは、バスレフポートの向きにある。
どちらも細長い四角の開口部のポートであっても、
620Aは横長なのに対し、620Bでは縦長に配置されている。

620Aではフロントバッフルの中央より少し下の位置にある。
左右どちらかにオフセットしていることはない。
620Bでは片側にオフセットしていて、フロントバッフルの下部に位置している。

620Aと620Bではユニットが違い、それに伴いネットワークも違う。
厳密な比較は、だからできないのはわかっていても、
このバスレフポートの向きと位置の違いは、620Aと620Bの音の違いに少なからず関係しているはずだ。

バスレフポートの近接周波数特性を測定してみれば、違いは出てくる。

620Aと620Bのバスレフポートの向きと位置の違いは、意図的なことなのだろうか。
604-8Hになり、レベルコントロールが2ウェイに関らず中・高域が独立して調整できるようになり、
そのためコントロールパネルが604-8Gのころにくらべて、
ツマミがふたつになり縦に長くなっている。

620Aのバスレフポートのままで、その下に604-8Hのコントロールパネルは取付はできる。
けれど見た目を想像してほしい。
なんともまとまりの悪いアピアランスになってしまう。

Date: 11月 24th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その20)

スペンドールのBCIIIは、聴いていない。
聴いていないが、岡先生、瀬川先生の文章をくり返し読むことでイメージとしては、
生真面目なスピーカーであることは間違いない、といえる。

その生真面目なBCIIIから、条件がきわめて限定されるとはいえ、
「狂気の如く」、「狂気の再現」といえる音が鳴ってくるのか。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、
瀬川先生がBCIIとBCIIIについて語られている。
     *
瀬川 ぼくはこのふたつのスピーカーは、兄弟でもずいぶん性格がちがっていると思っているんですよ。たとえていえば、BCIIIは長男で、BCIIは次男なんだな(笑い)。BCIIは、次男坊だけにどちらかというとヤンチャで悪戯っ子だけれど、ただいい家庭の子だからチャーミングな音をそなえている。
 一方、BCIIIのほうは、いかにも長男らしくきちんとしていて、真面目で、ただやや神経質なところがある。つまり生真面目な音なんですよ(笑い)。
 ですから、BCIIIの場合、それをどれだけときほぐして鳴らすか、というのが鳴らし方のひとつのコツだろうと思うわけです。ただし、それを十全にやろうとすると、この予算ではムリなのです。つまり、もっと豊かな音が鳴らせる高価なアンプが必要になります。BCIIIは、このスピーカーがもっている能力をはるかに上まわるアンプで鳴らしてやったほうが、その真価がより一層はっきりとでてくるんですね。
     *
ここにも「生真面目」が出てくる。
これがBCIIIの本質なのだろう。

その生真面目な性格を、瀬川先生はときほぐして鳴らす方向が、ひとつのコツだとされている。
たしかにそうなのだろう。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」では予算100万円の組合せで、
BCIIIを選ばれ、アンプはQUADの44+405である。

音の肉づきということでは、44+405は線の細さを強調する方向にいくため、
カートリッジにエラックのSTS455Eを選ばれている。
その上で、肉づきのいい方向にもっていくため、BCIIIの置き方と、
44に付属するティルトコントロールをうまく組み合わせながらの調整をされている。

中野英男氏のトリオのKA7300DとEMTの927Dstによる組合せは、
ときほぐす方向とはベクトルが違うはずであり、それゆえにBCIIIから別の魅力、
他では聴けない特質を抽き出した、とはいえるのかもしれない。

Date: 11月 24th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL SE408S・その16)

あらゆることのくり返しを、前野時代のことを知らない人は、新しいことだと思ってしまう。
オーディオに限っても、そうだ。

以前に話題になったことがしばらくすると当り前になりすぎてか忘れられていくようだ。
ある程度の年月が経ったころに、
同じことを、さも新技術のように謳うメーカーがあらわれると、
少なからぬ人が、それを新しい技術だと受け止めてしまう。

オーディオ評論家の中にも、残念ながらそういう人は見受けられる。

自分の目でしっかりと製品を見ていれば、そういうことにはならないのに……。
結局、そんな勘違いをしてしまう人は、メーカー、輸入元の発表資料だけが頼りなのだろう。

文字で示されることには目が行くけれど、
文字で示されていないところには目が向かない。
そういう人は、オーディオの系譜を語ることができない。

オーディオの系譜を語れない人が増えてきている。
それでオーディオ評論家といえるだろうか。

Date: 11月 23rd, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの覚悟(その6)

なにかのきっかけがあってなのか、ふと以前観た映画のシーンを部分的に思い出すことがある。
つい数日前も、そうだった。

思い出したのは(というよりも突然頭に浮んできたのは)、
「カールじいさんの空飛ぶ家」(原題:Up)である。
2009年の映画だ。

邦題は、アニメーション映画ということもあってのものか。
映画を観終れば、原題がUpであることが理解できる。

亡き妻との思い出がつまった家を風船で浮上させて旅に出る。
荒唐無稽な話と思われるだろうが、家ごとだから主人公のカールじいさんは旅に出る。

まだ観ていない人もいるだろうから、ストーリーについては触れないが、
クライマックス、ふたたび家ごと浮上するシーンがある。

グッと胸に来るものがある。
まさしく「Up」である。そこには別れもある。

数週間前からぼんやり考えているのは、
オーディオマニアの私にとっての「武器」はなんだろうか。
古い武器、新しい武器……。

新しい武器を手にするには、古い武器を捨て去ることが必要となるのなら、
その見極めが……。

そんなことを考えながら、映画「Up」がリンクしていくのでは、と感じている。

Date: 11月 23rd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その3)

あのころのイギリスのソフトドーム型ユニットをもつイギリスのスピーカーは、
音量をあげた際には、弱かった。
悲鳴をあげる──、とまでは少し大袈裟でも、それに近い弱さをもっていたからこそ、
音量に気をつけて鳴らした時の、うるおいのある音、力みを感じさせない音は、
私にとってほんとうに魅力的であった。

そして、それゆえに女性的と感じていたのだろう。

逆の見方をすれば、そういうスピーカーは、ほんとうの力の提示ができない、
もしくは苦手なスピーカーということもできる。

けれど、力の提示に優れているスピーカーの多くは、
どこかに力みが残っているような鳴り方をする。

それは結局のところ、こちらの鳴らし方次第なのだとはいうことに気づくのに、
私の場合、そこそこの時間がかかった。
40をこえてから、そのことに気づいた。

力をもっているスピーカーから、力みをなくしたときに、
そのスピーカーの力量がようやく発揮される。
力みが消え去っているからこそ、力の提示が可能になる。

大音量再生において、もっとも大事なことも、これである。
力みのある音、力みをどこかに残している音での大音量再生には、
真の大音量再生の快感はない。

Date: 11月 22nd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その2)

オーディオマニアにはモノマニアの側面がある。
モノマニアとしてみたときに、イギリスのBBCモニター系列のスピーカーには、
ある種のものたりなさを感じてしまう。

JBLのユニットは、モノマニアを満足させてしまう。
そういうところはBBCモニターに使われているユニットには、まったくない。

あと少し本格的なユニットをだったら……、と思うことはしばしばあった。
本格的なユニットがつけば、その分コストにかかってくる。
ユーザーに負担をかけることにもなる。

これで充分だろう、という作り手側の主張なのかもしれない。
そう頭でわかっていても、モノマニアの心情はそうはいかない。

イギリスでもタンノイ、ヴァイタヴォックスのユニットは、本格的なつくりだった。
フェライトになってからのタンノイはそうではなくなったが、
ヴァイタヴォックスのウーファー、ドライバーは、それだけ見ても魅力的だった。

それでも音を聴くと惹かれるのは、
モノマニアとしてものたりなさを感じてしまうスピーカーばかりといってもよかった。

うるおいがあったから、と(その1)で書いた。
たしかにそうである。
ずっとそうだと思い込んでいた。

間違っていたわけではない。
けれど40をこえたころからだったか、
それだけで惹かれていたわけでもないことに気づきはじめた。

私が惹かれたスピーカーの音には、力みがなかったからだった。

Date: 11月 22nd, 2017
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の才能と資質(その5)

坂東清三氏が書かれている。
(坂清也の名で、主にステレオサウンドの音楽欄に登場されていた)
     *
 瀬川さんを評して、〈使いこなしの名手〉という言葉がある。たぶん岡俊雄さんの評言ではなかったかと思うけれど、たしかに一緒に仕事をしたりしていると、その〈名手〉ぶりには瞠目させられることしばしばだった。ほんの3センチか5センチ、スピーカーの高さを変える、あるいは間隔を、角度を変える。アンプのTREBLEなりBASSのツマミを、ひと目盛り変える。といったことを、何時間もかけて丹念にやっているうちに、とつぜん素晴らしい音で鳴り出す。こういった〈使いこなし〉にかけては、瀬川さんの右にでるひとはいない、といってもいいだろう。
 その〈名手〉ぶりを仕事で目の当りにみせつけられたある夜更け、例によって酒場のカウンターでからんでいた。瀬川さん、理想のオーディオ装置って、ポンと置いたら、そのままでいい音が鳴るものじゃないのかなあ──。理想をいえばそうなのかもしれないけど、そんな装置、出来っこないよ、と穏やかに答える。じゃあさ、そういう装置にできるだけ近づくべきだというのが、瀬川さんの仕事じゃあないのかなあ、と暴論を吐いたら、なんどもブゼンとした表情だけが返ってきたのだった。その表情には、オーディオ趣味の真髄がちっとも分かってないなあ、という気配が多分にあったことはまちがいない。
     *
坂東清三氏がいわんとされていることは、そのとおりだ、と思う。
ポンと置いて、きちんと鳴るオーディオ機器があれば──、と思ったことはある。
でも、それはオーディオと呼べるだろうか、と考える。

坂東清三氏は、続けて書かれているが、いい音で聴きたい気持は強くても、
それはひとりの音楽愛好家としてのものであって、オーディオマニアのそれとは少し違うともいえる。

オーディオ評論家に求められる才能とは、
音を聴き分ける能力、音を言葉で表現する能力──、
これらも必要ではあるのはわかっているが、
それ以上に、そしてそれ以前に必要な才能とは、
スピーカーをうまく鳴らすことである才能である、と(その1)で書いた。

そうだろうかと思う人もいた。
うまくスピーカーを鳴らせなくとも、
耳がよくて、言葉で表現し伝える能力があれば、オーディオ評論の仕事はできるはず──、
果してそうだろうか。

それではオーディオ評論家ではなく、サウンド批評家である。

Date: 11月 22nd, 2017
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の才能と資質(その4)

理想のオーディオ機器とは、いかなる使い方をしても、
持てる能力を100%発揮できるモノという考えがある。

実際はまるで違う。
高い可能性、実力をもっているオーディオ機器であればあるほど、
使い方は難しくなる。

こんなことで音が変るのか、と思わず口走りたくなるほど、
ささいなことで音は変っていく。
しかも、使いこなしがしっかりしていればいるほど、
ささいなことに敏感に反応してくれる。

どんなに優秀なオーディオ機器であっても、
いいかげんな使い方をしていれば、そのことによるマスキングによって、
そういったささいなことによる音の変化は、なかなか聴き取り難くなる。
だが、それでも音は変化している。

音は振動の影響をつねに受けている。
電子機器であるアンプであっても、振動は音に影響している。

このことがアンプのコンストラクションを変えてきた。
いまでは金属ブロックからの削り出しの筐体のアンプも、珍しくはない。
振動対策を謳っているアンプも少なくない。

それでも、いいかげんなところにポンと置いただけでは、けっしてうまく鳴らない。

結局、ポンと置いてポンと接ぐだけで、いい音がしてくるオーディオ機器は登場しそうにない。
これから先も登場しそう(実現しそう)にない。

ほぼ同じことが、サプリーム 144号にも載っている。