世代とオーディオ(JBL SE408Sを見ながら・その1)
いま手元にJBLのSE408Sがある。
これも預かりモノである。
預かりモノのJBLの数が増えていっている。
預かりモノであっても、JBLが集まってくるのはやっぱりうれしい。
SE408Sはずっと以前にも見ているし、聴いたこともある(正確にはSE400S)。
SE408Sは、(その13)で書いているSE408Sそのものである。
SE408Sだから外装ケースはない。
内部はじっくり、常に見ることができる。
手元にあると、回路図と照らし合せて見ることができる。
十分に見た、と思っていても、ふと、あそこは? と気になってもすぐに見られる。
JBLのプリメインアンプSA600のパワーアンプ部は、SE408Sそのままといっていい。
けれとSA600の回路図と内部写真を見ながらだと、こういう変更点があるのかと気づく。
JBLのこの時代のパワーアンプはエナジャイザーを特徴としていた。
SE408Sもそうだ。
けれど、回路図だけを見ているよりも、実物を見ていると、
このエナジャイザー実現のための配線の引き回しは、
想像以上に複雑なことに気づく。
そして、そういえば……、と思い出すこともある。
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たしかに、永い時間をかけて、じわりと本ものに接した満足感を味わったという実感を与えてくれた製品は、ほかにもっとあるし、本ものという意味では、たとえばJBLのスピーカーは言うに及ばず、BBCのモニタースピーカーや、EMTのプレーヤーシステムなどのほうが、本格派であるだろう。そして、SA600に遭遇したのが、たまたまオーディオに火がついたまっ最中であったために、印象が強かったのかもしれないが、少なくとも、そのときまでスピーカー第一義で来た私のオーディオ体験の中で、アンプにもまたここまでスピーカーに働きかける力のあることを驚きと共に教えてくれたのが、SA600であったということになる。
結局、SA600ではなく、セパレートのSG520+SE400Sが、私の家に収まることになり、さすがにセパレートだけのことはあって、プリメインよりも一段と音の深みと味わいに優れていたが、反面、SA600には、回路が簡潔であるための音の良さもあったように、今になって思う。
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瀬川先の「いま、いい音のアンプがほしい」からの引用だ。
1981年夏、読んだ時は、簡潔といえばそうなのだろうけど……、と半信半疑だった。
でも、いまこうしてSE408Sをじっくりと見ていると、
エナジャイザーまわりがないSA600は、確かに簡潔といえるし、
そのことによる音質面でのメリットは小さくないし、
むしろ昔よりもアンプを取り囲む状況が悪くなっている現在の方が、
SA600の簡潔さのメリットは、より大きいといえるだろう。
SE408Sのエナジャイザーまわりの配線をパスした例をインターネットで見たことがある。
エナジャイザーの機能を使うことはない。
イコライザーカードはフラットのカードがついているし、
ハークネス用のカードが見つかるかどうかもなんともいえないからだ。
それでも本来の機能を活かしたままで、使うことを常に心掛けている。
時には手を加えることをためらわないけれど、
それでもすべての機能を活かしたまま、というのは絶対に守っている。
手元にあるSE408Sは、多少ハムが出ている。
いくつか部品の交換はしなければならないが、
エナジャイザーの機能をパスするようなことはしない。