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Date: 12月 3rd, 2018
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その4)

こういうことを書くと、
若い人は、アナログディスク再生のノウハウを身につけていないから仕方ないこと──、
そんなことをいってくる人がいるかもしれない。

私より若いスタッフのブースも確かにあった。
私と同世代のスタッフと思われるブースもあった。

若いスタッフのブース(会社)には、何も若い人だけがいるわけではないはず。
私と同世代か、上の世代の人もいよう。
そういう人たちから学ばないのか、とも思うよりも、
全体的に、アナログディスク再生が老いてきているように感じてしまう。

昔取った杵柄で、アナログディスクを再生しての音出し──、
やっている側はそういう意識なのだろうが、
昔取った杵柄は、いつのまにか錆びついているのかもしれない。

それに鍛えていなければ、技能や腕前は衰えていくのではないのか。
そんな空気が漂っているのかもしれない。

個人で、いまも昔取った杵柄をさらに鍛えてのアナログディスク再生の人もいるはず。
けれど、オーディオショウでは、そういう人がアナログディスク再生を行っているわけではない。

昔取った杵柄は、いまでは幻影になっているのに気づかずに……、
そういう空気が、アナログディスク再生が老いてきているように感じさせてしまうのか。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その3)

オーディオショウでも、アナログプレーヤーを使っての音出しは増えてきている。
残念ながら、それらがすべてきちんと調整された音ではなかったりする。

今回のインターナショナルオーディオショウでも、気になるブースがいくつかあった。
あるブースでは、アナログディスク再生時に、ウーファーの振動板が前後にフラフラしている。

ここまで揺れていたら……、と心配したくなる。
そのブースのスタッフの誰一人、そのことを気にしている様子はなかった。
ウーファーの前後の揺れがどういうことが起きて生じているのか理解していないのか。
そんな感じすら受けた。

別のブースでは、凝った構造のトーンアームでの音出しだった。
昨年も、このブースで感じたのは、完全にトーンアームが調整しきれていない、
そんな感じである。

どこかヒステリックな印象がつきまとう。
それにあるレコードがかけられた。

歌手は二人。
なのに二人とも同じところに重なって歌っているようにしか聴こえない。

左右のスピーカーのちょうどセンターにいたわけではない。
席ひとつ分だけ右にずれていた。
その位置では、右側のスピーカーの位置に、二人の歌手が重なるように定位している。

初めて聴くディスクなので、それが録音のせいという可能性はわずかに残るが、
常識的に考えて、そんな録音のはずはない。
調整不備からなのだと思われる。

あるブースでは、プレーヤーキャビネットのうえに、
スタイラスカバーや針先クリーナーを置いたままでの音出しだった。
スタビライザーも、ディスクによっては使用していなかった。
意図的にそうしていたのか、単にスタビライザーをのせるのを忘れていただけなのか。

細心の注意が払われているな、と感じるブースはなかった(少なくとも私がみた範囲では)。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(補足・来年のこと)

ノアはトーレンス、ハーベス、マイケルソン&オースチンの輸入元であった。
その後、カウンターポイントを扱うようになり、
1980年代に入り、アークという子会社をつくり、
そこでバンデンハルやH&Sを取り扱っていた。

ノアはNoah、アークはArkである。
つまりNoah’s Ark(ノアの方舟)である。

そういうおもいが込められている社名である。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(余談・来年のこと)

別項「2018年をふりかえって」を書き始めたくらいだから、
もう年内に驚くようなこと、驚くような新製品は登場しないと思っていた。

さきほど知った、ノアとアークジョイアの完全子会社のニュース
驚かない人もいるだろうけど、私は驚いた。

驚くとともに、ふりかえってみれば、なんとなく思いあたることがまったくなかったわけでもない。
それでも、あくまでもこのニュースを知ったうえでふりかえってみて、である。

発表されていることからは、全株式を取得しての完全子会社にした以上のことはわからないけれど、
来年のインターナショナルオーディオショウのノアとアークジョイアのブースは、
完実電気との協同のブースとなるのだろうか。

それとも完実電気が輸入元となっているブランドのいくつかが、
ノアもしくはアークジョイアに移り、インターナショナルオーディオショウで聴けるようになるのか。

そういったことはいまのところまったくわからないが、
2019年のインターナショナルオーディオショウでは、なんらかの変化はあるはず。
おもしろい変化がおこるのではないか、と期待している。

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その2)

その1)で書いたイベントでは、プレーヤーの傾きもそうだったが、
ハウリングに関しても、ひどかった。

音楽が鳴っているときにハウリングが起っているのが、はっきりとわかるほどのひどさだった。
プレーヤーを操作している人も、ハウリングが起きているのは少しすればわかるようで、
音量を少し下げる。

こんな再生環境で、オリジナル盤が音がいい、と、
そのイベントの常連の方たちは、本気で思っているのか。
ハウリングが簡単に起ってしまうような状態で、日常的に音を聴いているのであれば、
それもまたすごいことだし、常連の方たちをみまわすと、
ハウリングが起っていることに、どうも気づいていない感じの人も数人いた。

そういう環境でも、オリジナル盤は音がいい、ということなのか。

なんにしても、イベントの準備の段階でハウリングのチェックはしなかったのか。
ターンテーブルプラッターを停止させた状態で、ディスクに針を降ろす。
そしてアンプのボリュウムをあげていく。

この、アナログプレーヤーの設置において最も基本的なチェックをしなかったのか。
10代のころ、国産の普及クラスのアナログプレーヤーを使っていたときでも、
ハウリングには十分気をつけていた。

ボリュウムが何時の位置でハウリングが起きはじめるのか。
2時の位置でも、なんとか大丈夫だった。
フルボリュウムにすれば、ハウリングを起していた。

もういまではハウリングもハウリングマージンということも忘れかけられているのだろうか。

ステレオサウンドで働くようになって、アナログプレーヤーは替っていった。
マイクロの5000番の糸ドライヴも使っていた。
このときもハウリングマージンは十分に確保していた。

次にトーレンスの101 Limited(930st)の時には、
フルボリュウムでもハウリングは起していなかった。

ハウリングを気にしながら、ボリュウム操作はしたくない。
このことも重要なことだが、
ハウリングが起きやすい状態で聴いていて、音を判断できるのか、と、
ハウリングに無頓着の人に問いたい。

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その19)

オーディオは、つまるところ感動の再現ではないのか。
いや、生音の再現、原音とおもわれるものの再現という人もいようが、
私は、ここにきて、感動の再現だ、とつくづくおもう。

別項でメリディアンのULTRA DACについて書いているのも、
その理由のひとつ、もっとも大きな理由は、私にとってULTRA DACが、
私が聴きえた範囲では最も感動の再現に近いD/Aコンバーターだからだ。

ULTRA DACよりも、いい音のD/Aコンバーターはある、という人がいる。
あるだろう、とは思っている。
ULTRA DACよりもはるかに高価なD/Aコンバーターはいくつかあるし、
それらとULTRA DACを比較試聴しているわけではないが、
ULTRA DACよりも、一般的にいわれている精度の高い音に関しては、
それらのD/Aコンバーターの方が上だろう。

プログラムソースに含まれている信号の波形再現こそが、最終的なことであるならば、
歪がなくノイズもなく、プログラムソースに記録された信号を、それこそ純粋な形で信号処理して──、
そういうプロセスを感じさせる音、いわゆる精度の高い音こそが正しい──、
そう力説されれば、確かにそれは技術的には正しい、といわざるをえない。

けれど、われわれが音楽を聴くのは家庭において、である。
録音スタジオでもないし、コンサートホールでもない。
音量ひとつとっても、録音の場で鳴っている音とは違う。

これは重要なことだ。
スピーカーもアンプもなにもかも違う条件で、われわれは録音された音楽を再生して聴いている。
そこにおいて、もっとも大事にしたいことはなんなのか。

音楽が美しく響いてくれることであり、
そして感動の再現である。

波形再現の精度をどこまでも追求するのを否定はしない。
けっこうなことだ。

そういう時期は、私にもあった。
けれど、いまはもう違う。
自分に正直になろうとすればするほど、そこからは離れていくような気がする。

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その8)

そんな話をきいたのは、昭和のころだ。
いまは平成。しかももう平成も終る。

取次の支払いも昭和のころからすれば改善されていることだろう。
それでも株式会社ステレオサウンドは、物販に積極的だ。
これからもそのはずだ。

そして記事の広告化も積極的だ。
最近の例をあげれば、「老舗ブランドの現在」という連載だ。

この記事の扉には、「創業30年以上」を老舗オーディオブランドの目安と定め、とある。
30年で老舗なのか、と思うわけだが、
東京商工リサーチによれば、創業から30年以上、とあるのは確かだ。

それはわかったうえで、それでも30年で老舗? とおもう。
30年を老舗の目安すれば、いまでは数多くのブランドが老舗にあてはまる。

1988年創業のブランドでも、いまでは老舗となるわけだが、
私の感覚では、単に数字だけで老舗かどうかは判断できないところがある。

「老舗ブランドの現在」は、ほぼ広告とみている。
ここに登場するブランドは、国内・海外問わず、
メーカー、輸入元にステレオサウンド側から積極的に働き掛けてのもののはずだ。

これも憶断にすぎないのだが、
特集記事と、この「老舗ブランドの現在」とでは、記事の成り立ちにずいぶんな違いがあるはずだ。

何も私だけが気づいていることではないはずだ。
編集経験のある方ならば、とっくに気づいていることであろう。

出版社も金を稼がなければやっていけない。
それはよくわかっているつもりだ。
けれど、あからさますぎないか、と感じるわけだ。

やるのならば、もっとうまくやってほしい、と思うし、
そうまでして……、とも感じることから、
原田勲氏自身が、「原田勲氏が亡くなった日が、ステレオサウンドのXデーだ」ということを、
もっとも強く、誰よりも強く、そう捉えていると私はおもっている。

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その7)

「原田勲氏が亡くなった日が、ステレオサウンドのXデーだ」のあとに、
補足的なことを話すと、いわれてみれば、と納得してくれる。

それでも、私がこのことを話したのはそう多くはないし、
オーディオマニアの多くは、そういうふうには思っていないことだろう。

それでも、私以外に、私以上にそのことに気づいていたのは、
ほかならぬ原田勲氏のはずだ。
もちろん、これは私の憶断である。

原田勲氏は、季刊誌ステレオサウンドと株式会社ステレオサウンドをつくっている。
編集長でもあったし、社長でもあった。
そういう人だから、誰よりもはやく、そして強く感じていたのではないのか。

ここ数年のステレオサウンドは、出版以外にもそうとうに力をいれている。
それは出版という業種は、本が売れてもお金が入ってくるのに時間がかかるからである。

私がいたころも、原田勲氏から直接、
出版業の、そういうやりくりの大変さを少しばかり聞いたことがある。

本は取次を通して書店に納められる。
本の売上げは、だから取次をとおして出版社に支払われる。

本が売れた、すぐに取次が支払ってくれるのであればいいが、
実際には数ヵ月待たなければならない、ということを聞いている。

だからベストセラー倒産ということが実際に起きる。
ベストセラーを出せば出版社は潤うはずなのに、
売れるならば、すぐさま増刷しなければならない。
けれど、その本の売上げが取次から支払われるのは、ずいぶん先のこと。
資金繰りにいき詰まっての倒産がある。

ゆえに出版社は、いわゆる日銭を稼ぎたい。
株式会社ステレオサウンドは、いまではいろんなモノを売っている。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: 電源

電源に関する疑問(バッテリーについて・その4)

ステラが輸入販売しているドイツのストロームタンクの製品。
リチウムイオン電池から交流電源を作り出す電源であり、
とにかく大きくて重い。そして高い。

商用電源と比較すると、おそらく大きな音の違いはあるはず。
残念ながらインターナショナルオーディオショウでは、
ストロームタンクから電源をとった音は聴けても、
商用電源との比較試聴はできない。

なのでどれだけの効果なのかは確認できないのだが、
そのことよりも、これだけの大容量のバッテリーであっても、
この項で書いてきていること、
つまり電池の残量によって音が変化してしまうことからは逃れられていないのではないか、
このことの方を確認したくなる。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論をどう読むか(その5)

(その4)へのコメントが、facebookであった。
そこには、こんなことが書かれてあった。

コメントを書いてくれた人が読んだオーディオ関連の本には、
オーディオ評論家は専門知識に明るくない方がいい──、
そんなことが書いてあったそうだ。

誰が書いたのだろうか。
オーディオ評論家は……、と書いてあるくらいだから、
オーディオ評論家ではないだろう。

どんな人が、どういう立場の人が、このことを言ったかによっても、
受け止め方は違ってくるところがある。

ただ専門知識といっても、生半可な専門知識ではない。
中途半端な知識であれば、確かにないほうがいいと私も思っている。

井上先生がよくいわれていたこと、
頭で聴くな、耳で聴け、
このことはその程度の知識をもっているがゆえに起ることでもある。

もちろん基礎知識は必要である。
けれど専門知識となると、それを身につけるにはどれだけの時間と情熱を要するのか。
それにその過程においては中途半端であるのも確かである。

ならば、そういった専門知識はない方がいい。
頭で聴くことはなくなるからである。

けれど、オーディオ評論家は専門知識に明るくない方がいい──、
と書いていた人がメーカーの人だったりすると、受け止め方は違ってくる。

メーカー側にとって都合のいい広報マンとしてのオーディオ評論家ならば、
専門知識に明るくない方がいいのは確かなことだ。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(ルールブレイカーか・その2)

11月29日の夜は、われら三人はキリギリス、ということも出てきた。
自業自得の男たち、というのも出てきた。

キリギリスとは、イソップ寓話「アリとキリギリス」のことである。
自業自得であることはわかっている。

そんな表現をききながら、
ルールブレイカーに必要なのは、前回書いたこと(ルールを熟知していること)のほかに、
遊び心を持っていることだな、とも思っていた。

遊び心を失ってしまうと、窮屈な世界になってしまう。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: 1年の終りに……

2018年をふりかえって(その1)

今日から12月。
月日の経つのをはやく感じた、かというと、
そうでもなかったりする。意外と長かった、と感じているところもある。

あっという間だった、と感じたときもあれば、そうでなかったときもあるし、
長いと感じていたときもある。

今年も、新しく知りあえた人たちがいる。

オーディオがもたらしてくれた人とのつながりである、と一年前にも書いた。
一年後も、同じことを書いている、とおもう、とも書いた。

まったくそのとおりだ。
そして来年もいまごろも、また同じことをきっと書いているだろう。

2018年の始まりは、
1月14日、杉並区の中央図書館の視聴覚ホールで行われた
オクタヴィア・レコードの江崎友淑氏による講演会「菅野録音の神髄」といえる。

ある人から、もしかすると菅野先生が来られる、ということをきいていた。
でも、可能性は低いだろう、とききながら思っていた。
当日も、まったく期待していなかった。

その日のことは別項「「菅野録音の神髄」(その1)」に書いている。
最前列の中央に菅野先生がおられた。

短い時間ではあったが、話すことができた。
このとき、予感はしていた。
こういう予感だけは、なぜだかあたる。

これが最後だ、という予感は、あたってほしくないのに、あたってしまう。

Date: 12月 1st, 2018
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論をどう読むか(その4)

繙いていくことが、オーディオに限らず、
その道の評論家と呼ばれる人たちの第一の仕事ではないのか。

あるスピーカーやアンプを聴いて、その音の印象を、ただ書き連ねる。
どんなにことこまかに書かれていようが、
繙くことが、そこでなされていないのであれば、それは単なる感想文でしかない。

評論の「論」のこだわりすぎて、
付焼刃の哲外的なことをあれこれ書いたところで、
そこで、何かが繙かれていることは、ほとんどない、というか、まずない。
それは、往々にして、自己陶酔文であったりする。

オーディオのことを繙くとは、
オーディオの専門家が、読み手が気づかなかったことを気づかせることである。
オーディオ評論家が、オーディオに接している時間は、
読み手(つまりオーディオマニア)よりも、圧倒的に長い。

ほぼすべての新製品を聴いているわけだし、
メーカーの技術者と直接話すことだってある。
海外のメーカーを訪問することもある。

そうやって得られた知識と経験を有機的に体系づけてこその専門知識。
その専門知識なしでは気づかないことが、オーディオにはある。
オーディオだけではないはずだ。

その気づきを読み手に与えるのが、オーディオ評論家の仕事である。

Date: 11月 30th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その6)

2000年の終りに井上先生が亡くなられた。
audio sharingは、その数ヵ月前に公開していた。
それに私が以前ステレオサウンドにいたことを知っているオーディオ関係の知人たちと、
2001年からの数年間、何度かきかされたことは、
「菅野先生が亡くなられた日が、ステレオサウンドのXデーですよね」ということだった。

私と同世代か少し上の人たちの何人かが、言い方は多少違えども、そういっていた。
それに対して私は、「原田勲氏が亡くなった日が、ステレオサウンドのXデーだ」と返した。

これはいまもそう思っている。
ここでのXデーとは、ステレオサウンドの終りの始まりということと受け止めていいだろう。
Xデーという表現を使いながらも、
私に訊いてきた人たちは、Xデーが何を指すのかについては何も語らなかったし、
こちらも特にたずねることはしなかった。

どんな人であっても功罪がある。
功ばかりの人はいないし、罪ばかりの人もいないだろう。
どちらに傾いているかもしれないが、功も罪もある。

ステレオサウンドにも、それはいえる。

ステレオサウンドの功罪について、ここでひとつひとつ書くことはしないが、
確かに功はあった。
それは原田勲氏の功といっていい。

もっとも原田勲氏ひとりの功ではないにしても、
ある時までのステレオサウンドは、ステレオサウンドがあったから──、
といえることがいくつもある。

けれど原田勲氏がいなくなったら……、どうなるのか。
現社長の原田知幸氏だけになってしまったら……。

私一人がそう思っているのかもしれないが、
原田知幸氏に功はない。

だから、現会長の原田勲氏が亡くなったときが、ステレオサウンドのXデーだ、と考える。

Date: 11月 30th, 2018
Cate: オーディオマニア

ドン・ジョヴァンニとマントヴァ侯爵(その3)

昨晩の飲み会で、「本当の恋愛」ということが話題にのぼった。
「本当の恋愛」というのは、どういうことなのか。

よく「本当の恋愛をしたことがあるのか」と問われるシーンが、
物語のなかにあったりする。
実際に、先輩からそういわれたことがある人もいる。

そう問うた人は、本当の恋愛がどういうものなのか、
きちんと説明できるのかどうか。

本当の恋愛……、
そんなことがあっただろうかと思い出すまでもなく、
なかった、とすぐに思っていた。

結局のところ、私にとって本当の恋愛とは、
オーディオよりも常に優先する恋愛なのかもしれない。
だから、本当の恋愛はなかった──、とそんなことを話していた。